第103話 銀の結界


 幸いにも、お嬢様の対応は平静なものだった。


「過程をすっ飛ばし過ぎではありませんの……? そういうところが信用できないと言っておりますわ。冗談は抜きにして、計画の方はどうなっていますの?」


 実はヴィクターと直接会って話していたのはほとんどフクリナシだったので、エルネヴァと彼は一度しか面識がない。

 それで、しかもこの感じなのだから、信用しろという方が無理があると言える。


 しかし、本番を迎え、緊張するとガチガチに……分厚く張った氷のように、鉄壁な冷酷の仮面を被ることができるという点では、二人はよく似ているようで、声音だけからもそれが伝わってくる。


『こっちも今から仕掛けるところさ。まっ、互いに成功したら、そこから連帯するってことで、気楽にやろうよ』

「ふん。どう転ぶかわかりませんが、互いの健闘を祈りますわ」

『ありがと。やることはやったんだ、後は天運次第だね。じゃ』


 そう言ったきり、モモンガはいったん沈黙した。



 ハモッドハニー家はメイドも全員が良家出身の吸血鬼なわけだが、その一人に天気を予測できる能力者がいる。

 彼女によると、今日は基本的に一日中晴れだが、夕立には注意とのことだった。


 フクリナシが窓の外を見ると、確かに暗雲が立ち込め始めている。


 現在時刻は午後3時。

〈美麗祭〉からの帰りなのか、街はいまだ市民たちの活気に包まれている。


 しかし、なにもこんな日に仕掛けなくても……と憂いてしまうのは、フクリナシの思考が古いのだろうか?

 歳はとりたくないもので、若者の柔軟な発想にはついていけないことがある。


 考えてみればウォルコ・ウィラプスが不穏分子を引き込み暴れたのも、〈恩赦祭〉の2日目だった。

 逆にこういう日だからこそ、という部分もあるのかもしれない。


 やがて、しとしとと天水が注ぎ始め、次第にその勢いを増していく。


 この雨がどちらに味方するか、どちらにとっての恵みとなるかは……確かにヴィクターの言う通り、天運次第としか言いようがなかった。

 そしてそれはもちろん、自力を尽くしてからの話ということになる。


「では、行って参ります」

「ええ。待っていますわ」


 部屋を出て廊下を歩くうちに、稲光が影を落とした。

 フクリナシの額に青筋が立ち、紫電が宿る。


 戦闘は本職でこそないが、その手段になら心当たりはある。

 少なくとも次なる戦力が手に入るまで、お嬢様の敵を排除するのは、彼の役目だ。



 応接室にいるイリャヒは、雨が降り始めたことに気づいていた。


 雨は嫌いだ。火勢が衰えるし、古傷が痛むしで、いまいち気分が乗らない。

 そして雨の日にいいことがあったためしがない。


「……ソネシエ」

「了解」


 二人は静かに席を立ち、廊下へ出た。


 気がつけばメイドたちも、少し前から姿を消している。事前になにかを言い渡されてそうしているのが伺えた。

 かと言って、お茶やお菓子に毒が盛られていたわけでもない。


 妹とともに奥へと進みつつ、イリャヒはこの屋敷へと初めて訪れたときを思い出していた。

 そしてまさにあのときと同じように、薄暗がりの中で執事フクリナシが、背を向けて立っていた。


 二人の接近に気づいていないわけはないのだが、執事は振り返らない。


 たとえば誰にも背を見せずに外を歩くなどということはほぼ不可能であるし、フクリナシもそうしているわけではない。

 極力背を向けないという例の矜持は、あくまでも彼が執事として、主や客に対してのものだろう。


 これはつまり彼が今、執事としてそこに立っていないか、もはや二人を客として遇する気がないか、その両方だという意味だ。


 それがわかっていながら、イリャヒはあえて普段通りに話しかけた。


「そんなところでどうなさいました?」

「……申し訳ございません、お二人とも」


 開口一番、謝罪ときた。そして執事はゆっくりと振り返る。

 彼の双眸は紅く染まり、いつも丁寧に整えている白髪は、紫電を帯びて逆立っていた。


「わたくしが仕えるお嬢様の、そして当家の宿願。お二人にはその、最初のいしずえとなっていただきます。どうか悪しからず」


 そんなもの、悪しからぬわけがない。

 しかし、高位級エルダークラスには程遠いものの、フクリナシの魔力量は相当なものだ。


 どうやら普段は魔力を抑えていたようで、完全に彼の実力を見誤っていた。

 しかも固有魔術の系統が雷霆系だ、どう考えても実戦向きとくる。


「参りましたね……これは、勝てないかもしれません」


 情けない泣き言を発した兄に、妹はいつも通りの冷静さで答えてくれる。


「確かに、一人では勝てない」

「ふふ。しかし、二人なら?」

「そうそう負けはしない」

「例のやつでいきます?」

「そうする」

「了解です」


 この先は言葉が要らない。

 全幅の信頼を帯びた二人は、並び立って構えた。



 炸裂する雷鳴を耳にし、エルネヴァは大きく息を吐いた。

 それを聞いたからでもないのだろうが、モモンガちゃんの眼が再び薄碧うすあおく光り、それを通してヴィクターが話しかけてきた。


『やあ、お嬢様。ご機嫌いかが?』

「なんですの? ヒマですの?」

『辛辣だなあ。執事さんの仕事が終わるまで手持ち無沙汰かと思っただけなのに。

 ……それで実際、どんな気分だい?雌伏のときが終わるというのは』

「別段爽快なものでもありませんわ」


 エルネヴァの固有魔術〈技能目録スキルリスト〉に、イリャヒやソネシエに説明した以上の使い道は存在しない。他に特殊な権能を秘めているわけでもない。

 妙な言い回しになってしまうが、彼女は戦闘力的にはミレイン市内にいくらもいる、ごく普通の吸血鬼に過ぎないことは間違いない。


 ただし、それは野外や市街の、なにもない場所で戦った場合の話だ。

 勝手知ったる自室に引き込み、事前にいくら準備してもよく、どんな道具を使ってもいい「なんでもあり」なら、なんでも読み込み、なんでも作れるという彼女にも勝算はある。


 仮に神が機械仕掛けだとして、神の御心はエルネヴァにはわからないが、神を動かす機械の仕組みは理解できるのだから。

 極端な話、該当する古文書が手に入れば、神代の小鉱精ドワーフが作ったという、神々の兵器すら理論上は再現できることになる。


 もっとも、今回はそんな大げさな超技術は必要なく、それこそかつての人間レベルの、ささやかな叡智で事足りる。

 ヴィクターはモモンガの眼を蠢かせ、室内を漠然と見渡した。


『手配したのは僕なんだけどさ。ちゃんと稼働するところを見るのは初めてだから、楽しみなんだ』

「構いませんけど、あなたの存在がバレるとややこしくなりますから、始まったらちゃんと気配消していてほしいですわね」

『そこは抜かりないよ。僕だって使い魔を使役するのは慣れたものさ。まあ、死ぬほど練習したんだけどね』

「ならいいですの」


 準備したのは矢柄に糸を結んだ矢を射出する、弓銃クロスボウに似た装置だ。

 これが室内からは見えないよう、壁や天井に埋め込まれ、計算・試行された様々な角度から五十基ほどが、すでに室内へ狙いをつけている。


 これらはすべてがエルネヴァの握るトリガー一つで一斉発射できるようにしてあり、もちろん彼女がいるあたりは避ける設定にしてある。


 弦の張力が高いので、発射速度は銃弾並みだ。

 獣人や竜人ならまだしも、吸血鬼の身体能力ではまず躱すことはできない。


 といっても、やじりそのものはただの鉄製なので、これ自体は当たっても当たらなくてもどちらでもいい。

 メインは矢柄に結ばれている糸だ。これは銀合金製の極細ワイヤーである。


 発射装置から着弾地点までピンと張って固定され、触れるものを絡め取り、食い込めば切り裂く。

 これが密集した空間は魔族の脱出が困難になる、いわば銀の結界と化すのだ。


『銀が魔力を無効化するから、魔術の炎や刃では、糸は焼き切ることも断ち切ることもできない。

 仮に怪力であってももがけばもがくほど囚われ、自分で自分を下処理する羽目になっちゃうからね』

「フクリナシが彼らを倒せるなら、無論良し。

 彼が敗北しても、二人ともがこの部屋へ突撃してきてくれれば良し。

 入ってきたのが片方ならそちらを捕え、人質に取ってもう片方を従わせれば良しですわ」

『増援を呼ばれたら終わりだけど……銀の糸という火急性がその選択肢を潰すはず。

 大丈夫だよ。あの兄妹、見た目ほど冷静な性質たちじゃない。まず攻撃ってタイプのバカだ、デュロンは短気だって言っていたな。

 そして片割れが捕まったら、必ず自分で助けようとするはずさ……たとえその身を捧げてもね。

 なんてったって、例のあの、気持ちのたかぶりでワーってなるやつではどうしようもないんだもの。攻撃系の魔術持ってる奴はあれがあるから、ほんとずるいよね』


 その意見には同意だ。魔力は思念の力といえど、こちとら固有魔術が頭脳系。精度が命なので、怒り狂ってどうにかなる仕様ではない。

 しかしそれはそれとして、これは一種の同族嫌悪なのかもしれないが、エルネヴァはヴィクターに対して眉をひそめてみせた。


「やはり聞けば聞くほど、特異な能力ですわね……あなたの〈履歴閲覧ヒストリセンサー〉」

『そりゃ、こっちの台詞さ、エルネヴァ・ハモッドハニー。この策は誰でも思いつくけど、現実的には君だけだよ、可能とするのはさ』


 声音からヴィクターが、本気でそう言っていることはわかった。


 この装置、仕組み自体は単純なのだが、じゃあ一から組み立てろと言われれば、専門の職人でもそれなりの時間を要する。


 それが五十基。しかも、いくらヴィトゲンライツ家といえど、こんな物騒な代物をそのままの状態で五十揃いも街へ運び込めば、どう考えたってめちゃくちゃ怪しまれる。

 普通に市壁の検問で引っかかるか、通ったふりで泳がされ、ハモッドハニー家が大規模犯罪者予備軍としてマークされるのがオチだろう。


 だから偽装のため、とにかくバラして運ばせた。

 あまりにバラバラにしすぎたため、もはやなんらかのジャンクか、下手すればオーパーツの類にしか見えないのは、いかにも金持ちのわけのわからない趣味の品という感じで結構ではある。


 ただ運搬を監督したヴィクターは、「これはもう素人が組み立て直すのは無理だね」と言っていた。まあ、普通ならそうなのだろう。

 だがエルネヴァなら、どんなに複雑でも設計図と説明書を添付してくれれば、容易にそれが可能となる。


 ワイヤーの方も、魔族社会では銀は第一級危険物の扱いになるため、こちらは購入どころか運搬から困難だ。

 まして糸状となると、絶対に非合法でしか手に入らず、100%当局(教会)に目をつけられ容赦なく家宅捜索される。


 なのでこちらは本を読んでした。炉に火を入れるところから始め、材料は下手物げてもの系(魔族社会では有毒金属筆頭なため、そういう扱いになる)の好事家こうずかなどから装飾用などのギリギリ個人でやり取りできる類のものを買い取って、手作業でコツコツと精製したのだ。


 その地道な努力と、その目的を知っているヴィクターは、あえて茶化してみせた。


『しかし銀合金の極細ワイヤーってさあ、傍目には殺意の塊のような代物だね』

「ふふん、あたくしとて加減くらいは考えてありますわ。なにせ、あのリャルリャドネ家の末裔を手に入れられるチャンスですのよ?

 みすみす逃すだの、うっかり殺してしまうだの、そんなバカな真似をする方がどうかしてますわ」

『はあ……好きだね、君も』

「ちょっと!? その言い方ですと、まるであたくしが暇を持て余しすぎて性癖の捩くれ曲がった、救いようのない変態貴族みたいですの!?」

『君、若くて綺麗な女の子だから許されてるようなもので、オッサンだったら実際それだよ?』

「ふふん! なーんとでも言うがいいですわ! 妄執でも、道楽でも!」


 心外すぎる。それはもちろん、単に顔の良い若い奴隷が欲しいから、というだけの理由ではない。

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