計略成れり

第102話 魔女、またはいわゆる妖術師


 ソネシエは壇上で息を殺して、結果を待っている。


 審査員は今、六人目までが提示し終わり、点数は9、10、8、10、10、9となっていた。

 残りは七人目、炎頭のバイゼン・ホストハイドだけだ。


「…………」


 あれだけ雄弁だった男は黙りこくり、真剣に考え込んでいる様子だった。

 そういえば彼は、ヒメキアにもエルネヴァにも、他の参加者に対してもそうだったのだが、一貫して辛めの点数をつけていたのが気になる。


「〜……!」


 やがて男は凄まじい力を込めて掲げた点数板を、ストンッ……と静かに下ろした。

 カッ! と眼を見開き、炎の男は力説する。


「ンもっと熱くなれるぞ、お前は!! もっと熱くなって、来年また来い!! 何度でも俺が審査してやるからな!!!」


 そう言って、ニカ! と笑うので、ソネシエはこくりと頷いた。

 たぶん今頃イリャヒが「あの男、来年以降も審査するつもりなんですかね?」と突っ込んでいることだろう。それはともかく。


 書かれた点数は……8。どうやら9や10にするかで迷ってくれていたようだ。

 ということは、合計64点。エルネヴァの62点を、わずかに上回った。


 ソネシエは小さく息を吐く。

 勝っても負けても、絶対にすると決めていた。だからこそ、なおさら勝ってしたかったのだ。


 祓魔官エクソシストの制服に着替え、護衛任務に復帰すべく歩いたソネシエは、観客席に向かう途中で、対象の姿を現認した。

 相手がもじもじしているのを確かめた彼女は……機先を制して頭を下げる。


「ごめんなさい。あなたのダンスは素晴らしかった。わたしの失言を、すべて訂正する」


 エルネヴァは雷に打たれたように驚いたが、すぐにしおらしい微笑を浮かべ、あちらも丁寧にお辞儀をしてきた。


「こちらこそ、ごめんなさい。あなたのデリケートな部分を土足で踏み荒らしてしまった上に、勝って押し通すことすらできないとは、我ながら恥ずかしい限りですわ」


 お互い本当はわかっていたのだ、こうやってちょっと謝れば済む話だというのは。

 ここ一週間ほど意地を張っていたのが、今さらながらバカバカしい。


 エルネヴァは肩の荷が下りた様子で嘆息するが、ソネシエも同じ気持ちだ。


「あたくしの完敗ですの。まったく、参りましたわ……頼みの綱だった舞踊がダメとなれば、やはりあたくしがあなたを上回っているのは、ただ年齢と、そして……」


 そこで悪戯っぽく眉を上げ、エルネヴァは普段の調子を取り戻してみせた。


「そう、高ぉぉ貴な血くらいのものですわねっ!? おーっほっほっほ! あたくしはほんとダメ、なにもありませんわ。ただ超高貴なだけっ☆

 さあ、ソネシエ、行きますわよ! あたくしの高貴な血も肉も骨も、あの恐ろしい赤帽妖精レッドキャップから、あたくしのすべてを、ちゃーんと守ってくださいな!」


 彼女なりの理解と承認をしっかりと受け取って、ソネシエはこくりと頷き、後を追う。


 手を繋ぐには、まだ早い。しかし、もう突き放す必要もない。

 護衛に適した二人の距離は、前よりも少しだけ縮まっていた。



 観客席の最後列に戻ってきた妹は、どうやらエルネヴァと完全に仲直りした様子で、イリャヒは胸を撫で下ろした。

 そんな彼女に、早速ヒメキアが抱きつく。


「ソネシエちゃん、かっこよかったよ! ねこみたいだった!」

「ヒメキア、ありがとう。あなたが見ていてくれたおかげ」

「ヒメキア様のおっしゃる通りでございます。わたくしも年甲斐なく、胸が踊りました」

「フクリナシ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」


 執事からも賞賛を受けたソネシエは、イリャヒを見上げてきた。

 もちろん彼は妹の踊るフラメンカを何度も見ているが、それはそれとして、言うべきことはきちんと言う。


「とても立派な舞台でしたよ。いつもよりもさらに良かったと思います」


 ソネシエは一呼吸置いて、ゆっくりと口を開く。


「兄さん、ありがとう。わたしのことを、見ていてくれて」


 イリャヒが頭を撫でると、ソネシエは猫のように眼を細めるのだった。



 五人はそのまま、大会の行方を見守る。

 残念ながら当然とでも言うべきか、上には上がいるわけで、66点や67点を獲得した者がおり、ソネシエも優勝はならなかった。


 しかし、得るものは得たので、みんな満足していた。

 やがて司会者が閉会を宣言したので、ヒメキアはアクエリカに引き取られ、名残惜しみながらも別れて、お嬢様一行は帰り支度を始める。


 そこへ、最前列から席を立ち、近づいてくる姿があった。

 炎頭のバイゼン・ホストハイドだ。


 彼はなにをするでもなく通り過ぎつつ、ただ短くイリャヒに言い置いた。


「じゃあな、リャルリャドネのぼん。機会があれば、またどこかで会おうぜ」

「嫌です」

「フッ。ああ……って、オイ!? 待って? 今、嫌って言った??」


 わざわざ戻ってきて顔を覗き込んでくるあたり、本当に絡み方が鬱陶しいなと思ったが、イリャヒは紳士として丁寧に対応した。


「はい。あなた、熱いというか暑苦しいし、むしろ存在が寒いんですよね」

「言い様がひどすぎねぇか!? 俺じゃなかったら泣いてるぞ!?」

「ああウザい……今すぐ地平の彼方へジャンプしてください」

「俺ならそれを可能とするという、アツい期待の裏返しか!? オイオーイ! まったく、クールなフリをしおってからに、仕様のないぼんだな!」

「裏返しもなにも両面表ですけど。あとその坊って呼び方やめてもらえません? あなたたぶん私より年下ですよ?」

「えっ? お前、せいぜい18かそこらだろ?」

「22ですけど」

「俺、21……マジか! じゃあ、アニキって呼んでいい?」

「お帰りいただくことって可能ですか?」

「そこまで嫌なの!? わかったよ、帰るよ!」


 適当にあしらっていると、ようやく姿を消してくれたので、イリャヒはため息を吐いた。



 そしてもう一人、おずおずと話しかけてくる者がいる。


「あ、あの……」


 舞台演出業務から解放されたフミネが、かなり勇気を振り絞った様子で、細い脚をガクガクさせながら、二の句を継ごうとしている。

 しかし、ソネシエが手を突き出して止めた。


「待って。わたしの方から、あなたに相談がある」

「えっ……な、なんなのだろうかな……?」


 びっくりして口調がめちゃくちゃになってしまっているフミネに向けて、ソネシエは端的に告げた。


「勝手な都合で申し訳ないけれど、わたしの方からあなたのところへ行くことは、様々な理由から、おそらくできないと思う」

「うひ……?」

「なので、もし良かったら、あなたの時間が空いたときならいつでもいいので、祓魔官エクソシストの寮を訪ねてきてくれると嬉しい」

「へはっ!?」

「……あなたの懸念はもっとも。確かにわたしも、いるときといないときがある。なので、ヒメキアに言伝しておくので、彼女を通して」

「ふぇえ!? そ、それって……!?」


 静観しようと思っていたのだが、イリャヒは見かねて口を挟んだ。


「ちょっとちょっと、待ちなさいソネシエ、先走りすぎです。前提条件を忘れているでしょうに」


 コミュニケーションが苦手な子同士が喋っていると、見ている方はハラハラする。

 イリャヒが割って入ったことで少し余裕ができたようで、フミネは遠慮がちに訊いた。


「……ど、どうして……? 怒って、ないの?」

「あなたの固有魔術のことなら、まったく気にしていないし、今日とても良くしてくれたので、収支で言うとプラスでしかない」

「じゃ、じゃあ……もし良かったら、わわわ、わたしと友達に……!」


 今度はソネシエが当惑する番だったが、イリャヒが思っていたのとは理由が違った。


「……あなたとわたしは、すでに友達だと思っていた……」

「ぐえあ!?」


 今度こそ驚いた様子で、フミネはわたわたと手を振った。


「で、でもでも、一度も喋ったことはなかったわけなので……」

「確かに、会話したことはなかったかもしれない。しかし、羽ペンを貸してくれたり、掃除を手伝ってくれたり、眩しいときにカーテンを閉めてくれたりしたことはあった」

「ああ……それは、そうかも……」

「あと、学校の図書室の貸出票で、あなたの名前を見たことが何度かあったので、共感を覚えた」

「それは、わたしも同じなわけで」

「あなたとわたしは、すでに同志」

「なるほど、言われてみれば……」


 怖っ。ぼっち同士の記憶と認識、怖いし重っ……と言いかけたが、イリャヒ自身もそんなに友人が多い方でもないため、心の内に留め置いた。

 それに、すでに二人はがっちりと握手を交わしているのだから、茶々を入れる気にはならない。


「なので、フミネ……これからも、よろしく……ということに、なる……」

「そ、そう、だねっ! ……ソネ、シエ……! ふ、ふひひ……」


 顔を真っ赤にしてぎこちなく笑うフミネの手を、ソネシエはいつもの無表情のままだが、いつになく嬉しそうに、ぶんぶん振っていたのだった。




 後は屋台を適当に冷やかし、一行はハモッドハニー邸に帰ってきた。

 フクリナシはイリャヒとソネシエを応接室に通して労い、お茶とお菓子を出して、後はその場をメイドたちに任せ、エルネヴァの様子を伺いに行く。


 最初に二人に屋敷を案内した際にも開けもせず、以降も立ち入らせていない唯一の部屋こそが、エルネヴァの書斎というか、作業部屋のような一室だ。


 ドアはわずかに開いていたが、礼儀としてノックすると、いつもより少し硬く、低い声音が返ってきた。


「はい。どうぞ」


 これはお嬢様が本気の時のトーンだ、と理解し、フクリナシは固唾を呑む。

 恭しく入室すると、エルネヴァは物憂げな、気怠げな表情で目を伏せ、作業の最終確認を行っているところだった。

 文字通り畏れながら、執事は主に話しかける。


「お嬢様、お祭りはいかがでございましたか?」

「そうですわね……やはり、ソネシエに勝ちたくはありましたわ」

「いえ、そうではなく……」


 フクリナシは躊躇ったが、結局は口にする。


「最後に良い思い出を作ることは、おできになられましたでしょうか?」


 エルネヴァはフクリナシを見ると、どこか影のある、氷のような笑みを浮かべた。

 アーモンド型でアーモンド色の眼は、まるでフクリナシの取扱説明書を黙読しているかのように感じられ、執事は心酔に浸る。


 果たして、彼女はゆったりと答えた。


「ええ……いつでも始められますわよ。フクこそ、覚悟はよろしいですの?」

「もちろんでございます。お嬢様の願いこそ、わたくしの望みに他ならないゆえ」

「そうでしたわね。死んだ両親に、あたくしのことをよろしくと……」

「いいえ。確かに最初はそれが理由でしたが、今は本当の意味で、こそがわたくしの宿願であり、本望であると断言させていただきます」

「ふふ、頼もしい限りですわ。

 ……一方で、いまいち信用できないのが……」


 エルネヴァがチラリと眼を向けた棚の上には、かわいいモモンガが鎮座している。

 置き物ではない。生き物であり、さらに言うと、使い魔だ。


 モモンガが胡散臭い青年の声を代弁してくるので、執事の眼は自然と、玄関に掛けてきた真新しい帽子に向いた。


 青年の名はヴィクター・ヴィトゲンライツ。最近始めた私的取引の相手である。


『やあお嬢様、お久しぶりでご挨拶だね! 早速で悪いけどさ、僕と一緒に地獄に堕ちてよ!!』


 この若造、本当に大丈夫か? と、フクリナシは今さらながら頭痛を覚えた。

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