第97話 邪気祓いの舞


 徐々に観客席が埋まってきたので、イリャヒとフクリナシはひとしきり励ました後、フミネの側から離れた。

 見通しの良さ、そして万一のとき迅速に動けることを重視して、最後列のさらに後ろに立ち見という形で場所を確保することで、二人は合意した。


 しばらく待っていると、エルネヴァとソネシエが戻ってきた。

 あくまで護衛に適した距離を維持しているという感じで、互いにツンケンしながら歩いてきて、前者はフクリナシの、後者はイリャヒの隣にサッと収まる。


 そしてこっそりと互いを伺い、ぶつかってしまった視線をすぐに逸らした。


「ふふん」

「ふふーんですわ!」

「それだとちょっとニュアンス変わってきません? まあ、気の済むまで好きにやるとよろしい。

 そして、ソネシエ、かわいいですよ。よく似合っています」


 ソネシエはイリャヒをじっと見つめ返し、ぎこちなくこくりと頷く。

 その後でふいと眼を逸らし、意味もなくその場でもたもたと一回転するという謎の行動を見せた。


 とりあえず機嫌は悪くなさそうなので、なによりである。

 彼女は普段着よりも少し上等な、シンプルな黒のワンピースを纏っている。


 というかこの10年間、イリャヒは彼女が制服か黒のワンピース以外を着ているところを見たことがないのだが、本人の好みであるし、実際によく似合っているので、口を挟む気はない。


 その様子をフクリナシ越しに眺め、エルネヴァが呆れたような、感心したような顔で、あくまでイリャヒに話しかけてきた。


「よく照れもてらいもなく言えますわね……色々な意味で紳士の鑑としか言いようがありませんわ」

「なぜ複数の意味なのかわかりませんね。私はただ事実を言っているだけです。ところで、ヒメキアの姿が見えませんが」

「抽選の結果、彼女の出番はとても早いため、控え室に残った。ちなみにわたしは27番目」

「あたくしは23番目ですの」

「ああ、それでヒメキアを観客席側からちゃんと見たくて、いったんこちらへ戻ってきたのですね」


 そしておそらくこの2人、控え室でもヒメキアを介してしか会話していない。

 困ったものだと吐いたイリャヒのため息を、司会者による高らかな宣言が搔き消した。


『お集まりの皆様、長らくお待たせいたしました! ただ今よりダンスコンテストを開催いたします!』


 舞台上に立つ正装した細身の人蜥蜴リザードマンに向けて、観客席から、わーっ! という歓声と拍手が沸き起こる。

 それを受けて司会者は一礼し、定位置である舞台の隅に移動した。


『つきましてはまず、本コンテストを盛り上げてくれるスタッフたち、そしてお招きしているゲストの皆様を紹介したいと思います! まずは演奏を担当してくれる、ワルトエーゲルト音楽団の面々!』


 団員である長森精エルフたちと小鉱精ドワーフたちが、担当楽器とともに1人ずつ紹介を受け、順に一礼していく。


 そしてスタッフの最後にフミネの存在と、彼女の固有魔術による演出規定がアナウンスされた。

 しかし彼女はその間中ずっと真っ赤になった顔を両手で隠していて、困惑気味の司会者の要請を受けて、ようやくその面相を公衆に晒した。


『はい、というわけで、舞台装置ちゃんのかわいいお顔も見れたことですし、次は審査員の皆様!』

「あーあー……そういう軽いイジリも、繊細な子は重く受け止めてしまうのですけどね……」

「まったくですわ」


 デリカシーのない司会者野郎は7人いる審査員を順に紹介し、彼が持っているのと同じ拡声杖を回させて、簡単なコメントを拾っていく。

 順というのは、持ち点10のうち何点かを提示していく順という意味で、その合計によって順位が決まっていくというルールも、併せて説明される。


 一方で杖なしで声を張るバカが約一名いた。


「がははは! ご紹介に預かったバイゼン・ホストハイドだ! アツい舞踊が見られると聞いてきた! アツいハートさえあれば、飛び入り参加も歓迎するぞ!」

『あのーすみません、飛び入り参加は困りますー。完全事前エントリー制となっておりますので、悪しからずー』

「ほう、そうか! 悪かった、そういうことらしいぞ! がははは! 以上だ!!」


「……で、なぜよりによってアレが、一番重要な7番目の席に座っているのです」

「ふふ。ややもすれば場違いなほど型破りな方ですが、それゆえに起きる紛れが興味深いと、わたくしは感じますよ」


 フクリナシほど鷹揚ではない向きも多いようで、会場はややざわついたが、それも短時間のことだった。


『では最後に、特別ゲストの方を紹介させていただきます! もはやここミレインで、美といえばこのお方!〈青の聖女〉の二つ名を持たれる、言わずと知れたアクエリカ・グランギニョル猊下ーっ!』


 その名が響くと同時、会場は水を打ったように静まり返ったのだ。

 もちろん、そこに彼女がおわしますことに気づいていなかったわけではないだろうが、改めて俎上に上げられると、その存在感に圧倒されてしまうらしい。


 生じてしまった変な空気もまったく気にすることなく、そつのない挨拶を口にするアクエリカ。


『ご紹介に預かりまして光栄でございます。過分な評価をいただいてしまいましたが、それにお応えできるよう、身を引き締めて見届けさせていただきますね』


 そこでなぜか司会者が舞台上から下りてきた。


『ありがとうございますー。さあ、ではどうかこちらの特別席でご観覧くださいー』

『あら。そんなご配慮をいただけるなんて、身に余る厚遇でしてよ?』

『いえいえー。こちらこそ審査には直接関わらない形で、品評会としての水準向上にご協力いただき、ありがとうございますー。

 お足元、段になっておりますので、お気をつけくださいねー』


 互いにヘラヘラしながらのエスコートにより、アクエリカが腰を下ろしたのは、舞台上の向かって左側に置かれた安楽椅子だった。その隣が司会者の定位置だ。

 その段になってようやく、会場のざわめきが戻ってくる。


 仮設舞台は十分に広いので、アクエリカに随伴するフードの従者2人を含めた4人がそこにいても、まったく舞踊の邪魔にはならない。

 しかしイリャヒは運営側の意図を読み取り、その底意地の悪さにむしろ感動すら覚えていた。


 事実、出場者でもないアクエリカに注意を向けたことで、フミネの固有魔術〈共有幻想シェアイリュージョン〉が発動している。

 司会者はそれを戯けて注意した。


『おっと! フミネちゃーん、それはまだ早いですよー。しかしちょうどいい試験運用にはなりましたかねー。あはははは』


 しかしつられて笑っているのはアクエリカ1人だけで、会場は再び冷たく暗い静寂が支配しつつあった。


 無理もない。アクエリカの役目は、いわば舞台端に鎮座する美の女神だ。

 なにもせず、ただ座っているだけの彼女に存在感で負けてしまうようなら、そんなダンスは演出の対象にすらならず、大げさに言えば存在価値を否定されてしまうことになる。


 品評会としての水準向上というのはそういう意味で、どうやら運営側は赤い靴を履かせるよりも、よほど苛烈な足切りに及びたいと見える。


 実際、アクエリカと同じ空間で評価されるプレッシャーにより、ソネシエやエルネヴァと同じように観客席側で開会を迎えていた出場者の何人かが、早くも過呼吸を起こしたり、泣きながらうずくまったり、堪え切れずに嘔吐したりしている。


 どうもあの青のオーラは催吐性が強いようだ。

 幸いにもソネシエやエルネヴァはてられた様子もなく、しゃんとしているので、イリャヒはフクリナシとともに胸を撫で下ろした。

 虚勢というわけでもない様子で、お嬢様は胸を張って鼻息を吐いている。


「ふふん! 望むところですわ! 誰が相手だろうと、誰に見られようと、誰と比べられようと、相手にとって不足なしですのよ!!」


 ソネシエもイリャヒに向かって、いつも通りの冷静さでこっくりと頷いてくる。


「……しかしこうなると、最初の1人が呑まれないことが重要。そこから流れが決まっていく」

「ですねえ。……あれ、もしかして……」


 ソネシエやエルネヴァの前に、司会者が問いの答えを告げた。


『それではさっそく参りましょうー! エントリーナンバー1、ヒメキアさん! 曲は「子猫のワルツ」です、どうぞ!』


 やっぱりだ。イリャヒは結構本気で心配したが……すぐにそれが必要ないことに気づく。


 軽快で明るい曲の開始と同時、舞台袖から歩いてくるヒメキアは、特別な衣装に着替えたわけでもなく、ブラウスにカーディガン、ロングスカートという、普通にいつもの普段着だった。

 単純にその方が曲調に合っているからなのだろうが、あの邪悪な前振りの後だと、ものすごい度胸の発露に見えるから不思議だ。


「〜🎵」


 歌ったり喋ったりするのは、踊りに対する評価の純度を損なうため禁止されている。

 ヒメキアもそれに従っているはずなのだが、イリャヒは彼女が曲に合わせて、鼻唄を歌っているように錯覚した。


 それくらい彼女は気負わず、楽しそうに踊り始めたのだ。


 なんらかのジャンルに該当する、正式なダンスの技術を用いているわけではない。

 リズムセンスや動きのキレは、おそらく天性のものがあるのでなかなかだが、基本的に音楽に合わせて、気の向くままに体を動かしているだけという様子なのだ。


 会場の大半と同じく、普通に踊っていること自体に呆気に取られていたようで、ここでようやく舞台装置ちゃんが威力を示し始める。

 フミネの固有魔術〈共有幻想シェアイリュージョン〉が改めて発動したため、アクエリカの周囲で渦巻いていた水のベールが霧消した。


「わー!」


 代わりに足元に現れたビジョンに、ヒメキアが驚いて思わず声を上げてしまうが、これはノーカウントと判断されたようで、曲は続行される。

 彼女の刻むゆったりとしたステップに合わせて、大小さまざま、色とりどりのキノコが、舞台上のそこかしこにニョキニョキと生え始めたのだ。


 もちろん実体のない幻影系魔術の産物なのだが、うっかり踏んづけた靴の形に合わせて、ぶにっ、と凹む精巧さだ。

 感触があるのかどうか、後で彼女に訊いてみようとイリャヒは考えた。


「🎵🎵🎵」


 すぐにキノコたちの存在を受け入れた様子で、ヒメキアはますますニコニコと笑い、跳んだり回ったりし始めた。

 いつの間にか背景には幽玄な森が鬱蒼と生い茂り、床の空いたスペースには花が咲き乱れ、負けじとキノコたちが楽しげに光り始める。


 会場の空気も本来の明るさを取り戻し、体を揺らしたり、手拍子を始める観客も増えてきた。

 司会者は惚けているが、アクエリカはどちらかといえば、うちの子ならこれくらいはやるだろう、という感じで、どこか誇らしげに微笑んでいる。


「🎵…………」


 やがて曲が終わると、それを名残惜しむように一瞬の静寂が訪れたが、すぐに割れるような拍手喝采が沸き起こった。

 舞台上で汗だくになったヒメキアは、息を切らしつつも笑顔で声援に応える。


「わ、わー! ありがとーっ!」


 拍手はさらに大きくなり、しばらくの間鳴り止むことがなかった。

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