第98話 薔薇よ、薔薇よ


 歓声が治まり、ヒメキアが舞台袖に引っ込んでから、ようやく舞台装置が解除され始めた。

 大きいものはヒメキアの背丈を超えていたキノコたちが、風船が弾けるように、ぼん、ぼぉん、と音を立てて消えていく。


 床も背景も真っさらになるのを待ち、司会者が感慨深げに仕切り直した。


『うーん、いいですねー。一番手に相応しい、華のあるダンスでした!

 それでは審査員の皆さん、お手元の札をお一人ずつ挙げてください!』


 7人がそれぞれ8、6、8、9、7、8、6点を与え、ヒメキアのダンスは70点満点で52点という成績であった。


 最初ということで、あまり高くはできないため、こんなところなのだろう。

 しかしソネシエは納得できないようで、ぽつりと私見を呟いた。


「わたしからは1億点を授ける。今までもこれからも、ヒメキアがトップを独走の模様」

「ラストゲームでも許されない超倍率ですね。そんな依怙贔屓えこひいきがあってたまりますか」

「ですが実際に、素晴らしい踊りでございました。もう少し順番が後なら、60点は確実だったかと」

「フクリナシはよくわかっている。彼女は控え目に言って天使」

「む、むむ〜っ……! やりますわね……! でも、負けませんわ!」


 エルネヴァと同じように発奮した向きも多かったようで、アクエリカの邪気に負けていた参加者たちが、賦活された様子で会場へ戻ってきていた。


 やはりヒメキアの持つ癒しの力は絶大らしい。

 ついでに、頑なになった心を緩解させる効果もあるようだ。

 いきなり振り向いてまっすぐに投げられたソネシエの視線を受けて、エルネヴァはビクッと反応してしまい、逸らす機会を逸したようだった。


「……………」

「な、なんですの? 無言はやめなさい、怖いですわよ?」


 ソネシエは珍しく興奮している様子で、無礼にもお嬢様をビッと指差し、宣告した。


「改めて確認しておく。現行の審査員たちによる、評点の一発勝負ということで構わないかを」

「も、もちろんですわ! なんか変なのが一人混じっていますけど、あれもスパイスということで受け入れますの!」

「私見としては、あの変なのの審美眼も信用できると思う。

 では、見るべきものも見たことなので、控え室に戻りたい」

「そうですわね! ……いえ、ちょっと、ヒメキアさん以外に対してドライすぎませんの!? あたくしの前にまだ21人控えていますわよ!?」

「天使と悪魔の間に、妖精が21人通り過ぎると考えればよい」

「妖精さんたちに対して最悪に失礼な意味の新しいことわざを作ろうとしていませんの!? というか、あたくしをナチュラルに悪魔呼ばわりしてますし!?」


 ひとまず好敵手としての仲直りはできたようで結構だが、それを褒める意味で頭を撫でるのとの兼ね合いで、イリャヒはソネシエを捕獲した。

 髪の毛をぐしゃぐしゃにされたことで若干不機嫌になりつつ、妹が兄を見上げてくる。


「なんなの」

「お待ちなさいな、おちびさん。その前に、お嬢様にお守りを授けなくてはなりません」

「あら、なにか贈り物でもいただけますの?」


 途端に淑女の顔となり妖艶に微笑んでみせるエルネヴァの変化に、やはりそつなく良家の令嬢をやっているようだと、イリャヒは驚嘆した。

 その姿勢に敬意を表して、脱帽したイリャヒは彼女の前へ、叙任を受ける騎士のようにひざまずく。


 この手の茶番は、照れて茶化した方の負けだ。

 ぐっと気張るエルネヴァに、イリャヒは真っ白い薔薇のコサージュを進呈した。


「どうかこれを私だと思って、心臓の位置に着けてください」

「謹んで頂戴いたしますわ。ありがとうございますの」

「どういたしまして」

「……ですが一言だけ言わせてくださいな。重いのですわっ! プロポーズだとしても若干重いレベルですの! 誤解を招きますわ!?」

「なんのことかわかりませんね。……おっと、失礼しました。最後の仕上げを忘れています」


 言って、イリャヒは白薔薇を青く塗り替えた。

 正確には、コサージュに固有魔術〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉による青い炎を灯したのだ。

 エルネヴァは意図を理解した様子で頷くが、いちおうイリャヒの方でも説明しておく。


「お察しの通り、万一舞台上であなたに危機が迫った場合、この種火を起点とし、私の炎が狼藉者を迎撃いたします。

 あなたの肌には火傷は起きず、衣装も燃えることはありません。


 そして、仮に私の反応が間に合わなかったとしても、少なくとも点きっぱなしになっているこの大きさの範囲は加護が働くため、あなたの心臓だけは破壊されることがありません。

 後は即ソネシエが駆けつけるので、時間との勝負になりますね」


「で、では、頭や首を狙われた場合はどうなりますの?」


 急に具体例を出されて不安になったようで、エルネヴァは年頃の少女の顔に戻って尋ねる。

 あくまで念のために言っているだけで、実際にはイリャヒが刺客を見逃すことはありえない……と言おうとした彼だが、いまいち無粋な答えなので思い直し、我が意を得たりと破顔してみせる。


「おやおや? そちらの場合は問題ないはずですよね? なにせ、ほら……」


 イリャヒの言わんとするところを理解し、エルネヴァはコサージュを着けたばかりの胸を、ことさらに張ってみせた。


「当然ですわ! 仮に首が落ちたところで、高貴な吸血令嬢の名に懸けて、その場で華麗に復活してみせますの!!」

「そうおっしゃると思っていましたよ。もちろん、そんな事態にはさせませんがね。

 ではこれで心置きなく……ん?」


 立ち上がった途端に袖を引っ張るおばけの存在を感じ、イリャヒが視線を下げると、ソネシエのいくぶんむすっとした顔があった。


「兄さん、わたしもほしい」

「そう言うだろうと思って、ほら、ちゃんとお前のぶんも用意してあるのですよ」


 そう言ってイリャヒが取り出したのは、お嬢様に授けたものとは対照的な、血のように真っ赤な薔薇のコサージュだった。

 いつも通り下ろしたままの長い黒髪の、頭頂部の少し左寄りあたりに着けてやると、ソネシエはくすぐったそうにゆっくりと瞬きし、満足そうに頷いてみせた。


 これで準備は万端だ。

 連れ立って控え室へ移動する二人の後ろ姿を見送り、黙って見守っていたフクリナシが、穏やかな笑顔で口を開いた。


「イリャヒ様はマメですな。たいそう女性に人気でしょう」

「まさか、私などは全然です。それより、ようやくまともに会話してくれて安心しましたよ」

「おっしゃる通りでございます。わたくしも胸を撫で下ろしているところで……。

 おや、ヒメキア様が戻って来られましたね」


 執事の視線を追うと、彼の言う通り、ひよこちゃんが歩いてくるところだった。

 汗を拭いたりしていたようで、髪の毛が少しぺたんとしている。

 運営側にもらったようで、飲み物の入った瓶を持っていた。


「ヒメキア、お疲れ様です。私も見ていましたよ。とても素敵なダンスでした」

「イリャヒさん、ありがとー! ソネシエちゃんとエルネヴァさんにも、すごく褒められたよ!」

「左様でございましょうとも。内容もさることながら、揺るぎない自己をお持ちであることが伝わる、素晴らしい舞踊でございました」

「あ、ありがとうございます! で、でも、だれですか!?」

「これは失礼いたしました。わたくし……」


 ヒメキアとフクリナシが和やかに自己紹介と歓談している間に、イリャヒはコンテストの進行状態と周辺状況、そしてついでにアクエリカとバイゼンの様子を確認した。

 今のところどれも異常はないが、それが不気味に思えて仕方がない。


 特に、近くにいるであろうメリクリーゼ(さらにもしかしたら来ているかもしれないヴィクター)も含めると、この場にいわゆるラスタード四大名家の成員がそれぞれ一人か二人ずつ出揃ってしまっていることに、なんらかの因縁……具体的には、凶兆を感じざるを得ない。

 もちろん単なる偶然で、深い意味はないのだろうけれど。


 そうこうしているうちに、すでにエントリーナンバー13番までが出番を終えていた。

 お嬢様の出番が徐々に近づいてそわそわしているのか、ヒメキアに空いている最後列の席を勧めつつ、フクリナシがどこか落ち着かなげに話しかけてきた。


「あの、イリャヒ様……今さら無粋なことをお尋ねいたしますが」

「はい、なんでしょう?」

「イリャヒ様に授けていただいた〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉は、規定違反にはならないでしょうか?」

「あ、そうでした。結論から申し上げますと、問題ないのですよ」


 言われてみれば、そのあたりの不文律について、説明するのを忘れていた。

 不文律なので、アナウンスもされていない内容なのだ。


「少なくとも、このコンテストでは慣例的にそうであるらしいのですが、魔術に関しては身体表現・感情表現の一部として、ある程度の行使が認められているそうです。

 もとよりフミネさんによる舞台演出があるわけですし、そこに紛れてもしまうため、まず咎められることはありません」


「ある程度、と言いますと……?」


「単純な話、自分の表現の邪魔にならないように、というだけの意味合いですね。

 たとえば舞踊でも、演劇でもそうですが、感情や表情をどれくらい表出するかは、ジャンルや演目、場面によってさまざまですよね。


 それと似たようなもので……たとえば怒りを表現したければ、怒りを根源とする固有魔術を発動したとして、それは演技に感情を乗せるのと変わりないと解釈されるそうですね」


「魔力は思念の力、でございますからね」

「そういうことです。いずれにせよこの魔族時代に舞台上で炎や雷が散ったところで、誰もインチキとは言いませんよ。ほら」


 実際にエントリーナンバー17番の鳥人女性が、激しい曲調とともに踊り狂い、背景の嵐とは別に、自前の雷魔術を放出している。


「そっかー……イリャヒさん、あたしも魔力をわーってすればよかったかなー?」


 稲妻がなのか雰囲気そのものがなのか、ちょっと苦手なようで体を縮こまらせていたヒメキアが振り向いて尋ねてきたので、イリャヒは彼女のほっぺをもちもちと捏ねながら答えた。


「いえ、あなたの場合はあれでよかったかと。……このように、あえて使わない方が表現の純度が高まるという側面もあるので、どちらとも言い切れないのですがね」


 固有魔術が見栄えのしないものであるエルネヴァに対して、若干配慮する意味で言っているというのも伝わってしまったようだ。

 フクリナシは笑顔で「さようでございましたか。ありがとうございます」とだけ答えて、舞台の方へ向き直った。


 しかしエルネヴァの出番を迎えるにあたり、イリャヒは認識を改めた。


 本来なら、花や炎すら邪魔だったのだ。豪華な衣装も飾りに過ぎない。


 ただ静かに入場するだけで、会場全体が彼女に釘付けとなるのだから。

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