第96話 共有幻想


 ダンスコンテストに際して、イリャヒはいちおう事前に運営側へ接触してみたのだが、彼が抱いていた細かな懸念は「アクエリカ」の一言で雲散した。

 なぜなら彼女が見ているとなれば、エルネヴァもソネシエも妙な行動に走らないだろうという確信があるからだ。


 そして余禄として、品評会の規定をあらかじめ大まかに知ることができた。

 フクリナシとの間でそのあたりが話題になったので、時間潰しに説明してみる。


「まず、演奏してくれる音楽隊ですが、ご覧の通り、長森精エルフ小鉱精ドワーフの混成となっています」


「なんだか、ところどころいがみ合っている様子が見られますな……」

「はは。まあ、そこは我ら吸血鬼と人狼に同じく、一種の様式美とお考えください。腕前と連携はもちろん完璧でしょうとも。そして、年季と経験による対応力もね」


「ほう、とすると……お嬢様が、曲は個々で事前に申請するとおっしゃっていたのですが、結構なんでもよいのでしょうか?」

「よほどマイナーでない限り、なんでも演奏できるそうですよ」

「それは頼もしいですな! 自分の得意なジャンルの音楽で、安心して踊れそうでございます」


「おっしゃる通りですよ。

 そして、実は今年から新たに、さらに大会を盛り上げる舞台装置的要素が導入されたとのことです。

 もっとも、来年からも通例となるかは、彼女次第なのですけどね。

 ああ、あの子がそうです。おーい」

「グエッ!?」


 普通に声をかけただけなのに、両生類の断末魔のようにうめかれてしまった。

 しかしだいたいいつもそんな調子の相手なので、イリャヒは気にせずフクリナシを促して、観客席の真ん中、前から三列目に座っている少女へ近づく。


「……あっ、イリャヒさん、だ……こんにちは」

「はい、こんにちは。いい天気ですね」


 彼女こそが噂の舞台装置ちゃんである。

 名前はフミネ・ロコモロ。学年で言うとソネシエと同じなのだが、誕生日が少し早いため、16歳なのだそう。


 種族は長森精エルフなのだが、半丈人ハーフリングかなと思うくらい背が低い。

 緑色のケープを纏い、フードを被っていて、自信のなさを身体表現するかのように、だいぶ猫背だ。


 ライム色の髪にオレンジ色の眼という、容姿のベースこそ典型的な長森精エルフだが、切り揃えた前髪の下で怯えた眼は隈が濃く、何度か眩しそうに瞬きした後、フードを引っ張って顔を隠してしまった。


「うぅー……やっぱりわたしみたいな陰気なキノコが、太陽の下で、こんな明るいイベントのスタッフやるなんて無理だよぉ……」

「まあそう言わずに、せっかくのお祭りなのですし」

「うぅー灰になるー……」

「かつての吸血鬼じゃないのですから」

「うぅー石化するー……」

「かつての小鉱精ドワーフじゃないのですから」

「うぅー……イリャヒさん……ソネシエに頼んで、わたしを凍らせてよぉ……」

「もう春なのに、今から冬眠するつもりですか? というか、そういえば神学校の初等部では、うちの子と同級生だったのですよね。友達だったのでしたっけ?」


 イリャヒはいささか期待を込めて尋ねたのだが、フミネの反応は胡乱なものだった。


「……トモ……ダチ……?」

「初めて聞く言葉だなみたいな反応、悲しくなるのでやめてくれません?」

「わたしと、ソネシエは……顔……見知り……かもしれない……?」

「うーん、よくわかりました。今日はよろしくお願いしますね」

「大丈夫、なので……ちゃんと公平にやる、し……悪い印象がある、わけじゃない、から……」


 訥々と喋り、ぎこちなく微笑んでくれるフミネ。が、イリャヒがフクリナシを紹介すると、知らない大人+本物の執事ということでビビり倒したようで、またフードの下に顔を隠してしまった。


 仕方がないので、本人の許可を取った上で、イリャヒが代わりに説明する。


「フミネさんの固有魔術は〈共有幻想シェアイリュージョン〉と言うそうで、彼女が感じたイメージを、彼女の視界に投影するというものです。

 実体として具現化できるわけではないのですが、逆にそこが有用視され、舞台演出係として抜擢されたのだとか」

「ほう……フミネ様は、大変興味深い能力をお持ちなのでございますね」

「そ、そんな……全然、地味で気持ち悪い能力なので……神学校時代は、これが原因でいじめられたし……」


 口ではそう言いつつも、彼女がチラチラ伺うフクリナシの周囲には、すでに豪奢な紫色の薔薇のビジョンが咲き乱れている。

 そしてそれらは、一輪摘もうとした執事の手をすり抜け、ただ空中に光の結晶として漂うのみだ。


「とまあ、こういうわけです」

「い、イリャヒさん……!? からかったでしょ……!?」

「え? 私はなにもしていませんけど??」


 イリャヒはフミネの好みが落ち着いた大人の紳士であることがわかっていて誘導したわけだが、すっとぼけて口笛を吹いた。


「うぅ……顔の通り腹黒いよぉ……」

「いや、あなたもまあまあ普通に口悪いですね」


 そうやって余計なことをやったせいで、今度はイリャヒの周囲に暗雲が立ち込め、振り払っても消えてくれない。

 肩をすくめてみせるイリャヒに、フクリナシは苦笑を返した。


 この固有魔術、今でこそある程度制御できるようになったそうだが、勝手に発動していた頃、周囲にどういう影響を与えていたかは、想像に難くない。


「……むしろ、わたしの方が、ソネシエに謝らなくてはならないわけ、で……」


 そんなイリャヒの心を読んだわけでもないだろうに、偶然にも思考の文脈が繋がった。

 俯いたまま唐突に告白するフミネに、イリャヒは驚いて尋ね返す。


「なにかしてしまったのですか?」

「ううん。むしろ、なにもしてないし……たぶん、一回も話したことない、よ……」

「では、いったい」

「ただ……わたしの視界内にある間……彼女の周囲には、極寒の吹雪のビジョンが荒れ狂っていたわけで……それを見た周囲の女子たちが、クスクス笑っていたわけなので……」

「あー……それはまあ……確かに、助長した部分もあるのかもしれませんが、元はと言えば、あの子の態度がああなのが原因ですし、たぶん本人もあまり気にしていないと思います。なので、あなたもそこまで気に病む必要はないのですよ?」

「申し訳ない……うぅー……」


 罪悪感が相殺したのか、イリャヒを取り巻く暗雲のビジョンは徐々に薄くなり、やがて完全に消えた。

 第一印象で固定というわけではなく、後から変化もするようだ。


「という感じですね」

「理解いたしました。上手くいくかはわかりませんが、わたくしは面白い試みだと愚考いたします」


 チラ、とフミネが見たので、またフクリナシを中心に紫色の薔薇が咲き乱れる。

 さすがにこれ以上からかうのはやめにして、イリャヒは舞台方向へ視線を戻した。


「そして、観客席の最前列に揃っていらっしゃるのが、今回審査員を務めてくださる七名の方々ですね。

 ダンスに限らず、様々な分野の専門家の皆様が、『美』を見極めるべく集まってくださっているようです。

 そうそうたる顔ぶれですので、もしかしたらザクデック氏もご存じの……」


 言いかけたイリャヒの言葉と視線が、居並ぶ七名の、最後の一人の後頭部で止まった。


「……ん?」


 その男は大儀そうに腕を組み、脚を広げて踏ん反り返っていたが、イリャヒの視線か魔力を感じたようで、余裕綽々の挙動で振り返ってきた。


 真っ赤な髪が、まるで床屋に「炎みたいになるようにセットしてください」とでもオーダーしたかのように、見事に波打ち、逆立っている。

 橙色の双眸は、一般的な長森精エルフのそれとはまったく違う。上手く言えないのだが、明らかに燃え盛っているのだ。


 実際、フミネが彼を直視したことで、彼の周囲には橙色の炎が投影されていた。

 男はそれを気に入ったようで、発生源である少女を面白そうに観察している。


「へぇ……なかなかアツい固有魔術じゃねぇか。気に入ったぜ、お嬢ちゃん」

「ギャピッ!? わ、わたしのことはあのその空気だと思っていただいたらあばば!」

「おめぇが演出してくれんなら、なかなか楽しめそうで、気分が上がってきたぜ。

 ……で、そっちはリャルリャドネのぼんだな? 親父世代では確執があったようだが、まぁ俺らは仲良くしようや♫」

「どうも。なぜあなたがこんなところにいるのか、良ければ教えていただけます?」


 イリャヒとしては平静に対応したつもりだったのだが、見かけによらず感情に敏い男のようで、橙の眼が怜悧に光った。


「おぅおぅ。なんだよ、おめぇも見かけによらず、アツい男みてぇじゃねぇか。嫌いじゃねぇぜ。

 ……で、俺がなぜこんな似合わねぇ場で、ダンスコンテストの審査員を買って出たのかって?

 そりゃ、おめぇ……」


 語尾とともに不敵な笑みと炎のオーラが衰えた彼は、なぜか隣に座っている老紳士に尋ねた。


「……なんでだっけ? なぁ御大おんたい、なんで俺ここに呼ばれたか知ってる?」

「えっ? ええと、確か武門の重鎮として、力強さの面から美しさを、とか聞いたような」

「そうだ! そうだった! がははは!

 ってことだ、よろしく頼むぜ、ぼん、嬢ちゃん、そんで執事さんよ!」


 イリャヒと一緒に愛想笑いでやり過ごした後、さすがのフクリナシも困惑を示した。


「えーと……彼はいったい……?」

「ええ。確かあれはバイゼン・ホストハイド、ラスタード四大名家に数えられるかの武門の、確か三男坊あたりだったと記憶しています。

 そしてご覧の通り、バカですね。彼がここにいることに、深い意味はないと考えて良さそうです。

 猊下がまったく反応しておられませんし、なんの対策も打っておられる様子がないので」


 聞こえるような声量で喋ったつもりはなかったのだが、アクエリカが笑顔で振り向いて手を振ってきた。

 彼女の周囲に何重にも渦巻く堅牢な水のベールが投影されたことから、それがイリャヒやフクリナシではなく、フミネに向けた仕草だとわかる。


 そして当のきのこちゃんはというと、ビビり倒し塞ぎ込むという、無理からぬ反応だった。


「うぅー……お腹痛い……帰りたいよぉ……」

「はいはい、怖くない怖くない。取って食われたりしませ……いや、するかもしれませんが」

「するのぉ……!? 怖いよぉぉ!!」

「しませんしません」

「どっちなのぉ……」


 彼女の頭を撫でて慰めるが、正直イリャヒも似たような気分だった。

 本当に波乱なしで乗り切れるのか、若干自信がなくなってきている。

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