第94話 首切りのパラドックス
「なるほど……我々吸血鬼は、基本的にそういうルーツなのだと考えた方が良さそうですね」
「そうですの。なので、元人間の吸血鬼に対して、迫害を避けるために隔離・隠蔽がなされるという措置が、いまだ続いていることは由々しき事態ですわ。あたくしの敬愛する、誉れ高きエルン……」
「あっ。お嬢様、それはあまり公言なさらない方が無難かと。特に、場所も場所ですし」
「あっ! そうでしたわね! ええと、つまり……」
フクリナシに忠告され、そしてそもそも神妙な顔で真面目に語ること自体が自分の柄ではないと思い出したようで、エルネヴァは大げさに胸を張り、やけに高い声で仕切り直した。
「あたくしたち旧家の吸血鬼が、高ぉぉ貴な存在であることは揺るぎないですのにね! おーっほっほっほ! しょせんは凡骨どもの嫉妬に過ぎませんわ!」
「そういえば今日は凡骨まみれの場所で踊ることになりますけど、大丈夫ですか? 同じ空気も吸いたくないとおっしゃってませんでした?」
完全に調子を取り戻したようで、エルネヴァはイリャヒが入れる茶々にも対応してくる。
「今回は野外なのでギリギリセーッフでずのん! ゴッホゴホ! イリァ……ヒギック!」
しかし意味もなく声を張りすぎたせいで、思いっきり
フクリナシが慌てて駆け寄り、彼女の背中を
「ああ、お嬢様、どうか落ち着いてくださいませ。ほら、こちらの最高級蜂蜜飴をお召し上がりくださいませ」
「あっ、ありがとうございますわ。むぐ……んー、おいしいですの。このまろやかな舌触りと高ぉ貴な香り……まるでお金を直接食べているように上品な味わいですわっ!!」
「そのたとえ下品じゃありません?」
「イリャヒ、あなたもお一ついかがですの?」
「あいにくお金を食べる習慣がないもので、ご遠慮させていただきます」
そうですの? とエルネヴァが残念そうにお金色の飴を仕舞っていると、司会者と思しき細身の
といってもそれは彼が握っている、先端に魔石の埋まった杖による、拡声魔術を通したものだったが。
『舞踊コンテストの参加者の皆様〜。出場順を決めますので、どなたもいったん控え室にお集まりくださ〜い。繰り返しま〜す。舞踊……』
「だ、そうですよ。ほら、そこのおちびさんたちも」
舞台を見ながらなにごとか話していたソネシエとヒメキアに声をかけると、二人はイリャヒの方を振り向いた。
すると、彼の隣にいたエルネヴァと、ソネシエの視線が必然的にカチ合い、どちらも
「ふん」
「ふーんですわ!」
「ほらほら。もうこの際、仲良くしなさいとは言いませんが……。
ソネシエ、わかっていますね? お嬢様が舞台に上がられたら私が別の策を用意しますが、それまでお前がぴったりくっついて護衛するのですよ」
いかにも不承不承という感じで、ソネシエはこっくり頷いた。
「……了解した」
「よろしい。ヒメキア、そのお子ちゃまたちをよろしくお願いしますね」
「は、はい! ……ソネシエちゃん、お嬢様とケンカしてるの?」
「喧嘩をしている。なのでヒメキア、わたしと彼女の間に挟まって」
「ソネシエちゃんが言うなら、あたし挟まるよ!」
「こ、こんにちはですの! というか、そういえばあなたはどなたですの!?」
「こんにちは! あ、あたしヒメキアっていいます! ソネシエちゃんの友達です! よろしくお願いします!」
やいやい言いつつも、結局三人は横並びで控え室へ向かった。
姦しいなあ、と微笑みながら見送ったイリャヒは、フクリナシが同じ表情をしているのに気づく。
しばらく手持ち無沙汰に運営側の動きを眺めていたイリャヒだったが、無言の退屈に耐えられず、執事に話しかけた。
「ザクデック氏、申し上げるのを忘れていました。素敵な帽子をお召しですね」
「はっは、ありがとうございます。イリャヒ様こそとてもお似合いですよ。新調されたようですね」
「ええ。少し伝手がありまして」
言いながら、イリャヒはもう一人、突然の遭遇で煽るのに精一杯だったため、帽子を褒めるのを忘れていた相手がいるのを思い出した。
ギデオンだ。もっともあの後、彼自身ごと燃やしてしまったので、結果的には皮肉にしかならなかったのだろうが。
そして、結局は気になったので、イリャヒは直接尋ねることにした。
「あの、先ほどのお話なのですが……」
「ふふ、承知しておりますとも。イリャヒ様はこの場所……ペリッチュ広場という名前の由来はご存じでしょうか?」
「ええ。人間の貴族であった、エルンスト・ペリッチュ……人物名としては一般的にペリツェ公、そしてペリシ貨幣で親しまれるお名前ですよね。
この広場で処刑され、吸血鬼への劇的転化を遂げたとされていますが……その方法があまりに確度の低いものだったため、転化による存命説は都市伝説の域を出ず、命名も広場へは慰霊的側面、貨幣へは完全に過去の偉人として扱うためだと解釈している向きも多いと聞きました」
「ええ、もちろんそちらが通説なのですが……その吸血鬼へ急速転化する方法というのが、元から血糊でドロドロに錆びているのをいいことに、処刑用の斧に高位吸血鬼の鮮血をあらかじめたっぷり塗り込んでおき、切断された瞬間からその断面より吸血鬼性を取り込む、という、色々と乱暴極まりないものだった……わたくしはそう聞き及んでおります」
人間を吸血鬼に転化させる方法は、吸血鬼が人間を噛むか、血を与えるかのどちらかしかない。
つまり吸血鬼性に
「なるほど……! 確かに人間の生首に関しては、切断して転がった後にも数秒間生きて、眼などが動いていたという記録が散見されますからね。
この数秒間で転化を果たせたとして……では今度は、『首を切られたままの吸血鬼は、その状態から誰かが首をくっつけてくれるまでの、最低でも十数秒から数十秒間永らえることができる』と、種族ごと転化させられた命題を証明しなければならない」
「おっしゃる通りでございます。我々吸血鬼を殺害する際の条件として、『頭を潰せば死ぬ』『心臓を潰せば死ぬ』『両方でようやく』など諸説あるのですが、つまるところここには『個体による』という身も蓋もない解答が横たわっております。
ですので、実はここで問題とされているのは、『ペリツェ公に血を与えたのは、首切り後の転化を可能とさせるほど強力な吸血鬼だったのか?』という一点に尽きるわけでございますね」
ようやく話が見えてきた。イリャヒは眼帯を撫でながら、慎重に言及する。
「では、その、かつてエルンスト・ペリツェに血を与えた吸血鬼というのが……」
「ええ。お嬢様の祖先である、ハモッドハニー家の高位吸血鬼だったのです」
つまりエルネヴァにとってペリツェ公は、ものすごく単純化すると、大のいくつか付く叔父とか、そんなような相手ということになる。
したがって彼の生存を信奉することは、彼女自身の血の強さ、換言すれば高貴さを信奉するに等しいことになる。
おそらく彼女はそこに、自身の存在意義の多くを立脚してしまっているのだろう。
イリャヒは納得とともに、落胆に近い感情に沈むのを自覚した。
彼のその様子を見つめ、なにを考えたのかは窺い知れない。
とにかくフクリナシは、大きな決意を固めた様子で口火を切った。
「イリャヒ様。僭越ながら、あなたにとってのソネシエ様と、わたくしにとってのエルネヴァお嬢様は、同じように大切な存在であるとお見受けいたします」
「ええ、そうでしょうね。というより、そこに優劣など存在し得ないでしょう」
なんの
そしてまるで気楽な世間話でもするかのように、努めて平静に問いかけてくる。
「あくまで、もし、仮にの話ですが……ソネシエ様が世界のすべてを敵に回すような状況に陥られたとして……あなたはどちらの味方をなさいますか?」
イリャヒは当惑する他なかった。
答えがあまりにも自明だったからだ。
「失礼ですが、その質問にさしたる意味があるとは思えません」
「と、言いますと?」
「私の生きる理由そのものである宝と、それを除外した世界とかいう残りカスを、両天秤にかける気力すら湧きません。
あの子が歩く方こそ、私の進む道です。それが間違っていたとして、なんだというのでしょう?」
残念ながら自分の価値観が完全に歪み切っていることを、イリャヒは完全に自覚している。
しかし、自覚が狂気の特効薬となるなら、世界とやらはもう少し理性が支配していることだろう。
対するフクリナシの反応はというと……憑き物が落ちたように、大きく息を吐くというものだった。
「それを聞いて、改めて安心いたしました。そして確信することができております。やはり、お嬢様の願いこそ、わたくしの望みに他ならないのだと」
「そうですか。それは良かったです。しかし今、エルネヴァ様の願いといえば……」
「ええ。そして、我々にできるのは、見守ることだけかと存じます」
「同感ですねえ。でもそれが、意外に難しかったりするのですけど」
「まったくですな。こればかりは、歳を重ねたところでどうにもならないことです」
共通理解を得てにこやかに笑い合った二人は、着々と準備の進むステージへと向き直った。
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