醜き血の赤は要らぬ
第93話 ようやく開催、美麗祭
色とりどりの花火が、快晴の空へ次々と打ち上げられていく。
迎えた〈美麗祭〉当日は、まるでその開催が祝福されているかのように天候に恵まれた。
雨天順延の予定だったというのも、どうしてもコンセプトに直結する華やかさを損なってしまうためで、これは大きな幸運だった。
しかしイリャヒにとっては単純に、ようやくこのギスギスした雰囲気から解放されるのかという、安堵の気持ちが先立つものだった。
まったく……毎日顔を合わせているというのに、よく一週間も喧嘩を続ける気力が湧くものだなと、むしろ感心するほどである。
そんなふうに思うイリャヒは、会場へ向かうハモッドハニー家の馬車に揺られながら、いまだ一言も互いに口を利こうとしない少女たちを観察した。
彼の正面に座るエルネヴァの方は、いかにも怒っていますというふうに腕と脚を組んでいる。
しかし、ときおりソネシエの方を睨む体裁でチラチラ伺っているので、おそらく今日を機に仲直りしようという意思はある。
「…………」
一方、イリャヒの隣に腰掛けているソネシエはといえば、そんなお嬢様の視線にまったく気づいておらず、完全にボーっとしている様子で、外の街路を眺めるというマイペースぶりだった。
どうやら妹は、漂ってくる甘い香りの出所を探るのに掛り切りらしい。困ったおちびさんである。
だが彼女も、今日のことをどうでもいいと思っているわけではもちろんない。
言葉で伝えるのを完全に諦め切っているだけで(それはそれでどうかとは思うが)、やることは決まっており、それについてもはや考える必要がないと割り切っているだけなのだ。
そこは特に神学校時代には本当に誤解されていた部分なので、追い追い直してほしいとは思う。
会場となる広場に着き、馬車から降りたところでイリャヒを振り向き、彼女はようやく口を開いた。
「特定不能。こんなとき、人狼の嗅覚が羨ましい」
「そうですね。でも今日はオノリーヌもデュロンもベルエフ氏も、別の仕事で来られないようですから、お前の食べたいものを当ててもらえませんね」
「とても残念。リュージュと、ヒメキアは……」
「やはり、それぞれ仕事がありますから、難しいでしょうね」
「……そう」
〈美麗祭〉の会場となるペリッチュ広場では、〈恩赦祭〉のときと同じように市が開かれ、出店が並んでいる。
違いは、〈恩赦祭〉が魔族社会の混沌を象徴するように、とにかく美味しいものや面白いものが雑多に売られていたのに対し、〈美麗祭〉の今日はその名の通り、とにかく美しさに主眼が置かれている。
なので、たとえばお菓子一つ取っても綺麗で可愛い意匠や陳列が心がけられ、織物や装飾品、美術品などの割合が高い。
それは出し物も同様で、格闘トーナメントなどの野蛮さは鳴りを潜め、品評会系のイベントが目白押しとなっているのが特徴と呼べる。
今日、ソネシエがダンスコンテストに出場するのはもちろん、エルネヴァとの確執に穏当な決着をつけるためではある。
だがそれはそれとして、せっかくの晴れ舞台なのだから見てほしい、と思える相手がいるようだ。
昔の彼女にとってはそれがイリャヒ1人だけだったことを思えば、この数年で目覚ましい成長を遂げていることは間違いないのだろう。
もっともここ数ヶ月、彼女に出逢ってからは特に顕著なのだが……不意に、ソネシエがイリャヒの心を読んだかのように、ぽつりと呟いた。
「ヒメキア」
「そう、ヒメキアですね」
「兄さん、あそこにヒメキアがいる」
「……本当ですか?」
彼女のことを好きすぎる妹が幻覚でも見始めたのかと危惧するイリャヒだったが、さすがに要らない心配だったようだ。
お嬢様一行が降り立ったのは、ダンスコンテスト会場となる仮説舞台の、観客席側に近い入口だったようだ。
運営側と思しき
そして駆けつける影を見つけた瞬間、彼女はパッと笑顔になる。
「ソネシエちゃん!」
「ヒメキア」
「あたしだよ! ここに行くとソネシエちゃんに会えるって聞いて来ました!」
2人はいつものようにぎゅっと手を握り合って、互いの瞳を見つめている。
「とても嬉しい。仕事は、大丈夫だったの」
最近のヒメキアは食堂での調理に加え、寮の管理人である
しかし無理して来ているという感じはせず、ヒメキアは朗らかにソネシエの手をぶんぶん振った。
「行ってきたらって、休憩もらっちゃったんだー。でも、ネモネモちゃんもアニスさんも、あたしやソネシエちゃんのダンス、見たかったって言ってくれたよ」
「そうなの……それは残念。しかし、あなたが来てくれた」
「へへ……来たよ!」
「そして、あなたも参加してくれる」
「そうなの! あたし、踊るよ!!」
早くも気分が上がっている様子で、体を揺らし、その場でクルクル回るヒメキア。
楽しそうでなによりだが、彼女の護衛はどうなっているのだろうとイリャヒが周囲を見渡していると、これまた知った声がかけられた。
「ごめんなさいね、ヒメキア。ほったらかしにしてしまって」
「アクエリカさん! あたし大丈夫です、ソネシエちゃんとイリャヒさんに会えたから!」
パッと華やぐヒメキアの顔から、直接会うのは久しぶりとなる上司に眼を移し、イリャヒはソネシエとともに黙礼した。
楽に、と手振りで示すアクエリカは、今日は両脇に1人ずつ、修道服に身を包み、フードを目深に被った副官を侍らせている。
メリクリーゼはどうしたのだろう? たぶん近くにはいるのだろうけれど。
「イリャヒ、ソネシエ、お疲れ様。もちろん任務は続けてもらうけど、せっかくのお祭りなのだから、楽しむ方にも意識を割り振りなさいね」
「ありがとうございます。しかし、猊下が来られるとは思いませんでした」
「実はこの〈美麗祭〉……正確には舞踊品評会に、ゲストとして招かれているの。
もっとも、わたくしの一票は声が大きすぎるので、審査員席に並ぶことはできず、見ているだけになりますけどね」
そう言って彼女はソネシエ、ヒメキア、そしてその向こうでことさらに畏まっているエルネヴァに向かって、順に微笑みかけた。
最後の1人は特に反応著しく、顔を真っ赤に染めながら、慌てて一礼する恐縮ぶりだ。
「ご無沙汰しておりますわ、グランギニョル猊下! 改めまして、ゲルトルーデを祖とするゴルト一族の末裔、エルネヴァ・ハモッドハニーと申しますの! 猊下におかれましては、大変ご機嫌麗しゅうことと存じます!」
「ご機嫌よう。こちらこそ、改めまして、ブラウレイズを祖とするグランギニョル家の末裔、アクエリカと申します。今日はお天気も良く、こういった華やかな場でお会いすることができて、とても嬉しく思います♫」
応えてちょんと腰を折り、法衣の裾を控えめに摘む仕草から、アクエリカがこの場ではジュナス教会の要職というよりは、大貴族の当主として振る舞うつもりらしいことがわかる。
そしてイリャヒには同時に彼女が「こういうしきたりって、本当に無意味で面倒くさいわね。なんとかならないのかしら?」と考えているのがありありと伺えた。
エルネヴァもそれは察しているだろうが、それはそれとしてあの傑物を相手に形式をきちんとこなせたためか、いくぶん自信を得た表情をしている。
アクエリカは同様に、執事のフクリナシにも挨拶した。
「ザクデック様も、お久しぶりでございます。その節は大変お世話になりました」
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。大変に恐縮でございます。またあなた様のご麗容を拝することができ、光栄の至りでございます」
余所行きの帽子を脱いで一礼するフクリナシに近づいたイリャヒは、まだ入念に社交辞令を応酬するアクエリカとエルネヴァを尻目に、執事へ小声で尋ねた。
「初対面ではない……のですよね?」
「ええ。アクエリカ様は、この街への赴任直後にご挨拶に来てくださいました。そのときはお嬢様は、シンプルに『ミレイン伯爵エルネヴァ・ハモッドハニー』と名乗っておられました。
そして今日は屋敷内ではなく、こうした公の場で初めてお会いする形となったため、お嬢様なりに、こう、なんと申しますか、正式に丁寧なご挨拶を、もう一度こちらからしておいた方が失礼にならないのでは、と思われたようですね」
貴族にも特有のマウント力学があるようで、知らなかった。
今さら興味もないが、敵対する相手を煽る際には使えるかもしれないと思い、イリャヒは教えを乞う。
「エルネヴァ様が、ゲルトルーデを祖とするゴルト家、とおっしゃっていましたが、もしかしてご真祖様の、転化される前のお名前ということでしょうか?」
「その通りでございます。吸血鬼の血脈を遡っていくと、どんな旧家でも……いえ、旧家であるほど、その始祖が元人間というケースが非常に多いようなのです。
なのでイリャヒ様、おそらくあなた方リャルリャドネ家もその可能性が高いかと思われます。
そして……」
「……そしてもちろん、このあたくしのように高ぉぉ貴な吸血鬼の家柄も、その例に漏れないということになりますわねっ!!」
いつの間にかアクエリカとの会話を終えていたエルネヴァが、いつにも増して丁寧に巻いた鮮やかな金髪を、優雅に掻き上げながら口を挟んでくる。
今日の彼女は普段よりも落ち着きがあり、さらに高貴な印象の高まる、灰紫色のワンピースドレスを纏っている。
リュージュの髪とよく似た色合いだが、まったく関係のないたまたまで、それはハモッドハニー家の理念をより正確に表す色なのだという。
その装いに対しては馬車に乗る前に褒めちぎったので、イリャヒは率直に話の内容から返答を始めることにした。
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