第92話 メリクリーゼかく語りき


 いきなり頭を下げられて驚き、デュロンは慌てて手を振った。


「いや、気にしてくれんな。顔を上げてくれ。敵になっちまったら血族だろうと関係ねーし、有効な策を打ったことで敵を責めるのもバカバカしい。俺が弱いだけだよ」


 メリクリーゼはお辞儀をやめてくれたが、まだ少し俯いたままで、一筋垂れた前髪を柔らかい仕草で払い、思いのほかぎこちなく微笑んだ。


「すまない。そう言ってもらえると助かるよ」


 自分より少し長身で、遥かに強いということもあり、デュロンは彼女に対して、硬質な白銀の大剣、というようなイメージを抱いていた。

 しかし実像は結構繊細な性質たちなようで、急速に親近感を覚える。


「実はここ数日、私は実家の方に出向いていてね。どうにかヴィクターの動向を把握して、止めてくれないかと、ヴィトゲンライツの現当主……つまり、あいつの父親に上申しようとしたのだが……駄目だね、門前払いだったよ」

「マジか、あいつそんなんだったんだ。てことは、よほど保護されてるってことか?」

「いや、そういうわけじゃない。ヴィクターは七男だし、戦闘能力で言うと一番下だ。

 本人が言っていたかもしれないが、あいつは出来損ない扱いされていて、12歳の弟にすら舐められている。

 そして、姉や妹からは空気のように扱われている始末だ。

 悪戯を叱って追い回し、ケツを叩いていた従姉いとこの私が、あいつに一番優しくしていたことになるかもしれない程度にはね」


 にわかに同情を禁じ得なかったが、話の続きを聞くため、デュロンは一旦それを封じた。


「つまりだね、門前払いの原因は、むしろ私の方なんだ。

 少し長い自分語りになるが、聞いてくれるかな?」

「もちろんだ。耳が良いのは、俺の数少ない長所の3番目だからな」

「ふふ、そうか。ではその敏いお耳を拝借といこうじゃないか」


 涼やかに笑ったメリクリーゼは、銀色の長い睫毛を伏せ、物思いに耽る様子で話し出した。


「ヴィトゲンライツの傍系で長女として生まれた私は、幼い頃から武芸に傾倒していた。

 あるとき自分の力や技が家の道具のように使われることに嫌気が差し、出奔してジュナス教会の軍門に下ったんだ。


 当時から剣術だけは他者ひとに教えられるくらい上手かったので、ある程度までは上手くいった。

 希望通りに〈聖都〉ゾーラに配属されるという事実上の栄転を果たした私は、夢として掲げた聖騎士パラディンになるべく、勇んで神の敵を狩り続けた。


 だが、それもある程度までだ。私はどうもいまいち頭も気も回らないようで、組織内で一定以上の地位に就くために求められる、政治的な能力が致命的に欠落していた。

『実力的には問題ない』と言われながら、何度も機会を逃した。


 いつも最後の最後で、私を本気で推してくれる者がいなかったんだ。

 当時の私は、かなり腐ったよ」


 なんとなく話の流れが読めてきたが、デュロンは静聴を続けた。


「そんなある雨の夜、自棄になってゾーラの街を彷徨さまよっていた私は、1人の女に行き遭った。

 そいつは私と同じくずぶ濡れであるにもかかわらず、ろくに日の差さない空の下で、本当に楽しそうに笑っていたのを、はっきりと覚えている。


 後から聞けば、あいつもそのとき、後ろ盾となる武力を持たないせいで、かなり苦渋を味わっていた時期だったらしい。

 だからもしかしたらその笑みは、私を見つけた瞬間に浮かべたものだったのかもしれないなと、私はそう思っている。

 いや、そうに違いない。あいつはそういう女だ。君もそう思わないか、デュロンくん?」

「えっ……あ、まあ、そうかもな」


 やけにキラキラした眼で熱く語るメリクリーゼに気圧され、たじろぐデュロンは、これもしかして惚気のろけで馴れ初め聞かされてんのか? と思ったが、相槌を打つに留めた。


「とにかくあいつは私の身の上話を……そう、君が今してくれているように……一通り聞くと、私の雨で冷え、疲れ切った体と心を、後ろからおもむろに抱きしめてきたんだ。

 私の背中に押しつけられた驚くほど大きな乳房は水風船というより、まるで溶け始めた柔らかな雪の塊であるかのように感じられる一方で、その奥に息づく心臓の熱さを、冷えた肌がより一層克明に仄めかしてきて、ともすれば滑らかな内臓に直接」

「大丈夫か? だいぶ表現が官能的になってきてる気がするが」

「もう少しで終わるから、もう少しだから。

 とにかく彼女は、アクエリカは、脱力して身を任せた私の耳元で、こう囁いたんだ。

『ねえ、メリクリーゼ? あなた、わたくしのものになる気はないかしら?』」

「アンタもそれでやられてんじゃねーか!? 俺が言うのもなんだけどよ!!」


 たまらず叫んだデュロンに、メリクリーゼは顔を真っ赤にして、必死に弁解してくる。


「し、仕方なかったんだ! あいつはそれはもう弱っているところへスルリと入り込んでくる水蛇のような女で、当時はまだまだ初心うぶだった私をあっという間に丸め込んで転がし、互いの昇進と引き換えに、私に容赦ない献身を求めてきて……」

「うわ……俺そういうドロドロしたやつ苦手だわ」

「あっ!? 言っておくが、私とあいつに肉体関係はないからな!? 本当に違うから! そういうんじゃないから!!」

「そんなこと言ってねーんですけど!? いやわかってるよ、武力的な意味の献身なのは! こっちこそ、ドロドロした陰謀劇的なのが苦手って意味だから、勘違いしてくれんなよ!」

「いや、確かに私もな? あいつがあまりに暗殺の危機に晒されるもので、護衛のしやすさ優先で部屋借りて2人で棲んでた時期があったんだが……あいつ、料理とか全然しないもんで、いつも私が早起きして朝食作ってやっていたものだ」

「ちょっと待て、いよいよなんの話だ……?」


 駄目だ。回想にどっぷりと浸かるメリクリーゼはすごく嬉しそうに笑っている。完全に骨抜きとしか言いようがない。


「まあ聞け。ソファで寝乱れた癖っ毛を手櫛で直しながら、無防備な半裸状態で体を起こし、寝惚けまなこを擦りつつ欠伸あくび混じりに、あの甘ったるい声とねっとりした喋り方で『おはようメリーちゃん。今日の朝ごはんはなにかしら?』とか言われてみろ。

『あれ? これもしかして抱いた方がいい流れか? 誘ってるのかな??』と思うのが普通だろうが!

 いや、しかし、そういうふうに思ったことが何度かあるというだけで、あいつは結局思わせぶりに笑っているニクいヤツなんだ。だからその、本当にそういうあれになったことは一度もないから!」

「だから一言も言ってねーんだよ!? しっかりしてくれ、メリクリ姐さん! アンタさっきからずーっと墓穴掘ってんぞ!!」

「……はっ。しまった。私としたことが、つい」


 ようやく我に返ったメリクリーゼだが、どうやら完全に頭をアクエリカにやられているようで、悩ましげに額を押さえた。


「えーと、そもそもなにを言おうとしていたんだったっけ」

「ああ、わかったよ。だからアンタが陳情しても、ヴィトゲンの当主は聞く耳持たなかったんだな」


 だいぶ最初の方で本題が終わっていたので、結局ほぼメリクリーゼの問わず語りに終始する形になっていた。

 上気した顔を片手で煽った彼女は、なんとか表情を引き締め直す。


「そうだ。そもそもなぜ君にこんな話をしているかというと……デュロンくん、私が君に期待を寄せているからだよ。

 少しでも君の多面的な成長に寄与できるようにと、私なりに働きかけてみたつもりなんだが……煩わしかったかもしれないね」


 そして柔らかな微苦笑を向けてくるメリクリーゼに、デュロンは当惑した。


「いや、そんなことはねーよ。ありがてー限りだが……なんで俺に?」


 彼女は答えながら、デュロンの脇腹を指差した。


「それはね、ヴィクターが君のことを、本気で警戒しているからだ。

 実はあいつはただ強いだけの相手のことは、特になんとも思っちゃいない。

 長期的に見れば大した脅威にならないことがわかっているからだ、たとえばかつての私のようにね」

「アクエリ姐さんに出会う前のな」

「そうとも。あいつに優しく『メリーちゃん?』と呼ばれるたびに、私の中で大切なものが粉々に砕け、二度と修復できなくなるような感覚が」

「うーん、蒸し返した俺も悪かったが、戻ってきてくれねーかな!?」

「おっと危ない、油断するとすぐこれだ。

 ……それで、アクエリカやベルエフさんは、君のその方面に関しては、あまり評価していないようだけど……。

 私からすれば、君は騙しの素養も十分に持っているように思う。あくまで私に比べてだけどね」


 彼女の相貌がもう一度真剣となったとき、そこにあるのは確かに、ジュナス教会最強の一角を担う、栄えある聖騎士パラディンの偉容だった。


「率直に言おう。いつか暴走するかもしれないアクエリカを止めてくれる者が現れるとすれば、それは君だと私は思っている。

 もちろん私も尽力するが、及ばなかった場合は……君が、そして君たちがなんとかしてくれる。そう信じているのさ」


 最後に彼女は、しかめているのか笑っているのかわからない複雑な顔をしてみせたが、デュロンの嗅覚はなは深い憂いを汲み取っていた。


「勝手な要請なのはわかっている。現実にそんなことが起きるかもわからない。ただ、頭の片隅に留め置いてもらうと助かる。

 それだけだ。では、健闘を祈る」


 言うだけ言って満足したようで、メリクリーゼは立ち去った。

 喋りたいことを一方的にまくし立てるという一点では、彼女とヴィクターは似た者同士の従姉弟いとこであるらしい。


 デュロンはそんなとりとめのないことを考えながら、ひとまず顔見せのため、ベルエフのオフィスに足を向けた。

 高く買ってくれているのは嬉しい。しかし、アクエリカもメリクリーゼも買い被りが過ぎるし、デュロンは二枚舌を使い分けられるほど器用ではない。


 そして、口止めもされていないことを胸先に留めていられるほど剛胆でもない。

 ひとまずオフィスにいる三人に相談しようと、彼は肩の力を抜きながら考えた。


 もっとも、アクエリカにどのようなアプローチで「報告を受けられた」かは、さすがに秘め事とする他ないのだけれど。

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