第87話 狼は諦めない


「守るよ〜」「守る!」


 ヒメキアについてきた護衛の姉妹はヨーカとセーラといい、どちらもふくろう系の鳥人少女だ。

 この二人がヒメキアごとデュロンを守る態勢に入ったので、ギデオンとヴィクターは治療の邪魔ができなかったのだ。


 この二人がかなり腕が立つことは、ヴィクターはともかく、ギデオンなら一目でわかっただろう。

 秘書官のコニーは風系の固有魔術を展開しかけており、彼女に関しても同様のことが言える。


 そして、オノリーヌ自身だ。

 彼女による自己分析においても、弟の容体が安定したことで、喪わずに済んだ安堵を喪いかけた憤激が追いかけ、完全に殺意に満ち溢れていることを自覚する。

 こうなると彼女は、結構のびのびと戦えるのだ。


「えーと……」


 この場が怒りに満ち溢れていることに、さすがのヴィクターも気づいたらしい。

 慌てて挙げた手を振り、眼を泳がせ始めた。


「まあ、その、あれだね。この場は手打ちということで……任せたギデオン!」

「任された」


 即断だ。次の瞬間には、赤帽妖精レッドキャップがコニーの至近に高速移動で到達していた。


 その隙にヴィクターは淫魔の特徴である、蝙蝠こうもりというよりはムササビなどに近い皮膜の翼を広げて、さっさと逃亡を図っている。

 まあ、あの雑魚は後でいくらでも追い回せばいい。やはりギデオンを確保するのが先決だ。


「ぐっ……!」


 と言っても、すでに対処は終わっている。

 コニーの風、ヨーカの雷、セーラの雪の魔術を直撃で食らったため、さしもの彼もその場で耐えるのが精一杯の様子だ。


 そして彼の視線は無造作に、自身の脇腹へと下がる。

 そこにはすでに、獣化変貌したオノリーヌの鉤爪が突き刺さっていた。


 ギデオンの固く閉じた唇から、一筋の血が流れ落ちる。

 残念ながら狼に、もとより慈悲はない。


「悪いね。君には特に恨みはないが、ちょっと何度か死んでもらうよ」

「……それはさすがに、聞けない相談だな」


 覚悟を決めた最期の強がりかと思われたが、どうやらそのままの意味の捨て台詞だったようだ。

 しまった、最初からそのつもりだったのだ。


「ギデオン!」


 逃げの一手に走っていたヴィクターが一声叫ぶと、すでに一区画向こうを飛んでいる彼の元へ、脇腹で楔となっているオノリーヌの鉤爪を無視して、妖精が一瞬で呼び寄せられた。

 慌ててコニーが追うが、接近していたギデオンの対処に用いたほんの数秒が仇となり、先行していたヴィクターとの距離を詰められず、ついには逃げ果せることを許してしまう。


 やられた。デュロンが高速移動だとの推論を出していた空間踏破能力とは異なり、あれは契約関係に基づいた、召喚行為に基づく瞬間移動なのだ。足止めの意味をもう少し深く考えるべきだった。

 しかし、だからと言ってたとえばイリャヒが呼んだところで、強制的に呼び出すことができるわけではないだろう。おそらく個別に「呼んだら来てね」「いいよ」という契約を交わす必要がある。


 とはいえ、そういったことも今はどうでもいい些事なので、後回しでいいだろうとオノリーヌは割り切った。


「……う……うう……」


 意識を取り戻しかけ、呻き声を上げるデュロンに、彼女は改めて駆け寄る。

 なんとか後悔せずに済んだ。世界でたった一人しかいない、他のなによりも大切な弟を抱きしめ、彼女は自分と同じ色のその髪を優しく撫でた。


「よかった……!」


 完全に安堵したことで、オノリーヌの中で感情に次いで、義理の生じる余地がようやく生まれた。

 姉弟を笑顔で見守ってくれている四人の鳥人たちを見上げ、尽きない恩を口にする。


「ヒメキア……デュロンを助けてくれて本当にありがとう」

「どういたしまして! あたしも安心したよー」

「ヨーカとセーラも、彼女を連れてきてくれてありがとう」

「いいんだよ〜」「生きててよかった!」

「そして、コニーさん、うちの子の命を繋いでくれて、感謝のしようが……」

「ああ、もう、そういうのお互いやめにしましょう」コニーはおどけてヒラヒラ手を振って笑う。「私たちもあなたたちも、市民の血税から給金が出ているという点では、ほとんど同じですし……オグマを護衛していただいている一方、私があなたたちを助けたのも業務命令によるもので、当然のことなのですから。

 もっともオグマはデュロンさんのことを個人的に気に入っているからこそ、目をかけるよう私に指示したようですが」


 そういう割り切った考え方は、オノリーヌとしても好みなので、ありがたく受け取っておく。

 そして、最後に打算が追いついてきて、彼女は我知らず獣の笑みを浮かべた。


 銀の銃弾に関しては、完全に予想外だったが……いずれにせよ、この場の目的は達している。

 いつになるかはわからないが、報復なら次の機会を待てばいい。

 狼が粘り強く執念深いことを、ヴィクターも知らないわけではないだろう。

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