第85話 遊びは終わりだ


 ゴィイン……と、まったく関係ない位置で鳴らされた鐘こそが、戦闘妖精による反撃の合図だった。


 ギデオンはデュロンへ近づくのに邪魔となる鐘を退けるでもなく、構えすら取らず、棒立ちで手だけをわずかに動かしている。

 鐘の調律でもし始めたかのように、明後日の方向から音色が響いてくる。


 ベルエフからオノリーヌを経由して聞いていた情報を思い出し、デュロンはようやく彼がなにをしているのかを理解した。


「修正」


 呟きながらギデオンが最小限の挙措で放っているのは、今、デュロンの足元に転がってきた小さな金属球……指弾だ。

 デタラメに撃っていると思いきや、跳弾による精度は徐々に増している。


「さらに修正」


 移動してもなおデュロンを捕捉してきている。

 まずい。どちらが狩る側か、いよいよ明らかになってきた。


「修正完了」

「うぐっ……!?」


 完全な視界外から、デュロンのこめかみに衝撃が降り注いだ。

 質量は小さいとはいえ、痛打だ。


 ぐらつきながらも、続く二発をなんとか避け、ギデオンとの距離を詰めにかかるデュロン。

 危険は承知で、もっと早くこうすべきだった。


 幸い指弾のダメージは重篤ではなかったようで、狭窄しかけたデュロンの視野は、すぐに開けた。

 ……いや、少し開けすぎている気がする。


「ヤベッ!」


 気づいたときにはもう遅い。

 デュロンとギデオンはこの鐘の森にもわずかに存在する、互いを一つの鐘も妨げることのないスペース上で、正面から正対していた。


 距離はわずかに数歩だが、ギデオンの殺気が迸るのを感じ、デュロンは確信を得る。

 ギデオンが高速接近してくる間合いを想起し、頭が来るであろう位置に向けて、デュロンは右足を大きく振り上げた。


「逸ったな」


 手応えはなく、寸鉄が迎える。

 ギデオンは高速移動能力を発動せず、普通に自らの脚で距離を詰めてきたからだ。


 その差は一秒にも満たない。

 だがデュロンが蹴り足を戻すより早く、腹の真ん中にギデオンの拳が突き刺さった。

 息が詰まり、血を吐いて転がる人狼。


「がっは……!」


 そして慌てて立ち上がった彼は、いつの間にか鐘の森から強制的に脱出させられていた。

 ギデオンはそこまで計算済みで戦っていたのだと気づき、デュロンは総毛立つ。


 そしてその恐怖の象徴が、無言無表情でゆっくりとデュロンへ近づきながら、指弾を放ってきた。


 デュロンが一発を手の甲で払うと、次の指弾が発射される。

 しかしその時点でデュロンは冷静になり、今度は金属球を掴み止めて、強気の笑みを浮かべる余裕すら生じていた。


「あーあ、ちくしょう……まだちょっとテメーには遠いみてーだな」

「……そのようだ」


 理解しているからこそ、ギデオンがあえて訂正しないことが、デュロンにはわかる。


 言葉とは裏腹に、ギデオンにはデュロンに対する、かなりの警戒が生じていた。

 だからゆっくりと近づき、球数に限りのある指弾を消費してまで、慎重に牽制しているのだ。


 空間踏破に虚実を混ぜてきたのも、普通に使えばカウンターを合わされる可能性がかなり高いと見ているからに他ならない。


 評価が更新されたのは、デュロンとしても素直に嬉しい。

 しかし、依然「絶対勝てないわけではなさそう」くらいのレベルであり、決め手に欠けることに変わりはない。


 弾切れというわけでもないだろうが、ギデオンの指が動きを止めた。デュロンも改めて構える。

 膠着が訪れる。先に動くのは良くない、後の先を取られれば一気に優劣が傾くだろう。


 そして、そのわずかな均衡を、横からひょっこり現れた姿が破壊した。


「さて、ではそろそろ本腰入れて、妖精狩りを始めようかね」


 事後承諾はいつものことだ。最初からそのつもりだったようで、普通に塔を登って駆けつけてきた姉は、怜悧な瞳に狼の嗜虐を浮かべていた。



「おや? ギデオン、もしかして君は、一対一の決闘を重んじるタイプだったかね? だとしたら騙すような形になってしまい、すこぶる申し訳ないのだけれど」


 両手に握った鉄パイプを景気良くブン回し、オノリーヌは実にいけしゃあしゃあとのたまった。

 いちおう挑発なのだろうが、ギデオンにはまったく効いていない様子だ。


「笑止だな。俺は殺戮が趣味の赤帽妖精レッドキャップだぞ、騎士道精神に覚えがあるわけがないだろう。

 不意打ち、追い打ち、騙し打ち、なんでもござれに決まってる。自分がやられて文句も言うまい」

「なら良かった。わたしも最近体がなまっていてね、たまには昔のように弟と一緒に喧嘩の一つもやりたくて、ちょうどいい獲物を探していたところなのだよ。ご協力に感謝と言わねばなるまいね」


 相変わらず姉貴の性格の悪さには恐れ入るなと、デュロンは閉口するばかりだ。


 赤帽妖精の瞬間踏破能力は、一対一だと虚を突かれる。多数で囲めば飛び石にされ、逆に混乱の元となる。


 なら、二対一ならどうか?

 視認発動の能力なのだ。右と左を同時に向くことはギデオンにもできない。

 一人の吃驚きっきょうを、もう一人が横から冷静にフォローできれば、脅威をきっちり半減させられるはずだ。


 そういう意味では、デュロンとソネシエの連携はいまいち仕上がっていなかったと言わざるを得ない。

 事実、ギデオンにじりじりとにじり寄る姉弟の動きは、まるで何度も綿密な打ち合わせをしてきたように滑らかだった。


 戦闘能力では明確に劣るはずの姉も、まだいまいち足りないと自覚する弟も、単体では大した存在ではない。

 だが、狼は群れてこそ強いのだ。


「…………」


 ギデオンの頬を、一筋の汗が流れ落ちるのが見えた。ちょうど彼の方が風上に立っているようで、焦りの匂いも感じ取れる。

 デュロンとしては一対一で勝ちたかったところだが、この件を治めるのが先決だろう。


 ……そんなふうに皮算用をしていたから、というばかりではない。

 しかし、ぱぁん……と軽く響いた破裂音に、デュロンもオノリーヌも、ギデオンすらまったく反応できなかったのもまた、事実だった。


「……は?」


 とっさに脇腹を手で押さえたデュロンが感じたのは、濡れた感触、次いで熱、最後に激痛だった。


 苦しむ暇すらなく失神する直前、振り向いた視線の先に凶手の姿を発見し、傾く視界の中で理解が風のように去来する。


 奴は弱い。だから特別なことをできないし、していない。

 奴は弱い。だからこの塔を遠巻きに張っており、オノリーヌが登っていくのを止めることもできず、またそうせず静観し、その後で見つかるまいとビクビクしながら、彼女の後を追ってきたのだ。


 奴は弱い。なので普通に階下から顔を出して近づいてきたことに、いくらそちらが風下だったとはいえ、敵味方の三人ともがまったく気づかなかった。

 そして、奴は弱い。護身ではなく、積極的な奇襲に用いるとは、誰も思わなかった。


 ヴィクター・ヴィトゲンライツはなかなか慣れた様子で小銃を構えており、立ち上る硝煙を気障ったらしく吹き消すところだった。

 口元にはいつもと同じ、酷薄な笑みが貼りついている。


 銃弾の色は、奴の髪と同じ、ほぼすべての魔族の天敵であるしろがね

 殺意の色は、奴の眼に映る、硝子ガラスのように冷たいあおだ。


「さて、遊びは終わりだ。ここからは人狼狩りの時間だよ」


 デュロンが倒れると同時、姉が叫ぶ声はやけに遠く聞こえた。

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