第82話 いい歳した大人同士の醜いマウント合戦と、差し当たっての展望
「お招きいただきどうもー、アクエリ
昼休みに面談と称して教区司教のオフィスに呼び出されたベルエフがまず取った行動は、彼女の鎮座するデスクの前に立つでもなく、かと言って脇に置いてあるチェスボードの椅子でもなく、応接スペースに設置してあるソファにドカリと腰を下ろし、ミニテーブルの上で長い脚を組んで踏ん反り返るというものだった。
良い子のみんな、具体的に直属の部下たちには見せたくない行儀の最悪さである。
失礼は重々承知の上でこういう態度に出たのは、不良界隈で言うところの「ナメられないようにド頭から一発カマす」という力学ではなく、就任当初から一切揺るがない外面の小綺麗な澄ました顔を、少しでも崩してみたいというサドっ気を唆られてしまったからだ。
10年経ってもやはり、ベルエフの中には教会上層部に対する反発心が残っている。
それだけなら大人しく馳せ参じて尻尾を振っていたし、ベルエフ自身に対してはどれだけナメた態度を取られたところで、痛くも痒くもない。
しかし、かわいい部下が(他に明確な意図があったとはいえ)チクチクやられたとあっては、少しばかり意趣返しをしてやらないと気が済まない。
これもオノリーヌからの又聞きなのだが、たぶんチェスボードはアクエリカのお気に入りらしいので、そっちだと本気気味にキレられると踏んだため、ちょっと遠くのテーブルでやってみたという次第だ。
「……ベルエフ? 確かにわたくし若輩ですけど、いちおうあなたの上官なのよ?」
果たして、効果はあった。アクエリカは穏やかな笑みを浮かべたまま、整った頬がわずかにヒクついている。
この若さでポーカーフェイスが完成しているわけではなかったらしい。ベルエフは結果に満足すると同時に、僭越は承知で、安心もした。
完成しているということは、それ以上は成長の余地がないということでもある。
齢28ですでに伸び代や向上心を失っているような上司に、たとえ形の上だろうとついて行く気にはなれないからだ。
なのでベルエフは少しだけ胸襟を開き、率直な本音を話すことにした。
「おー、そりゃ悪かったね、エリカちゃん。だったらよー、次から俺の頭上飛び越して、うちのちっちゃな狼の女の子に勝手に使い魔くっつけてよー、単独行動の許可出すとかやめてくれや。おじさん心配で昼飯食えそうにねえんだわ」
「あなた、いまだにオノリーヌのことをそんなふうに思っているの? というか、あなたにも彼女から直接相談してあるはずでしょう?」
「いくつになってもガキはガキなんだよ、たとえ自分の子でなくてもな。
そして今日の直前になって言われても、それはもう実質的に事後承諾と変わらねえんだよ。
遠足があるならあるで、せめて3日くらい前には言っといてくんねえと、当日とか前の晩に急に言われてもパパ困っちゃうんだよ!
なんでこっちにもさあ、昼飯とか弁当の都合とかあるってわかんねえかなあ!?」
アクエリカは純然たる呆れに基づくため息を長々と吐き、かわいそうなおじさんを見る感じの冷たい眼でベルエフを眺めた。それはちょっと地味に効くのでやめてほしい。
「もう彼女も色々と大きいのだし、早急な子離れをおすすめしておくわ。
……それはそれとして、以後こういうことがないよう気をつけます」
「わかりゃいいんだよ、おじさん許しちゃう」
ゆったりと脚を組み替えるベルエフを柔和な笑みで観察しつつ、アクエリカの額に青筋が浮かぶのがわかった。今日はこの顔を見られただけでも収穫だなと、ベルエフは不遜にそう思う。
「……ねえ、ちょっと、わたくしにも体面というものがありましてよ?」
「今から猊下と呼んで畏み奉ればいいのか? 俺のとこまで聞こえてきてる無礼講のお触れは結局建前だったのかな?」
「そうではないけど、こちらから持ち掛けるのと、最初からその感じなのとはまた違うでしょう?
もういいけど、そうね……せめて近くに寄りなさいな」
「ようやくらしくなってきたじゃねえの。おじさんそういうのは従っちゃう」
互いに多少なりとも本音で話し合おうという気構えができたところで、ベルエフは大股で室内を横切り、アクエリカは少しだけ腰を浮かせて、チェスボードの対面同士に座った。この歩み寄る距離の差がせめてもの尊意といえばそうだ。
「ところで、デュロンの方は心配ではないの?」
「デュロン? いいや。向き不向きってのがある。騙しの方は多少アレだが……戦闘に関しちゃ、あいつにはなんの不安も持っちゃいねえさ」
ベルエフは手遊びに、たまたま摘んだ駒でボードをコツコツと叩いた。それは白のルークだったが、そのことに特に意味はない。
ボードが傷つくことを気にしたようで、アクエリカがじろりと睨んできたため、彼は慌てて手を離し、そのまま腕を組んで感慨に耽った。
「デュロンはあの齢にしては、かなり高い完成度に到達している。一方で……矛盾するようだが、まだまだ完成には程遠い」
「親バカからも脱却しないと……と言いたいところだけど、同意するわ」
アクエリカの意外な寸評を訝しみ、ベルエフは眉をひそめた。
「お前さんこそ、あいつにずいぶんと高い評価を与えてくれてるようじゃねえの?
ヒメキア、リュージュ、イリャヒあたりは能力が珍しいってことで理解はできる。ソネシエは正直、測り知れねえ。オノリーヌは性格的に親近感を覚えるんだろう。
だがデュロンは、なんというか……猊下のお気に召すタイプとは思わなかったでございますがね」
「敬意表現が下手すぎて、高純度の皮肉にしかなっていませんよ。……でも、そうね。
こういう言い方をすると、語弊があるかもしれないけど……なに一つ特別な力を持たない彼だからこそ、という部分もあるのでしょうね」
確かに過小評価にも、逆に過大評価にも取られかねない表現だが、ベルエフとしても妥当な言い草だと感じられた。
肉体活性による再生と変貌、怪力に俊足に無尽蔵のスタミナ、頑丈な筋骨と繊細な感覚……どれもこれも他のいくつもの種族が部分的に、あるいは丸々上位互換として持っているようなものばかりだ。
現状、デュロン・ハザークにしかできない役目や仕事というものは、この世界に一つもないだろう。
しかし、では必要ないかというと、そこはまた別の話になってくる。
ベルエフと異なり、アクエリカは明確に意図して、駒の一つを優しく摘んだ。
オノリーヌからベルエフの持論を聞いたようで、それを踏まえた発言をする。
「わたくしも、ポーンは嫌いではありませんよ」
ずずいっ、とアクエリカは自陣のポーン全部を、無造作に押し進めた。必然的な流れを表現したいようで、黒い歩兵のほとんどがベルエフ側の白駒に食い止められ、敗れて散ってゆく。
「いくらでも替えが利くからこそ、安易な空費は勿体なく、手放すのが憚られる」
その中でも頭角を現した一つのポーンが、相手のポーンを、ナイトを、そしてクイーンすら薙ぎ倒し、敵陣の最終列まで到達する。そこはすでに敵王の懐だ。
「我知らず愛着が湧き、そして気がつけばいつの間にか……」
プロモーションに至った黒のポーンは、黒のクイーンへと劇的変貌を遂げた。
「……大きく化けている。そんなところに魅力を感じるの」
今、アクエリカの美しい群青色の眼には使い魔を通して、ギデオンへ果敢に挑むデュロンの姿が映っているのだろう。
どこか陶然とした、遠くを見るような表情をしているので、ベルエフにはそれがわかった。
だからこそもう一段階、腹を割って話してみようという気になり、核心へ切り込んでみる。
「……お偉い聖騎士様を外させてるのは、この話をしたいがためか?」
しかしあまり図星を指してはいなかったようで、アクエリカはむしろキョトンと首をかしげた。
「メリクリーゼを? いいえ、あなたたちを呼んで忌憚なく喋る場に同席するには、彼女は圧が強すぎるというだけの理由よ。
今、あなたに限った措置ではなく、オノリーヌとヒメキアを含めて、全員にそうしているわよ。それがどうかしまして?」
「ああ、そうなのか。俺の勘違いだったみてえだ」
どうも
ベルエフ自身もいい加減、前へ進まなければならない時期に来ているようだと自戒した。
そんな彼の様子を不思議そうに眺め、アクエリカが反問してきた。
「別に構わないけど、この話というのは?」
「いや、その、なんだ。デュロンをお前さんのクイーン……つまり、側近にしたいって意味なのかと思っただけだ」
アクエリカは茶化して笑うどころか、理解に際して表情を引き締めた。
「……メリクリーゼの代わりに、ということね? なるほど、そういう考え方もできるわね。
安心していいわ。デュロンにも、あなたたちにも、そこまで求める気はありません。
能力面では期待しているけれど、忠誠面では期待していない、という意味だけど」
「それはそれとして、キングになる野心の待ち合わせはあるって解釈でいいんだよな?」
「それで間違いありませんよ」
教会世界でキングといえば、教皇一人を置いて他にない。
話のスケールが更新されたのに合わせて、アクエリカは散らかした駒を初期位置に並べ直し、今度は先ほどよりも繊細に、慎重に動かし始める。
「わたくしは現状、ただの
そしてそれはクイーンも、キングですら同じだと考えています」
「ちょっとおじさんに対して内臓暴露しすぎじゃねえの? いきなり全部晒されるこっちの身にもなってくんねえ?」
「失礼な。わたくしだって、見せる相手くらいは選んでいましてよ?」
冗談めかして言ってみても、アクエリカの群青色の眼は笑っていない。
ベルエフのオリーブ色の眼光もいよいよ真剣味を帯び、彼女の真意を剔抉してゆく。
「……じゃ、お前さんが見てるのはどこなんだ? 枢機卿会議で教皇に選出されることすら手段でしかないなら、その志は最終的にどこを向いてる?」
かなり決定的な問いだったはずだが、アクエリカはこともなげに答えた。
「一つ上の次元を向いていましてよ」
「一つ上……つーと、天使とかか?」
「近いと言えば近いけど、もっと直截よ。
つまり、指し手のこと」
キングが教皇なら、指し手というのは、救世主ジュナスを置いて他にない。
ものすごく敬虔とも、恐ろしく不遜とも取れる彼女の信仰告白を聞き届け、ベルエフは天井を仰いで絶句する。
在野からぶっこ抜かれて戦闘畑一直線の彼としては、もとより神学の秘奥に手を突っ込む気は毛頭ない。
そして彼女の野望にこれ以上深入りする気はもっとないため、馬耳東風で聞き流す他なかった。
アクエリカはなにごともなかったかのように駒を並べ直しており、その伏した眼から、話も片付けに入っているのがわかった。
怒涛のごときマイペースぶりには、もはや呆れるしかない。
「なので今後あなたたちには、わたくしのその志向のために動いてもらうこともあるでしょう。もちろん、旗頭として相応しくないという決議が出れば、大人しく従いますけど」
「つっても、週末と言わず平日にも会いに行けるキュートな上司の中でもトップの存在だからなあ。指示が下りてきたらどんな意図を含んでいようと基本聞くしかねえ。
特に俺たちベナンダンテはな。つーか俺の表の方の部下って、ほぼ全員裏の方でも部下だし」
「わかっているのなら結構。協力してくれるということのようで、心強くってよ♫」
そういう結論になるとわかってはいたので、ベルエフは最後の抵抗を試みる。
「腹黒さが風聞通りすぎて、逆に反応に困るぜ……いちおう言っておくがよ」
しかしアクエリカは涼しげに手を振った。
「ああ、ああ、わかっているの。
わたくしのことをどう聞いているかは知らないけど、そうね……〈聖都〉ゾーラでわたくしに敗れた政敵の一人が、かつてこう正鵠を射ていたわ。
いわく、『アクエリカ・グランギニョル、貴様はすべての
「……なるほど、そうなると逆に、俺らにとってはフェアな扱いになるわけか」
「ええ、悪いようにはしないわ。少なくとも、前任者とそう違いはないはずよ」
暴論ではあるのだが、実際不利にはならないため、ベルエフはつい納得してしまった。
彼に微笑み、アクエリカが手振りで退出を言い渡してくる。
色々と思うところはあるベルエフだったが、結局は素直に従った。
やはりこの新任司教、相当な食わせ者で、一筋縄ではいきそうになかった。
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