第77話 不敗の戦隊にして無敵の騎士団、華麗なる初陣を飾る


 ギデオンの朝は早い。昨夜イリャヒに丸焼きにされたばかりだが、翌日にはなにごともなかったかのように、ミレインの路地裏をうろついている。


 赤帽妖精レッドキャップは惨事の起きた場所に出没するという習性がある。

 つまり彼らの徘徊ルートは必然的に通行者が少ない道筋を辿ることになり、姿を見られる可能性も自ずと低い。

 もちろん自覚的に日陰を歩くこともしているので、なお目撃されにくくなる。


 ただし、いくら平日の午前中とはいえ、これから赴く場所は別だ。

 赤帽妖精としては格別訪れたい場所ではないのだが、ヴィクターの指示なので仕方がない。


 内容は標的の拉致、それが難しいならばせめて殺害、だそうだ。

 身柄をどう使うのかと尋ねたら、どうとでも使い道はあるとの答えが返ってきた。


 ギデオンとしてはそのあたりに興味はないし、知っても詮無いと判断した。

 互いの利のため、任務を遂行するまでだ。


「……そろそろだな」


 ヴィクターに指定された時刻になったので、ギデオンは当該施設に正面から侵入した。

 情報通り、鍵はかかっていない。その必要がほとんどない場所だからだ。


 玄関ロビーは談話室を兼ねているようで、古ぼけた絨毯の敷かれた床には向かい合わせのソファとミニテーブルの組み合わせが十数配置され、奥の暖炉にはもうそういう季節ではないようで、火は宿っていない。その両脇には上階へ続く階段が設置されている。


 そう、ここはミレイン市の祓魔官エクソシストたちが住まう寮だ。

 すでにほぼ全員が出勤したようで、少なくとも見える範囲には誰も残っていない。

 管理人や料理人がいるはずだが、ちょうどよく別の場所にいるようで、やはり姿が見えない。


 談話室は閑散としていた。

 ……朝食の給仕を終えたようで、ソファに座って休憩している、ただ一人の小柄な少女を残して。


「あれ? お客さん、ですか?」


 ものすごく臆病だと聞いていたのだが、ヒメキアはギデオンの姿を認めると、彼がごく普通に入ってきたからなのか、祓魔官の制服を着ていないことくらいしか気にならなかったようで、にこにこしながら声をかけてきた。


 最悪の場合、顔を見た瞬間に悲鳴を上げられることすら想定していたギデオンは、肩透かしを食らった。

 どうも彼女の脅威認識は、普通の魔族とは基準が異なるらしい。

 首をかしげて眼を丸くし、ひよこは殺戮妖精を、興味深そうに見つめてきた。


 その様子にと初めて会ったときのことを重ねて思い出してしまい、ギデオンの胸がチクリと痛んだ。

 感傷を脇へ押しやり、彼は平静を装って答える。


「……まあ、客といえば、客だな」

「そっか! じゃあお茶を淹れなきゃね!」


 そう言って立ち上がりかけたヒメキアを、ギデオンは内心慌てて制した。


「いや、待て。俺はもてなされるような者じゃない。座っていていい」

「そ、そう? お茶の時間じゃなかったかもね」


 正直なところ、ギデオンは戸惑っていた。

 こうして実際に相対してみると、本当にまったく戦闘能力がないのがわかる。強いて言うなら、辛うじて、うさぎとかそのくらいのレベルだ。


 こんなんで魔族としてやっていけるのかとすら思ったが、そういえばヴィクターも強さ的には似たようなものだった。

 もっとも彼の場合は周辺事情が異なるのだが……とにかく彼の依頼を熟さなければならない。


 この期に及んでギデオンがなにを逡巡しているかというと、ヒメキアはあまりに無防備すぎて、いつものように戦法上のロジックで「距離を詰める」という概念が、逆に通用しないのだ。

 あまりに容易すぎて、逆に罠なのではないかと疑うくらいである。


 だがやはり、それも考えすぎだろう。もはや種族能力を使うまでもない。

 ギデオンは普通にゆっくり歩いて近づいていく。ヒメキアは訝しげに、じっと見つめてくる。


 なんと言うべきかと思案し、ギデオンは口を開きかけた。



 次の瞬間、彼の双眸を横一線の激痛が駆け抜け、視界がブラックアウトした。



「ぐっ……!?」


 斬り裂かれた眼を反射的に覆いそうになった両手を、ギデオンは理性を動員して首の後ろで組み、さらに片膝を床についた。

 掌から前腕で首筋を、肘で心臓を、さらに太腿で金的への攻撃動線をカットするための姿勢だ。


 自己再生は一秒程度で終わったが、その一秒間の防御行動は必要なものだったと、血塗れの両眼を見開いたギデオンは、はっきりと確信する。


「わあっ!? プリマリー、なにやってるの!?」


 遅れてヒメキアが叫んだのが、目潰しを食らわせてきた実行犯の名前らしい。

 だが、妖精であるギデオン自身とは別の理由で、彼らの呼び名を把握することに意味はなさそうだ。


「シャアッ!」「フーッ……」「ググググ」


 思い思いに威嚇と不機嫌、敵意と警戒心の発露を声にしながら、彼らは実に静謐に、ギデオンに対する包囲網を固めているところだった。


 猫だ。猫である。都合12匹の猫が、ヒメキアを守る騎士としての仕事を果たしている。

 ギデオンが取った防御姿勢は、傍目には王に慈悲を乞う奴隷か罪人の様相だっただろう。


 例によってヴィクターから、彼らがヒメキアを監視すべく、アクエリカの魔力によって使い魔に仕立てられているとは聞いていた。

 生粋の文民であるヴィクターが護衛の側面に思い至らなかったというのもあるが、ギデオン自身に、油断を含んだ見過ごしがあったのも事実だ。


 寮に入った瞬間、当然ギデオンは談話室内を素早く見回したのだが、彼らの姿を一つも見つけることはできず、ヒメキアにも変わった様子がなかったため、自然と懸案事項から外してしまったのだ。


 だが実際には猫たちは、ギデオンの足音だけで剣呑な気配を敏感に察知し、それぞれソファの陰に身を潜めて、ギデオンが隙を見せる瞬間を待っていたのである。

 ヒメキアはいきなり隠れた彼らの様子を、「知らない人が来たから困っているのかな、仕方ないな」くらいにしか思わなかったのだろう。


 そしてそれが今、一気に現れたということは、戦闘態勢に移行したということになる。


「うわ! こら、だめだよ、テシー、ハーニー! お客さん! お客さんだってば!?」


 戦闘音痴のヒメキアがどれだけ言い聞かせたところで、猫たちは聞く耳持たない。

 主の命令に反しても主の命脈を守るという、そこは騎士の鑑だが、迷惑極まりない矜恃だ。


 彼らはギデオンを明確な敵と認識し、急所狙いの一撃必殺を期して、次々に飛び掛かってくる。


 とはいえ(あくまでギデオンの私見だが)たかが猫畜生である。体は小さく、体重も軽い。

 タイミングを捉え、ギデオンは一匹の攻撃を躱すと同時に、その柔らかい脇腹に裏拳を叩き込む。

 打撃を受ける瞬間に筋肉が硬直するのは、どの動物でも同じらしい。猫は呆気なく吹っ飛ぶ。


「あっ!?」


 ヒメキアの声にも、もはや構っている余裕はない。


 ギデオンは確実に骨を折り、内臓を潰した感覚を得た。

 あまり気持ちのいいものではないが……しかしそれすらも、どうやらあまり意味はなかったようだ。


 痛打を受けつつも綺麗に回転し、足から着地した猫は、「ゲゲゲッ!」と痛々しい嘔吐音を発した。

 だが銅色の眼が不自然に青く光ったかと思うと、血だらけになった口元を舐め、なにごともなかったかのように、再び意気軒昂に毛を逆立てる。


 アクエリカの使い魔となった猫たちは、彼女の魔力により、再生能力を得ているのだ。

 そしておそらく、それだけでなく……。


「いじめた! ねこをいじめた! みんな、あいつ、てきだよ!」


 今頃気づいたヒメキアが発破をかけているが、言われるまでもなく、小さな騎士たちはギデオンを殺す気満々である。


 カパー、アンバー、ヘイゼル、グリーン、ゴールドにオレンジと様々だった猫たちの眼が、まるで戦闘に向かって意思を統一するかのように、すべて青く、妖しく光り出す。


 肉体が幼児化してキトンブルーに戻った、と考えるには、その青はあまりに深く、群青と呼ぶのが相応しい。

 それはアクエリカが仕組んだ、彼女と同じ眼の色なのだ。


 やがてすべての猫が同時に口を開き、晒した牙に魔力が灯った。

 やはり、というのがギデオンの感想だ。まずい。こいつら、再生能力だけでなく、それぞれ固有魔術まで獲得している!

 人間時代、魔女や魔族と一緒に狩り出された彼らの魔術的なポテンシャルを甘く見ていた。


 12門の生体移動砲台から、攻撃魔術の斉射が、ギデオンに向かって降り注ぐ。

 ……いや、厳密には違った。火炎や吹雪、雷撃や突風などを、どちらかというと息吹ブレスに近い形で放ったのは、正確に言うと12匹中8匹だ。

 後の4匹な発現した固有魔術は、放出する火力タイプではなかったのだ。


「ォァッ」


 普段の愛玩動物としてのそれとは明らかに異なる、獣としての声を上げながら、斑模様の1匹がギデオンの至近に滞空していた。

 喉笛を狙い、精確に鉤爪を振るってくる。


 無聊をかこてど野性を忘れぬ天然の殺し屋、それこそが猫である。

 反射で躱しつつも、ギデオンは畜生相手にお株を奪われる脅威を感じていた。


 いくら猫でもさすがに跳躍の射程外だろうと思ったら、空間転移で飛んできたのだ。

 さすがにまだ連続使用は不可能なようで、斑は肩透かしを食らって転がるが、当然ノーダメージだろう、確認している暇すらない。


 さらに2匹がギデオンに迫っている、今度は普通に跳躍だ。固有魔術の系統は不明。

 同時に他の2匹が、並の祓魔官エクソシストに遜色ない攻撃魔術の一撃を射出した。


「厄介な……!」


 ギデオンは新しく調達したばかりの杖に斧、持ち前の体捌きや蹴りを駆使して、なんとか処理仕切った。

 休む暇など与えられるわけもなく、次の近接格闘と魔術射撃が予備動作に入っている。


 ギデオンは昔、ウォルコ・ウィラプスの戦いぶりを遠目から一度だけ見かけたことがあるのだが、彼がヒメキアのために残したという猫たちは、まるで属性違いの小さなウォルコが隊列を組んで襲い掛かって来るかのように、熾烈な波状攻撃を仕掛けてくる。


 再生能力が前提にあるため、猫の喧嘩に本来かかるべき自制というものがまるで機能しておらず、戦闘狂の本能が露出している。


「いけー、ねこねこ戦隊! やっちゃえー!」


 そしてヒメキアは指揮しているわけではなく、野放図に叫んでいるだけなのだが、それもまずい。

 待機要員が奥にいる可能性があるのだ、騒ぎに気づかれれば即アウトと考えた方がいい。


 そうしてギデオンが思考に割いた刹那の間に、「ねこねこ戦隊」はさらなる飛躍を遂げていた。


 文字通り、またしてもギデオンの眼前に、1匹が飛んできたのだ。


 しかし先ほど空間転移を用いていた斑ではなく、真っ白い長毛だ。12分の1でも系統かぶりはありうるだろうと安易に考え、ギデオンは今度こそ迎撃に成功した。杖による強かな打擲が直撃だ。


 しかし返ってきたのはふわふわの見た目に反した、頑健極まる手応えだった。


「!?」


 あまりに強硬な反動を受け、殴ったギデオンの腕の方が圧し折れる。筋肉の感触としてはいくらなんでもおかしい。


 しまった。おそらくこの白ふわ自身の固有魔術は防御強化系だ。

 そしてこいつを先ほどの斑が、空間転移で飛ばしてきたのだ!

 仲間をなんだと思っているのか。でも猫ってそういうとこある(あくまでギデオンの私見である)。


「ウウ〜」


 鋼のような手応えはどこへやら、白猫はすぐに元来の柔軟性を取り戻し、自らを打った杖に、にゅるりとしがみついた。

 落差はまさに液状化である。武装解除が目的のようで、そのまま握っているギデオンの手に爪を立ててきた。

 振り払おうにも動かない。おそらくパワーも底上げされている。


 さらにスピードは言うに及ばず、電光石火の肉弾疾駆が雨あられと交錯する。

 発奮がピークに達した死の大運動会を前に、スタミナを問えるほどギデオン自身に余力がない。


 指弾も軽々と避けられ、拳や蹴りももはやまるで掠りもしない。

 これは参る。弁解の余地もないくらい、完全に甘く見ていた。


 絶滅種・人間が刃物を持って、初めて猫と対等に殺し合える……この言説の是非はともかく、複数に囲まれたらどうにもならないというのは、もう嫌というほど、身をもってわかった。


 だが猫たちはまだ許してくれない。一瞬の停滞を見逃さず、攻撃系の8匹が奮起した。


「ニャッ」


 三色の猫パンチ、三種の牙、二発のビームがギデオンに全弾命中する!


「かはっ!!」


 隠していたのかこの場で習得したのかは知らないが、近接格闘への組み込みまで行ってきている。

 わりと高等技術のはずだが、猫の柔軟性は底が知れない。思わず猫教徒に改宗しかねない。


 さすがに無理だ。この猛攻を掻い潜って、ヒメキアを一回殺すことすら、今のギデオンには至難であると、はっきり悟る。


 戦闘妖精が発する無言の弱音を聞き咎めたかのように、終わりは突然訪れた。


「なのー!」

「ぐおっ!」


 猫の超スピードに対応しあぐね、早くも相当に疲弊していたギデオンは、その体たらくでは飽き足らず、死角から突っ込んできた小柄な鎧姿に、まったく反応することができなかった。

 猛烈な体当たりを思い切り食らい、玄関扉に叩きつけられるギデオン。


「不審者発見なの! これより排除なの!」


 もはや増援が駆けつけるのは時間の問題だとわかってはいたが、相手は祓魔官エクソシストですらなかった。

 だがまるで安堵はできない。鍋や薬缶を組み合わせたような変わった外観の鎧だが、金属の色と光沢はさらに特徴的で、ギデオンはそれが一部の小鉱精ドワーフが愛用する、不壊真鍮オリハルコン製であると理解した。非常につよく硬いが、纏えば怪力を要求される代物だ。


 こんな奴が非戦闘要員の象徴である食堂から飛び出てくるのだ、どれだけ人材の層が厚いかが端的に伺える。これが〈教会都市〉ミレインなのだ。


「まったく、敵わんな……!」


 もはや是非もない。不本意ながらベルエフ戦に続き、明確な二度目の敗走を、ギデオンは試みる。


「あっ! 赤い帽子の人、逃げるよ!? どうしようネモネモちゃん!?」

「去る者追わずなの! 深追いは危険だと、あなたの猫たちも言っているの!」

「にゃぁん…」


 背中に届く声を屈辱に思う余裕すらなく、むしろ追い風として、ギデオンは速やかに逃げ去った。

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