第76話 反省と再起


 ミレイン市内へ戻る馬車の中で、イリャヒは独り言のように囁いた。


「……しかし、本当にあれで良かったのですか?」

『いいのよ。あの場はあの辺りが落としどころだったはずだから』


 答えるのはイリャヒの袖の中を登り、襟元から後ろ髪の辺りに場所を変えて潜伏していた、小さな青い有翼の蛇だ。


 この使い魔を介してアクエリカが、ギデオンを火葬しようとしている最中だったイリャヒを諌めてきたため、交換条件を示して手打ちとしたのだが、イリャヒはどうもいまだに腑に落ちなかった。


「せっかくギデオンを殺すチャンスだったのに、もったいないと思いました」

『ふふ、率直ね。でも、いくつか理由となる懸念があるのよ。


 一つ目は、あなたを相手取るのに、ヴィクターがあの程度の生温い対策しか用意してこなかったこと。

 あなたたちが報告を上げてくれた〈履歴閲覧ヒストリセンサー〉とやらが彼のハッタリでないなら、〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉の攻略は生半可ではないと理解できたはず。


 とすると……具体的な手段はわからないのだけど、たとえばギデオンを殺すことをきっかけに発動する罠であったり、道連れに持ち込むような罠が仕掛けられていたり、そういうことが想定されるわけなの。だから一度引かせた』


 特に意味はないと理解しながらも、イリャヒは皮肉を垂れずにはいられなかった。


「驚きましたね、まるで私の身を案じてくださっているように聞こえます」

『そう言ったつもりでしてよ?』

「…………」

『ああ、もう、そうやって悪意以外の感情の発露を浴びるとすぐ黙ってしまうところ、本当にかわいいわね。帰ってきたらお姉さんがよしよししてあげましょうか?』

「やめてください。それより、二つ目は?」


 自明だろうと言いたいらしく、アクエリカは青蛇の裂けた舌をチロチロ動かしてみせる。


『あのね、もう一度同じことを言わせたり、照れたりしないでほしいのだけど……』


 まったくこの人には敵わないなと、イリャヒは両手を挙げた。


「ああ、わかりましたよ。というか、わかっています。白状します。


 二つ目も私への配慮ですよね。慣れない滅茶苦茶かつ持続的な使い方をしたことで珍しく魔力が目減りしていますし、ギデオンほど限界に近づいたわけではないですが、再生能力も若干心もとない状態まで陥っています。


 あのままギデオンを殺していたら、逆上した、下手を打てば再生力の差で粘り勝ちされかねないくらい、今もまだ調子を崩していますとも」


『素直でよろしい。ですが、それではまだ認識が甘くってよ。

 以前寮に訪ねてきたときは、おそらく営業用に丸腰だったのだろうけど……今夜はあなたに決め打ちしてきているのよ。

 吸血鬼を殺せる武器の代表格といえば?』

「……まさか」


 そうだ。ヴィクターは「商品の現物を持つことが許されていない」と言っていたが、「私物として携行することはない」とは言っていない。

 たとえば連射不可能な型落ちのものを、奇襲で一発ブチ込むためだけに持ち歩いているとしたら? ということだ。


『使い魔を通したわたくしにすら負けているようでは、あなたの観察眼もまだまだと言わざるを得ないわね。

 見たところヴィクターは左利き、そして重心がやや左へ偏っていた。

 扉を開けて入ってくるときの動作が若干不自然なので注視していたのですけれど、どうも間違いなさそうですね』


 がっくりと肩を落とし、帽子ごと頭を押さえる吸血鬼に、蛇は艶めかしく舌を動かしてみせる。


『自分が使い慣れていないとわからないと思うけど、これを機会に知見を広げていってくださいな』

「面目ありません」

『いいのよ。部下の成長は、上司の楽しみだもの。期待しているわ。それで、三つ目なのだけど』


 今までのどこか気楽な口調から一転、使い魔の向こう側が真剣味を帯びたのを、イリャヒは感じた。


『この件に関しては先ほど初めて相手を現認したのだけど、実はわたくし、あのギデオンとか呼ばれている赤帽妖精レッドキャップと、少々知った間柄なのです。

 といっても以前狙われたことがあるというだけで、背後関係はまったく不明ままなのだけど』


「……つまり、現状泳がせた方がよろしいと」

『ええ。仮にあの場で生け捕りにして連れ帰ることができたとして、尋問や拷問にかけたところで、どうせ契約で舌を縛られているから、大した意味はないでしょう。

 それに、下手にギデオンを脱落させると次の刺客を放ってくるどころか、最悪一旦諦め、年単位で潜伏しかねない。

 黒幕を炙り出すためには、現状ギデオンを自由にしたまま、その動向から逆算するより他にないのよ。

 本当は張り付いて逐一把握したいけど、わたくしの使い魔は相手の同意なく懐に潜り込むことには向いていないから……』


 完全に納得したイリャヒは膝を打ち、平伏した。


「委細承知しました。速やかに任務へ復帰いたします」

『そうしてほしいですね』


 静かに応じた後、またアクエリカの声音が転調した。芝居掛かった、悲喜劇的な嘆きが含まれている。


『……ああ、それにしても、この件にヴィクターが関わっていたなんてね。

 今これを横で聞いているメリクリーゼは歯噛みしているけど、わたくしはむしろ喜ばしくってよ。

 ……もう、メリーちゃん、そんなに怒らないで?』


 メリクリーゼは従弟の働いた狼藉にかなりお冠なようで、しばらくアクエリカの彼女を宥める声を中継した後、小さな蛇はいきなりぼんやりと口を開け、だらしなく舌を出した。

 そうしてそのまま涎を垂らしだす。アクエリカはどこか陶然とした様子で話し出した。


『ああ、早く会いたいです……話には聞いているけど、どんな子なのかしら? 楽しみにしているわ、ヴィクター坊ちゃん』


 なんだか知らないが、とんでもない女に狙いを定められているぞと、イリャヒは敵ながら警告の念波を送っておいた。




 一方、リャルリャドネ邸に残ったギデオンは、自分でなくヴィクターの回復を待っていた。


「ハァ、ハァ……なんだアイツ……僕的には二番目に与しやすいと思ってたのに、全然厄介だった……あれならたぶん、デュロンあたりの方がまだマシだったよ……」

「かもしれんな」


 イリャヒと正面から対峙していただけで消耗したらしく、ヴィクターは汗だくでへたり込み、荒い息を吐いている。

 無理もない。ギデオンですら型に嵌められ焼き殺されかけるような相手だ、非戦闘員のヴィクターには、少々荷が勝つ男だった。

 たとえ護身具として銀の弾丸が込められた、旧式の小銃を携行していて、なおだ。


 負けてしまったものは仕方ない。ギデオンは差し当たり、服を調達することにした。

 箪笥を漁るとイリャヒの亡父のものと思しき衣類が、多少黴臭いながらそのまま残っていたため、勝手に拝借し、ギデオンは似合わない紳士的な装いとなった。


「ふむ。そこまで悪くはないな」


 ひとまず動きやすさを確認する戦闘妖精。一度故郷へ調達に帰るまでの間に合わせだが、やはり機能性は気になる。逆にそれ以外はどうでもいい。

 なので死者が遺した装束を纏うことには、盗賊行為と同じくらい、特に忌避意識はなかった。

 そんな彼の様子を横目で見つつ、ヴィクターが二の句を告げる。


「装備品、全部燃やされちゃったんだね。斧や杖もとは、恐ろしい男だよ」

「安物だし、家に帰ればいくらでもスペアがある。母さんが夜なべしてこさえてくれた手製の凶器で、今度こそ奴らの頭蓋を弁当箱に仕立ててやる」

「そうかい、頼もしい限りだ。

 ……でもさ、帽子をやられたのはまずいよね」


 言われ、ギデオンは露出したままの髪を触る。赤帽妖精にとって、それは自らが犯した殺戮の記録であり、誇るべきものだ。

 しかし彼は淡白に腕を下ろした。


「感傷に浸るほどのものでもない。俺が今まで殺した……正確に言うと、仕留めることができた中に、大した奴はいなかった。いわば雑魚狩りの記録に過ぎない」

「そうかい。じゃあ新しいのは、これでいいかな」


 ヴィクターはイリャヒのために用意してきた帽子の中から、キャップタイプのものを見繕った。

 もちろん色は黒なのだが、ギデオンは喜んで受け取る。

 ここからもう一度始めればいいのだ。

 たとえば、このように。


「ああ、ありがとう。ついでにヴィクター、そこを動くなよ」

「うん? 言われなくたって……」


 体組織一つ取っても、密度の差はそのまま物質の差だ。

 ギデオンが放った手刀は、容易にヴィクターの頸動脈を切り裂いた。

 なにが起きたかまったくわからず、ヴィクターは首筋から吹き出す鮮血を呆然と見やり、3秒経ってからようやく叫び出す。


「えっ? ……あびゃあああああ!!? ちょ、マジなにやってんの!? 切れてる!? これ切れてるよね!? ていうか切ったよね!?」

「切れていない、気のせいだ」

「嘘じゃん!? さすがにひどすぎないかなあ!? いくらすぐ治るし、死にはしないったってさあ!! ていうか僕の服も血だらけだし!」

「なんかすまん」

「軽っ! やってることに対して謝意が軽い!!」


 自分で言っている通り、ヴィクターの出血はすぐに治まっていて、青白さ加減もイリャヒに虐められた直後からほとんど変化していない。やはりこの男、再生能力は凄まじいものがある。


 しかし彼が傷口を手で押さえたので血の噴出口が狭まり、帽子を染める作業が難しかったため、ギデオンとしてはそこだけ文句を言いたかった。

 とはいえ、綺麗に真っ赤になったため、満足している。少し乾かせば被っても良さそうだ。


「悪くない色合いだな」

「なんかさあ、やめてよ、そういう儀式みたいで、別の意味で怖いんだよ。依頼主の血で染めるとか、やることが重いんだよ君は」

「本来なら標的の血で染めなければならないので、そこが狡いというなら、まあそうだ」


 ギデオンの答えはなにかちぐはぐだったようで、ヴィクターは呆れを示す。


「前祝いというか、晩酌に対する食前酒みたいなものでしょ、そこはわかるよ。

 そうじゃなくてさ、血の契りとか、そういうキャラじゃないでしょ、僕らは。もっと気楽にやろうよ。せっかくのビジネスパートナーなんだからさ」


 どうやらヴィクターにとっては、プライベートよりもビジネスの付き合いの方が気楽らしい。

 そこは同意するので首肯を返したが、ギデオンは先ほどのヴィクターの発言をふと思い出し、疑問を呈した。


「……ん? そういえばイリャヒ・リャルリャドネが二番目ということは、一番は誰なんだ?」


 ようやく足腰が立つようになったヴィクターは背筋を伸ばし、いつものいやらしい薄ら笑いを取り戻した横顔で、楽しげに答えた。


「おいおい、勘弁してよ。〈教会都市〉ミレインに所属する祓魔官エクソシストの中で、一番戦闘能力が低く、一番扱いやすくて、一番警戒心が薄く、そして一番希少価値があるのは誰かって?」


 戸棚の上にひよこの置き物を見つけた彼は、嗜虐心の詰まった指で思い切り弾いてみせた。

 次の標的は決まりらしい。

 仕事とあらば、ギデオンに異存はない。

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