第75話 妥協点


 再び爆発するギデオンの殺気を一身に浴び、イリャヒは新たに二つの情報を得ていた。


 そもそもこの妖精族との契約という枠組み、いつでも解除が可能なので、契約者と妖精間の縛りというよりは、第三者への見せ用である部分も大きい。


 なので、一つ目は、契約に対する妖精の了承は、口に出す必要はないであろう点だ。ギデオンはイリャヒにわかりやすいよう、わざわざ言ってくれていたと考えられる。


 そして二つ目は、妖精との契約は解除だけでなく、矛盾する契約を重ねると新規の方が優先される、すなわち上書きが可能らしい点である。


 そんなことを脳内にメモする余裕があるのも、ヴィクターから目線を切ったのも、イリャヒに死ぬ覚悟ができているからではない。


 すでにギデオンへの対策が終わっているからだ。

 そしてギデオンによる攻撃も、同時に終わっていた。


「……ッ!」


 赤帽妖精レッドキャップの種族能力で一瞬のうちに肉薄され、まったく反応できず、気づけばイリャヒの薄い胸板の真ん中に、ギデオンの右腕が埋まっていた。


 相当高位の者を除き、たとえ吸血鬼といえど、心臓を破壊されては絶命するしかない。

 そしていまだ若く、到底その領域に至っていないイリャヒは、血を吐くことすらできず、激痛に喘鳴を漏らすばかりだ。


 ……そして敵ながら見事なほどに、ギデオンは眉一つ動かさなかった。

 なにか違和感を覚えたのだろう、即座にイリャヒの胸郭から抜き出した彼の右腕は、手首から先が焦げ落ち、なおも炯々と燃え盛る、骨肉の松明と化していたのだから。


「な……!?」


 しかしさすがの彼も驚愕の声は抑えられなかったようだ。浅く済んだ胸の傷が自己再生で治り次第、イリャヒは彼に背を向け、屋敷内を逃げ回りながら爆笑し始めた。


「あははははは! 傑作ですねえ! 見事! 見事に嵌まってくれましたねあははははは!」

「な……なんだ? なにを仕掛けた……?」


 完全に度肝を抜かれているヴィクターは、逆に反応が薄いのでつまらない。


 一方ギデオンはさすが赤帽妖精という感じで、心身ともに屈強だ。

 あっという間に全身が青い炎で燃え上がりつつ、憤怒の形相で再度攻撃を仕掛けてくる。


 またしても能力で一気に距離を詰めてくるのだが……その理由は若干変化しているはずだ。

 文字通り命の灯火が残りわずかなため、一刻の猶予もないからである。


「ひいっ!」


 わざとらしい悲鳴を上げ、イリャヒは極端な内股で身を縮め、適当に腕を出して防御っぽい姿勢に入った。もちろん100%ギデオンを煽る行動である。

 そして案の定、掲げた右腕が簡単に折られたため、吸血鬼は激痛に喘いだ。


「うわあああっ! やめてくださいよ! 私の体なんかチーズより柔らかいんですから!」


 そしてイリャヒ以上の追加ダメージを受けるのがギデオンだ。さらに彼に宿る火勢が強まる。


「ぐ……あ……!」

「だから、ほら……こういう罠を仕掛けることが可能って寸法でしてあははははは! もうやめて、腹痛いですからーっ! ふひひひひ!」


 完全に火だるまとなり、呻吟と危機で判断力を失ったギデオンが、なおもイリャヒに特攻を仕掛けてきた。

 こういうときは屋敷のだだっ広さが役に立つ。

 痛いのは嫌だがバカを迎え撃つのは楽しいというジレンマに陥ったイリャヒは、翼を使ってスイッと避けてみたり、逆に空中から翼を解除することでフワッと躱してみたり、あえて食らって騒いでみたりと、好きに対処して遊んでみた。


 勝手知ったる廃屋で、もはや地獄の鬼ごっこの様相を呈して逃げ回るイリャヒは、廃屋にやたら響き渡る声で、親切な解説を寄越してやる。

 相手はもはや前後不覚で聞く耳持つかも怪しいギデオンではなく、呆然と見守るしかないヴィクターである。


「仕方ないですねえ、友達のよしみで……おっと! 種明かしをしてあげましょう! ほーら、鬼さんこちら、手の鳴る方へ!


 えーっとですね……まず、私、自分のこと普通に大好きなんですよねーっ! わははは!

 なので私自身の肉体も衣服などの装備品も、すべて〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉の守護範囲となり、この炎によってまったくダメージを受けませーん! ……あっぶな!


 ですのでほら、こうやって……あいっだあ!? ちょっとギデオン氏、ナイスタイミングすぎるでしょ!?

 あーくそ……見えました? 腕の断面グロかったでしょ? じゃなくて、一瞬だったけど確認できました? どうでした?」


 ちょうど彼のところへ戻ってきたので直接話しかけると、ヴィクターも理解してしまったようで、苦み走った表情で答え合わせを口にする。


「……吸血鬼の血液は、常に大量の魔力を含んで、全身を流れている……!」

「正解です! なので……おっと危ない! ようやく動きが鈍ってきましたね、ギデオン氏?


 えーと……そうそう、あれですよ、私の全身の血管を全部〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉でミチミチのメラメラに埋め尽くしたわけです。

 これぞ超攻撃的防御、我が固有魔術の骨頂なり!


 ……あと一つなにか言い忘れていたような……あ、思い出しました。

 そういえば完全記憶能力を持つということは、あなたは必要がないのですかね?

 しかしいちおう言っておきますね。


 ギデオン氏に関して『勝つ見込みがなさそう』とはが、引き分け……痛み分けに持ち込めないとは言っていないのですよ!

 あースッキリした! あははははは! ずいぶん楽しませてくれて、本当にありがとうございます!!」


 言っている間にギデオンの動きが、棒立ちになったまま完全に停止した。


 なんでも燃やせる炎ということは、なんらかの物質による消火が見込めないわけで、一部の現象を起こす魔術や息吹ブレスか、あるいは全身を取り替えるレベルの肉体活性や再生能力でない限り、点いてからの自力対処というのは、ほぼ不可能なのだ。


 そのときイリャヒは天啓を受けたため、仕方なくそれに従い、方針を転換し始めた。


「あー……かわいそうに、皮膚が再生しなくなってきているじゃないですか。これはもう再生限界も近いですね。ギデオン氏、このまま放っておくとお亡くなりになりますよ」


 当たり前だ。デュロンですらそう長くは耐えられなかったのだから、どこの馬とも知れない筋肉妖精に、そう長々と粘られたのでは困る。


「ヴィクター、いいのですか? お友達、死んじゃいますけど?」


 危うく自失しかけていたヴィクターは、その言葉ではたと我に返り、もはや矢も盾もたまらず、交渉をスッ飛ばして交換条件を提示してきた。


「わ、わかった! お願いだイリャヒ、火を消してくれ! 今後一切、ギデオンに君を攻撃させない!」


 ついに朽ち木のように倒れるギデオンから眼を離さず、イリャヒは薄笑いを浮かべたまま返答する。火を見ると落ち着くという言説は本当らしい。


「うーん、もう一声欲しいところですね」

「なっ……そうだ、ソネシエだ! そうだろ!? ソネシエに対する攻撃も禁止させる!」

「もうワンセンテンス足りませんよね?」


 ついに観念した様子で、ヴィクターは絶叫した。


「イリャヒとソネシエへの攻撃を禁止する! ギデオン、これは契約だ!!」

「よくできました」


 新たに放たれたイリャヒの〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉が、ギデオンに点いている同じ鬼火を、相殺することで消火してゆく。

 次いでイリャヒは吸血用の牙で自らの手首を掻き切り、自己再生で塞がるまでのわずかな間、その血をギデオンに注いでやった。


 もちろんもう炎付きではなく、吸血鬼の血が含む再生の魔力によって、ギデオンの剥がれた表皮が、その奥の真皮が再生されてゆく。

 本当はあのまま殺したかったのだが、このあたりで妥協するしかない理由があるのだ。


「あっ……ちょっと待ってくださいよ。どうせやるのでしょうけど、今の契約、やっぱり後で解除してもいいです。

 つまりですね、私が直接彼と契約すればいい」


 契約者という特別な枠組みが設けられるわけではなく、了承さえあれば誰でもできるはずなのだ。

 服が焼かれて全裸になったむくつけき男というのは、イリャヒとしては正視に耐えないのだが(本当に筋肉がエグいと思った)我慢し、ギデオンに持ち掛ける。


「今後一切、イリャヒ・リャルリャドネとソネシエ・リャルリャドネに対する攻撃行動を禁止します。これは契約です」

「……了承した」


 やはり通った。少し考えてから、イリャヒは条件の変更を試してみる。

 どうせ試すだけなら無料なので、張れる限度を探っておいても損はない。


「攻撃禁止対象にエルネヴァ・ハモッドハニーを追加」

「了承しない」

「攻撃禁止対象にアゴリゾ・オグマを追加」

「了承しない」


 いちおう反応も探ってみたのだが、やはりギデオンは眉一つ動かさず、ヴィクターはといえばすでに動揺しまくっているので逆にわかりづらい。

 このあたりはイリャヒの役割ではないので放棄し、あとは喋るだけ喋っておく。


「攻撃禁止対象にデュロン・ハザーク、オノリーヌ・ハザーク、リュージュ・ゼボヴィッチ、ベルエフ・ダマシニコフ、パルテノイ・パチェラー、アクエリカ・グランギニョル、メリクリーゼ・ヴィトゲンライツ、またはヒメキアを追加する」

「すべて断る」

「あなたは誰も傷つけてはならないこれは契約だ」

「却下だ」

「世界は一つ、みんな平和」

「拒否する」


 こんなところか。まあそこそこの成果はあったので、良しとする。


「仕方ない。妥協しましょう。なにせほら、フフ……ねえ、ヴィクター?」


 笑いつつ、イリャヒはヴィクターに向かって、真鍮製の鍵を放った。それは彼が入ってきた、この家の玄関の錠と同じ素材でできている。


「なにを驚いているのです? 私とあなたは友達ですから、合鍵くらい預けますとも。

 ……本音を言うと、どうせ住居を知られてしまったので、入りたければいつでもどうぞ。


 この家には大切なものも置いていませんし、不良の溜まり場になったところで、痛くも痒くもありません。お好きにどうぞです。


 しかし……やれやれ。そうなるとわざわざここへ戻ってきた意味もなくなってしまうのですが、念のため手続きはやっておくとしましょう」


 言いつつ必要書類を取り揃え、身支度を整えて、眼帯の吸血鬼は黒服の裾を翻す。

 一度だけ笑んだ横顔で振り返り、買ったばかりの帽子の鍔を押さえて言い置いた。


「ではさようなら、お二人さん。いちおう戸締まりはちゃんとしてから帰ってくださいね?」

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