第74話 内心の罪
即座に爆発する殺気を察したようで、冷や汗を流しつつも、ヴィクターは虚勢の笑みを浮かべて、間髪入れずに指令した。
「ギデオン、イリャヒに攻撃するな! これは契約だ!」
「……了承する。ただし、不本意ではあるぞ」
「わかってるって。彼も君の殺すリストのトップランカー候補だよね」
「物騒すぎません? というか……」
獣のように膨らんでいたギデオンの戦意が一気に収縮するのを、イリャヒは肌で感じていた。
話題の通り魔を一方的に焼き殺すことに躊躇などないが、すかさずヴィクターが牽制してくる。
「待った! 彼の過去を知れば、君だって攻め気が削がれるはずさ!」
「はいはい、わかりましたよ。興味はありませんが、話を聞けばいいのですね?」
今度はイリャヒが両手を挙げる番だった。
このまま仮称ギデオンを焼き帽子の焦げ妖精にしようとすれば、さすがにヴィクターも攻撃禁止の契約を解除するだろう。
そうすると不利なのはイリャヒの方だ。
以前ギデオンに関して「勝つ見込みがなさそうだし、間違っても遭遇したくない」と発言したことがある。
あれはヴィクターが寮を訪れる数分前のことだったが、ヴィクターは固有魔術〈
イリャヒのあの弱気な発言は純然たる本音なので、それを前提に交渉を仕掛けられると困る。
本当にまずいことになった。気づけば完全に後手に回り、主導権を握られている。
しかもよりによってその場所が、あれだけ疎んだ生家というのもまた憎らしい。
「はあ、まったく……では改めて尋ねます。そちらはなにを要求したいのです?」
「さすが、話が早い。じゃあこっちも簡潔に済ませようか。
見ての通り、僕らは共謀している。他にもう一人、盟主となる男がいるわけだけど」
「その先は聞きたいようで、あまり聞きたくありませんね」
「だろうね。聞いた上で断るとなると、こちらもいわゆる交渉決裂として扱わなくてはならなくなる」
「端的に、要求だけ聞きましょうか」
いよいよ道化の仮面を完全に脱ぎ捨て、ヴィクターは言い募る。
「いまだ君が
さらに、僕たちが与することになる『教会の敵』に、君を含めたできるだけ多くの戦力が加わってくれれば、それだけジュナス教会そのものを叩き潰せる確率が上がるわけだ」
「……なるほど、それはあまりに端的すぎますね」
「だろう? ここでもう一押し、単刀直入にいくよ。
イリャヒ、こちら側へ来ないか? もちろんこれは契約でも命令でもない。友達としての、単なるお願いさ」
「まったく……この前はデュロンがウォルコに誘われたと聞きましたが、今度は私ですか」
イリャヒは頭を抱えて考え込みつつも、ヴィクターから目線を切らない。
彼の顔を見て信用度を値踏みしているようにも見えるため、不自然ではないはずだ。
実際にはヴィクターがギデオンに課したイリャヒへの攻撃禁止契約を解除しようとしたとき、すぐに対処できるよう、口の動きを注視しているだけなのだが。
「参りましたね……肝心の計画内容を聞く前に空手形を切らなければならないというのが、特に」
「いいよ、慎重に考えてよ。一世一代、不可逆の決断だものね」
「恐れ入ります」
残念ながらヴィクターの誘いは、イリャヒの心になんの波紋も起こさなかった。
デュロンもレミレとウォルコから計二度、反体制側へ転ぶことを求められたらしいが、彼の対応もおそらく同じだっただろう。
答えはノーだ。むしろイリャヒには、自由に野を駆ける彼らがそれだけで十分羨ましく、現状でなにが不満なのかがわからない。
おそらくベナンダンテではない者にとっては、平穏な日常生活という貴重な果実が、無料でおかわりできる安いおやつでしかないのだろう。
別にそういうふうに、苦労マウントを取りたいわけではない。奇しくもヴィクターが口にしたように、ただ環境と価値観が異なるだけの帰結だ。
黙っていると時間稼ぎの疑いが強まるばかりなので、真摯に検討中というポーズを崩さないためだけに、イリャヒは追加条件を投げかけてみる。
「うーん、どうしたものか……それはもちろん、うちの妹も勘定に入れてくれているという理解でいいのでしょうね?」
「もちろんさ。その程度のことを、僕がわかっていないと思うかい?」
「ですよね。……ああ、つまり、すべて織り込み済みなのですよね。ということは……混乱してきました、ちょっと待ってくださいね」
ヴィクターはねちっこい笑みを浮かべて、得意の長広舌を展開し始めた。
「いいとも。君の帰りが数分遅れた程度じゃ、ソネシエもエルネヴァもフクリナシもパルテノイも、〈猫の眼〉だって怪しみはしないだろう。
もちろん今君の腕に絡みついている、アクエリカ・グランギニョルの使い魔は言うや及ばずだ。
ああ、彼女に対してこんな大雑把な概要が漏れたところで問題はないと思っているよ。
彼女は頭が回りすぎ、そしてそれゆえに敵も多すぎる。なので彼女はあらゆる可能性を想定できてしまい、いったいどの筋から狙われているのか、その程度では逆に特定できないと踏んでいる。
どうだろう、当たっているかな? ああ、これはイリャヒ、君ではなく使い魔ちゃんに訊いてるんだけど。アクエリカ様に直接答えていただけたら光栄なんだけど、さすがにそれは無理かなあ?」
「ヴィクター、お前気持ち悪いぞ」
「ギデオン、君って僕の味方だよね??」
アクエリカは沈黙している。この件に口を挟む気も、そしておそらくは手を出す気もないようで、イリャヒはため息を吐いた。
……そう、問題はヴィクターの、この気持ち悪い固有魔術の存在だ。
ヴィクターのことは言ってみれば、手品における三つの禁則をすべて踏み散らかしてくる最悪の観客だと思えばいい。
①彼は相手の固有魔術が起こす現象をあらかじめ詳細に知っているし、
②彼に対してあらゆるトリックのタネは、事前にバレている。
③そして彼に対して、たとえ考案・作成中の誰も見ていない練習や実験であっても、今まで一度でも使った手や品はすでに通用しない。
こうしてイリャヒに決め打ちしてきているのだから、それなり以上の対策は施してあると考えた方がいい。
「…………」
そもそもヴィクターが内心の罪を看過するという自己申告が嘘ならこれすら通用しないが、敵意が筒抜けならとうにギデオンに攻撃させているはずだ。
あれでいくかな、とイリャヒは決めた。
以前考えたのだが使い道がわからず、放置していた策をお披露目である。
「逆にですね、ちょっと聞いていただけませんか」
ようやく発したイリャヒの言葉に、当然だがヴィクターは警戒の色を示した。
「なにをだい? それが僕にとって目新しいことだといいんだけどね」
「ええ、ですとも。自分語りや身の上話なら不要でしょうが、あなただって心理や性格が直接見えるわけではない。それとも、それらの分析が専門というわけでもないのでしょう?」
案の定、ヴィクターは押し黙った。
イリャヒはいかにも感傷的な態度を装い、訥々と話し始める。
「こんな生い立ちですので、情けないと思われるかもしれませんが……私は、自分のことが嫌いなのです。どうしても自分を無条件で肯定することができない。
実際、固有魔術〈
そんな中で、かわいいソネシエ……あの子だけが私の味方だった。私の存在意義は今も昔も、あの子を守ること以外にないのですよ」
イリャヒは涙が出てきた。これ自体はある一点を除いてほぼ本当なので、言っているうちに自分で自分の語りに感情移入するという、おかしな状態になってしまったのだ。
そして溢れる感情とは別に、打算が稼働する。
なんだ、これならたとえ相手に嘘を看破する能力があったとしても、結局問題はなかったじゃないか。
なぜならここまでがほぼ白、ここからが真っ赤で真っ黒だからだ。
後は芝居がバレるまで可能な限りの断片的な情報を引き出し、さっさと逃げればこの場の責務は果たしたことになるだろう。
「……ですから私は、ソネシエさえ……たった一人の家族さえ無事なら、あとは誰がどうなろうとどうでもいい。
こんな気構えの私で良ければ、ぜひ参加させてください。教会世界を失墜させる、あなたたちの大いなる革命に」
「イリャヒ……本当かい? 嬉しいよ……!」
ヴィクターは疑うどころか、本気で驚嘆した様子で、眉間に皺を寄せ、唇を震わせていた。
こんな能力を持ちながら彼がいまだ大成していない理由の一つが、おそらくはこれだろう。
駆け引きを能力に頼りすぎ、生身の腹芸が弱すぎるのだ。
しかしだからこそ、相補的な者を相棒に選んだのだろう。
「おい、ヴィクター。こいつ嘘を吐いてるぞ」
ギデオンは
原理を説明できる特殊能力の類ではなく、戦士や殺し屋としての、直観や経験則による判断だろう。
やはり、厄介な男だった。それだけは覚えておくことにする。
それなり以上の信頼関係を築いているようで、ヴィクターは躊躇なく相棒の箴言に従った。
彼は囁くように静謐に、この場の最終結論を言い渡す。
「……ギデオン、イリャヒを殺せ。契約だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます