第73話 帽子と眼帯


 単なる社交辞令というか決まり文句なのだろうが、質問は質問であるため、紳士なイリャヒは真摯に答えてみる。


「ええ、ちょうど新しいものが欲しいなと思っていたのです。良い帽子ですね、一ついただけますか?」


 ヴィクターは拍子抜けした様子で、それでも帽子を吊り下げたベルトを空いた机に置いて、両手を広げてみせた。


「さあ、お好きなのをどうぞ。嬉しいね、君と知縁を築けるだなんて」

「そういう意味で利用させていただくかは、今の段階では未知数なのですが」

「もちろん、機会があればという意味で言っているよ。僕はしがない帽子屋だからね」


 だが実際、この男とつながりを持っておいて損はない、とイリャヒは考える。

 武器の大口発注などするシチュエーションが今のところ想像できないが、そういう文字通りの飛び道具となる策も、いつか必要になるかもしれない。

 憂いを少なくするために、備えは少しでも多くしておくに越したことはない。


 もっとも、招き入れてしまったこの男が、疫病神とならない保証はないのだけれど。

 なにせ家業が死の商人なのだ、警戒することに限りはない。

 たとえばこのようにだ。


「あなたの能力なら、私の行動パターンくらいはお見通しなのでしょうが、いくらなんでもタイミングが良すぎませんか? 狙いすましてやってきたとしか思えないのですが」

「そうかな? ある程度当たりをつけて、その上で偶然ということはありうるさ」

「そうですか。なら帽子を選ばせていただきます」

「そうするといいよ。ところでまったく見当もつかないんだけど、君っていったいどんな色が好きなのかな?」

「それはすみませんでした。実は私は黒が好きなんですよ」

「そうなんだ。まったく顧客のリサーチ不足というのは、我ながら片腹痛いね」


 先日寮を訪れたとき、ヴィクターは実に色とりどりな帽子を携えていた。イリャヒが思うにあれは見せ用、カタログ用のラインナップだったのだろう。


 しかし今、テーブルの上に広げられているのは、形は様々だが、すべて黒を基調としたものばかりだ。

 今ここへイリャヒに決め打ちして来たのだと、もはや隠す気すらない。

 吸血鬼は平静に笑い、端的に問うた。


「で、ご用件は?」

「手厳しいね。そう焦らないでくれよ。

 言った通りさ、君と話しに来たんだ。

 先に決められるなら決めちゃってよ、帽子はどれにするんだい? 普段使い用を考えてるなら、やっぱり制服に合わせる方向性がいいよね」

「……まあ、夜会に出向く予定はないので、そうなりますかね」

「仕事としてならあるんじゃないかい? まあいいけど……それより君ら祓魔官エクソシストって制服はその黒の上下だけどさ、制帽はあのベテランの人とかが時々被ってるあれってことでいいの?

 曲がりなりにも帽子屋として、前から気になってたんだけど」


 まるで気楽に雑談を持ちかけてくることに辟易しつつも、いちおうイリャヒは調子を合わせておく。


「ええ、いちおうあれが制式ということになってはいます。決まりとしては形骸化しているので、特に我々世代はほとんど身につけてませんけど」

「正直あれちょっとダサいよね」

「否定はしませんが」

「うん。そうするとやっぱり、遠目にあれと同じだと思われると嫌だし……色々なシチュエーションを考えると……うーん、ベタかもしれないけど、やっぱり僕のおすすめはこれかな」


 ヴィクターが柔らかい手つきで持ち上げたのは、オーソドックスなシルクハットタイプだった。

 普通に好みなので、イリャヒは普通に財布を取り出した。


「お買い上げありがとう。初回割引とお友達価格で、5000ペリシにしておくよ」

「おや、意外に良心的なのですね。……誰がお友達ですって?」

「僕と君さ。そうなりたいという意味なんだけど、難しいかな」


 イリャヒはこのときほど人狼の嗅覚感知が欲しいと思ったことはなかった。


 魔力は思念の力と呼ばれ、実際のところ逆算も理論上可能ではあるらしい。

 しかし残念ながら吸血鬼の魔力感知では、よほど相手が揺らいでいる場合でもない限り、嘘を見抜くことはできない。


 とはいえ、発言の主旨自体は推量できる。

 イリャヒの表情を読み取ったようで、ヴィクターは控えめな仕草で顔を覆い、やや遠慮がちに嘆いてみせた。


「ああ、言いたいことはわかるよ。ちょっと肉体履歴を覗いた程度で、わかった気になられては困るよね」

「別に、それくらいは構わないのですけどね」

「いいや、知ったふうな口を利く気はないさ」


 再び全貌を見せたヴィクターの顔は一転、研ぎ澄まされた刃物のように真剣な表情を湛えていた。

 おそらく彼の固有魔術、すなわち精神の根底に関わることなので、余計なお道化は省いたのだろう。イリャヒも普段そうするのでわかる。


「これは果たして恩恵なのか、それとも呪縛なのかはわからないけれど……僕の脳には固有魔術〈履歴閲覧ヒストリセンサー〉とは別個で、いわゆる完全記憶能力というやつが備わってるんだ。


 だから一度見たビジョンは網羅している反面、忘れたいものも何度だって頭の中で克明に再現される。

 まったく難儀な組み合わせだよ、天の配剤ってやつはどうかしている。


 ……だけど、そこまで鮮烈な高精度であっても、所詮は追体験でしかないことに変わりはない。

 異なる生い立ちを持ち、異なる価値観を形成された僕と君は、どこまで行っても互いに他者事ひとごとで、絶対にわかり合うことなんかできるわけがない。


 結局のところ僕が知り、理解しているのは、そんなところに過ぎないのさ」


 イリャヒはしばし沈黙し、やがて息を吐いた。


「なるほど、納得はできます」

「そうかい? 僕は自分で言っていて、我ながら煙に巻くようで、胡乱うろんだなと思うよ」


 いいや、完全に把握した。喋っている内容ではなく、その意図の方をだが。


 肉体履歴を読み取るという能力を織り込んだ上でここまで真摯な態度を取られてしまうと、いくら疑い深いイリャヒといえど、いや、疑い深いからこそ、ある程度の好感と共感を覚えてしまうことは避けられない。

 敵か味方かで言うと、うっかり後者に類別しかねない程度には。


 つまりヴィクターはイリャヒの固有魔術〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉の性質を熟知した上で、これを逆用して攻撃対象から外させることができるかもしれないと見込んだ上で、こうして決め打ちしてきているのだ。


 もちろん仕事としてアクエリカやベルエフから命令が下ったり、ヴィクターがソネシエを侮辱したりすれば、特に躊躇もなく普通にこの男を焼き殺すことはできる。

 ただそれ未満、今のようにヴィクターを殺す積極的な理由がない状況で、とりあえず敵と認定し、とりあえず攻撃するといういつものノリが使いにくくなっている。


 その程度の縛りなのだが、非戦闘態勢では意外と効くのだ。

 いわばイリャヒの発火をやんわりと抑えるような搦め手である。


 そしてその上で、ヴィクターの狙いは、おそらく……。

 ほぼ予想しつつも、イリャヒは直接尋ねてみることにした。

 なぜなら二人は友達だそうだからだ。


「まあね。それで、そちらの要求は?」


 ヴィクターはまるで悪びれもせず、それこそちょっとしたおふざけであるかのように、軽く両手を挙げた。

 ……これはまずい傾向だなと、イリャヒは内心恐々とする。


「あはは、やっぱり読まれちゃうか。そうだよ、つまりこういうことさ。

 僕と君は友達だから、交誼を結んだ証に、もう一つだけお願いを聞いてくれないかな?」

「内容によりますが、聞くだけは聞きましょう」


 ほだされている自覚がある。自覚していてなお、跳ね除けられないほどに。

 理解者というのは、それほど大きな存在なのだ。

 特に、孤独な者や不安定な者……心に隙を抱えた者は。


「なんということはない。友達の友達もまた友達と言うじゃないか。

 君に一人紹介したい相手がいてね。

 と言っても、呼ばなくたって来るかもしれないけど」

「……まさか」

「そのまさかさ。

 ごめん、もう呼んじゃうね。ギデオン!」


「呼んだか?」


 瞬く間にというのはまさにこのことだ。


 ヴィクターがその名を口にし、指を鳴らすと、どこからともなく現れる姿があった。

 オーバーオール、左頬に火傷、体格はウォルコとほぼ同じ。

 妹が挙げた報告と照会するまでもなく、血染めの帽子がトレードマークだ、もはや誰何すいかの必要も消え失せた。


 イリャヒはひとまず笑みを浮かべ、新調したばかりの帽子を胸に当てて、目線は切らずにお辞儀してみた。


「ごきげんよう。巷は今、あなたの話題で持ち切りですよ?」

「そうか。それよりこんな遅くに、無断で侵入してしまい申し訳ない」

「それはまた、ご丁寧にどうも」


 通り魔のくせに挨拶ができて偉いなあ。それはそれとして殺そう、というのがイリャヒの感想だった。

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