慎め下郎、此は我らが城ぞ

第72話 招かれざる客

 あれから何日か、イリャヒはソネシエとともに、ハモッドハニー邸に泊まり込んで護衛を続けた。


 ソネシエとエルネヴァの間に険悪な空気が流れ続けているという点を除けば、特に異常はないし、結果はどうあれ〈美麗祭〉が終わるまでだろう。


 ……しかし、ソネシエは緊密な護衛のため、毎晩エルネヴァの部屋に同室して寝泊まりしているのだが、いったいどういう雰囲気で眠っているのだろうか、とイリャヒは疑問に思う。

 真剣に喧嘩をしている二人には失礼だが、むっつりとしつつも同時に就寝する様子を想像すると、なんともかわいらしい。


 そして聞き及ぶ限りでは、市長側も大事ないようだった。

 それで油断したのか、イリャヒはいちおうそこそこ重要な私用があることを、うっかり忘れそうになっていることに気づく。


『それならあなたが離れる少しの間だけ、デュロンの方のリュージュのように、交代要員を派遣すれば問題なくってよ』

「ええ、申し訳ありません。できるだけ手早く済ませて、任務に戻って参りますので」

『慌てなくて結構よ。むしろあなたが外したことで隙と見て闖入した刺客を、一発で罠にかけて優位に立てるよう取り計らうから』


 イリャヒはアクエリカの使い魔である、小さな有翼の青い蛇を通して、ハモッドハニー邸に居ながら、彼女に相談することができていた。


 ……なにかもう「え? でもこういうのあるって知ってたでしょ?」といった感じで普通に登場したので、イリャヒは大げさに反応する隙すら与えられなかったくらいだ。なんだこいつ? ぐらいは言わせてほしかった。


 種族的には水蛇精メリュジーヌに該当するというアクエリカの象徴そのものとして、使い魔は翼で羽搏いているのか、魔力で浮いているのかは知らないが、優美に飛行する。


 やはり相性のいい(具体的には、自分と形質の似た)生き物を仕立てると、使役精度が段違いであるらしい。

 手指に絡みついてくるそれにどことなく愛着を覚え、優しく撫でながら、イリャヒは返答した。


「そんな有効な手立てがあるのですね。しかし臨時とはいえ、名家の吸血鬼という限られた条件の中でよくそんな……あ、もしかしてですか?」

『ふふ、当たりよ。もうそろそろそちらに着くと思うわ。では、よい夜を』


 言ったきり、アクエリカの使い魔はイリャヒの袖の中へ潜り込んで手首に絡みつき、休眠状態に入った。

 これから市外へ行く彼に、この感じでついてくるつもりのようだ。ベナンダンテの一員に対する監視措置としては、妥当どころか穏当ではある。


 ちょうどよく玄関の呼び鈴が鳴らされたため、迎えに出たイリャヒは、廊下の途中で同じ行動を取るフクリナシと合流した。

 事情を承知の執事は、イリャヒの手首からはみ出た青い尻尾を目敏く見極めた。


「おや、イリャヒ様。そちらがアクエリカ様の使い魔様ですな? 実に美しい」


 これだと正直ちょっと邪魔だし、見た目にもだらしないなと思い、イリャヒは蛇を袖のもう少し奥、前腕のあたりに落ち着かせてから返事をする。


「ええ。手前勝手な都合でご迷惑をおかけすることになり、申し訳ありません」

「いえいえ、これくらいの融通が利かないようではいけません。……それは構わないのですが、やはりその、お嬢様は種族主義者というか……」

「そのあたりは抜かりなく。

 ……ああ、やはりあなたでしたか、ノイ」

「ヤッホー、イリャヒくん。いいところで仕事してるね」


 玄関を開けるなり気さくに挨拶してきたのは、ジュナス教会の同僚である、イリャヒより少し年上の女性だ。

 厳密には祓魔官エクソシストではなく、業務の性質ゆえ所属が曖昧なところがあり、フードつきの膝丈チュニックという、半ば私服のような格好をしている。


 パルテノイ・パチェラーというその吸血鬼は、羊毛色の柔らかいセミロングの髪が、頭に巻いた黒い布帯によって、両耳の後ろあたりで自然とまとめられ、緩く二つに分けて肩口に流している。

 ヘアバンドでなく、目隠しだ。理由は裸眼だとからだそうな。


 彼女が幼い頃に発現したその眼力は識別名を〈看破邪眼ディストラテクション〉と称され、前任の教区司教に能力を見出されて登用されたという経緯があり、現在はアクエリカに気に入られているらしい。


 彼女の眼が見通すのは記憶でも真実でも内心でもなく、本質だという話だ。

 具体的にと言われるとかなり使いどころが限られるそうだが、たとえば妖精族が通常ひた隠しにする本名を、見ただけで看破できるのだとか。


 他にも色々と良くないものが見えてしまうことが多いので、教区司教以上に司教座の最奥に引きこもっていることが多いのだが、アクエリカの寵愛と重用を受けて、急遽駆り出す形になってしまったようだ。


「お忙しいところを同族のよしみで甘えてしまい、すみません。今度なにか埋め合わせをします」

「いーのいーの、わたしもたまには外に出たかったから。でも埋め合わせっていうなら、甘いものでも奢ってもらおうかな。もちもちのやつね」

「もちもちですか」

「もち、ふわ、とろ、のいずれか!」


 食感が大事らしい。ひとしきりはしゃいだパルテノイは、ようやくここへ来た目的を思い出してくれたようで、依頼主に向き直った。


「ええと、それで……」

「申し遅れました、麗しい同胞のお方。当家執事を務めております、フクリナシ・ザクデックと申します」

「えへへ、麗しいだなんて。パルテノイ・パチェラーっていいまーす。よろしくですー♫

 それにしても……ふうん、あなたがねえ……?」


 不意に声音を艶やかに変え、滑らかな唇を蠱惑的に蠢かせる彼女を見て、執事が鼻白む。が、なんということはない。


「あ、ザクデック氏、どうかお気になさらず。彼女、初対面の相手にはとりあえず思わせぶりな態度で意味深な発言をするのが癖になっているのです」

「ちょっとイリャヒくん、いきなりバラさないでよ! ミステリアスな感じが台無しじゃん!?」

「なにをおっしゃる。あなたがミステリアスなのは能力だけでしょうに」

「ひどくない!? 性格もけっこう神秘的なんだけど!? お姉さんは全部お見通しなんだからね!」

「はいはいお見通しお見通し」

「尋常じゃなくナメられてる!?」


 もー! と叫んで頭から湯気を出している、このどこが神秘的なのか。

 もう少し吸血鬼のイメージを守ってほしいものだ、などとイリャヒが考えていると、屋敷内から冷気が漂ってきたため、三人は思わず振り向く。


 そこにはソネシエが若干ホラーな佇まいをしていて、彼女は彼女でもう少し新しい吸血鬼像を目指してほしいなとイリャヒは思った。


「……兄さん。パルテノイといちゃいちゃしていないで、早く用事を済ませて帰ってきて」

「はいはい、兄さん行きます」

「おやおやーソネシエちゃん、嫉妬かしらん?」

「パルテノイ、あなたを斬る」

「端的すぎない!? お姉さんに優しくして!?」

「あなたはわたしの姉ではない」

「氷! 対応が万年氷!」

「ではあとはよろしく」

「この感じのまま置いてくの?! お……お土産とかあったらいいなって思うかもー!!」


 和気藹々としたやり取りを背に聞きつつ、イリャヒは屋敷を後にした。


 目的地はミレイン市外ではあるが、馬車で一時間ほどの比較的近場だ。

 黄昏時に街を離れ、下り立ったときには完全に闇の帳が降りていた。

 場所柄、相応しい時間ではある。


 古びた真鍮の錠穴に鍵を刺し、イリャヒは屋敷の中へと入っていく。


 ここは吸血鬼兄妹の生家である、リャルリャドネ邸だ。

 両親が死亡し(正確には二人が殺害し)、いちおう形式上はイリャヒが家督を相続したことになっている。


 財産らしき金目のものはほとんど教会に徴収されたため、もぬけの殻となった建物は別に焼き払っても良かったのだが、せっかくなので利用価値がなくなるまで使い潰そうという方針になった。


 しかし売りに出したところで事故物件すぎて買い手がつかないため、仕方なく中途半端に維持しているようないないようなという状態である。

 今回も税金対策に必要な手続きの期限を忘れかけていたので、面倒だが戻ってきたという次第だ。


 格別の感慨はない。惨事の痕跡は散った血の一滴でさえ、〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉で雪いである。

 それすら犯行直後に証拠隠滅を図ったわけではなく、教会に駆け込んで沙汰が下り、検証に立ち会うために戻ってきたときに現場職員から「いちおう掃除しといた方がいいんじゃない?」と言われてやっただけだ。


 ともかく、長居するような場所でもない。

 しかし、ちょうど必要書類を揃え、立ち去ろうと玄関を振り返ったときのことだ。

 玄関をノックする音が、虚ろな館に驚くほど響き渡った。


「……?」


 こんな時間に、という話ですらない。

 そもそも普段誰もいない、幽霊屋敷も同然の場所なのだ。

 草刈りも(というか野焼きだが)イリャヒがやっているため、庭師すら姿を見せるはずない。


 まごついていても仕方ないので、イリャヒは努めて明朗に返事をした。


「はい、どうぞ。開いていますよ」


「だろうね。だから来たんだけど」


 聞いた声で、知った顔だった。魔力の波長もだ。


 扉を遠慮がちに開けたかと思うと、その細い隙間からぬるりと入ってきたのは、銀髪碧眼の美少年。今夜は礼を尽くす方針のようで、山高帽を脱ぎ、胸に当ててお辞儀してくる。

 ヴィクター・ヴィトゲンライツは、腹蔵まみれの微笑を浮かべた。


「夜分に失礼するよ、イリャヒ・リャルリャドネ。寮で会ったあのときから、君と二人で話せる機会を待っていたんだ。

 なにはともあれ、ここから始めようか。

 ひとまず、帽子はいかがかな?」


 招かれざる客という言葉がこれほど似合う男もいないなと、イリャヒは他者事ひとごとのように考えていた。

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