第66話 すべて世はこともなし


 それからひとまず夕方まで、デュロンは特になにをするというわけでもなく、何度かお茶とお菓子をごちそうになりながら、アゴリゾの仕事ぶりを側で見守る格好となった。


 なんだかいたたまれないが、市長本人がそうしろと言うのだから、お言葉に甘えるしかない。

 アゴリゾは持ち上がる案件を次々に検討し、署名や特記事項を書き込み、あるいは秘書を始めとする部下たちに渡して指示を出していく。


「……また〈人間裁判連盟〉か、いい加減に時代錯誤も甚だしいな。これ以上の横暴が続くようなら、それこそ教会と連携して、手荒な手段が必要になるかもしれない……ハモッドハニー? いや、無関係だろう。別の意味で面倒はあるがね。


 ……〈美麗祭〉ね、もちろん覚えているとも。うーん、顔くらい出しておきたいのは山々なんだけど、今年は代理を頼もうかな。なんだか私が行くとおかしなことになりそうな予感がしてね。いや、ただの勘なんだけど。


 ……錬成局は相変わらず頑固だな、ミスの一つくらい素直に認めればいいのに。なんでもかんでも錬金術で取り繕えば解決すると思われては困るし、これは必ず私が直接説得する。ああ、お望みなら一晩中でも議論に付き合うさ。


 ……コニー、ラリーに伝えておいてくれるかい? いくらなんでも条例案の採決を喧嘩賭博の帰趨に委ねるのはありえないと。場末の酒場じゃないんだ、ここは役場だよ。まったく、この野蛮さを良しとする風潮、いったいいつから始まったのやら……」


 一段落ついたところで秘書を退室させ、眉間を揉んだアゴリゾは、ふとデュロンに向かって微笑む。


「悪いね、いちおう客人として遇したいところなのに、なかなか構えなくて」

「いや、むしろこっちが申し訳ねーよ。こんなのんびりしてていいのか俺?」

「しかし、門外漢の私が言うのもなんだが、用心棒というのはそういうものだろう? 有事の際に働いてくれればそれでいい。他がどうかは知らないが、少なくとも私のとこではね。

 ……ちなみに、これは一人の市民として君の意見を聞きたいんだが、私の仕事ぶりを見て、なんというか……どう感じる?」


 別に教会からの監査役として来ていると思われているわけでもないのだろうし、デュロンは率直な感想を口にした。


「こういう言い方もなんだが……市のトップまで上がってくるレベルの案件ってのも、意外と雑多なんだな」

「まあね。誰も決められないか解決できない、あるいはその権限を持っていないものが私のところまで到達するだけだから、広報に載せられるような、外面の整った業務ばかりに携わっているわけではない。もっとも、君ら教会のおこぼれとして、雑務を担当している面もあるけどね」


 デュロンの表情を見て察したようで、アゴリゾは慌てて手を振る。


「いや、別に皮肉で言ったわけじゃないよ。ミレインの実質的な支配者は他ならぬミレイン司教だと、市井でそう言われているのは、さすがに私の耳にも入ってくる。そしてそれはおしなべて事実だ。


 思想信仰に冠婚葬祭、軍事警察まで握られ、告解と言う名のお悩み相談まで熟されちゃ、お役所の窓口でできることは自然と『それ以外』の棲み分けということになりがちではある。


 民間の組合ギルドとの繋がりという意味ではいくらか長じているけれど、修道院関連まで含めると君らの守備範囲はさらに広がるから、実際どうだかな。


 どちらかというと私の仕事は、間を取り持つ調整役というか……あ、ほら、ちょうど来たよ」


 夕暮れの空から一羽のからすが飛来し、開け放した窓からオフィスへ入ってくる。

 しかし餌を狙った不届き者というわけではないようで、アゴリゾが慣れた様子で迎え入れたため、デュロンもならった。


 鴉は特になにをするでもなく、磨き抜かれた床の上を点々と跳ねる。

 真っ黒な眼でデュロンを一瞥したが、すぐに興味なさそうに短く羽搏はばたき、アゴリゾのデスクの上に着地した。


 開いたくちばしから放たれたのは甲高い鳴き声ではなく、知性を含んだ重厚な低音だった。


『すべて世はこともなし』


 何者かが寄越した使い魔なのだ。いつものことのようで、アゴリゾは冷静に対応している。


「ええ、おっしゃる通り、今日も一日、なにごともなく過ごせました」

『格別の報告事項はないのだな?』

「特にございません。静穏な一日でございました」

『ならば良し。明日も貴様の壮健を願っている』

「もったいないお言葉でございます」


 言うだけ言って満足した様子で、鴉は再び夕暮れの空に飛び立った。呆気に取られて見送るデュロンは、アゴリゾを振り仰いで問うた。


「今の、もしかして……」

「ご本人かどうかというのは、さすがにコメントを控えさせてもらおうかな」

「……使い魔とはいえ、まさか直通のパイプを持ってるとは思わなかったぜ。そしてそれを、教会側である俺に隠しもしねーとはな」

「巷間の噂というのは信じられた時点で、もはや確定事項みたいなものだからねえ」


〈教会都市〉ミレインはその二つ名の通り、教会権力の強い街だ。一方でラスタード王国の領域に含まれていることも疑いなく、あまりに独立都市としての専横がまかり通るのでは、王権側としては国威を貶められるだけでなく、獅子身中の虫を放置するに等しい。


 そこで当代のラスタード国王は、数年前に下命した。ミレイン司教が実質支配者を気取っているなら、勝手に増長させておけばいい。

 面倒な自治体の運営を自主的にやってくれるというのだからやらせておき、別途お目付け役を任ずればいいだけの話ではないか。


 というわけでミレイン市長の専任方法には、少なからず王国側の意向が噛んでいる。というかはっきり言ってしまうと、アゴリゾ・オグマは王国側の人物と考えていい。


 それでも今すぐことを構えるとか、いきなりどうこうすることはないわけだが、たとえばこの男になにかあれば、王国側が仕掛けてくる可能性が高い。だからああして定期連絡を行なっているのだ。


 そういう意味では、互いに目の上のたんこぶでありながら、教会側としてもギデオンがアゴリゾの身にちょっかいをかけることは望ましくない。なのでこうして護衛が派遣されている部分もある。


 そしてそのあたりの事情を気にしたふうもなく、アゴリゾは話を変えた。


「ところで……今年の〈恩赦祭〉は、本当に大変だったね。これも当て擦りを言いたいわけじゃなく、実は私はたまたま窓の外を眺めていて、ちょうどを目撃してしまったんだよ」


 言われて、デュロンも窓の外を見る。

 今いる市長のオフィスは市庁舎の三階にあって、眼下には二階の屋根がちょうど聖ドナティアロ教会に向かって伸びている。

 なのでやや斜めの角度にはなるが、たとえばバカみたいな巨漢がバカ丸出しで爆笑しながら正面出入り口から脱獄していったら、嫌でもバッチリ眼に入る位置にある。


「ああ、そうか。ギャディ公が突っ走っていくところを目撃しちまったんだな」

「うん。正直、この距離からでも震えが走ったよ。魔女への鉄槌、なんて景気のいい言葉があるけどさ。じゃあ、あんな屈強極まりない異教徒を叩き伏せるには、どれほど巨大な鉄槌が必要なんだって話だよ。……たぶん実数値、出てるんじゃないか?」

「俺の姉貴が試算したところによると、単純な物理攻撃なら、竜や巨人の足踏みで破れるかどうかってレベルの強度らしい」

「かーっ、やってられんね! それもう攻城兵器の規格じゃないか」


 額に手を当てて大げさに嘆いてみせた後……アゴリゾは不意にうつむいて押し黙った。


 しばらくして顔を上げた彼はデュロンの眼をまっすぐに見つめて、ためらいがちに切り出した。

 なにかに取り憑かれたようなその視線に、デュロンも自然と身構える。


「なあ、デュロンくん。もし……もしもだよ。

 レミレ・バヒューテやギャディーヤ・ラムチャプ、あるいはウォルコ・ウィラプスすら霞む……あるいは彼らすら手玉に取る、世界そのものを脅やかすような、恐ろしく強大で邪悪な魔女がいたとして……そいつを打ち倒すに足る鉄槌というのは、いったいどんな規模で、どうやってこしらえたらいいと思う?」


 得体の知れない気迫に固唾を呑み、デュロンは慎重に反問する。


「……そいつは……たとえばそれこそ、竜や巨人そのものみてーな怪物なのか?」

「いいや、戦闘能力自体は、おそらく大したことはない。だが……」


 核心に手をかけようとしたところで、アゴリゾはふと我に返った様子で、弱気な笑みを浮かべて頭を掻いた。


「すまない、忘れてくれ。どうも最近疲れているようで、誇大妄想甚だしいな。

 今私たちに必要なのは等身大の脅威に対する備えで、そのために君が来てくれているというのに……。

 まあ、今はとにかく待機して、お茶でも飲んでくれたまえ。コニー! 彼にお茶を!」


 殊更に明るい声で秘書を呼んだ後、アゴリゾは照度の落ちた眼をして、ふと呟く。

 ついこぼしたという感じだが、互いに人狼だ、聴覚の精度は理解しているはず。

 それでも彼は昏い情熱を湛えた横顔で、確かにこう囁いた。


「悪いね……こっちもいちおう、仕事の一環なんだ……」


 さすがにそれ以上は踏み込めず、デュロンは聞こえなかったふりをするしかなかった。

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