第64話 ガールズ・ビジネス・トーク


 人間時代には1日2食という文化もあったらしいが、肉体活性が発達し基礎代謝の高い魔族、それも戦闘職である祓魔官エクソシストとなると、エネルギー切れを起こしやすい。

 そしてそれはそのアホ種族筆頭の人狼であり、主に頭脳労働に従事するオノリーヌ・ハザークも例外ではなかった。

 午前中の書類仕事を片付けた彼女は、大きく伸びをする。


「うーん……ひとまず終わったのだよ」

「お疲れ! オノちゃん、大丈夫? 肩凝ってない? 良かったらおじさんが揉んであげようか?」


 ごまごますりすりわきわきもみもみ、と手を明らかに怪しく蠢かしてご機嫌取りを図るベルエフに、オノリーヌはズレた伊達眼鏡を外しつつ、苦み走った顔で返事をした。


「まさかわたし以外の女性に、そんな一発で訴訟になりそうな発言と仕草と表情と存在で話しかけたりしてやしないだろうね?」

「せめて存在は許してくれねえか!? なんだよーおじさんだって冗談の通じる相手くらいは弁えてるぜー? だからまだこの地位にいるんだもんよ」

「もうじきわたしが引きずりおろしてやるのだよ」

「ひどくねえ!?」

「黙りたまえ。直属の上司が朝っぱらから『ちょっくら散歩ぶっこいてくらあ!』とか言ってどっか行くようなちゃらんぽらんでなければ、わたしの肩もここまで凝らないのだよ」


 ベルエフなりの考えがあって動いているというのはわかるが、それはそれとしていつも事務仕事を丸投げされたのでは困る。

 能力を買って頼られているというのは、悪い気分ではないけれど、限度もある。

 いずれにせよ昼休憩に入る彼女を、ベルエフが止めることはなかった。

 だが、なんだかんだ言って娘のように想い、体を大事にしてくれているのも事実なので、そこはそれ……。


「……あーもう! こうやって絆されてばかりいるわたしにも問題があることは否めない!」


 とにかく頭を切り替えて、ベルエフのオフィス、そして聖ドナティアロ教会を出たオノリーヌは……ふと職場と隣り合うミレイン市庁舎を見上げた。


 弟が詰めているはずだが、少し距離があることだし、さすがに外から姿を捉えることはできそうにない。


「やあやあ。相変わらずブラコン真っ盛りのようで一安心である」

「これはこれは藪から棒にずいぶん結構なご挨拶なのだよ。君も昼休憩かね?」


 横からかかった声に応えつつ彼女が振り向くと、リュージュが悪びれもせずニヤついている。

 齢が一つ違いで、感性も近い二人は普段からよくつるみ、同僚以前に親友と呼んでいい間柄だった。連れ立って寮へ歩き始め、その道すがら雑談に興じた。


「ああ。今、わたしと何人かで東の森の管理と整備を任されていてな。ほら、あんなことがあった後であるし。

 そうだ、子供たちが近づかないよう、新しい啓発方法を提案しなければならないのだが、オノリーヌよ、なにか考えてくれないか?」

「構わないけれど、それは我々でなく、役所の方の仕事ではないのかね?」

「であろうな。しかしあの場所を熟知していない彼らに任せても、それこそお役所仕事にしかなるまい。なにせ内容の半分は魔物への対処なのだし。

 現場感覚というのは大事だと、我らが管理官マスターなら特にわかっておられ……」

「あーやめたまえ、今その話をするでないのだよ。あの男にはむしろ、そろそろ現場感覚というやつを忘れてほしいくらいであるからして。

 ちょうど今朝もなにかのついでだとかで、勝手に山を張ってほっつき歩いた挙げ句、当たったはいいものの取り逃がしたとかいう……いや、なんでわたしの方があのオッサンから報告を受けなければならないのかね!?」

「まあまあ。ちゃんと後進の育成のことも考えておられる……はずだ……たぶん……きっと。うん! それより、デュロンたちの新しい任務だが」


 獣化変貌状態でなくてよかった、とオノはむっつりと考える。狼の三角耳が出ていたら、ピコン! と動いていただろうことは自覚できた。

 これ以上ブラコン呼ばわりを重ねられてはたまらない。機先を制し、聞き及んだ情報を提示する。


「泊まり込みになるそうだね。24時間態勢でなければ意味がないというのはわかる。

 しかし、屋敷勤めになり、二人一組ゆえある程度交代で休憩や仮眠が取れるイリャヒとソネシエはともかく、うちの子は役所かつ一人なのだが……」

「そう心配するな。まず、オグマ市長は業務による忙殺と家庭の冷え込みゆえ……むしろ前者が後者の原因のようだが……近頃は毎晩オフィスに泊まり込むのが習慣になっているそうな」

「おお……それはまた、我らに勝るとも劣らぬ労働中毒なのだね……なるほど、なら場所は問題ない。移動時の隙も生まれない。だが睡眠はどうするね?うちの弟は肉体のスタミナこそほぼ無限だけれど、これからずっと寝ずの番というわけにもいかない」


 リュージュは自慢げに、親指で自分の胸を指す。


「そこも他ならぬわたしの口から、安心しろと言うことができるな」

「……もしかしてリュージュ、君が?」

「おうとも。といっても完全な二交代制というわけではなく、デュロンが専任護衛官を務め、わたしが他の仕事の合間を縫って、彼の隙間を埋める形になるがな」


 オノの肩から、明確に力が抜けた。調子を合わせるように、リュージュは軽く肩をすくめてみせる。


「まあしかし、ちょくちょく行くことにはなるが、わたしの方の都合が優先となるから、そこは申し訳ないのである」

「それで十分なのだよ、ありがとう。うちの弟の特技の一つは、いつでもどこでも短時間でも眠れることであるからして、それなら集中力が切れることはなさそうだ」

「うむ。それと、役所なのでまともな調理器具の一つもなかろうということでもあるのだろうが……夕食だけは寮に帰って摂るようにと申し渡されているらしい。そこも食事休憩の時間として、わたしが穴を埋めることになっている」


 素直に喜びたいとこだが、オノリーヌはしかめっ面にならざるを得ない。


「おやおや……新任の教区司教猊下は、思いのほか部下にお優しいのだね」

「疑わしく思う気持ちもわかる。だがそのあたりについては、就任式の後に話し合ったではないか。

 イリャヒとソネシエもあまり気にしていないようであるし、考えすぎではないか?」

「いーや、うちの弟の繊細さを舐めるでないのだよ。わたしにとってあの子の感受性より信用できる指標など、この世に存在しないと理解してくれたまえ」

「もう本当に弁解不能なドンブラコでドブランコのドブラコンなのであるなあ」


 最終結論をそこに持って来られるのは釈然としないが、確かに今はアクエリカに対する判断材料が少なすぎるというのも事実だ。

 それに、もう寮に到着してしまったので、二人はいったんこの議論を保留とした。

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