第61話 ミレイン伯爵エルネヴァ・ハモッドハニー


 ほぼ同時刻。イリャヒはソネシエを伴い、ミレインの中心街にある、とある瀟洒しょうしゃな館を訪れていた。


 相手はやんごとなき身分の人物だそうだが、この二人も仮にも没落貴族の端くれ、その末裔なので、特に気後れすることもない。


 庭を掃いていたメイドに通されて屋内に侵入し、長い廊下をずかずかと無遠慮に歩いていく。


 その半ばほどで、二人は遠目に身なりのいい背中を見た。

 ……と認識した瞬間、その人物はぐるりと振り返り、ギラリと光る双眸で兄妹を捕捉する。


 かと思えばにこやかに相好を崩し、典雅な一礼を見せた。


「これはこれは、教会からいらしたお二人ですね? 大変失礼いたしました。わたくしどうも最近、耳が遠くなっているようでして……」


 真っ白なシャツに地味な色のベストとズボンを合わせつつも、野暮ったさを感じさせない着こなしを見せる、筋金入りの紳士である。

 きっちりと後ろへ撫でつけた髪は真っ白だが、齢はまだ五十そこそこといったところだろう。


「ささ、どうぞこちらへ」


 身振りで指し示しつつ先導してくれるのだが、半身で振り返りつつ歩く形で、途切れることなく話しかけてくる。


「イリャヒ・リャルリャドネ様と、ソネシエ・リャルリャドネ様でよろしかったですよね?」

「ええ。連絡は行き届いていたようですね」

「もちろん滞りなく。しかしそれ以前に、ご活躍のお噂はかねがね伺っておりまして……おっと、申し訳ございません。

 申し遅れました。わたくし当家執事を務めております、フクリナシ・ザクデックと申します。どうかいかようにも、お好きなふうにお呼びくださいませ」


 儀礼的な言葉を投げかけられたため、イリャヒの方もとりあえず定番の社交辞令を返しておく。


「そうですか。ではザクデック氏、あなたはここに勤められて長いのですか?」

「ええ、それはもう。古き血の吸血鬼……と自称できるほど年季も実力もありませんが、当家の主が幼少のみぎりより、身の回りのお世話をさせていただいております。

 もっとも、主は好き嫌いが激しく、わたくしのことを重用してくださっているのもまた、年季や実力とは関係のない要素によるものでして。

 わたくし、主のお相手を除けば、こうしてお若い方とお話させていただく機会も滅多になく、正直に申し上げて、浮き足立っております」


 イリャヒがぴたりと足を止めると、フクリナシはなにか勘違いしたようで、慌てて先ほどより深々と頭を下げてきた。


「申し訳ございません。問わず語りが長すぎると、主にもよく叱られております」

「いえ、そちらは別に、私も結構な話好きですし、むしろ親近感を覚えるくらいです。それより……」


 正確に理解した上で、やはりフクリナシが取るのは、再三の辞儀の所作だった。


「重ね重ね失礼いたしました。どうかお気になさらず。

 家人やお客様方に常に目を配るのが当然であり、苦心しているかのような雰囲気を出すなどもってのほかであるため、一流の執事は極力誰にも背中を見せてはならないと、前任者の教えをわたくしが頑なに守っているだけなのでございます。

 お二人を警戒していると思われたかもしれませんが、めっそうもないことでございます。大事なお客様であればこそなのですが、ご気分を害されたようでしたら……」


「なるほど、納得しました。では私の方も持論を展開しますと、仕事にこだわりをお持ちの方は信用に値すると考えています。むしろこだわりの一つもない者は信用できない、くらいの極論ですがね」


「まことにございますか。ご理解いただけて、光栄でございます。やはり教会の祓魔官の方々は皆様、目が覚めるようにご優秀で、お話させていただいていると、素晴らしい刺激をいただけます」


 疑問が片付いたのでイリャヒが隣を見ると、妹はいつも通りの無言無表情で、ちゃんとついてきていた。

 人見知りの彼女が知らないおじさんとの会話に入ってこないのはいつものことなので、いつの間にか勝手に帰ったりしていないだけ上出来である。


 にこやかに先導したフクリナシは、二人を奥の部屋へと招いた。


「ではどうぞ、当家当主とお話しください」


 開けられた荘厳な扉の中には、豪奢な椅子に腰掛け、長い脚を組む若い女性の姿があった。調度からして応接室のはずだが、少なくとも彼女に応接の意思は感じられない。


 丁寧に巻いた鮮やかな金髪に、アーモンド型でアーモンド色の眼。紫色を基調とするワンピースに包まれた肢体は華奢で、まだ十代の少女であることがわかる。


 若き、いや、幼いとすら呼んでもいい女主人は、勢いよく立ち上がった。心なしか縦ロールの髪も荒ぶっているように見える。


 早速なにか気に障ったかと身構える兄妹だったが、少女は自慢の髪を掻き上げて、その手を口元に添えたかと思うと、高らかに伸びる美声で笑い、うたい上げた。


「おーっほっほっほ! よくお越しいただきましたわね、リャルリャドネ家の末裔のお二人!? 護衛を寄越すのは構いませんが……と、こちらで相手を指定させていただきました。失礼いたしましたのは承知の上ですの。

 しかし、やはりわたくしと同じ吸血鬼! それも、高ぉぉ貴な家柄の吸血鬼としか、同じ空気すら吸いたくはありませんわ!」


 イリャヒも聞き及んでいなかったわけではない。

 ここハモッドハニー家の若き当主エルネヴァ嬢は、権限が縮小を極めほぼ形骸化したとはいえ、元はミレインを治めた伯爵家の末裔であること。

 そして種族主義を大変拗らせてあそばせ、使用人も自らと同じ、旧家に属する吸血鬼で揃えておられるということを。

 しかしなんというか、予想していた感じとはいささかタイプの違う高飛車さであった。


「まあそう構えなさらず! あなたたちよりさらに高貴なこのあたくしと対面して萎縮してしまうお気持ちもわかりますが、最近流行りの暴漢の手から、このあたくしを護衛するという栄誉を授けますわよ! 感謝していただいてもいいのですわよ!? おーっほっほっほ!!」

「さすがはお嬢様。お心の広さは、ラスタードが接する内海などよりはるかにお広く……」

「あらフク、それは褒めすぎですのよ!!」


 イリャヒの笑みが崩れかけ、ソネシエの口が開きかけたが、二人とも辛うじて踏み止まる。

 思ったことがそのまま顔や声に出なかっただけ、自分たちの方こそ褒められてもいいはずだと、二人はまったく同じことを考えたのだった。

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