護衛戦線・序

第59話 新たな任務


 ……時を戻して、現在。

 そういうことがあったため、デュロンのアクエリカに対する印象は、なにもされていないにもかかわらず最悪だった。

 ソネシエと一緒とはいえ、名指しで呼び出されたことに対して恐怖しかない。


 聖ドナティアロ教会の最奥に位置する教区司教のオフィスは、一般の祓魔官にとっては伏魔殿に等しい。

 デュロンは緊張しつつもノックし、ソネシエとともに中へ踏み込んだ。


 第一印象は書庫だった。室内の両脇に本棚が並び、正面に陣取るデスクのさらに奥にも山積みになっている。

 あまり行ったことはなかったが、中等部の図書室くらいの広さに、みっちりと本が詰め込まれている。この時点でデュロンは気後れさせられた。


 まずは直立不動の待機姿勢で侍るメリクリーゼが眼に入り、デュロンとソネシエは目礼する。

 メリクリーゼはアクエリカの手前、職務上の冷たい不動・無言・無表情を崩さず、パチパチと瞬きだけで返事してきた。やはり結構お茶目な人だ。


 肝心のアクエリカはというと、ゆったりと微笑みながら安楽椅子に腰掛けており、灰色の子猫を胸に抱え、優しく撫でていた。

 子猫は幸せそうに眠っている。ヒメキアが見たら一発で懐柔されそうな光景だ。


 子猫に向けるのと同じくらい柔和な視線をデュロンとソネシエに向け、アクエリカはおもむろに口を開いた。


「よく来てくれたわね。改めまして、今回赴任してきたアクエリカ・グランギニョルと申します。この街のことはまだほとんどわかっていない若輩ですから、お手柔らかにお願いしましてよ」


 弱冠28歳で枢機卿にまで上り詰めたという、半分は遠回しな誇示なのかもしれない。

 特定の相手にしか敬意表現を使わないという点では、デュロンとソネシエは共通している。

 無条件に愛想を振りまくことができない2人だが、アクエリカはおべんちゃらを聞きたいわけではないようで、挨拶するとさっさと用件に入った。


「それで、あなたたちには護衛任務に就いてほしいのだけど……」


 そう言いかけたところでドアをまた誰かがノックし、アクエリカの許可を得て入室してきた。


「失礼します。やあやあ、お前たちも、皆さんお揃いで。ひょっとして私が遅れましたか?」


 イリャヒだ。完全にいつもの調子で喋っており、デュロンは安心した。

 実際、場に1人お喋りな奴がいると助かる。ソネシエもあからさまに安堵の息を吐いている。


「いいえ、今から話すところよ。楽にして聞いてくださいな。

 デュロン、ソネシエ、あなたたちが二度報告してくれた、赤帽妖精の刺客のことなのだけど」


 いきなり名前で呼ばれ、2人ともビクリと反応するのを抑えられなかった。親密さというのも正の属性なだけで、強い感情には違いない。


 その様子を特に気にしたふうもなく、アクエリカはデスクの上で手を組む。


「細かい条件はわからないし、例外もあるようだけど、どうも人狼や吸血鬼を中心に狙っているということで間違いなさそうです。


 ただでさえ全般的に気まぐれで容赦のない妖精族が、さらに契約というシステムに従って動くとなると、そうした特質が執拗さに化け、いわば生きた災厄となり襲い来るわけでして。


 そうなるとつまり、裏で手綱を引く契約者の思惑を汲み取りつつ、妖精自身の意図もある程度読み取るという、二重の予測が求められるわけなのね。


 まあ、差し当たってはわかっている範囲で対策を打っていくしかありません。

 というわけで手始めに、この街のいわゆる重鎮というか、名士と呼べる御二方に護衛を派遣するわ。一方をデュロン、もう一方をイリャヒとソネシエに担当してもらいます」


 イリャヒがすぐにやかましく喋り出すと思っていたので、最初に質問するのが自分であることに腰が引けつつも、デュロンはおずおずと挙手した。


「俺の方が1人なのはなぜなんだ? ……猊下」

「それを最後にくっつけなくても、罰則なんか与えたりしないから、普通にお話しなさいな。

 理由はいくつかあるわ。一対一の方が心を開いてくれるだろうし……彼はそういうタイプではないのだろうけれど、やっぱり同族同士というのは話しやすいもの……なのよね? わたくしはそのあたり、あまりわからないのですけど」


 彼女の実家も四大名家とやらの一角を占め、つまりは一族の者がいるはずなのだが、なにか複雑な事情でもあるのだろうか……というのがまさにこの前イリャヒが言いかけてやめた部分だったので、デュロンは考えを止めた。もちろん率直に訊けるような気安さも、少なくとも今はまだない。


「ああ、確かに俺もそうだ」

「なら問題はなさそうね。別に先方の機嫌を取る必要はないけれど、お行儀よくしておいて損はなくってよ」

「……よほどの相手なんだな。人狼で、男で、この街の要職といえば……まさか」


 アクエリカは薄い笑みにわずかに本性をちらつかせ、その名を口にした。


「そう、そのまさか。あなたに守ってもらうのは、ミレイン市長アゴリゾ・オグマよ」




 ミレイン市の中心街にある、とある館にて。


 白昼にもかかわらず夜の帳のようにカーテンが閉め切られ、調度品のシルエットも茫洋とした輪郭が浮かび上がるのみだ。


 葉巻の煙が部屋中に立ち込めていたが、反射する光がなくては暗闇に溶けるもやでしかない。


 部屋では2人の男が密談の最中だった。


 1人はヴィクター、言わずと知れた帽子屋である。相手に手振りで葉巻を勧められるが、肩をすくめて断りを入れている。


「うーん。どうも僕にはまだ、あなたの美学は早いようだし、遠慮しておくよ。この淀んだ空気は同室して吸っているだけで、あまりに……居心地が良すぎるからね。

 職分を忘れて帰れなくなりそうだよ、夜の世界に落ち着いた洞窟の蝙蝠こうもりたちのようにね。というわけで、少しだけ明かりを点けても構わないかい?」


 もう1人は身なりのいい壮年の男で、ヴィクターに勧めた葉巻を引っ込め、気分を害したわけでもなく彼に背を向けて、身振りで了承を示した。


「さてムッシュー、仕事の話をしようか」


 ヴィクターが手近なオイルランプを灯すと、少しは部屋の中が見えやすくなったが、男は心中を表すように一言も喋らず、胸襟を開くどころか、もはや顔すら向けない。


 その慎重な態度にヴィクターは肩をすくめるが、こちらも気分を害してはいない。


「そう構えないでくださいよ。僕らは同盟でもなんでもない。互いの目的を果たすために、互いを勝手に利用し合うだけの関係だ。

 ……そうだろう? ギデオン」


 ヴィクターが指を鳴らすと、どこからともなく現れる影があった。

 オーバーオールを着た陰気な殺し屋が、大気を裂いて召喚されたのだ。


 これは赤帽妖精特有の視認発動する近距離踏破術とも、悪魔が異界から来訪する際の方式とも違う、妖精族全般が可能な、契約者の元に瞬時に駆けつけるためだけに行使できる空間転移能力だ。


 基本的に、契約している相手の傍らに現れることしかできない。もう少し柔軟に使えると不意打ちに用いることもできるのになと、ヴィクターとしてはもったいなく思ったりする。


 ともあれ、ギデオンは無愛想に口を開いた。

「その通りだ。俺はお前の指示に従い、彼に利するのみ。そして同時にそれが、俺のためにもなる」

「シンプルで助かるー。そういうとこ好きだよギデオンくん。

 じゃあ早速、計画に着手しよっか。色々と不確定要素は出てくると思うけど、いちおう当初の段取りってことで頭に入れとくといいと思うなー」


 あえて軽く言ってみたのだが、どうもやや相手の不興を買ったようなので、ヴィクターは普段使いの道化の仮面を脱ぎ捨てて、刃物のように真剣な表情で、それでも不敵に微笑んでみせる。


「わかってるよ。あなたの宿願がかかっているんだものな。そうは見えないかもしれないけれど、僕もこれで瀬戸際なんだ。ギデオンも必死さ。僕たちの間に、少なくとも温度差はないと思うよ」


 ヴィクターの碧眼の中に宿る炎を感じてくれたようで、相手は納得の証左として、振り返ってまっすぐに対面し、握手を求めてくる。

 当然、ヴィクターは固く応じた。


 さあ、きっちり仕事をしないといけない。

 そして、それは存外に楽しいものなのだ。

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