第58話 新任司教アクエリカ・グランギニョル③
メリクリーゼが立ち去るのを確認し、たっぷりと時間を置いた後、イリャヒが右眼の眼帯を撫でながら、デュロンに尋ねた。
「……行きましたか?」
「ああ。……いや、待て。誰か来る」
二人して身構えたが……まったくその必要のない相手だった。
「ヒメキアを男子トイレに連れ込むとは、不埒千万」
のんびり歩いてやってきたソネシエに、ヒメキアが抱きつく。
どうやらいちおうデュロンを心配して来てくれたようで、一瞥を寄越した後、主にイリャヒに対してという感じで報告する。
「今そこで、師匠とすれ違った。個別に挨拶ができたので嬉しい」
「ああ、あの方がそうだったのですね」
「師匠?」
デュロンの問いに、ヒメキアに抱きつかれたまま振り向き、答えるソネシエ。
「そう。わたしの訓練時代にも何度かここへ出張しておられ、わたしの剣を見出し、短い間だけれど鍛えてくださった。今のわたしの技があるのは、すべてあの方のおかげ。とても尊敬している」
「俺が今一番驚いてるのはな、お前に敬意表現を使うような相手がいたってことだよ。つーか使えたんだな」
「どういう意味なの。あなたこそいつも、誰に対してもチンピラ口調のくせに」
喧嘩の仲裁に入るべく、ヒメキアが話題を逸らしてくれた。
「ソネシエちゃんのお師匠さんだったんだね。メリクリーゼさん、いい人そうだったよ。またお話したいよね」
「ヒメキアはよくわかっている。あなたのことも、正式に紹介しないといけない」
実際、ヒメキアの「いい人判定」や「優しさ検知」は、ゆるゆるなようでいて、結構的確だったりする。
連れ立って不浄な男子便所から出ていく二人を見送り、デュロンはイリャヒに顔を戻した。
「……さっきなんか言いかけてたよな? メリクリ
「早くもその愛称はどうかと思いますが……ええ。ですが、他所様のお家事情に口を挟むのは品がないのでやめにしまして、ヒメキアの猫たちのことなのですけど。
魔術的な異状を感知する検査はマニュアル化されており、誰の管理下で何度やっても同じことです。なので念入りにというのは方便に過ぎず、他の目的があって長引かせたはず」
言葉を切り、イリャヒは自分の牙を指で示した。それだけでデュロンには、彼の言わんとすることがわかった。
「そうか……ウォルコが厳重に警戒してたせい……いや、おかげで、ヒメキアの猫たちはミレイン市内の野良猫と違って……なんて言うんだ、従属フリーっつーのか……とにかく、使い魔化されてねー状態を保ってるんだったよな」
「そうです。そして、人狼や吸血鬼が作成するそれとは少し方式が異なるのですが、濃密な魔力を持つ魔族なら、相性のいい動物を使い魔に仕立てることができると言われています。
現行社会では連絡と監督のために、一定以上の役職に一定以上の割合で、この能力というか技術が求められる傾向に、特に近年はあるとか」
「つまり、ミレインの野良猫たちを支配してるお偉いさんの〈眼〉を出し抜いて……」
「ヒメキアを完全に自分の管理下に置くための、文字通りのプライベートアイとして、ヒメキアの猫たちを仕込んで返してくるのでしょう。もちろん猫たち自身は無自覚にですが」
イリャヒが最初に言おうとしたことがわかった。今どうなっているのかは知らないが、とんでもなく性格の悪い、ろくでなしの一族だということだ。
「メリクリーゼ女史のおっしゃった通りですね。とにかく気をつけるしかありません」
「って言ったってよ……」
「現状ヒメキアを傷つけて、猊下にメリットがあるとも思えません。特に意味もなく綿密な策を練ってくるくらい性格が悪い、とりあえずそういうことにしておきましょう」
「いいんだか悪いんだかわかんねーなそれ……精々鼻を利かせておくよ」
といっても、毎回自分の吐瀉物で鈍らされているようでは、まったく話にならないのだが。
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