第40話 籠はすでに閉じた


 ようやく自分の肉体を完全に取り戻したデュロンは、改めて現状把握に努めた。


 神殿の石床は引っぺがされ、周囲の木々は風景を直接切り取ったような虫食いで、酷い有様だ。

 ヒメキアが隅っこで震えているのを見て、彼女が無傷なのを確認し、デュロンはひとまず安堵する。


 一方でデュロン自身の状態は酷いものだ。

 自前の再生力はそこそこまで戻っていたはずだが、無茶な肉体活性のブーストで体力を消費してしまったようで、憑依中に負った手傷はいまいち治りきっていない。


 異なるものを受容せよ、そして止揚へと導け……とはいえ限度があり、だいぶ無茶をした。

 魔族の肉体は、かつての人間たちよりも悪魔との親和性が高い。それをもってしてもだ。


「……なん、だ……? なんでまだ平然と立っていられる……!? いったい、なにをした……今度はどんなトリックだ……!?」


 地に伏せるウォルコが上体を起こしつつ、譫言うわごとのような声を漏らした。

 回復までの時間稼ぎで話しかけてきているのだろうが、デュロンにとっても望ましいため付き合う。


「策ならとうに打ち止めだぜ。知っての通り、俺は頑丈さだけが取り柄でね。

 つっても、もちろん悪魔に憑依されるための器として調整してきたわけじゃねーんだが……」


 魔力もなく、武器も修めず、勉強も苦手。そんな十年間をどう過ごしてきたか。

 たまにサボることもあったが、デュロンはほとんどずっと体を鍛えていた。


 負荷を強いるタイプの術式や呪詛を凌ぐというのも想定していないわけではなかったが、主立っては普通に体力仕事や近接格闘のためだ。


 来る日も来る日も、ただ鍛えた。それしかできることがなかったから。

 格闘訓練での成績は上がったが、このままでいいのかという思いは常にあった。それでもとにかく生来の才を研いだ。


 結果、今こうしてウォルコと同じように再生限界状態に至りつつも、ほんの少しだが余力が残っている。十年鍛えてこのアドバンテージというのが、割に合うのかどうかはわからない。


 しかし、今は感謝し、この先……人間基準では「普通の殺し合い」であろう戦いに挑むしかない。

 回復が無いことを想定しているのは、ヒメキアがどちらに味方していいかを決めかねている様子で、彼女の性格上、わからないのに当てずっぽうで手を突っ込んでくることは考えにくいからだ。

 そして、それでいい。それでこその〈合戦〉だ。


「…………」

 デュロンは獣化変貌を試みるが、そこまでの余力はない。肉体活性そのものがろくに機能していないためだ。それでも問題はない。

 傷が治らなくとも、体が壊れきるまでに勝利をぎ取ればいい!


「なるほど……これはお互いきついなあ、デュロン?」


 ウォルコがデュロンの眼前でゆっくりと立ち上がる。それに対する緊張とはまた別の理由で、デュロンの心臓が大きく脈打った。

 体が再駆動の準備を始めているのだ。心も決まっている。


 魔力の気配を察知。

 頸動脈を狙った〈爆裂刃傷ブラストリッパー〉の一撃を、デュロンは間一髪で回避した。


「……ん?」

 やっておいて、自分で疑問の声が出た。こうやって上手く対処できたのは初めてかもしれない。

 続く二、三発からも、デュロンは跳び、走り、転がって逃げ続ける。

 やはりまぐれではない。ウォルコが瞠目するが、正直デュロン自身も同じ感想だ。


 なんということはない。魔力は思念の力だ。感情を匂いで鋭敏に感知できるデュロンは、魔術の発動前兆を嗅ぎ取ること自体は容易にできる。

 あとはビビらずに、しっかりと反応さえすれば躱せるのだ。


 デュロンに足りなかったのはただ、自分の感覚と能力に対する、絶対的な信頼だった。

 それが特殊条件下の乱戦とはいえ、曲がりなりにもウォルコを叩きのめせたことにより、最後のピースとなって嵌まってしまった。

 矜持か、あるいは慢心か。

 これが吉と出るか、凶と出るかは……まさに神のみぞ知るといったところだろう。


「うおおおおおおお!」

 デュロンは咆哮とともに正面突撃する。

 これまでとは違い、純粋に己を鼓舞する叫びだ。


「おおあ!」「ガフッ!」

 阿呆のように突っ走り、異様なほど簡単に蹴りをブチ込めた。

 本気のウォルコに対し、デュロンが自力で入れた最初の一撃だ。


 ウォルコは、なにもせず……いや、おそらくは、ただ至近まで迎え入れてしまったのだろう。


 彼の脳裏にはまだ、悪魔が憑いていたときのデュロンの異常な挙動が焼きついている。

 その残像がチラついて対処に迷い、判断がつかなかったのだ。

 一方のデュロンは、まるでウォルコと初めて対峙するかのように、まっさらな認識でぶつかっている。


 ウォルコにとって不利な状態だが、彼はすぐに立ち直り、対応を始めた。

「舐めるなよ、デュロン!」


 彼の魔力もそう残ってはいまい。だがかといって枯渇寸前でもないはずだ。


 デュロンは〈爪〉の多重斬撃を嗅覚感知・反射神経・運動能力で潜り抜け、至近へ迫る。

 当然そこもやはり、ウォルコの殺傷圏内だ。


 獅子頭人ナラシンハの鉤爪に連動して、〈爪〉が襲い来る。

 人狼は両方を同時に回避したつもりが、タイミングをズラされた後者に斬られた。そうだ、こういう組み立てもあった。


 デュロンは基本的に読みが弱い。だが、今はそんなものは捨てていい。


「ウォルコォお!」

 感知は嗅覚に任せればいい。なら耐久は?

 悪魔すらその価値を軽視できなかった、この頑丈な肉体をたのめばいい!


「くたばれライオン野郎!」

 デュロンは受けた傷を無視し、三連突きを叩き込んだ。


 破壊力を鉤爪状に収斂しゅうれんさせる〈爆風刃傷ブラストリッパー〉の利点の一つは術者ウォルコ自身が巻き添えを食わない精密性だが、あくまでそれは中近距離の話だ。

 こうして至近距離まで肉薄してしまえば、〈爪〉は主人も怪我させかねない。

 平時ならいざ知らず、互いが再生限界状態の現況では、誤爆一つが決定打となりうる。

 ウォルコが魔術射撃に慎重になるのがわかる。そこがデュロンにとっての狙い目だ。


「がああああ!」

「舐めるなと、言ったぞ……デュロン!」


 ビビりさえしなければ、デュロンの格闘能力は確かに通用する。

 だがウォルコも手練れだ。乱打戦を仕掛けても到底一方的な展開には持ち込めず、受けられ、捌かれ、反撃が来る。突きと蹴りの応酬が大気を切り刻み、摩擦によって灼熱させる。


 ウォルコの格闘術は基本的に、押し切ることよりも負けないことを主眼としたものだ。

 すぐに彼の得意の形に持ち込まれるかとデュロンは危惧したが、思ったより攻防のテンポが下がらない。


 デュロンがリードしているというより、ウォルコの方も再生力の少なさから焦っているのだろう。

 加えて致命的な葛藤に陥った様子で、獅子は微かに呻いた。

「……ッ!」


 ウォルコは近接格闘が得意だ。自分の戦法に持ち込めばデュロンに削り勝てる。

 ウォルコは魔術射撃も得意だ。距離を取ればある程度の優位が確実に見込める。


 普段なら状況を鑑みて即断しただろう。だがさんざん不確定要素で掻き回された後の、この極限状態だ。青息吐息で、思考に力を回す余裕などない。逡巡し、彼の味方であるはずの膠着が重荷となって引きずり回してしまう。


「オラオラ、どうしたどうした!? どっちの爪も死んでんぞ!!」

 対してデュロンは迷う必要というか余地がない。元から殴る蹴る以外に攻撃手段がないのだ、検討する意味すらない。

 頭を止めて、徒手空拳を全力回転する。


 本当はもっと、豪毅かつスマートに行ければ良かったのだが……。

 それでも人狼族の謳い文句は間違いではなかったようで、徐々にウォルコを押していく。

 彼の端正な顔立ちに、打撃による生傷が増えた。


 それで今度は、デュロンの方が油断したのかもしれない。


「くそ……」

 わずかに距離が空いてしまった。その隙を逃さず、ウォルコが〈爆風刃傷ブラストリッパー〉を二重発動。速すぎる。

 斬り裂かれたのは、デュロンの両足の腱だ。


「う!?」

 まずい、とデュロンは自覚した。走る・蹴ることは可能だが、跳ぶことができない。


 そして間髪入れず、悪魔に記憶を云々という話ではなく、本当に初めて見る攻撃が展開された。おそらくこれがウォルコの奥の手だ。


「食、ら、え、デュロン・ハザーク!!」


 デュロンの嗅覚が実体よりも一瞬早く、攻撃の実像を予見した。絶体絶命の危機に瀕し、デュロンの時間感覚が極限まで延長される。


 歪曲する〈爪〉を組み並べた、前衛芸術のような赤黒い籠だ。

 ウォルコ自身が忌み嫌う不自由の象徴が、デュロンの心臓を細切れにせんと、空間上に描かれる。


 圧縮した火力でさらに榴弾を形成するという、子供がデザインしたような頭の悪い高密度爆撃だ。

 いくら人狼の分厚い胸筋と頑強な肋骨でも、こんなものをまともに受けたら血の一滴すら残らない。


 食らうわけにはいかない。だがウォルコの周到な戦術傾向から言って、左右に逃げれば追い打ちとして、最後のもう一発が必中してくる。


 刹那のうちに思考するなどできない。

〈籠〉を目にすると同時に、デュロンの体は勘で動いていた。

 すなわち発現した爆裂の〈籠〉を、左手で上から思い切り押さえつけるという暴挙である。


「ぐぎあ!!」

 自分でやっておいて意味がわからない。だが今はこうするしかないと直観したのだ。

爆風刃傷ブラストリッパー〉の極限まで研ぎ澄まされた爆圧が、人狼の左手を丸々消失させる。激痛が走るが、知ったことか!


 急所への攻撃は免れた。

 ならあとやることは一つだ。


 なくなる直前の左手と爆裂魔術のわずかな拮抗を足掛かりにして、デュロンは大きく伸び上がるように

 真横から回り込むような軌道で、右足を思い切り振り抜いた。


「ウウッ!!」

 乾坤一擲けんこんいってきの跳び回し蹴りは、同じく渾身の受けによって止められる。

 ウォルコがこめかみの高さに掲げた左前腕を、デュロンは圧し折る感触を得た。


 そしてウォルコは防御と同時に、やはりと言うべきか、もう一発の〈籠〉を放っていた。

 だがデュロンも、あと一発で決めてやろうという狙いを見切り、防御が間に合っている。


 デュロンの右腕が盾となり、骨肉のすべてを散らして心臓を守り切った。

 デュロンの顔に自分の血がかかるが、この高速・至近では、どうせ視覚は役に立たない。


 互いの思考に先んじ、デュロンの体がもう一段階動いた。

 蹴った右足を支点に空中で体を捻って、全体重を乗せた脳天への踵落とし。

 さすがのウォルコも、今度はついて来れなかったようだ。


「ごがあ!?」


 地鳴りのような轟音とともに、石畳に叩きつけられた獅子は、首が圧し折れなかったのが奇跡なくらいだ。

 それでもウォルコはしばし再起を試みたが、やがて諦めて脱力する。


 悪足掻きで射出された最後の爆裂魔術も、粗末な花火と化して煙るのみだった。

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