第39話 魔の三分間


 それがまたしても悪魔による物真似なら、どんなに良かっただろう。


 唐突に理解が及び、〈監視者〉の背筋に戦慄が走った。使い魔である眼を借りている猫にも、その震えがフィードバックされる。


 人狼は人型魔族の中で、巨人などの規格外を別にすれば、およそ望みうる最高の依代だろう。

 一方で悪魔は豊潤な魔力を持つ異界存在で、単純火力なら竜に匹敵する大口径砲と呼べる。


 前者に後者を外付けするということは、市街戦も可能なレベルで小回りの利く、理論上最強クラスの破壊存在が、限定的ながら誕生したことになる。


 正直これの調伏を望むなら、原初の祓魔官エクソシストだったとされる、救世主ジュナスその御方を連れてきたいくらいだ!


 おそらくウォルコも同感の様子で、デュロンと同じように身の内にある悪魔を抑えながら、平然と笑い、軽口を叩いてみせる。


「あの最悪のコンディションから、体は治してもらったとはいえ、よく取り返せたもんだな」

「お褒めに預かり光栄だね。だがそろそろお喋りはやめにしようぜ」

「だな。……恨みっこなしでいくか?」

「ああ。せっかくの〈夜の合戦〉だからな」


 二人がなんの認識を擦り合わせようとしているのか、〈監視者〉には見当がついた。


 どうも悪魔は憑依していられる残り時間を自分で把握できるようで、二人を焦らせて手綱を握り損なわせる狙いなのか、二人の内側でカウントダウンでもやっているのだろう。


 悪魔も依代もハッタリを口にすることができる。

 本当かどうかはわからないが、デュロンとウォルコはまったく同時に、まったく同じ宣言を放った。



「「残り三分だ。それまでに決着をつけてやる」」



 先に仕掛けたのはデュロンだ。


「ふっ!」

 月を背に負い、豪快な跳び蹴り。それを躱されるとほぼ同時に、下段突きを放っている。

 石畳を爆砕し、次いで鉤突き、後ろ回し蹴りを繰り出して、基本の構えに戻った。


 前髪を煽られつつ、すべてを間一髪で避け、捌いたウォルコが一番感じていることだろうが、先ほどの暴走時よりも、さらにデュロンのパワーとスピードは上昇している。


 もっともそれはウォルコも同じだからこそ、対処が可能だったはずで、強気の姿勢を崩さない。


「おっと、悪かったよデュロン。ハンデとして一発撃たせてやってもいい。魔力ゼロのお前にとっては、魔術を使えるなんて夢のようだろう?」

「無理だと思ってやがるな? イリャヒやソネシエにコツは聞いてる。ムッとしてガッと力むらしい。……なんのコツでもねーなこれ!」


 しかし彼らの助言も、あながち無用の長物ではなかったらしい。確かにデュロンの両手からは暗黒の波濤が溢れ、ウォルコに襲いかかった。

 だがまったく制御できておらず、デュロン自身をも呑み込んでその姿を消す。


「無茶をする!」


 波濤は横っ跳びに躱したウォルコを捉え損ね、神殿の石畳を一気に砕き、引き剥がしていく。

 消滅してゆく床を転がるウォルコは終点で跳躍、手近な木にスルスルと登っていった。

 自分で出した邪魔っけな闇を払い、現れたデュロンはその姿を見咎める。


「くそ! ……あっ、テメー!」

「悪魔ありの高鬼ってのも、滅多に体験できないぜ、デュロン!」

「ふざけんな、付き合ってられるか! 待て!」


 隅っこで丸くなって震えているヒメキアにはまったく届いていないが、彼女に危険が及ぶ可能性を考えたというのもあるだろう。

 だが確実にもう一つ意図がある。悪魔憑依の最中に決着をつけなければまずいのは、デュロンの側だけだ。ウォルコは最悪、こうして時間切れまで逃げ回っていても問題ないのだ。


 それがわかっているので、デュロンは追うしかない。そしてウォルコは樹上での戦闘に自信があるのだろうと〈監視者〉は見た。


 果たしてその通りだったが、デュロンもなかなかに食い下がる。


「この!」「オラ!」


 木々の合間を跳ね回って高速移動しつつ、二人は獣化した四肢を遠心力で振り回す。

 八振りの生体凶刃がカチ合い、互いを爪弾いて、派手に火花を散らした。


「落ちろ!」「やなこった!」


 合間にウォルコの大規模爆刃と、デュロンがり出す魔術とも呼べない剥き出しの魔力が、それでも出力だけは拮抗し、甚大な余波が撒き散らされる。

 たまたま居合わせた木々が一番の被害者で、手折られ、千切られていく。吹き飛んだ枝葉すら、打撃と斬撃の嵐で消滅してゆく。


 猫を使い魔にするとこういうとき便利だ、と〈監視者〉は述懐した。


〈猫の眼〉は高速で移動する両者を捕捉し続け、今また局面が動いた。


「ははっ、楽しいなデュロン!」


 興が乗ってきたのか、ウォルコは移動を続けながらも、強化版〈爆風刃傷ブラストリッパー〉を乱発する。

〈最強の爪〉はもはやその名に相応しい大鉈と化しており、森の木々を容赦なく伐採してゆく。これで押し切るつもりか?


 ……いや、違う。ウォルコは基本方針を変えていない。紛れの起きうる近接格闘を捨て、魔術射撃で圧倒して触らせもせず終わらせるという、勝ち逃げにスライドしただけだ。

 現に落ち着いて蹂躙できる射撃場所を探すふりをしつつ、ウォルコは徐々にデュロンから距離を取っている。デュロンの足場を予測して予め払い落とし、移動を阻害するサービスつきだ。


 そのまま制限時間に到達するかと思われたが……デュロンの方も戦法を変えたようだ。


「……ああ、楽しいぜ。ウォルコの旦那!」

「うおっ!?」


 意趣返しのように、ちょうどウォルコが手をかけようとした枝が、デュロンの放った遠隔斬撃によって切り飛ばされた。

 一時バランスを崩したウォルコは難なく下枝に着地するが、〈監視者〉と同じく、攻撃の正体を訝っている。なんだ、今のは?


 デュロンが悪魔の魔術のコツを掴み、精密に扱い始めたのか? 彼がそんなに器用な男だという印象は、〈監視者〉の情報集積にもない。


 ウォルコが停滞という隙を見せると同時に、デュロンは姿を消した。

 ……いや、そんな大げさなものではない。悪魔の知られざる異能が発現したわけではない。


 ただ単に、デタラメに動きが速すぎるだけだ。

 残像すら見せずに、方々の木々を蹴る軌跡と衝撃音だけが、ポルターガイストのように夜の森を駆けてゆく。ケタケタと笑う声は幻聴だろうか?


「くそ……」


 なんのことはない、デュロンはウォルコとは逆方向へ舵を切っただけの話だ。

 悪魔の魔術をまったくまともに扱えないと悟ったデュロンは、身体能力の強化にオールインしたのだ。

 結果、一時的とはいえ近接格闘における階梯を駆け上がり、本来はまだ到達できないはずの領域を強引に開いてしまっている。


「……くそ、どこだ……?」


 やはり怪物の子は、怪物にしかなれないらしい。嘆かわしい、呆れ果てる、というのが〈監視者〉の所感だった。


「くそ……っ!」


 ウォルコの方もある程度は底上げしているはずだが、太い枝の上で構える彼は目まぐるしく首を振るばかりで、徐々に焦りが口の端に上る。


「ちくしょう! まったく見えないぞ!! どこだ、デュロン!?」



「ここだよ、旦那」



 ついに弱音を吐くや否や、それを待っていたかのように、デュロンが姿を現わす。

 背後を取るかと思いきや、真正面からの強襲だ。


「ぐかっ…!?」

 拳でなく、広げた掌による金剛力の一打は、膨大な衝撃波を伴い、ウォルコを後方へ吹き飛ばした。枝葉をその身で薙ぎ払い、大木に激突してようやく止まる。


「げはあっ!」

 ウォルコは激しく吐血して、血走った眼を剥いた。かなり効いている。腹立ち混じりに長大な爆刃を発動、邪魔な枝葉を切り裂いて、視界を大きく開いた。


「ハァ、ハァ……やるな、デュロン!」


 今のも先ほどの超スピードと同じく、ただの超パワーだ。

 そして、デュロンはウォルコとの距離を5メートルくらいまで詰め直すと、そのままの間合いを保ち、ただ腕を振るった。


「ッ……!?」


 届くはずのないウォルコの頬を、不可視の斬撃が掠める。

 さっきからこれはなんだ? 悪魔の魔術でないなら、衝撃波でも飛ばしているのか?


 なんとか見えているらしいウォルコの眼の動きを追い、〈監視者〉もおぼろげながら正体を掴んだ。

 デュロンはほんの一瞬だけ極大の部分変貌で腕を伸ばし、長大化した鉤爪で斬りつけ、即座に元に戻しているのだ。

 肉体活性の精度を無理に上げているだけの地味な技なのだが、こと徒手戦闘に関してコツを掴むのが早すぎる。


 つまりこれもただリーチを伸ばしているだけ。

 デュロンは枝の上で逆立ちし、両足の靴を脱ぎ飛ばして、寄越した。

 ウォルコが慎重に〈爪〉で捌くと、人狼は返す刀で蹴りを放った。


「そらよ!」「ぬがあ!」


 またしても射程外の斬撃がウォルコを襲う。

 足の爪でも同じことができるらしい。児戯に等しいアホみたいな技だが、見切りを間違うと簡単に動脈をブツ切りにされる。


 もはやウォルコは防戦一方で、デュロンが姿を消すのを止めることすらできない。

 四方八方へと跳び回り、打撃と斬撃を自由自在に繰り出す猫憑きの狼に対し、狗憑きの獅子は苦し紛れに爆裂の大鉈を乱発するのが限界だ。

 精彩を欠いた攻撃は当たらず、ついに肉弾戦のみで押し切って、デュロンはウォルコを地上へ叩き落とした。


「があっ!?」


 いつの間にか戻ってきていたようで、ウォルコが体を横たえたのは先ほどの神殿の、掻き回された石床の残骸の上だった。


 デュロンがそこまで織り込み済みで戦っていたとは思えないが……ともかく、勝敗は決した。いや、そのはずだ。


「ああああ、クソガキめにゃ!」

 終わった後になってガミブレウに譲りつつ、中でデュロンが押さえつけているようで、人狼の肉体は口だけが動いて唾を飛ばす。

「憑依でこんっなに不自由な思いをさせられたのは初めてぞ! 不自由の王かお前にゃ!? もう二度と使ってやらんわ、アホ! アディニャス!!」

 怒り心頭のまま暗黒物質と化し、異界へ帰っていく猫の悪魔。


 一方ウォルコの肉体からは犬の悪魔が出てきて、倒れた依代を気遣わしげに見下ろした。

【うむ! なんというか……吾輩は気にしてないから! 結局主導権は握られたままだったが、悪い器ではなかったぞ。機会があればまた会おう。

 では、


 ドグレギトが黒い焔と化して消え際に残した激励を、〈監視者〉は聞き間違いかとも思ったが……正直、うっすら予感はしていた。

 ここからまだやり合うつもりなのだ、この戦闘狂の獅子と狼は。現にウォルコが飛び起きている。


「……だっは! ゲホ! ああ、死ぬかと思った!」


 悪魔を宿した代償は死後の魂といったよくわからないものではなく、単純に体力や魔力の消耗だ。

 ウォルコの方は体力と魔力を半々で消費したはずなので、リスクをある程度分散できただろう。


 一方、自前の魔力がゼロで体力ばかりゴッソリと削られたデュロンは、最悪これだけで生命力を搾り尽くされ、死んでいた可能性もあった。


 のだ。だからこそ、〈監視者〉は立場も忘れて感心せざるをえなかった。


「……よー、旦那、辛そうだな? 猫の手でも貸してやろうか?」


 虚勢だろうがなんだろうが、減らず口を叩いて、震える脚で立っているデュロンの姿に。

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