第36話 銀のベナンダンテ②


「……ふむ。しかし、わからんものであるな」


 ほぼ同時刻。

 場所は少し戻って、森の入り口付近。


 手近な木の枝からぶら下がるレミレを前に、リュージュは気難しげに唸っていた。

 周囲には魔物が死屍累々だ。


「叩きのめしておいて勝因がわからないというのは、敗者に失礼だと思わない?」


 レミレはリュージュが操った蔓性植物に雁字搦めに戒められ、ドレスは破れ放題、とんでもない痴態を晒している。表情は頽廃的な微笑だ。


「いや、そちらは紙一重であろう。実戦に厳密な理屈は用を為さん、単純な手数か技量の差だ。

 そうではなく、なぜお前たちがいまだにウォルコを援護し続けているのか、皆目見当がつかんと言っているのである。義理や信仰だけでは、どうも説明がつかんのでな」


 リュージュは手近な切り株に腰掛け、古い友人に対するように、開け広げに尋ねた。


「我々の優先目標は奴とヒメキアだ。お前やギャディーヤがどさくさに紛れて逃亡したら、我々は成員を振り分ける余裕がなかったであろう。

 そこまでしてミレインを滅ぼしたい理由があるのか? 裏切りを働く形となった教団員たちの死に報いるため? それとも、御供ごくうとしてのヒメキアに魅入られたとでも?」

「……今それを話したとして、どうなるというの? わたしたちは、力がすべての魔族だもの。正邪を決するのは、ただ戦いの帰趨のみよ。そうでしょう、放浪者ベナンダンテちゃん?」

「……これもまた〈夜の合戦〉というわけか。道理ではある」


 まるでバルコニーで酒杯でも傾けているかのような優雅さで、逆さ吊りのままレミレは嘆息する。

 リュージュが男なら確実に惚れていた。というか女のままでも特に問題はない気はする。結論としては養われたい。

 死んでもらっては困るので、頭に血が上る前に下ろしてやるつもりではある。


「わからないのはわたしもよ。秘密部隊の精鋭だかなんだか知らないけど、無敵のダーリン、わたしのギャディに、あのお子ちゃまたちが敵うはずが」


 不意に青が燐光する。

 凄まじい火勢で木々が焼き払われて、視界が開けた先に、倒れた大鬼オーガに腰掛ける吸血鬼の姿が見えた。

 イリャヒの膂力ではギャディーヤを運べないため、後続の道筋を作ったのだろう。

 さすがのレミレもこれには青ざめ苦笑した。


「……ないこともなかったようね。お姉さん反省。だけど残念、坊やは一人でウォルコのところへ向かったようね。無理よ、あの男は格が違う。

 悔しいけどわたしやギャディより、能力の質や練度ではなく、技量と対応力がはるかに上なのよ。単純に戦闘経験の差かしらね。

 わたしはデュロンのことも普通に好きだけど、敗死はまず確定でしょうね」


 ここで「だろうな」と言えるようなら、そもそもこんな任務は発生していなかったかもしれない……とリュージュは柄にもなく感傷に浸るが、すぐに浮上して訂正を加えた。


「……どうであろうな? デュロンは我々の中でも、〈しろがねのベナンダンテ〉をもっとも体現している男だ。この名にはもう一つ裏の意味があってな。

 いわく、己を縛る断罪の鎖すら噛み砕き、その猛毒を受容し、止揚へと至れば、それすなわち真正の怪物であるとか。

 実際にデュロンは昔、銀を呑むというバカをやらかしたことがあってな。そして彼の姉が本当に、極限状態における潜在能力を引き出すという、一つの生体術式として確立したのだ」


 森の奥を見るともなしに眺め、リュージュは琥珀色の眼を細めた。


 彼女の双眸には予見の力などないが、ソネシエやイリャヒの流儀に倣えば、すでに未来を映していると言える。

 無様に這いつくばるのは、ウォルコの方だ。



 しかしリュージュの視線の方向……儀式場では、デュロンの頬を冷汗が流れ、息が荒れるのを自覚していた。

 地力で劣ることはわかっている。だが話の通じない相手にはこうするしかない。


「ぐっ……う、うおおおおお!」


 デュロンは迷わず正面突撃した。

 しかし、その口が発するのは決死の覚悟に裏打ちされた雄叫びなどではない。

 先ほど火ダルマでギャディーヤに挑んだときと同じ、野太いだけの悲鳴に過ぎない。


 自分を鼓舞してすらいない。ただ戦いという恐怖から、死へと逃げただけだ。


「ふむ」


 対するウォルコは……、ただ至近まで迎え入れる。


 ナメているわけではない。それで充分なのだ。

 遠隔攻撃手段を持たないデュロンにとって、距離を詰める最中はいつどこから爆裂魔術が飛んでくるかわからない。

 罠だらけの地面を駆け抜けるようなもので、ウォルコは突っ立って迎撃の気配を放っているだけで、無限の牽制が成立してしまうのだ。


「ッ……」


 しかも極限の集中により、デュロンの時間感覚は延長された状態にある。

 一歩が無意味に長く重い。いたずらに神経を削られてしまう。


 まだ攻撃されていない。全身が沸騰するように熱く、なにもわからない。


 結果、相手の徒手格闘の間合いに到達できた安堵で、デュロンの膝から力が抜けるという有様だ。

 あろうことか敵の絶対殺傷圏内で、愚の骨頂である。


「……あぐっ!」


 ウォルコはゆったりと構え、無駄のない動きで、のらりくらりと躱しては、いまいち精彩を欠くデュロンへ、確実に強烈な打撃を叩き込んでいく。

 隙あらば基本の構えに戻って仕切り直し、呼吸は一切乱れていない。


 ウォルコの格闘術は基本的に、押し切ることよりも負けないことを重視するものだ。

 使わずとも相手を威圧し刃の幻影すら脳裏に刻み込ませて、択を迫れるという〈爆風刃傷ブラストリッパー〉を織り込んだ戦法である。


 最初の数発で倒せるなら良し、粘るならいくらでも付き合う。

 戦いというより、狩りに近い手法だ。相手を一方的に追い込むそれは、百獣の王に相応しい。


 叩きのめされて転がるデュロンを憐れんだのか、疎んじたか、軽く笑って促すウォルコ。


「ベルエフやオノリーヌが、お前を無策で俺の前に放り出すとは思えない。あるんだろう、一発逆転の手管が。見せるなら今のうちにだぞ」

「バレまくってんじゃねーか……しゃーねー、そろそろいくか」


 期待に応えるように、デュロンは小さな袋を取り出した。


 姉がくれたお守りである。ただし中を開けると、そこにあるのは艱難辛苦の象徴である、鈍きしろがねの光。小指ほどの大きさの銀玉だ。


 眼にしただけで脂汗が流れた。人狼の弱点物質としては、なによりも有名だ。

 訝りの視線を向けるウォルコを見返し、萎縮する本能を強引に押さえつける。

 姉がなにを意図して渡したかはわかる。だがこの策は少々、綱渡りが過ぎる。


 それでも、勝機はここにしかない。

 理解して、デュロンはそれを


「……驚いたな。話には聞いていたけど、まさか本当にをやるとはね」


 ウォルコの声が、実際よりも遠く聞こえる。

 もたらされるのは爆発的な痛み、動悸、眩暈めまい、呼吸困難。

 生命の危機を自覚したのか、体が勝手に変貌を遂げる。

 開いた狼の口腔こうくうから、粘性の唾液とともに咆哮が放たれた。


「お、おお……! おおおオオオアアア!!」


 瞬間、デュロンは跳躍し、ウォルコの至近距離へと難なく到達していた。

 死にかけているはずが、逆に力が漲っている。この牙は今なら奴に届く。


 鮮血が弾け、理性なき凶獣と化したデュロンの鼻面を彩った。


 ……もちろん返り血ではなく、彼自身の負った裂傷から零れるものだが。


「うん、驚いた。まさかそこまで向こう見ずだとはな。……?」


 冷静に反応し、普通に〈爆風刃傷ブラストリッパー〉で迎撃したウォルコは、地面に崩折れてのた打つ金狼を、金蠅きんばえかなにかを見るような退屈の視線で射抜いていた。


「おそらく理屈としては、最大の弱点物質である銀を服用することで自ら極限状態に陥り……えー、なんというんだっけ、あの……火事場の馬鹿力とか、野生動物としての底力? みたいなのを引き出してるんだろうけど、もうすぐ消えるともしびで火力を語られてもなぁ……。

 やり過ごしておけば勝手に朽ちるわけだし、俺が一番得意だってのはお前も知ってるよな?

 なに? どうした? 今日は調子悪いか? 最初からやり直しとくか? 勝つまで繰り返したい感じ?」

「……その、必要は、ねー、よ!」


 混濁する意識の中で、デュロンはなんとか返答を搾り出し、何度でも踊りかかる。


 スピードもパワーも、一時的とはいえ明らかに上がっている。

 しかしそれでもあと少しのところで、ウォルコに攻撃が命中しない。根本的に戦法が間違っているとしか言いようがない。


「着想はけっして悪くはない。ただ、言いたくないけど、決定的に役者不足だな」


 そう、わかっている。こんな捨て身の特攻が通用するわけがない。

 理念の優位や自己犠牲精神を勝機に数えるのは、人間時代の悪弊であり、負け戦の末期症状に過ぎない。命さえ賭ければなんでも解決するのなら、命が貨幣の代わりになるだけだ。


 それでも神の加護を得た頃の人間たちならば、万に一つの奇跡とやらも起こせただろう。

 だが残念、あいにくデュロンは人狼だ。約束された勝利……の礎となって這いつくばる側であり、生まれついての噛ませ犬、使い捨ての端役に過ぎない。


 どだい、無理な話なのだ。

 それでも今は、に賭けるしかなかった。


「ウ、オ、オオオオオオオオ!!」

「……いや、もういいからそういうの」


 獅子の浅葱あさぎ色の眼が、残酷な死の光を振り下ろした。


「つあっ!」


 デュロンが左脚に熱を感じ、見下ろすと、膝から先が別離していた。

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