ヴァルプルギスの夜に

第32話 「森へようこそ」と妖精さんと精霊さんが言いました


 先行する一団を追いかけて、祭りに沸く街を、デュロンは走った。


 市壁を守るのはいつも見かける番兵ではなく、見知った祓魔官エクソシストの一人だった。デュロンの姿を認めると、無言で目礼してくる。

 いよいよ緊急事態なのだなということを今さらながら、これ一つ取っても実感する。


 東の荒野へ出て、〈しろがねのベナンダンテ〉本隊へ合流すると、具体的な行動立案の最中だった。

 デュロンも概要を聞き、意見を述べた後、隣を進む小柄な姿に声をかける。


「いいのか、ソネシエ? お前の顔を一目見るだけで、ヒメキアは泣いて喜ぶぞ」

「気休めの直後に絶望させては、無意味どころか逆効果。

 ウォルコ、ギャディーヤ、蝶形仮面パピヨンマスク……いずれの能力に対しても、わたしの魔術は有効打となり得ない。

 それに、どうせだけのこと。寮まで一気に引き上げ、よく耐えたと労い、浴室で彼女の背中を洗ってあげたい。

 それが確定的な未来だと、わたしは信じる」


 普段は冷静な彼女に(無表情のままではあるが)そこまで言われると、いやが上にも燃え上がる。

 吸血鬼の少女は物憂げに小さく息を吐き、前を走る背中を小突きながら囁いた。


「それに、兄さんがいる。わたしの代わりに、彼がやってくれる」

「なにか、言い、まし、たか、マイ、リトル……? ぜぇ、はぁ……今、ちょっと、話しかけないで、もらえます……? ゼヒューッ……!」

「おい、本当にいいのか? その体力ゼロの息も絶え絶えな毒キノコに託して大丈夫か? 辿り着く前に倒れそうな勢いだぞ」

「…………」


 ソネシエ無言。せめてなにか言ってやってほしくなる。

 なので代わりにデュロンが眼帯野郎に発破をかけていると、先頭のベルエフが叫んだ。


「来たぜ……! ひとまず前陣の到着だ!」


 荒野の中ほどで、森が吐き出す霧に紛れて、白装束の集団が近づいてきた。


 数は30ほどで、デュロンにとっては知った匂いも、そうでないのもある。

〈産褥〉生え抜きの生き残りと、教会からの造反組の混成部隊だろう。


 ベルエフが声を張り、指示を飛ばした。

 彼とソネシエを含む味方の大半が、この場で敵と正面衝突する。

 その両脇をすり抜ける形で、デュロン、リュージュ、イリャヒが奥へと抜けた。


 デュロンが去り際に振り返ると、ソネシエの黒曜の瞳が、まっすぐに見つめてきた。なにを言いたいかは痛いほどわかる。

 それも束の間、吸血鬼の全力を証明すべく、その眼はくれないへと染め上げられる。


「行って」

 静かに告げて、固有魔術〈紅蓮冽華クリムゾンブルーム〉が発動。


 どうも奴らは攫う相手を、そして敵に回す相手を間違えたとしか思えない。

 元々精強な彼女の脳髄が、さらに現在の精神状態を反映して、凛洌な魔術を出力する。


 氷の武器を精製し、その先端から凍結の魔力を伝播させるという基本は同じだが、もはや長物かも怪しい予測不能な巨大オブジェを構築し、触れた地面が一気に凍害を起こした。

 効果範囲と攻撃規模が、一時的にだが格段に上がっているのだ。


「ヒメキア救出を邪魔する者は、わたしに殺され、意味もなく死ぬ。それだけ」


 恫喝や呪詛ですらない、単なる退屈な事実を宣告している。

 君臨した真なる冬の化身は、死神としての責務を果たすべく、薄氷の大鉈を振るう。

 増幅された魔力が空気中をも伝い、寒波を起こして味方の背筋すら震わせた。

 いや、これはただの恐怖なのか。


 その後ろで2人の白装束をまとめて振り飛ばしつつ、ベルエフが咆哮する。


「てめえら、任せたぞ! ヒメキア含めて、全員無事に帰ってこいよ!」

「「「おお!!」」」


 威勢よく応じ、3人はさらに走った。

 東の森、通称を魔物の森に突入する。


 黒々とした木々が鬱蒼うっそうと生い茂るそこは、ひとたび入れば当然のごとく迷い、出てこられなくなるという魔窟である。


 しかしミレイン市の祓魔官エクソシストたちはたびたび実戦演習や個別訓練に使っているため、その限りでない。

 デュロンたちにとっても庭のような場所だ。


 とはいえ今は敵地、油断はできない。

 リュージュが示した懸念に、併走するイリャヒ、デュロンが答えた。


「ここから連中がどう出るかであるな。見立てが大きく外れないといいのだが」

「先ほどの第一陣は、あくまで尖兵ですからね。主力級の3人は、まだ奥ゲッホゲホ! オエッ!」

「つーかイリャヒ、テメーいい加減どっかで息を整えろ。そんなんじゃ一瞬で……あっ!」


 狼の話をすれば影が差すという、嫌なことわざがある。


「出たぞ!」

「あらあら……森の亡霊のように言わないでほしいものね、オオカミさん。わたしはいちおう妖精族の一種なのよ」


 何度も遭遇して、顔見知りのようになってしまった宿敵だ。

 レミレ・バヒューテは太い枝の一つに腰掛け、頬杖をついてデュロンたちを見下ろしてくる。

 もはや不要と判断したのか、蝶形仮面パピヨンマスクは着けていない。


 なるほどその雰囲気、佇まいは妖精のものだ。

 森の魔物を統制し、軍勢として引き連れているという意味でも。


 木立ちの開けた空間で、待ち伏せをされていた。小鬼ゴブリン泥濘スライムなどの低級魔物がほとんどなのだが、とにかくめちゃくちゃに数が多いのだ。

 デュロンたちが今来た後方からも出現し、包囲網が閉じた。


 彼らを洗脳操作する甘い匂いの鱗粉は、魔族であるデュロンたちにも悪影響を及ぼす。

 時間をかけて戦えばなおのことだ。

 ……というか、すでに約1名が危うい。


「すう……ぐう」

「まずいぞデュロン! イリャヒが一息で睡魔に負けた!」

「だー使えねー! 開始数秒じゃねーか、なんでここで深呼吸した!?」

「……ま、まあ、体力次第では即落ちもするものよ。そういうこともあるって……」

「起きろカスフィジカル、敵があまりの憐憫でフォローしてんぞ!」


 しばらく叩いてみるが、白目を剥いて熟睡している。リュージュが厳粛に告げた。

「ここはわたしに任せて、お前たちは先へ行け」

「すまんな。俺らじゃ本格的に役に立ちそうにねーんだわ」


 もとよりそういう予定ではあった。

 デュロンがイリャヒを肩に担いでいると、嘲弄の声が樹上から降る。

「わたしがさせるとでも、トカゲさん?」


 対するリュージュは落ち着いたもので、肩をすくめながら能書きを垂れ始める。


「まあそう急くでない。一旦聞くがよい。

 古来より知性あるものが社会を形成する以上、些細な優劣が無数に議論された。

 たとえば、なんでもいいのだが……猫か犬か? とか、胡桃くるみか栗か? 海か山か?

 そして……」


 突如、森を形成する湿地から緑色の触手が這い上がり、魔物の一団を薙ぎ払った。


「……? だ。

 なあ女史よ、貴様とわたしにとっては、それが問題であろう? 他者に立ち入らせる余地はあるまい。この大いなる議論に決着をつけようではないか」


 レミレは勘違いしているようだが、彼女だけでなく、リュージュにとってもこの森は主戦場だ。

 対抗心を煽られたようで、レミレの牡丹色の眼が燃え盛る。


「果たしてどちらが強いか、ね……いいでしょう、わたしも興味があるわ」


 すぐに埋められた包囲の穴を、生命息吹バイオブレスで喚起された蔓性植物がもう一度抉じ開ける。

 逃さず体を捻じ込み、デュロンは突破して駆け抜けた。


 振り返ると、生物界戦争は早くも佳境を迎えており、確かに割り込みは不可能だった。

 デュロンは迷わず奥へと歩を進める。

 距離を取ると眠気は引き、肩でも動く気配が。


「……昔の夢を見ていました。ソネシエは百足ムカデが苦手なのです。知ってました?」

「どんだけ気持ちよく寝てたんだよ……起きたんなら立って歩いて仕事しろ」

「では、ご希望通りに」


 どこからともなく現れた伏兵たちの奇襲に、イリャヒの指先から放たれた鬼火だけが対処する。

 青い魔術の炎に呑まれ、4人すべてが消え失せた。夜目に堪える輝きだ。


「過剰火力だぞ、節制しろ」

「これは異なことを。ヒメキアの前では恥ずかしくてできない名乗りなので、やっておきますね。

 我こそは不死者、夜の王、無限の魔力が湧く泉なり!」

「そうかよ。じゃあもうしばらくいいところを見せてもらわないとな」

「言われるまでもなく!」


 やはりこいつら、似たもの兄妹だ。考えていることの温度も、未来を確定するような言い回しもそっくりである。


 森の湿地は進むごとに泥濘ぬかるみと化し、やがて完全に歩みを拒む沼地となり果てる。


 イリャヒは蝙蝠こうもりの翼を広げて天翔あまかけ、デュロンは大樹の幹や枝を足場に跳躍を繰り返した。

 ようやく踏みしめた固い地面に感謝するが、すぐに水場の精霊に出くわす。


「……おォーゥ、ガキども! こんな辺鄙へんぴな場所までご苦労さァーん!

 それでなんの用かなァー? 探し物なら手伝うぜェーっ!?」


 もっともそう思っているのは本人だけで、実際は沈めば浮かばぬ異端の巨魁きょかいなのだが。

 その姿をどこか楽しそうに眺めつつ、イリャヒが問いかけた。


「先ほどの彼女といい、義理堅いものですね。ミレインを脱したのですから、姿をくらませばよろしいものを」

「だァから、街でも言っただろォが。ウォルコの方が失敗したら、どの道てめェらから逃げ切れねェーんだ。

 全員囮にしちまったから、教団に戻るわけにもいかねェしな。だったら自分自身の信仰……ガミブレウ様に運命を託そォーってもんだ。

 それに、相手によるが……俺たちだって、ほだされることがねェわけじゃねェんだ」


 瞬きほどの間、醒めた表情を見せるギャディーヤだが、すぐに悪逆な破顔が戻る。


「……それで、お前らが落としたのは金の俺様? それとも銀の俺様かなァーん?」


 この状況で諧謔かいぎゃくに付き合う義理はない。しかし余裕を見せるのも戦法の一つか。

 昔から姉に「喧嘩でも口喧嘩でも負けるな」と教え込まれているデュロンは、生来の悪人面に精一杯の虚勢を湛えて煽った。


「ああー、精霊さん精霊さん、俺らが落としたのはナマクラで鉄屑のクソデカブツです!

 ノコノコ牢から出てきやがったので、も一度ブチ込んでやろうと思います!」

「よォーし正直者には金と銀の俺様像をプレゼントしちゃいまァーす! ちなみに返品は受け付けておりませェんので悪しからずゥー!」


 固有魔術〈超冶金士ウルトラスミス〉が発動、無敵の超合金がギャディーヤ・ラムチャプの巨体を完全装甲する。眼球までが金銀色に変化し、ギョロリとめつけて言った。


「さァて、改めて見せてもらおうじゃァーねェか。祓魔官エクソシスト様の実力ってやつをよォー!?」


 言われなくともそのつもりで、デュロンとイリャヒは各々身構えた。

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