第31話 ひよこに恋した男


 しかし言われてみれば、ウォルコとその手勢を相手にするのに、いくらなんでも五、六人というのは厳しすぎる。


 ミレイン在住の〈しろがねのベナンダンテ〉は、デュロンたちだけではない。

 一人一人の顔を確かめ、こいつもそうだったなと、デュロンは改めて妙な親近感を覚えた。


「えーはい注目ー」と、ベルエフが極めて適当に指揮を取る。「ベナンダンテの通例に基づき、最年長であるこの俺、ベルエフ・ダマシニコフが兵士長を務める。

 今回の任務は、今から配布する似顔絵の少女ヒメキアちゃんを保護すること。ウォルコその他を潰すのはオマケで、彼女の保護が最優先な」


〈産褥〉の下っ端が持っていたもののそのまま流用物らしく、そっくりの人相書きが配布された。

 誰が描いたのか知らないがこんなものが出回っていたのか、という感じだが、実際似てはいるので、全員が何度も頷いた。

 その様子を確認し、ベルエフが神妙に続ける。


「ウォルコ一味の目的はいまだ不明だが……それを達成するための手段はだいたいわかる。

 神を否定し、夜の住民としての魔族原理主義を掲げる〈永久の産褥〉は、悪魔の洗礼、すなわち加護を受けようとしている。

 つまり、世界を限定的にだが〈恩赦の宣告〉以前に回帰させようってはらのようだ。な」


 悪魔の敬虔な教徒のみがその恩恵を受けることが可能で、現行魔族の支配者層と呼んでも間違いではない教会に対し、一方的に有利なハンデ戦を仕掛けることができる。

 ……いや、違う。もっと楽な手段がある。


「それでだ、ちょーっとばかし市内で大規模な騒乱を許しすぎた。

 案の定というか、これを隙と見た近隣三国がざわついてる。

 特にここミレインから国境線が近い北のジャゴビラ公国は、すでに獰猛な牙をちらつかせてるぜ」


 実際に偵察兵たちが来ているのを、デュロンたちが確認している。というかボコボコにした。

 手を出してしまったことと直接の因果関係はないだろうが、それはそれとしてそれはもう嬉々として、彼らが本国に報告していることだろう。

 ミレインのだらしのない体たらくについて、「公爵閣下、今なら落とせますぜ! どうします!?」といったふうに(もちろん実際は直通ではないだろうけれど)。


「だから今、ミレイン司教猊下は戦々恐々、主力級の祓魔官エクソシストでガッチリ守りを固めている状況だ。

 そうでなくても、夕方に大規模な奇襲と撹乱を受けたばかりなんだ。他の同僚たちは内部監査やら市内捜査やら、ただでさえやることが多く、手が回ってねえ。

 もはや効率や戦術がどうこうじゃねえ、現実に動かせる戦力が、ここにいる十数人しか残ってねえって話になってきてるわけだな」


 さらに悪いことに、と前置きし、ベルエフは唇を湿らせる。


「悪魔は誰かの名前を呼べば、そいつに憑いちまう。たとえばそれが今、この街に寄せてきている、他国の有名な将兵の誰かとかでもだ。

 俺がこうやって悠長に喋っていられるのも、今まさにどこかで形成されつつある最前線で、連中との交戦距離が詰まり緊張状態に陥るまで、まだいくばくかの猶予が算用されてるからなんだが……問題はなんだよな……」


 仮にウォルコの思考をトレースできたとしても、明らかな不確定要素が介在している。


「たとえばウォルコがこう言ったとする。『あー、なんかもう飽きたな! 作戦とか考えるのめんどくさいし、悪魔さんさあ、今この瞬間、この地域で一番のホットスポットを爆発させちゃってよ。派手にパーッとよ。そっちの裁量でよろしくー』」


 言いそう感がすごいので困る。実際、ウォルコはそういうところが厄介だ。


「つまり憑依対象を、この世界を俯瞰で観測しているらしい悪魔の采配に任せる。

 こうなると悪魔は喜び勇んで、自分が爆笑できるよう好き勝手に盤面をひっくり返してくるので、俺たちにはその手筋がまったく予測できねえ。

 自分を駒の一つと考え、指し手の思惑を鑑みるってのは、指揮官や首脳に利害得失が存在する場合でないと通用しない考え方だから、100%露悪趣味の享楽主義者相手には完全に無意味なんだな」


 最前線で対峙する張り詰めた均衡をいきなり崩して特攻させる。

 重要局面でいきなり敵軍の大将を覚醒させて強大な力を与える。

 どうでもいいときに味方の指揮官を暴走させて部下を殺し回らせ無駄に損耗させる。

 戦闘が終わった安堵の瞬間に瀕死の兵士が背後から刺してくる。

 ……などなど、そのときによってなんでもありなのだ。まともに対処できるわけがない。


「実際にどこがどう動くかは問題じゃねえ。理屈としてありうるって時点でもう捨て置けねえ。

 ここミレインが落ちれば、ラスタード王国とジュナス教会、両方の元締めが動く。

 そこに〈産褥〉やら他の隣国まで絡んだらもう、めっちゃくちゃの大戦争はまず確定だ」


 この200年間、魔族たちは人間の殲滅を目的に団結し、それが達成されてからも20年、魔族同士で国家規模の戦争が起きることはなかった。

 だが逆に言えば早20年、もうそろそろという時期に差し掛かっていたのだ。

 この平和が、崩れるというのか。


 そして、ヒメキアだ。

 本当にものの見事に、争いの火種、台風の眼とされてしまった。

 彼女自身はこれっぽっちも、そんなことを望んでなどいないというのに。



 一も二もなく出撃だ。集った面々は、誰からともなくこの場を後にする。


「デュロン」


 呼び止めたのは、廃倉庫に残るオノリーヌだった。彼女のベナンダンテとしての契約は、少し特殊だ。

 両親の罪があまりに重く、最警戒対象となっているため、オノは弟の逃亡を防止する目的で、人質を兼ねての後方待機を課せられている。

 素質や実力的に一線級の戦力ではないというのもあるが、彼女が内勤組なのはそういう兼ね合いでもある。


 姉は、震えていた。普段滅多に弱いところを見せない彼女が、泣きそうな顔でデュロンを見つめてくる。怜悧な灰色の双眸は揺れ、彼女も年頃の少女なのだと、デュロンは今さら思い出す。


 なにかないかと身辺を探ると、先ほど回収した落とし物を、デュロンの手が掴んだ。

 ヒメキアが拾えなかった、猫のぬいぐるみだ。戦いに巻き込まれたせいで砂だらけでボロボロだが、彼女はそんなことを気にも留めないだろう。


「姉貴、こいつをちゃんと持っててくれ。いいか、お前がなくしたら、俺があいつに怒られるんだからな」


 デュロンが渡しつつ言い聞かせると、オノの眼から涙が流れ落ち、それをぬいぐるみに押しつけながら懸命に頷く。

 代わりにということでか、デュロンに小さな巾着袋を渡してくれた。

 交換したのはお守り兼、再会の約束だ。

 足が鈍らないうちに、デュロンは踵を返す。



 そして廃倉庫を出ると、またしても誰かに名前を呼ばれた。振り返るとボロボロの姿がある。


「……デュロン・ハザーク、だったね……」


 喰屍鬼グールの筆頭サイラス・マッカーキは再生限界状態に陥った満身創痍で、尋常ではない原因の火傷が目立つ。

 これは魔族が銀合金に触れた際に起きる化膿だ。誰と戦ったかがわかる。


「……そうか、アンタ……今この街で一番新しい〈銀のベナンダンテ〉の兵士だな?」

「察しが良くて助かるね。ベルエフ・ダマシニコフと取引をして出してもらったね。脱獄直後のギャディーヤに足止めを試み、即刻ボコボコにされちまったがね」


 片足を引きずりながら近くまで辿り着いたサイラスは、デュロンの顔色を見て色々と察した様子だ。


「新入り相手に歓迎会は期待しないものの、『ようこそ〈夜〉の世界へ』くらいは言ってほしいものだが…そんな余裕はなさそうね。

 状況は最悪ね。お前もずいぶんやられたようだ。だが……」


 サイラスの眼は希望を見ている。映っているのはデュロンの姿だ。記憶は吹っ飛んでいるのに不思議なもので、防御も再生も捨てて殴り合ったことを、魂に刻み込まれているのかもしれない。


 そしてサイラスが豚の悪魔アネグトンに消された記憶は、ヒメキア争奪戦と付随する計画に関する一切だ。当然、ヒメキア本人に関する情報も白紙化されているだろう。


 つまり擬似的かつ偶然に、ウォルコがヒメキアを保護する際にやったのと同じことが起きているわけだ。

 地下牢でヒメキアと顔を合わせたサイラスは、なにがなんだかわからないうちに無償の優しさを注がれ、刷り込みを完了されてしまった格好になる。

 控えめに言って、惚れてしまっても仕方がない。


「オイラが言えた義理じゃないのかもしれんがね……ヒメキアちゃんを、頼んだね」


 サイラスはそれ以上なにも言わず、体力が尽きたのか膝を折り、つい手が出たといった様子で、デュロンの胸を小突いた。

 前髪で表情は見えないが、熱は伝わる。


 こういうとき、言うべきことは一つしかない。

 すなわち、無根拠に強気な啖呵を切るのだ。


「任せろ。気障ライオンもギラつくデカブツも、変態蝶々も大した敵じゃねーよ。軽く蹴散らしてくるから、アンタは傷を治しとけ」


 安堵したのか崩れ落ちる彼を、デュロンは壁際に横たえ、発つ。自然と足が速まる。


 不死鳥人の持つ絶大な回復権能は血液に宿る。

 なのでほぼ唯一「失血死」を迎えると復活能力が作用せず、灰に帰したまま永遠に死に続ける可能性がある。


 つまり生き血を贄として捧げ切れば、ヒメキアも普通の女の子として消滅しうるのだ。


「ふざけんなよ……、俺から一つでも奪えると思ってんのか……!?」


 冗談にもいい加減限度というものがある。彼女がこの世からいなくなるなど、どう考えても許せるわけがない。


 姉の論によると、不死鳥人の生存戦略は、第三者の庇護を前提とする。本能的な無意識の欲求なのだろうが、ヒメキアが他者ひとの役に立つことにこだわっていたのも、捨てられてしまうことの恐怖が根源だったのかもしれない。


 だとしたら、デュロンは彼女に言ってやりたい。そんな心配は、まったくの的外れなのだと。


 ほんの二日間だったが、能力など使わずとも、そこにいるだけで癒してくれたのだ。

 笑顔や声音で、言葉や仕草で。


 ヒメキアといる間だけは、デュロンも、おそらくは他の四人も、自分たちの境遇を一時忘れて、普通の若者のように祝祭を楽しむことができたのだ。


 淡い夢をありがとう。けれど、そこで終わらせはしない。

 抱いた期待も、叶わぬ希望も、ただの事実に変えてやる。


 御伽噺おとぎばなしを再現したいと言った。英雄になりたいと言った。

 それが口から出任せの嘘ではないことをヒメキアの前で証明しなければならない。


 彼女がそれを覚えているうちに。

 彼女の血肉が、灰と帰してしまうその前に。

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