第30話 銀のベナンダンテ


 ミレイン市内で起きた同時多発襲撃は終息を迎え、〈永久の産褥〉の末端構成員は大半が撃退及び収監された。

 街には平和が戻り、〈恩赦祭〉はクライマックスを迎えている。


 夜の広場では篝火かがりびが焚かれる中、ささやかな軽食が振る舞われた。

 酒も嗜む程度に供され、怪物たちはほろ酔い気分で、魔女に関する諧謔かいぎゃくを口にする。


 そんなとき、葬式のように陰鬱な表情で、屋内に集う一団があった。


「…………」

 デュロン、ソネシエ、イリャヒ、リュージュ、オノリーヌ、ベルエフが各々樽や木箱に腰掛けてたむろしているのは、市内某所の廃倉庫だ。

 同僚から離反者が出た以上、寮も安全とは言えないというのが理由の一つである。


 口火を切ったのは、皮肉げな笑みを浮かべたイリャヒだった。

「封じていた疑問を解放するときでしょう。

 ヒメキアが言っていましたね。彼女が保護されていた集落で惨事が起き、一人生き残ってしまったトラウマから彼女を救うため、ウォルコは彼女を一度殺し、記憶を喪失させたのだと。

 あまりにも都合が良すぎますね。そもそもウォルコがヒメキアの存在や能力を知ったタイミングが判然としない。

 今となってはウォルコ自身がその集落を殲滅し、不都合な記憶を塗り消したとしか思えません。見え透いた欺瞞ですね」


「……その理解が妥当だろうな、おそらく」

 ベルエフの煮え切らない言い草を訝しむが、デュロンはとりあえず思ったことを喋ってみる。


「つーかよ、戦闘能力のない不死身の希少種族って、よく考えなくても利用されまくりじゃねーか」

「いや、というよりおそらく、それが彼女の生存戦略なのではないかね」

 今さらな嘆きに、姉が見解を返した。


「托卵ならぬ、託雛たくすうといったところかね。ヒメキアの種族に母親という概念が存在するかわからないから、託し主は神や運命そのものといったところか。

 詩情に酔っているわけではないよ。実際にという話をしている。

 旨みの塊のような種族がいれば、当然他族は有効活用を考える。


 ところがこいつら、傍目には完全に秩序を乱す悪党ではないかね。

 ひよこ泥棒という顕在化された社会不適合性を排除すべく、あるいは単に弱いものいじめは許さんという正義感で……またあるいはそれを口実に、他の一派が奮起する。


 良識的な守護者とその敵という対立軸が容易に形成され、少なくとも両者が争う間は、不死鳥人ワーフェニックスは死を免れる。

 仮に巻き込まれようと何度死んでも甦り、一方で争いの火種が尽きないわけだが。


 ともかくたとえ戦いが白熱し、両者が死に絶えても、まるで台風の眼のように、中心であったはずの不死鳥人だけが生き残る。あるいは不都合な記憶すら失ってね」


 ローカル民話にしてはまあまあ良くできてはいるな、という感じだった。

 別に台風の眼が台風を回しているわけではない。逆だ。周囲の勝手な錯綜が、を特異点にしてしまっているだけだ。


 当たり前だが、ヒメキアはなにも悪くない。

 今さらそのあたりに疑義はないようで、リュージュとベルエフが話を進めた。


「対立軸を作るというくだりで思い出したのだが、足並みの揃わなさに定評のある〈永久の産褥〉が一斉に攻めてきたのは、やはりそのあたりの力学であろうか?」

「だろうな。直接姿を見せたのか、文書かなにかで内通してたのかはわからねえが、証拠が残ってねえことだし、この際どちらでも構わねえ。

 まとまれねえなら、競わせればいい。おそらくウォルコは〈産褥〉相手に、悪魔召喚に最適な生贄がいるとか焚きつけて、教派対抗ヒメキア争奪戦を仕掛けたんだ。


 だが帽子で容姿を隠させるとかいう気休め程度のなけなしの小細工を弄したように、ウォルコは端から連中にヒメキアを渡すつもりなんざ毛ほどもねえ。じゃあなぜ囮を撒いた?」


「本命が動きやすくするため、であるな。つまり〈産褥〉全体に恨みっこなしの争奪戦をうたっておきつつ、実際はギャディーヤや蝶形仮面パピヨンマスクの所属する、猫のガミブレウ派……彼らが絶対に勝ち、彼らと利害を共にする結末へ一直線の八百長、出来レース……そんなところであろうか。

 その既定路線に乗せるため、我々が今日の夕方までヒメキアを守っていた」


「ギャディーヤっつー鬼札ジョーカーが確保するまで、他に攫われねえようにだな。

 なんせウォルコ自身はあくまで、『教会に囲われているせいで市外へ連れ出せなくて困っている』っつー被害者ヅラの立場が建前だからな。

 奴自身が初めからヒメキアをガードしてたんじゃ、〈産褥〉は教会の罠だと判断してさっさと撤収しちまうだろう。だからお前らが呼ばれた」


 吸血猫の監視下にあることを徹底させたのも、本番までことを荒立てず、従順な姿勢を教会側にアピールする、前振りに過ぎなかったということだ。


「ヒメキアは存在自体が機密事項だと、ウォルコが言っていた。存在しない人材が略取されたというのだから、教会も大部隊を動かすことはできない。先ほどまでは暴徒鎮圧という名目があったけれど、落ち着いてしまった今ではもう使えない」


 静かに語るソネシエがなにを言いたいかはわかったので、デュロンはあえて芝居がかった軽い口調で神父たちに説教を垂れた。


「それじゃ、高台でヒメキアにした話のでもやろうか。

 美しい御伽噺おとぎばなしには大抵、つまんねー後日談がついて回ると、俺は言ったな。

 つまり、具体的にはこうだ。ベナンダンテは英雄なんかじゃない。招集されたら、嫌でも行かなきゃならねーんだからな。

 俺は義務がなくてもヒメキアを助けに行くがよ。相手がヒメキアじゃくても、どっちにしろ義務だから助けに行くってことになるな」


 そんなものはここにいる全員が同じなので、この話には確認程度の意味すらないのだが。


 ベナンダンテとは人間時代から存在する、契約にしての名だ。


 村八分にされた余所者や、正体を看破された人狼や吸血鬼、狩られた魔女の遺児などに対して持ちかけられ、拒否すると大抵処刑される。


 従い契約を結ぶことのメリットといえば、ただ一般市民相応の日常生活を保証されるという、普通の身分の者なら生まれつき持っているべき権利を、勝手に担保にされるだけだ。


 ベナンダンテは神の守護者を名乗り戦うという。しかし教会にとって都合のいい、そんな在野の予備戦力が偶成されるわけがない。

 教会の側から甘言を用いて働きかけ、半ば無理矢理に密命を帯びさせているに決まっている。


 デュロンやオノリーヌ、ベルエフのときもそうだった。

 さらに言うとデュロンの両親も、そういう意味でのベナンダンテだった。生家のある集落が異端とみなされ、人質に取られていたのだと聞く。

 飼い犬に手を噛まれた教皇庁の、業腹ぶりは想像に余りある。


「俺と姉貴はベルエフの旦那の嘆願で命を拾い、忠誠を誓わされ、三人でここミレインに飛ばされた。

 だが、本来なら一族郎党取り潰されて当然の重罪を斟酌されたんだ。祓魔官エクソシストとして昼の世界で粉骨砕身する程度じゃ割に合わねーってことになるな」


 そこでベナンダンテだ。これは一種の労役刑と考えればいい。

 基本的に仕事以外で街から出ることは許されず、逃亡すれば即刻指名手配されて市民権を抹消される。……というわけだ。


 他の三人の事情も、デュロンの方も大まかに、人伝に聞いてはいた。


 たとえばイリャヒの右眼は、父親からの『躾』と称した虐待により失ったものだ。

 詳細は本人たちが秘しているが、ソネシエとイリャヒは互いを庇っているのか、どちらも「自分が両親を殺した」と主張している。

 とにかく二人にとっては牢獄だった家を脱して、その足で教会の庇護下に駆け込んだことだけは間違いない。

 リャルリャドネは吸血鬼の名家なので、利用価値を見込まれて飼われたのだろう。


 たとえばリュージュの場合は、特になにかをやらかしたわけではない。

 ただ彼女の出自であるラグロウル族から過去に雇われた男が問題を起こし、端的に言って蛮族扱いされることになった。

 以降は教会が同部族からでしか雇わない方針に転換したため、やむなく了承したという経緯だそうな。


「…………」

 完全に共通理解を得てしまっているため、もはや語る言葉もなく、全員が再び沈黙する。


 その静寂を破り、廃倉庫の外で鳴いた。ベルエフが重い腰を上げる。


「さてお前ら、分析はそこまでだ。言っちゃなんだがいい時間潰しにはなった。

 残りのメンツが到着したようだぜ。我ら〈しろがねのベナンダンテ〉、久々に活躍のときだ」


 人間たちが絶滅し、魔族時代に移行してから表向きは普通の祓魔官エクソシストとして雇われ、教会子飼いの秘密部隊として、そう呼ばれるようになったようだ。


 ひとたび契約という名の銀の鎖が発動すれば、罪人はそれに繋がれ引きずり回される。

 徐々に体は腐食していき、最後は朽ちるのみという、死出の旅への放浪者ベナンダンテだ。


 求めに応じて扉を開けると、ウォルコのシンパに見劣りしない十数名の見知った同僚たちが、神妙な面持ちで入ってきた。


 さて、そろそろ始めなければならない。この最悪の局面の状況説明ブリーフィングを。

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