第24話 冬の軍勢


 2日目の午後も1日目と同じように、適当に遊び歩いて過ごした。

 ただし1日目と同じように罠にかかることだけはないよう、ソネシエがヒメキアをきっちりガードする。


 ヒメキアの笑みにはいささかのかげりもないが、デュロンの心境のせいで補正がかかって見える。

 祭りが、終わりに近づいているのだ。その物寂しさは表現しにくい。

〈恩赦祭〉が済んだら、二度とヒメキアに会う機会はないかもしれない。なぜだかそんな気がした。


「デュロン、大丈夫? こねこ触る? すごくかわいいよ」


 よほど浮かない顔をしていたようで、ヒメキアがまたしてもどこから見つけてきたのか、子猫をこねこねしながら、デュロンを心配そうに覗き込んできた。

 デュロンに代わり、イリャヒが勝手に答えている。


「ご心配なく。思春期特有のメランコリーですよ。風邪のようなもので、すぐに治ります」

「そう? もしどうしてもしんどかったら、あたしに言ってね」


 いくら不死鳥の能力でも、心の癒しまでは管轄外だろう。それでも、彼女ならなんとかできる気もした。

 いずれにせよ大丈夫だとデュロンが手を振ると、ヒメキアは笑って頷いた。

 そして油断した彼女の腕から子猫が逃げ出して、彼女の腰にヒット&アウェイ。


「あっ、だめだよ! こねこはすぐいたずらするから、困っちゃうよね!」

「とてもじゃないが困ってる顔してねーぞ……ん? ヒメキア、それ……」


 にへにへ笑う彼女の腰に、昨日デュロンが買った猫のぬいぐるみがぶら下がっていた。

 誰の仕事なのか、比較的軽いぬいぐるみに紐を付け、スカートのベルトに縫いつけてあるようだ。


 そういえば今日は持っていないので、寮に置いてきたのか、暗渠のゴタゴタでなくしたのかと思っていたデュロンだったが、こうなっていたのか。

 他の女性陣3人が、やれやれとため息を吐いた。


「今気づいたの。あなたはそういうところ、本当に鈍感」

「匂いには敏感なのだがな。特に女の匂いには」

「申し訳ない、うちの弟が好き者で。わたしの育て方が悪かったかもしれないからして」

「よーしお前ら、そろそろ時間だ、移動するぞ」


 強引な話題転換はともかくとして、提案自体には誰も反対しなかった。


 時刻はすでに夕方だ。〈恩赦祭〉のメインイベントとでも呼ぶべきものが始まるため、いちおう見ておこうという話である。

 談笑しながら坂を登る6人。


 到着した高台からは、夕焼けに染まるミレインの街並みを一望できる。

 市の中心であるウルエント広場では露天の類が撤収し、これから始まる行事の簡単な準備がなされていた。


 6人は各々が石造りのベンチに腰掛けたり、木の幹にもたれたり、地面に尻を下ろしたりと、楽な姿勢でたむろする。


 しばらくすると雑談の種も尽き、始まるまで暇になってきた。

 デュロンとヒメキアの後ろでは、イリャヒとソネシエが、デュロンの聴力でも拾えない小声で短いやり取りを交わしていた。

 それが終わると、ソネシエが要求してくる。


「デュロン、なにか面白い話をして」

「出たよ、そういうやつ。お前ら俺をなんだと思ってんだよ」

「おもしろ芸人ですかね。ゲストであるヒメキアをさんざん心配させ、挙げ句に退屈な時間も放置する気ですか? まったく甲斐性のない。

 罰として自分語りでもしなさい。それもとびきりディープなやつをね」


 デュロンが意図を量りかねて振り向くと、イリャヒは真面目な顔をしていた。緩く笑い、真意を告げてくる。

「いえね、実は我々も前から興味があったのです。デュロンとオノリーヌ、そしてベルエフ氏がこの〈教会都市〉へやって来た経緯についてね。

 ある程度までなら人伝に聞いているのですが、やはり当事者の口から全容を耳にしなければと思いまして」

「いい機会だと思った。ヒメキアに向かって語れば、後ろでわたしたちが聞いている。気にせず話してくれるといい」

「じゃあ最初からそう言えよ、まどろっこしいんだよお前ら……」


 デュロンは姉に視線で助けを求めるが、あからさまに欠伸をしながらそっぽを向かれた。面倒臭いからお前が話せということらしい。彼女の隣でリュージュが苦笑している。


 ヒメキアに向き直ると興味で爛々と眼を光らせているので、引っ込みがつかなくなり、デュロンは口を開いた。


「ヒメキアは、ベナンダンテって言葉を知ってるか?」

「うーん、知らない……」

「だろうな。プレヘレデの片田舎にある民間伝承だ」


 ここラスタード王国の南の隣国プレヘレデは、ジュナス教の総本山である教皇庁を擁する、〈聖都ゾーラ〉を首都とする王国である。


「俺も姉貴から聞いた話なんだけどな。ベナンダンテってのはある種の特務を帯びた、民兵みたいな存在のことだ。

 それも法制的なものじゃなく、魔術的な、ほとんど夢の中のできごとのように語られる……いわば御伽噺おとぎばなしの英雄だな」


 デュロンがぼんやりとしたメルヘンな話を始める一方、眼下の広場では人間時代からの伝統である、この時期特有の祭事が行われようとしていた。


 街の若者たちが二手に分かれ、左右から陣を固めて目抜き通りで対決するという勇猛な競技だ。

 デュロンたちのいる高台から見て、向かって左側で待機する、花や葉で身を飾る一団は来るべき夏を象徴していて、明るく朗らかな声で歌い、琴と笛の音で指揮を上げている。


「ベナンダンテとなるべき者がある夜眼を覚ますと、同胞たちをまとめる兵士長が出撃を呼びかけに来て、戦いの行われる場所を告げる。いきなりな。

 ベナンダンテは自らの肉体から抜け出し、霊体となって荒野を駆る……まあこれは神秘的な比喩だろう。

 戦いには相手がいる。ストレゴーネと呼ばれる連中だ」


 対する向かって右側の軍団は毛皮をまとい、身を縮めることで冬の化身を表現している。

 野太くおどろおどろしい濁声で敵を威嚇し、打楽器と足踏みで自らを鼓舞する。


「どっちの陣営も召集のされ方は大体同じなんだが、性質はまったくの逆だ。

 ストレゴーネは悪魔を玉座に据え、その威を借りて好き放題やらかしやがる。

 特に人間たちの農作物を蹴散らかし、駄目にするのが大好きさ。酒樽に小便垂れ込む、正真正銘のクズどもだ」


 冬の軍団の戦列で、なにやら早くも内輪揉めが起きている。

 どうやらわざわざガラの悪い連中を揃えてあるらしい。そこまでこだわる必要はないと思う。

 夏の軍団は大人しいものだ。やはり配役が振る舞いを変えるものなのだろうか。


「一方のベナンダンテの仕事といえばただ一つ、ムカつくストレゴーネどもをブッ飛ばし、その年の豊穣を守ることだ。


 農民の味方であり、悪魔を向こうに回して戦うってことは、ひいては神……救世主ジュナスを長とする、教会の守護者ってことになる。少なくとも、当人たちはそう自称するわけだ。


 ベナンダンテとストレゴーネの戦いを〈夜の合戦〉と呼ぶんだが、これは事実上、近郊一帯の畑の収穫権を勝手に賭けた集団決闘みてーなもんだな。


 ストレゴーネが勝てば『凶作』、ベナンダンテは無残に毟られる麦の穂や葡萄の房を黙って見過ごすしかない。

 ベナンダンテが勝てば『豊作』、自然の恵みは持ち主である耕作者たちの手から離れず、ストレゴーネは自分の指でも噛んで逃げ帰る羽目になる」


 夏と冬の軍勢はデュロンが見た感じ、魔力や膂力の累積においてほぼ互角と言っていい。

 といってもそこにあまり意味はない。その理由は、彼らが実際にぶつかればすぐにわかる。


「残念ながら正義が勝つとは限らないってやつで、実際毎回豊作とはいかず、飢饉の年もある。

 まあ結局人間が食糧難で滅びることはなかったわけだから、おおむねベナンダンテが勝ち越してたと考えていいんじゃねーか? 俺の願望だけどな」


「なるほど。弱きを助け強きを挫き、無辜の蒼生を守り育てる義賊集団といったところですか。げに果敢なるは我らがベナンダンテ!」


「おっと、なんだこの眼帯は、無視しよう。しかし美しい御伽噺には大抵、つまんねー後日談がついて回る。具体的にはこうだ」


 ここから先を話すのはそれなりの決意が要る。デュロンの躊躇いを察したようで、ヒメキアが背中を撫でてくれた。それに勇気づけられ、デュロンは話を再開する。


「ある集落で生まれ育ち、ベナンダンテとしての使命を帯びた人狼の夫婦……てのはつまり、俺たちの両親なんだが。

 2人は人間が滅びてから10年が経過し、魔族たちが完全に取って代わった教会権力の中枢が人間時代と同じように腐敗し、同じように民を苦しみかねないことに警鐘を鳴らした」


 父は傭兵で、自分の傭兵団を率いており、母もその一員だったそうだ。


「敬虔なジュナス教の信徒でもあったから、宗教改革者に近い立場だったわけだな。

 徒党を組んで抗議活動を繰り返し、最終的になにを思ったか、教皇庁の本丸に吶喊とっかんした。

 こうなりゃ擁護はできねー。異端、神の敵、つまりは妖術師ストレゴーネも同然だ」


 春は夏が冬に打ち勝つ季節だ。

 勝敗は始まる前から決まっている。


「うちの父親と母親はその場で返り討ちに遭い、心酔していた部下たちも全員が共倒れ。

 もちろんそれには留まらない。

 最上級の聖騎士パラディンたちが基幹を失った反抗勢力のアジトまで押し寄せ、震えて泣いている金髪人狼のガキどもを突き殺そうと息巻いた」


 当時の情景がデュロンの脳裏に浮かぶが、安堵を覚える場面が続く。


「そこで現れたのが、当時は在野の猛者だったベルエフ・ダマシニコフだ。

 旦那は親父とは親友だったが、立場としては地元の多種族コミュニティをまとめる中立非戦で、体勢を整えている最中の魔族教会にも、本来ならノータッチの構えだったそうだ。


 だが状況を把握しているうちに、どうしても静観できなくなったらしい。

 見かねた旦那は俺たちと一緒に、教会に投降してくれたんだ。

 そして俺と姉貴だけじゃなく、彼自身の一生をもジュナス教会に捧げると誓約してくれた。

 もう恩なんて生易しいもんじゃねーんだが、今となっちゃ俺と姉貴にできるのは、死ぬまであの人を支えるとか、たかだかそんな程度のことだな。


 そういうわけで俺たち3人は恩赦を言い渡され、祓魔官エクソシストとして働くことになった。

 ここミレインまで飛ばされてきたのは、土地勘もなく知り合いもいない場所なら、反乱も限りなく起こしにくいからだろう。


 ……以上が10年の事件の概要だ。長々とご清聴ありがとうございました」


〈夜の合戦〉やハザーク夫妻の戦いとは違い、ミレインの春を彩るこの行事は、いわば殺陣たてありの演劇だ。

 夏軍団も冬軍団も本気で争う芝居を打つが、最後は前者が勝つものとシナリオで決まっている。

 なので、面子の強さはあまり関係ないのだ。


 反応を待っている間、デュロンはどうでもいい薀蓄うんちくで頭を占めてみた。

「…………」

 どうやらヒメキアは思考や感想が満杯になっているようで、複雑な表情で押し黙り、デュロンをじーっと見つめて、ようやく言葉を捻り出した。


「デュロン……デュロンにとっての、ねこはなに?」

「猫? ああ、目的とか生きがいとかそういう意味か? 俺は御伽噺を再現したいと思ってるんだ。

 うちの親は負けて死んだが、だから全部間違ってたなんてことにはならねーはずだ。

 あの2人の遺志を継いで、俺も英雄になりたいんだよ」


 これ自体は嘘ではないのだが、答えの半分でしかない。

 だがヒメキアは納得してくれたようで、パッと顔を輝かせ、ドキリとすることを言った。

「デュロンは……デュロンはもう、ベナンダンテだと思うよ!」

「……ああ、そうだな。ありがとう。ヒメキアは優しいな」


 無邪気なオーラを垂れ流す笑顔を鑑賞していると、細長い指がデュロンの肩をつついてきた。

「あ? なんだよファントム眼帯くん。今俺がヒメキアと喋ってんだから、後ろで聞いてろよ」

「違います、広場を見なさい、デュロン。どうも様子がおかしいのです」

「確かに荒っぽいが、元からこういう行事だし、仕方ねーだろ。……ん? 俺の記憶違いか……?」


 眼下の光景は確かに、少し眼を離した隙に変化していた。それも、不穏な予兆を伴う形で。


「なんで冬の軍勢が、夏を圧倒してんだ?」

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