第25話 静かなる獅子吼
先ほどまでは確かに
だがいつの間にか後者が盛り返し、前者の陣中にまで攻め寄せている。
屋根の上で両軍の音頭を取る役割の2人も、若衆の手綱を握りかねている。
オノリーヌが顔を片手で覆い、珍しく弱気な台詞を吐いた。
「やられた。まさかここまで大規模に潜り込まれているとは……」
毛皮の軍勢が雄叫びを上げて進軍する。
後から後から湧いてくる彼らの服が、途中から見覚えのある白装束に変わっていた。
悪魔崇拝教団〈
宗教色を抑えた祝祭と銘打てば、この日に限っては市壁での検問を緩くせざるを得ない。
〈産褥〉はこの機に乗じて兵を捻じ込み、蜂起の瞬間を待たせていたのだ。
なるほど悪霊彷徨う冬の化身に扮するとは、なんともお誂え向き……などと言っている場合ではなかった。
「……しかし、目的はなんだ? ヒメキア? だとすりゃ、昨日や一昨日の襲撃は……」
「もしかすると今日このときが計画の本命で、彼らは先走りに過ぎなかったのかもしれない。
だとすると、サイラスの記憶から消されていた重要情報というのは、おそらくこのこと。
抜け駆けしようとしたサイラス率いるアネグトン派を、
「しかし、彼女自身も単独で狙ってきたのだぞ? そもそも〈産褥〉はそういう足の引っ張り合いが平常運転で、足並みの揃わなさが最大の弱点のはずだ。この数の団結を説明できない」
「……呑気に考察している暇はなさそうですよ。対処が先です」
この高台は断崖絶壁の上から広場を一望する格好となっているので、囲まれれば袋の
そして実際にそうなっている。他の5人がヒメキアを庇い、白装束集団からの壁となる。
集団の小隊長らしきガラの悪い男が歩み出たので、同じチンピラであるデュロンが応対した。
「へへ、その子が怪しいな。帽子で容姿を隠してねえでよ、顔と髪を見せてくれねえかい?」
「どこの誰だか知らねーが、なんでそんな要求が通ると思った?」
「へへ、ならどうする? 暴れてみるか? 危うく転落死だぜ?」
「その心配はねーよ。なぜなら……」
バカ同士の会話を聞いていられなかったようで、イリャヒがデュロンを崖から蹴落とす。
しがみついていたヒメキアも巻き添えだ。他の3人も同時に自ら落ちた。
「……もうすでに落ちてるからな!!」
「わああああっ! ああ……う」
いきなりすぎてヒメキアは気絶してしまった。暗渠のときも思ったが、やはりこういうときにとっさに翼を出すことはできないようだ。
もっとも、それでまったく問題ないのだが。
「どらぁ!」
「へば!?」
デュロンはヒメキアを優しく抱え、地上で雪原迷彩よろしく冬に紛れた白装束の1人をクッションに使う。オノリーヌとリュージュも同じように着地している。
ソネシエに至っては落とし穴の底の剣山に刺さるどころか、自分が剣山と化して上から刺しに行っていた。
固有魔術〈
「わーははは、飛んで火に入る夏の虫っ!」
崖上の連中に放火したイリャヒが、固有魔術〈
何度か空中回転したかと思うと、翼を広げて優雅に着地した。
そのまま地上の白装束にも青い炎が散る。デュロンらもヒメキアを守って近接で応戦。
いける。やはり個々は大したことがない。ただし問題はこの数だ。
そのとき、いきなり白装束がまとめて吹き飛んだ。
覇道を走る男が1人、一心不乱に駆けてくる。
その頰はすでに、返り血で濡れていた。
「ウォルコの旦那……? 助けに来てくれたのか?」
普通に考えればそれ以外ないのに、なぜだかデュロンは疑問形で話しかけた。
ウォルコの雰囲気が異様だったからだ。瞳孔が収縮した獣の
「よかった、間に合ったか。いや、ヒメキアが無事ならそれでいいんだ」
そう言って一呼吸置き、爆裂魔術を上空へ放つ。
研ぎ澄まされ、教皇庁に認定・命名された固有魔術〈
「やはりお前たちに任せて正解だった。こんな連中にうちの子を攫われたら、どうなるかわかったものじゃない。依頼は完遂だよ、本当にありがとう」
そういえば、2日目の夕方までという契約だった。ウォルコは一転にこやかに破顔する。
「ご苦労様。ヒメキア、そろそろ家に帰ろう。おいしいシチューを作るから」
「ほんと? やった!」
トコトコと彼の元へ走ろうとしたヒメキアを……しかしデュロンは、反射的に袖を掴んで止める。
仲間たちが訝るか止めそうなものだが、誰も頭を叩きに来ない。
それどころか全員が同調し、即席の陣形を作るのを、デュロンは背中で感じた。
「デュロン? みんな……? パパだよ。誰かのけいたいもしゃとかじゃないよ」
「ああ、それはわかっているとも」
戸惑うヒメキアをオノリーヌが預かり、後方で庇った。その隣にイリャヒが立ったのがわかる。デュロンにリュージュとソネシエが並び、各々構えた。
ウォルコは両手を広げて肩をすくめるが……眼が笑っていなかった。
「どうしたんだ、お前たち? なにをしてるんだ?」
そんなこと、デュロンの方が訊きたいくらいだ。嫌な予感とともに心臓が高鳴る。
勘違いであってほしい。イリャヒだって結局は、勘繰りすぎだと言っていたではないか。
「…………」
そのイリャヒの方から無言のまま、他のなによりも雄弁に語る魔力の気配が漂ってきたので、デュロンはいよいよ
イリャヒの固有魔術〈
つまり敵味方の峻別を発動の起点とするわけで、その切り替えを最初に行ったのは、やはり他ならぬ彼だった。
デュロンは内心頭を抱えつつも、顔には出さず、虚勢の笑みで問いかける。
「……なー旦那、頭の鈍い俺でもいい加減気づく。本当のことを教えてくれ。ヒメキアは、この街から出られないんだろ」
「うん? 確かにそういう教会からの条件で、依頼を受けてくれとは言ったけど……」
「この期に及んでしらばっくれてくれんなよ。祝祭の期間中に限った話じゃねー。
ここまでの能力を持つ希少種族を、いったん囲った教会が手放すはずがねーんだよ」
震える喉を抑えつけ、デュロンは一息に言い切った。
「ことここに至って確信した。ヒメキアの境遇は、俺たちとほぼ同じだ。だからわかるのさ。
アンタ〈教会都市〉を離れ、自慢の養女を手土産に、いったいどこの軍門に下る気なんだ?
教えてくれよ、ウォルコの旦那……!」
「なんの話だ?」……そう言ってほしかったのだが、そうもいかないらしい。
「……そうか。勘がいいとは思っていたが、ここまでとは思わなかったよ」
ざわり、とデュロンの背筋が粟立った。ここまで疑いをかけておきながら、まさか、というのが本音だった。
ウォルコは髪を掻き上げ、一瞥を寄越す。
それだけの仕草が、普段とまったく違う感情を纏って迫り来る。
怒鳴りつけられるよりよほど明確な敵意が、威圧感となって皮膚へ浸透した。
それなりに付き合いは長く、深いつもりだった。
命懸けの任務を何度も共にした、頼れる先輩のつもりで慕っていた。
しかし実際のところ、デュロンは彼のことをまったくと言っていいほど、なにも理解していなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます