第23話 か弱き者の牙となれ


 せっかくの休みなので囲っている情報屋に挨拶回りをしておきたい、と言い出したのはイリャヒだった。

 こいつも大概な労働中毒だと、デュロンは自分を棚上げして呆れる。


「そういうのは昨日の夜とかに1人で勝手に済ませとけよ、護衛に支障が出るだろ」

「小用ではないのですから、空いた時間にちょっと、というわけにもいかないのですよ。他者ひとの話を聞くというのは、音を耳に入れるという意味ではありません」

「そうとも」と、オノが同意した。「ちゃんとした姿勢を相手に示す必要があるのだからして、たとえば相手の忙しい時間帯に駆け込んでも、迷惑がられるだけなのだよ」


 その言い草でだいたいどういう場所なのかわかったので、デュロンは口をつぐんだ。


「そういうことです。が、護衛に穴を開けるつもりはありません。あなたたちにもついてきてもらえばいいのです。待っている間退屈でしょうから、中で寛いでいなさい」


「どこ? どこ行くの? こわいところじゃないよね?」

 話に置いてきぼりになったヒメキアが不安そうなので、ソネシエが声をかけた。


「ヒメキア、大丈夫。わたしと兄さんがときどき仕事で立ち入るお店。優しい人しかいない上に、大人しくしていると無限にお菓子をくれる」

「むげん! やった! ソネシエちゃんが言うなら、あたし信じるよ!」

「いや無限は嘘だろ……しゃーねーな、付き合ってやるよ」

「イリャヒさん、どんなところなの?」

「フフ。言っている間にほら、着きましたよ」


 デュロンは予想していたが、イリャヒが立ち止まったのは売春宿の裏口だった。

 認可しなければ地下へ潜るだけなので、〈教会都市〉ミレインといえど一定数の娼館が存在する。

 性産業としての側面はもちろんのこと、精気を食らう淫魔サキュバスたちにとっての生命線だからだ。


 気に入らないからという理由で軽蔑・冷遇しているとどういうしっぺ返しを食らうかは、人間たちの絶えた歴史が雄弁に語ってくれる。

 なのでジュナス教会も、利用はしないが活用はするというスタンスで付き合っている。

 酒場に床屋、そして娼館といった具合だ。


 イリャヒは慣れた様子で入っていく。いつもついて行っているようで、ソネシエも同様だ。

 他の4人がなかなか追随しないので、イリャヒが顔を出して煽ってくる。


「未知のものはなんだって恐ろしい、わかりますよ。ですが、一生陰の世界に踏み込まないつもりですか? お偉いお偉い世間一般のお上品なお常識様、お正しい側で死んで満足ですか?」

「わかったよ、そう急かすな。……ヒメキア、俺の手を握っててくれ」

「うん! はなさない! はなさないよ!」

「先月竜の巣に突入したときよりビビってるじゃないですか。慣れたら普通に居心地がいいのですがね……」


 ひょいと引っ込むイリャヒの顔とともに、デュロンとヒメキアは中へ入った。

 その途端に、香水とアロマの両方だろう、デュロンの嗅覚はなには少々強すぎる匂いを感じた。


 表の店側とはカーテンで仕切られたバックヤードは、想像したより地味だった。

 控え室のような部屋なのか、ミニテーブルをソファが囲み、寮の談話室と大差ない。


 かなり際どい格好をした、淫魔サキュバスたちがたむろしている点を除けばだが。


 見た目で言うと下は10代前半までいるので、全体的に実年齢は不明だ。

 イリャヒとソネシエが階段を登ってオーナーに会いに行くのをよそに、他の4人は早々に囲まれて座らされ、歓迎される流れになった。

 体格や筋骨とはまた別の意味で、肉体の圧が凄い。


 好意的なのは結構だが、大変いい匂いのする美女や美少女に挟まれ、当たり前のようにボディタッチを受けていると、人狼の巨大な心臓でも耐えられない。

 グラスの中身が酒か、ヒメキアと同じテーブルに就けないか、どちらかならおそらくデュロンは死んでいた。


 なぜならヒメキアがデュロン以上に、淫魔サキュバスたちに大人気だからだ。

「やーん、なにこの子かわいいー! 髪の毛すっごい綺麗な色、ほっぺもちもち!」

「あ、あたしヒメキアっていいます! パパの娘をやってるよ!」

「そりゃ祖父じいちゃんの娘だったら家系図ねじれるよ。ヒメキアちゃんお菓子食べる?」

「わー! むげんだ! むげんのやつだ! ソネシエちゃんが言ってた!」

「ソネシエちゃんと仲いいの? あの子わりと適当なこと言うよね、好きだけどさ」


 ヒメキアは胸を張って、とても嬉しそうに言った。

「ソネシエちゃんは、あたしの一番の友達だよ!」

「うわっ、なんか泣けてきた。それ本人にも言ってあげなよ、絶対喜ぶよ」


 気まずいデュロンが隣のテーブルを見ると、珍しくリュージュがサボっていなかった。


「……で、そのときわたしは言ってやったのだ。わたしの持っている種の方がよほど高くつくぞ、とね。ほら、こんなふうに」


 ふっ、と彼女が拳に息を吹きかけ、手を開くと色とりどりの花が咲き乱れた。

 キャーッと歓声を上げる淫魔サキュバスたちに配ると、何人かは本気で頰を染めている。ジゴロだ。


 一方、彼女の相方を務めているオノリーヌはというと、普段の様子からは信じられないくらい赤面してうつむきボソボソ喋り、自慢のポニーテールも心なしかしんなりしている気がする。

 そして独り言でも言っているのかと思ったら、ふんわりしたお姉さん系の淫魔に話を聞いてもらっているようだった。借りてきた猫とはこのことだ。

 なんなんだ姉貴と言いたいが言えないデュロン。


 こちらのテーブルに注意を戻すと、会話の切れ目を見計らい、ヒメキアが尋ねるところだった。


「あの、ここってなにするところなんですか? あたしなにも知らずに連れてきてもらって……デュロンは知ってる?」

「ほーらーデュロンちゃん教えてあげなよー」

「なんだったらお姉さんたちが実際に手取り足取りしてあげてもいいのよ〜」

「あっ、いや、その、いいっす……」


 姉になにも言えない理由がこれだ。完全に似たもの姉弟である。


 やがて何人かが勝手にヒメキアへ、この施設の存在目的について説明し始めた。

 止めあぐねるデュロンだが、ヒメキアは格別衝撃を受けた様子もなかった。


「そっかー、えっちなことをする場所なんだね。あたし知らなかったよ」

 どうやらウォルコに最低限の性知識は授けられていたようで、すんなり受け入れている。変な先入観や偏見がないとこんなものなのだろう。

 その反応に意表を突かれたようで、淫魔たちはますます彼女に興味を持つ。


「ヒメキアちゃんはないの? えっちなことをした経験」

「ないよ! そういうことは本当に好きな、ドキドキする相手とだけしなさいって、パパが言ってた!」

「だってさー。デュロンくんは? デュロンくんはご経験……あっやめとこ」

「いいよ、みなまで訊けよ。ありません童貞ですってはっきり答えるからよ」


 おおー、と謎の歓声が上がった。どういう含意なのかはデュロンにはわからない。


 そこでさりげなさを装い、デュロンやヒメキアと同じくらいの年格好の淫魔が尋ねた。

「まー遊びどうこうは置いといてさ。祓魔官エクソシストさんたちって結婚OKなわけじゃん。そういうことってもう考えてたりする? たとえば……とかね?」


 彼女はヒメキアをチラチラ見ながら、デュロンをニヤニヤ煽ってくる。

 普段のデュロンなら……というか他の話題なら、ニヤニヤし返して二言三言、軽口を叩いてはぐらかしただろう。


 しかしこのときは真剣に考えれば考えるほど、なぜか言葉が出なかった。

 黙りこくるデュロンの様子に気づき、淫魔の少女は慌てて手を振る。


「じょ……冗談だってば! そんな顔しないでよ! なんかわかんないけど、ごめんってば!」

「あーシーラちゃん、また初めての男の子いじめてるー。優しくしなよー」

「い、いじめてないし! はいはいこの話おわり! おーわーりっ! それより暇だし簡単なゲームとか……」


 不意に響く轟音と怒号。

 デュロンの聴覚みみには内容まで聴き取れたが、口に出すようなものではない。


 静まり返って萎縮した淫魔たちに代わり、デュロンは席を立った。

「あ……あの、デュロンくん……」

「ちょっと様子を見てくる。ヒメキアを頼んだぞ」


 誰にともなく言い置いて、デュロンは店側(表側)へ入った。



 元凶は一目瞭然だ。しかも見た顔だ。

 昨日会った隣国の魚人、不良兵士の3人組である。一番喋ったリーダー格の1人は、昨日よりかなり機嫌が悪いのが見ただけでわかる。


 だが頭に血が上っても目端は利くようで、すぐにデュロンの接近に気づいた。


「おぉ、これはこれは、ミレインの守護者様じゃねぇかよ。もしかしてここのVIPか?」

「いい宿を見つけたじゃねーか。なにが不満なんだよ、あんちゃんたち」


 淫魔サキュバスの女性が血だらけで転がり、震えながら視線で助けを求めてくるのを、デュロンは見るともなしに眺めた。

 淫魔は高い再生能力を持つが、肉体自体は戦闘適性が低いため、トータルで低いその耐久力を魚人の怪力が貫通したようで、傷が塞がっていない。

 娼館自体が雇っている用心棒たちは、すでに伸されているのが見えた。


 それが癖なのか、彼は唾を吐き捨てながら苦言を呈す。

「なにもクソも、そいつが淫売の分際で、この俺をわらいやがったからだよ。

 何様のつもりだか知らねぇが、身分弁えて喋ってほしいもんだなぁ。え?

 お前もそう思わんかね、祓魔官エクソシストくんよぉ? 俺ら兵士も奴隷みてぇなもんだが、賤業の娼婦よりはマシよな?」


 ギャハハ! と耳障りな笑い声を上げる魚人たち。淫魔の表情は変わらない、言われ慣れているのだろう。

 デュロンも女性に対してはともかく、悪意に対してはそこまでうぶではない。

 だがどうしても足が前へ進み、魚人と至近で対峙してしまう。


「あ? なんだ? やろうってのかチビ? なんで急に元気になっちゃってんの? カッコつけたら強くなれるとでも思ってんの?? ねぇ?

 つーかよ、1人で大丈夫か? 昨日の黒ずくめの2人はどうした? また都合のいい理由つけて逃げなくていいのか? えぇ? 玉無し野郎がよ」


 昨日と同じく威圧し、目線を切らないまま、魚人は手で周囲を示した。

「わかってんだぜ、人狼ちゃん。この館内に漂う香水とアロマミストのダブルパンチで、てめぇの嗅覚はなは今、死んでる。

 俺のことをなにも読み取れなくて、内心焦ってんだろ? なぁ?

 なにも化粧臭ぇ淫魔1人のために、俺に半殺しにされる理由はねぇだろ?」


 その台詞で少し冷静になり、デュロンは薄く笑って一歩下がった。

「確かにそんなことをされる理由はねーな」

「よぉし、いい子だワンちゃん、賢明だぞぉ。そのまま三回回ってハウスしな、神の家とやらによ」


 どうも勘違いしているようなので、デュロンは懇切丁寧に正してやる。

「なーあんちゃん、知ってるかい? ウンコの悪臭って何千倍も希釈すると、薔薇の香りみてーになるんだってよ。ちょっと信じらんねーよな」

「ん? どぉした捨て台詞か? 口喧嘩が専門なのか、ミレインの祓魔官ってのは」

「いや、だからよ……」


 デュロンの上段回し蹴りが魚人の左頬に直撃し、石壁に叩きつけて巨大な蜘蛛の巣状の亀裂を生じさせた。

 改めて構え、人狼はいつもの調子で気炎を吐く。

「ここの香水より、テメーの口のが万倍クセーっつってんだよ! くたばれタコが!」


 残念ながら、格好がついたのはここまでだった。

 さすがはプロの兵士だ、残りの2人が無言無表情で殴りかかってくる。

 昨日の見立て通りの相当な練度で、何発かは返せるが、かなり一方的にボコボコにされるデュロン。


「クソ……!」

 それでも倒れはせず、なんとか横に逃れる。

 だが最初に蹴飛ばした1人が起き上がり、すでに他の2人との連携を終えていた。

 猿臂えんぴ、裏拳、手刀の三項対立トリレンマだ。どの鈍器で痛撃を受けるか選ばせてくれるらしい、親切なことだ。


 そして、デュロンに選ぶつもりはない。


「おがっ? ……ぎゃあああ熱うあっ!?」

 右の1人が青い炎に包まれ悶えたため、迷わず蹴った。二連撃ならなんとか回避でき、距離を取ったデュロンは増援を視認する。


「……まったく、次からは合図の一つも欲しいものですがね」


 情報屋として囲う相手の店で現在進行形で荒事が発生しているのに、暴力装置が作動しない方がおかしい。なんのための後ろ盾だという話になる。

 そしてイリャヒは案外優しく設定しているようで、味方以外を焼き尽くす〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉は店の内装にすら延焼しない。魚人は一人で黒焦げだ。


「……同感。あなたはいつも一人で始めてしまう」


 左の魚人がソネシエの静謐せいひつな太刀筋に反応し、硬い鱗で受けたのは賞賛に値する。

 もっともそれは匹夫の勇と呼ぶべきもので、触れた端から氷像と化した。

 差別表現なので口には出さないが、進んで保存食になるとは殊勝な限りだ。

紅蓮冽華クリムゾンブルーム〉は天罰覿面。


「てめぇら、お望みは戦争かよ!?」

 最後の一人であるリーダー格は意気軒昂だ。一気に距離を詰め、圧倒的な体格差で上から、デュロンの頭ほどもある巨大な拳を振りかぶる。

 だがずいぶんと足下を疎かにしている。


「潰れろクソチビ!」

「テメーがな!」


 デュロンは冷静な下段回し蹴りで迎え、相手の両脚を束にして圧し折る。

「……!」

 哀れ魚人は、最初に蹴飛ばした左頬から地面に向かった。そのままではかわいそうだと、デュロンは救いの手、もとい掬いの拳を差し伸べる。


 下段を蹴ったばかりの右足に重心を移動して踏み込み、体の捻りを解放しつつの突き上げを叩き込む。


「おばぁ!?」


 魚人は垂直に吹き飛んで頭頂部から天井に激突し、顎から落下して床ごと砕けた。


「誰がチビだ、もっぺん言ってみろ。本国に報告したいならどうぞご自由に。

 つっても昨日とはちょっとだけ状況が違うようだな? 偵察サボって娼館で暴れたら巡回中の祓魔官エクソシストにボコボコにされましたーっつって、首が飛ぶかは、テメーらの上官のお心次第だな?」


 ようやく言うだけ言ってスッキリしたので、デュロンは気絶中の相手をもう一度蹴飛ばしてから、伏していた淫魔の女性に近づく。

 相手が怯えていないのを確認してから、彼女の頰を優しく撫でた。


「娼婦が賤業? あいつバカだわ、全っ然ちげーよ。賤業ってのは、俺らみてーなのを言うのさ」

「……祓魔官は、下級だけど、聖職者には変わりないはず……」

「それはそうなんだが、俺らはそん中でもちょっと別でね。……おーいヒメキア、こっち来てくれ」


 ちょうどおっかなびっくりカーテンの端から覗き込んできたヒメキアが、嬉しそうに駆け寄ってくる。

「デュロン! デュロンが、助けた女の人をくどいてる! オノの言った通りだ!」

「人聞きの悪いこと言うんじゃねーよ。つーかなに悪い言葉教えてんだ姉貴は……」


 そしてその姉はというと、すでに事後処理に回ってくれている。

 3バカを適当に路地裏にでも転がし、勤務中の祓魔官をここへ派遣要請するよう助言している。明日の朝までの整備を斡旋すれば十分だろう。


 一方リュージュは淫魔たちを侍らせまくり、しきりに声をかけている。これをメンタルケアと呼ぶならまあそうなので、珍しく自主的に働いていた。


 そして被害者の傷はヒメキアが治したところで、ソネシエに撫でられて笑っていた。

 デュロン自身の傷はすでに自前の再生能力で全快だが、精神的に癒される。


 イリャヒが近づいてきて壁際に誘い、デュロンに耳打ちした。

「なにかね、『計画』だの『救済』だの、不穏な言葉が怪しげな客たちの口から漏れているようですね。全貌は掴めませんが、やはりまだ警戒は必要なようですよ」


 そしてそれを一番実感しているのは、それらの情報を直接聞かされた淫魔サキュバスたちだろう。

 だからデュロンは仲間たちを背に、彼女らへ強気で笑ってみせた。


「まー、心配すんなって。俺らが守ってやる。世界の平和ってやつをな」


 できるから言うわけではない。口火を切って戦わなければ、話が始まらないだけだ。

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