第20話 猫を見せてくれるおじさん


 唐突で衝撃的な告白だった。街を歩きながら、オノリーヌが内訳を推測する。


「不死鳥は死ぬと灰になり、そこから自分を再構築するとされている。すなわち肉体が完全に更新されるわけで、頭に入っていた記憶も散逸してしまうのだろう。

 不死鳥人ワーフェニックスが人型魔族という条件を鑑みると、一種の精神防衛機能と考えられる。記憶を保ったまま幾星霜を生きると、少なからずイカレていく。吸血鬼などが代表例だね」

「呼びました?」

 茶々を入れるイリャヒをソネシエが蹴飛ばして黙らせ、話が再開される。


「そこも不死鳥の特性が反映されるなら、ヒメキアの持つ時間の尺は桁外れのはず」

「そうなの。あたしはすごく長生きするんだけど、ねこたちがいるから寂しくないよ。それに、死ぬと赤ちゃんになるけど、殺されると、今のあたしのままで記憶だけなくすんだって、パパが言ってた」


 精神年齢も低いので忘れそうになるが、彼女は16歳だ。つまり外的要因によって、たとえば16歳で殺されれば、そのままの年格好で復活するということのようだ。


「あたしが保護されてたどこか遠い村でひどいことが起きて、あたしだけが殺されずに震えてるところに、パパが来たみたいなの。

 パパはあたしの心を救うために、あたしを一回殺したんだって。ヒメキアって名前はそのときに付けたって言ってたよ」


 そのできごとが起きたのが、約2年前らしい。

 他人事のように聞こえるのはすべてが伝聞だからなのだが、どうにも地に足が着かない。


 というかそのときの記憶のない、それどころか肉体が更新された「後のヒメキア」にとっては、厳密に言うと本当に他人事なのだ。

 デュロンは思わず尋ねた。


「ヒメキアは、その……不安になることはないか?」

「大丈夫だよ。あたしにはねこもパパも、それに、デュロンたちだっているよ」


 無害な異常は自覚症状だ。常識を知らなければ、普通でない自分に苦しむこともない。

 ウォルコが作った箱庭の中で生き、それを幸せに感じているなら、今あえて壊す必要はない。そう判断したデュロンは、なんでもないと言葉を濁した。


 今日も今日とて〈教会都市〉ミレインはお祭りムードだ。陽気な楽団が列を成し、否応なく気分を盛り上げてくれる。祝わなければ失礼というものだろう。


〈恩赦の宣告〉と呼ばれる、神の力の消失……これがなければ最悪、デュロンたちはこうして生まれてさえいなかった可能性もあるのだから。


 忘れずに例の条件2つを満たし、ヒメキアを市内から出さず、ねこかわいいねと言いながら野良猫を撫で回す彼女を、デュロンたち護衛チームは和やかに見守る。


 ……しかし前者はともかく、後者は条件として設定する必要があったのか? とデュロンは疑問に思い始めた。


「こんにちは!」

「おっ、おちびちゃんじゃん」「元気でやってる?」「お菓子食うかい?」

 ヒメキアは猫たちだけでなく、祓魔官の黒服に遭遇するたび、律儀に挨拶していた。

 寮の談話室や食堂でもそうだったので、単にそういう性格だから、それに合わせてやってほしいというだけの趣旨かもしれない。


 そんなことを考えているうちに、いきなり後ろから声をかけられて、デュロンはビクッとした。


「おう。お前ら、ここにいたか」


 路地裏に突如現れた大男に反射で身構える一行だったが、即座に脱力する。


 長髪をソフトモヒカンに整え、競走馬のように筋骨隆々……祓魔管理官エクソスマスターのベルエフ・ダマシニコフである。


「旦那、昨日は呼び出す格好になって悪かった」

「お前らこそ、休日にご苦労だったな。

 ……ああ、それに関して、さらに追及があるってわけじゃねえ。関係なくはないが、別件だ。

 ちょいとヒメキアちゃんの力を借りたい。全員でついてきてくれても構わねえが、今頼めるか?」


 内容は大方見当がついた。ヒメキアはまだベルエフが少し怖いようで、おずおずと対峙しつつも問う。

「あたしにできることですか? 誰かを治す仕事?」

「察しがいいね。お願いできるか、ヒメキア?」

「そっか! あたし、やるよ!」

 というわけで、一同はぞろぞろと移動した。



 ベルエフに先導されたのは、ミレイン市の聖職者たちの拠点である聖ドナティアロ教会、地下牢の独房の1つだった。

 ベルエフの顔を見て牢番が頷き、案内してくれる。


 狭苦しくジメジメし、両側に鉄格子の並ぶ廊下を歩くのは息が詰まるものがあったが、房内は比較的清潔に整えられていた。


 ベッドに横たわり厳重に拘束されているのは、昨日さんざん見た顔だ。

 あの戦いは勝ったと言えるほど立派なものではなかったが、デュロンはいちおう上から喋ることにした。


「よー、喰屍鬼グールのサイラスくんじゃねーか。調子はどうよ?」

「……昨日からずいぶん馴れ馴れしいがね、お前はいったい誰ね?」

「おいおい、つれねーな。俺たちの仲じゃねーの。つーかお前がそれを言うのかよ」


 やはり演技臭はなく、本当に記憶が飛んでいるようだ。ついでなのでデュロンはヒメキアを差し出し、挨拶させてみる。

「こんにちは! もうでっかいばけものになったり、ぶたを呼んだりするのはやめてね!」

「お前も誰ね? オイラの知り合いにひよこはいなかったはずだね」

「あ、あたしひよこじゃないよ! すべてのねこの支配者だよ!」


 暴れるヒメキアを押さえつつ、デュロンがベルエフを伺うと、彼はため息を吐いた。


「この通りでな。どうもここ数ヶ月の記憶が遡って全損しちまってるらしい。悪魔の意図がわからんからなんとも言えねえが、単にそれが記憶を徴収する際の上限なのか……」

「あるいは」と、オノリーヌがその先を引き取る。「昨日デュロンとヒメキアに敗けた腹いせで、悪魔が嫌がらせをしたのかもね。

 つまりサイラスが保持していた、我々が知ると得するなんらかの重要情報を完全消去するため、関連項目が点在する数ヶ月分の記憶をまとめて吹っ飛ばしたとか。

 だとするともう、推量による穴埋めなどでどうにかなるレベルではないのだよ」


「できるとすれば、丸ごと復元する以外にない。だから彼女が呼ばれた、ということ」

 ソネシエの指摘を受けて全員の注目を浴び、ヒメキアは瞠目した。


「あ、あたし? でもサイラスくん、ケガは全部治ってるみたいだよ」

「体はな。だがどうも頭の方をやっちやってるようなんだ。頼むぜヒメキアちゃん」

「わかった、任せて! いっくよー。それー!」


 ヒメキアは張り切り倒し、相手が敵であることも忘れている様子だ。

 極めて能天気に、キラキラしたちょっとアホっぽいオーラを出すヒメキア。そういえば彼女の能力を正視するのは、全員これが初めてだった。


 たっぷりと頭に注がれるサイラスは、少なくとも外見上の変化はない。

 ベッドに片脚を乗せつつ、ベルエフが尋ねる。彼を含む3人の人狼が、反応に注意する。


「どうよ気分は。なんか思い出したか?」

「駄目ね、思い出せん」嘘ではない。「なんだか知らんが、すまんねひよこちゃん」

「ううん、あたしこそ治せなくてごめんね? ……ひよこじゃないけどね! ひよこじゃないって言ったのに!」

「こらこら、落ち着きなさいな」


 いくら不死鳥の権能でも頭脳や精神に関しては管轄外のようで、復元は行われなかった。

 むしろ記憶に限っては壊す方が専門とすら言えるため、当然の結果かもしれない。


「ヒメキアちゃんで駄目なら打つ手がねえな。こうなると記憶が戻らねえことを前提に、処遇を決めなきゃならねえ。すなわち……」

「……な、なんね? オイラどうなるね?」


 デュロンにはその内訳がわかった。ギャディーヤ一味のように処刑か、さもなくばだ。

 剣呑な言い回しにヒメキアが怯えたため、ベルエフは快活に笑ってみせる。


「まっ、それはこっちの話だ。つーわけで、わざわざ来てくれてありがとうな、ヒメキア。

 手の施しようがねえってわかるのも、一種の成果だ。サイラスが心配かもしれねえが、なに、悪いようにはしねえ。おじさんに任せるんだゾッ♬」

「……は、はい……あたし、いいことしたよ……」

「旦那……アンタのお茶目な顔は、はっきり言って事故レベルで怖いぜ……」

「そんなこと言わずにネッ☆」

「ウィンクに至ってはもはや事案なのだよ」


 最後に特に意味もなくドギツいトラウマを植え付けられた一行は、さっさと引き上げることにした。

 その退却線上に、太陽のような頭部のシルエットが重なった。


「あっ、パパだ!」

 ヒメキアの声が即座に弾む。

 ウォルコ・ウィラプスは昨日とは打って変わって、にこやかに手を振っていた。



「おいウォルコ、なんでここに居やがる。司祭権限を持つ管理官マスターかそいつの許可した相手じゃなきゃ、このフロアには立ち入れねえはずだぜ。さては……」


 ギロリと糾弾の矛先を向けられた中年の牢番が、ばつが悪そうに横を向く。知り合いだからとつい入れてしまったのだろう。ウォルコはわりと方々に顔が効くし、信用もされている。


「彼を責めないでくれ。俺が無理を言ったんだよ。どうしてもヒメキアが心配でさ」

「ったく……なんのためにお前に一言断りを入れたと思ってんだ。つーかそれじゃ護衛を信頼してねえことになっちまうだろ」

「そんなわけないさ。だけど、念のためね……わかるだろ?」ウォルコに一瞥され、獄中のサイラスがビクッと反応した。「やれやれ、どうもここは黴臭くていけない。さっさとお暇させてもらうよ」

「おうおう、行け行け。つーかそもそも来るんじゃねえよ」


 ベルエフは地下へ留まり、デュロンたちはウォルコの先導を受けて地上へ向かう……が。


「よォーウォルコ。かわいいかわいい小鳥ちゃんの調子はどうだァ?」


 不意に横合いから殺気と濁声だみごえが、暴風のように襲いかかる。

「ひっ!」

 真っ先に跳び上がったのはヒメキアで、彼女につられて全員が振り向いた。


 厳重極まる独房に巨躯を押し込められた、重戦車のごとき大鬼オーガ……ガミブレウ派の長、ギャディーヤだ。

 鉄格子を両手の指で鷲掴みにし、隙間から太い鼻っ柱をはみ出させて、怪力でガチャガチャ揺らしてくる。


「お嬢ちゃァ〜ん、さっきのお話、聞こえてたぜェ〜ん。猫が好きだそうだなァ? 見せてやるよォ、とびきり毛並みが良くてゴージャスでェ、最上級の血統書がついたやつをなァ〜!」


「取り合っちゃ駄目だぞ、ヒメキア。知らないおじさんに返事しちゃいけませんって、いつも教えてるね?」

「う、うん。ねこ見せてくるおじさんにも、ついてっちゃいけないんだよね」


 養女を愛でた浅葱色の眼で、ウォルコはギャディーヤを見据えて寸鉄を打つ。

「お前の拘留期間はじきに終わる。死刑になる前に俺の〈爪〉で厚切りベーコンにされたくなけりゃ、今しばらく黙っていろ」

「おォ恐ろしや、さすがミレインの星、最強の爪と呼ばれるだけのことはある。

 ところでよォー? ライオンの肉って美味いんだっけか? アァン? 投獄してくれた借りは返さなきゃなァー? 手始めに……」


 ギャディーヤがその後なんと言おうとしたのかはわからない。

 しかし、目線がヒメキアを捉えていたのと、こういうときに悪党がさえずる常套句を考えたとき、ウォルコの即断は無理からぬものだった。


 ギガァン! と凄まじい音がして、鉄格子が鉄琴のように奏でられた。

 一拍遅れて、ギャディーヤの野太い悲鳴が、地下牢に響き渡った。

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