恩赦祭 2日目
第19話 あくまってなに?
4月30日、〈恩赦祭〉2日目。この日は祝祭の本番とも言え、夕方には伝統的な季節の祭事も行われる。
「さて、では悪魔崇拝教団〈
朝食の席でイリャヒが、ヒメキアと護衛たちに提案した。
すでに食事を終えて独りチェスをしているオノリーヌ以外の、全員が注目する。
誰かと対戦すれば良さそうなものだが、強すぎて皆に敬遠されるのだ。しかも手加減を知らない。
ときどき寂しくて涙目になっている彼女にデュロンが付き合い、ボコボコにやられるくらいか。
「今しゃら必要にゃいのではないか?」
行儀悪くパンを咥えたままで答えるリュージュの頭を、ソネシエが軽く叩く。取り落としたパンを見事キャッチし、クルクル回しながら続きを喋るリュージュ。
「
もう1発頭を叩かれたリュージュは、ソネシエのふてぶてしい無表情を見返す。
「なにをするのだ、さっきから! わたしの優秀な頭脳がアレになってしまったら、責任取って養ってくれるのであろうな!? それともそういう主旨の遠回しなプロポーズか!? 素直になれないお年頃なのか、オォン!? ソネシエ・ゼボヴィッチか、リュージュ・リャルリャドネか、それが問題であるなあ……ん? どちらもわりと語呂が良い……」
「問題ない。あなたの頭はすでにおかしい」
「ふひひ。照れているのであるな?」
ヘラヘラしながら肩をすくめてみせるリュージュに、イリャヒはあまりにもいつものことであるため、なにごともなかったかのようにスルーし、鷹揚に答える。
「念のためですよ。それにいい勉強の機会です。ヒメキアは初めてでしょうから、質問があったら挙手しなさいね」
「はーい」
いいお返事に微笑むと、吸血鬼は食堂の後方へ歩き、献立や掃除当番が書かれた黒板の前に立つ。なにも書かれていない左半分のスペースに、白墨で大きな楕円を描いた。
「〈永久の産褥〉」と、まずは組織名を大書した。「構成員数は700名を超えます。ジュナス教会に敵対する邪教の集団としては、大規模のものに相当します。なにせこのミレイン市内に勤務する
特徴としては各教派に分かれていて、それぞれが別々の悪魔を崇拝していることが挙げられます。悪魔を邪神と言い換えるなら、一種の多神教と呼ぶことができますね」
謎の動物のようなものがたくさん描かれ、ゲロのようなものを吐きかけ合う。イリャヒはなかなか難解な絵を描くいわゆる「画伯」なのだが、本人が自覚しているかは不明だ。
「1つ幸いなのは、彼らが非常に足並みの揃いづらい性格を持つ組織だという点です。たとえば悪魔を召喚するに足る資源や道具が整ったとしましょう。するとまずもってどの悪魔を呼び出すかを巡り、各派閥間で一悶着あるはず。こっそりやろうとしても横槍が入るべく、普段から相互監視が働いているわけですね」
「あくまかー……」首をかしげて、挙手するヒメキア。「はーい、イリャヒさん」
「なんでしょう、ヒメキア?」
「あくまってなに? 前にパパが教えてくれたけど、難しくてよくわかんなかったよ」
イリャヒは妹が説明したそうにしているのを察し、勢いよく彼女を指名した。
「はいソネシエ、悪魔という存在を簡潔に説明しなさい!」
ソネシエは期待顔のヒメキアをじっと見つめ、少し考えてから口を開く。
「悪魔とは不可侵の異界存在とされる概念的生物、または生物的概念。
擬似的にこの世界の動物に近い形象を取り、わたしたち魔族と同じように炎や氷などの属性を持つけれど、権能の質は段違い。
使い方次第で都市一つが滅びたという、人間時代の記録もある」
「よろしい。ですが悪魔は基本的にこちらの世界の者が召喚しなければ、こちらの世界へ来ることはありません。さらに代償として血の贄を要求するようです。
条件を整えて儀式を行い、呼ばれて飛び出てこんばんは。あら悪魔さんごきげんよう、調子はいかがかしら。
しかし恐るるなかれ、悪さをするにはまだ早い。単なる魔力の塊で、厳密には違いますが、霊体に近いようなものとでも思ってください」
兄の説明を、妹が補足していく。
「この、とりあえず会話できるという段階を〈顕出〉状態と呼ぶ。まだ悪魔は姿を現しただけで、言葉で惑わす以外にこちらへの干渉ができない」
3日前の晩に水盆の上で棚引いていたガミブレウも、昨日完全に〈顕出〉していたアネグトンも、確かにあの段階では喋っていただけだった。
「続けます」とイリャヒ。「召喚するのは勝手ですが、術者が悪魔に指定できるのは、誰の体を乗っ取り暴れさせるかという、哀れな被害者の名前だけなんです」
「こういった乗っ取り現象を〈憑依〉といい、操り人形にされる肉体を〈依代〉と呼ぶ。
兄さんに倣って悪魔を邪神と言い換えるならば、悪魔は人格神でもある。
憑依した肉体の主導権を奪おうとしてくるのだけれど、抵抗に失敗すると一時的に人格を交代させられる」
昨日サイラスが実例を見せてくれた通りだ。ただ、著しく消耗していたとはいえ、自分から主導権を譲るというのはレアケースだろう。
「自分で舵を取れるかどうかは別として、肉体を貸す依代側にも、単純な戦闘能力という意味では恩恵もあります。
一時的に体質が変化し、筋力や再生力は基本的に向上します。
使える魔術の属性が変化したり、または増加したり、火力が伸びたりもするそうな」
イリャヒは黒板にわけのわからない肉の塊や、燃え盛る猫のようななにかや、トゲトゲしてなにかを出しているなにかを描いていく。
なにを描写したいのかはなんとなくわかるが、絵が下手くそすぎてまったく解説図になっていない。
そしていずれにせよ、非戦闘員であるヒメキアの関心は別のところにあった。
「あくまはねこが好きかな? あくまはなにが好きなの?」
もはや単に楽しくてやっているだけの落書きの手を止め、イリャヒがこれまた楽しくてやっているだけの説明を続ける。
「悪魔がどういう生命体で、異界というのがどこにあるどんな場所なのかは、残念ながら解明されていません。
わかっているのはただ、彼らがこちらの世界を観測し、遊びに誘われるのを待っているらしいことだけです……つまり、召喚されるのをね」
たぶん時空の狭間を開いて顕出してくる様を描きたいのだろう、イリャヒはわけのわからないものがわけのわからないことになっている絵を描いていてもう全部わけがわからない。
しかし「わからない」というその事実と、そこから来る不気味さや異物感はよく表現できていて、芸術というのはこういうところから生まれるのかもと、デュロンはなんだか感心した。
「悪魔に渡航目的を訪ねたのならば、観光、巡礼、または破壊活動と答えることでしょう。
彼らにとってはこちらの世界の平和や秩序など鼻くそ同然なので、派手に騒げて楽しいかどうかを基準に行動するとされています。
彼らは究極の享楽主義者にして、ある種の淘汰圧的存在なのです」
イリャヒの手により、わけのわからない存在が「たのしい!」と言っている。これ自体が恐怖そのものだ。
「呼ばれなければ出てこられないのも、そう限定しないと好き放題暴れて滅ぼせてしまい、自由度が高すぎてつまらなくなるからだ、と言われています。まさに上位存在といったところですね」
「彼らはとにかく強い依代が好き。お気に入りの着ぐるみに入り、悪魔同士で代理戦闘を行うというのも、競技感覚でやるらしい。おそらく、鎧を着て殴り合う感覚なのだと思われる。猫が好きかどうかはわからない」
「ああ、あと嫌いなものはわかっています。それは我々魔族と同じで、銀ですね。こればかりは彼らもどうしようもないようです」
吸血鬼兄妹が説明を終えると、ヒメキアの眉尻が下がっていた。
「……うん。なんとなく、わかったと思う。あくま、やばいね!」
簡潔極まる総括に頷きつつも、ソネシエは最大の懸念を口にする。
「覚えておいてほしいのは、ヒメキア、あなたが狙われているのは最初の段階、〈顕出〉の媒介の役目を果たしうるから。すべての起点ゆえに、熱望されるということ」
「そうなんだ……でもあたし、昨日みたいにねこを見てぼーっとしてて、わーってさらわれちゃうかもしれないよ。そうなったらごめんね……」
身もふたもない表現だが、その可能性がないとは言い切れない。
静まり返った食堂に、靴音と声が響く。
「ヒメキア、次に目の前に悪魔が現れたときのために、いいおまじないを教えよう」
オノリーヌだ。いちおう聞いてはいたらしい。
姉はヒメキアに歩み寄り、他の誰にも聞こえない音量で、こしょこしょとなにごとかを耳打ちする。
「……えっ? それがおまじないなの?」
「そうとも。念のため3度ほど連続で唱えるといいのだよ。あとはまあ、なるようになるさ。
ただ……おそらくこれで、
「いきなり意味不明なテンションで仕切り始めるのやめてくださいよ、オノリーヌ。マイペースすぎるでしょう。デュロン、あなたのお姉さんですよ」
「姉貴、チェス盤片付けて髪整えて……いやその前にまず着替えてきなさい。ったく、集中すると全部忘れるよな……お前ら、そのわんこを頼む」
「子供扱いするでないのだよ。ああーわたしが引き立てられていく!」
今さらだがデュロンは、生活態度がグダグダであるという点で、オノリーヌもリュージュと同じ系統の女である気がしてきた。
女性陣の(というか主にわんこの)身支度を、デュロンはイリャヒと食堂の壁にもたれて待つ。
デュロンは時間潰しを兼ね、生半可な知識を総動員して、意味もなく煽ってみる。
「そういや憑依対象の指定は、術者以外でもできるらしいな。だから悪魔の前で不用意に誰かの名前を呼ぶと、そいつに取り憑いちまうそうな。次に俺が遭遇したら、真っ先にお前を指名してやるよ」
「はっはっ、ご冗談を。私の貧弱極まる体では、悪魔の方が御免被るでしょう」
それより、と前置きし、イリャヒの左眼が危険な発想の光を放つ。
「敵の親玉におっ被せ、暴走させたりすると面白いでしょうね」
「それ可能だとして、市街戦で成功しちまったら、めちゃくちゃ大問題になるぞ……」
「たとえばですってば。もっとも制御して悪魔の力を引き出され、手がつけられなくなったら、場所や状況に関係なく大惨事ですけどね。
憑依への抵抗力はシンプルに肉体と精神の強さだそうなので、手練れを嵌め殺すのは難しいでしょう。
では私からも豆知識を1つ」
そう言ってイリャヒは、性懲りもなく黒板に模式できていない模式図を描く。
何者かの頭蓋骨から脳が飛び出ている絵だ。ここまで意味不明だともはや感動すら覚える。
「悪魔に憑依された者は、記憶がすっぽり抜け落ちることがあるとか」
「これ脳が抜けてねーか」
「うるさいですね……似たようなものでしょうに。それもですね、悪魔の都合で記憶を部分的に消されるというのですから恐ろしい」
ゲンナリしていたデュロンだが、ようやくピンときた。
「そうか、だから昨日、サイラスは憑依の後であんなんなってたのか」
「ええ、そういう報告でしたね。ですから今、ベルエフ氏は彼の尋問に難儀しておられるはずですよ。せっかくの情報源が記憶喪失ではね。対応策があるとすれば……」
「……悪魔につかれると、なにかを忘れるの?」
いつの間にか2人の正面に影が差し、無害な幼鳥が首をかしげていた。
「ん? ああ、らしいって話だ。それよりヒメキア、いい帽子だな」
昨日はなかった装備が1つ増えていた。ヒメキアは大きな帽子を嬉しそうに引っ張る。
「昨日の夜パパが部屋の窓に来て、あたしにくれたんだよ。屋台で見つけて買ったんだって」
ウォルコの親バカぶりは相変わらずで、暗渠での豹変ぶりも、さもありなんという感じだ。
ふと童顔が
「あのね、あたしは14歳までの記憶がないんだ。でも悪魔のせいとかじゃなくて、パパが一回殺してくれたおかげなんだよ」
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