第17話 泥中の天使
「ぶっはっ!」
即座に意識を取り戻し、水から体を起こすサイラス。だが立っているのも難しい様子で、すぐまた膝から崩れ落ちた。
げぼげぼと吐く血に、暗緑色の細かな欠片が混じっている。砕けた〈結界石〉だ。
どこに石を持っているのかと思ったらこの男、なんでも喰えるという
デュロンは警戒を解かず、離れてしまったヒメキアの方へ、ゆっくり後退して近づく。
「ヒメキア、まだ結界を解くなよ。『俺から離れるなよ』だぞ」
「う、うん! デュロン、大丈夫だよね?」
一方、サイラスの後ろからは
「……仕方ないわね、加勢するわ。逆にデュロンを人質に取れば、ヒメキアを引きずり出せるでしょう」
「……加勢? 人質? なにを言ってるね? というかお前、レミレ・バヒューテね?」
「……? 別にフルネームくらい構わないけれど、あまり敵地で情報を……」
「いや、そもそもここはどこね? オイラなんでこんなとこにいるね?」
なにかサイラスの様子がおかしい。いまいち
さすがの
そしてその停滞を待っていたかのように、地上から強大な存在感が落下してきた。
「あ!」ヒメキアが安心し、結界を解いた。「パパだ!」
獣人には様々な種族がいるが、そのほとんどが一滴も魔力を持たないものたちばかり。例外はほぼ猫系肉食獣の系統に集中しており、彼らは固有魔術を獲得している。
広がる波紋の大きさが、迸る怒りのそれに見える。
「やあ、2人とも無事だな? よくやってくれた。あとは俺に任せてくれ」
見せた横顔は、猛り狂う笑み。
「……潮時ね。アデュー、サイラス」
対峙した瞬間に逆立ちしても勝てないと悟ったようで、
淡白な後ろ姿を、サイラスが必死で呼び止める。
「おい、レミレ! 説明くらいしていくね! この、クソビッ」
消える背中に浴びせられる罵声は、滑らかな靴先で封じられた。
無言で無表情のまま顔面への蹴り。普段が陽気なだけに、ウォルコの機械的な行動が恐ろしい。
転がったサイラスはレミレの後を追い、汚水の中を這った。ウォルコを一瞥もしないのは、彼なりの逃避行動だろう。当の
「あいつは俺が追う。お前たちは先に地上へ帰りなさい。ヒメキア、飛べるね?」
「う、うん。でも、デュロンを引っ張って上げられるかわかんないよ……」
「ああ、それなら問題ないさ。デュロンはめちゃくちゃ頑丈だから、一回か二回くらいなら落っことしても死にはしないよ」
「それはいくらなんでも問題あるぞ、旦那……」
どこまで冗談で言っているのか、ウォルコは笑い声を上げて立ち去った。ようやく一息吐いたデュロンを、ヒメキアが半ばしがみつくような格好で心配してくる。
「デュロン、大丈夫? すごい怪我してたよね?」
「お、おお? いや、大丈夫だ。お前が二回も全回復してくれたし。ありがとうな」
自前の再生能力がまるで追いつかず、ヒメキアがいなければ軽く三回は死んでいたところだ。戦法としてもあまりに雑すぎた。
「ウォルコやベルエフの旦那なら、もっとスマートにやれたんだろうけどな……」
「ううん、デュロンかっこよかったよ。ねこみたいだった」
それは彼女にとって最大級の賛辞なのだろう。にこにこ笑う顔を見ていると、デュロンの胸に言いようのない感情が湧き上がってくる。これはただの庇護欲なのだろうか?
「ヒメキア……俺は、ちゃんとお前を……」
「……言っておくけれど、ヒメキアは基本的にわたしのもの」
不意に降って湧いた声に2人して跳び上がると、いつの間にかソネシエがすぐ近くまで戻ってきていた。
彼女はヒメキアと抱き合う傍ら、なぜかデュロンを不機嫌そうに見て言う。
「わたしとヒメキアの腕力……はともかく、わたしたちの翼の持つ
「ソネシエちゃん、その言いかたはよくないと思うよ!」
自分が年上であることを思い出したのか、わーっと叱りつけるヒメキアを、ソネシエは冷静に見返す。
「ヒメキア、この男はこれで体重が」そこで耳打ちする。「……以上もある」
「そ、そうなの? わー……」
「その眼やめろ……筋密度が高いんだ、太ってるわけじゃねーんだ」
とにかくその方針で話がまとまり、2人はデュロンの挙げた手をそれぞれ掴んだ。
ヒメキアの羽毛の、ソネシエの皮膜の翼が一生懸命羽ばたいて、上へ上へと運んでくれる……のだが。
「……なあ…なんかこの、天に召されてる的な感じどうにかなんねーのか……?」
「文句を言うなら手を離す。地下水路の肥やしになりたいの」
「運搬される家畜の分際ですいませんでした、よろしくお願いします」
うんうん唸って頑張ってくれる2人を応援しながら、デュロンはふと視線を上に移す。
3人と入れ違いに、誰かが降下してくるところだった。
一方のウォルコは、サイラスを極めて作業的に追い立てていた。
何度目か蹴飛ばされ、爆裂の餌食となったサイラスは、それでも這って逃げる。タフな男だが、とうに再生限界を迎えており、重傷に
レミレというあの女は姿を晦ましたが、それはいい。問題はこの男だ。
ウォルコは怒りで頭が沸騰し、顔が嗜虐に歪むことを自覚する。
「お前みたいな奴が一番困るんだよ。誰がヒメキアを、お前らみたいな連中に指一本でも触れさせると思った?
なんのために一番信頼できるデュロンたちを護衛につけてると思ってる。勘違いするなよ。あの子の自由は、そんなに安くないんだ」
ようやく嘲笑が鼻から抜けたウォルコは、冷淡に告げる。
「俺を出し抜くつもりだったようだけど、残念だな。お前ら〈永久の産褥〉の汚い計画は、ここで終わりだ。意味はわかるな?」
「……わからんね、なにもかもわからんね!」
絶望ついでに介錯もしてやろうと、ウォルコの思念が魔力を紡ぐ。
発動直前に割って入ったのは、見慣れた大柄な姿だった。
「ベルエフさん……」
「待て、ウォルコ。全員殺しちまったらなにも訊けなくなる。こいつは残しておけ」
「そ、そうね!」サイラスが必死で這い、ベルエフに取り縋る。「助かったね! あんたはまだ話が通じそうだね……つーかここはどこで、あんたたちは誰ね?」
「……なんだお前、どうした? もしかして記憶がブッ飛んでやがるのか?」
それを聞き、ウォルコの殺意が少しだけ治まる。が、やはり思い直した。
「……だとしても念のため……いや、むしろ情報を取れない用済み物件なんだから、ここで殺しておくべきだと思うよ、ベルエフさん」
「待て待て、本当に性急だなお前は。こいつは捕虜に取る、いいな?」
横紙破りの通じるような相手でないことはよくわかっている。
しばらく睨み合い、やがてウォルコは肩をすくめて、元来た道を引き返していった。
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