第16話 まつろわぬ豚の王と凡庸な道具


 いきなりの展開について行けない。ヒメキアも唖然としているのがわかる。


【なるほど!】

 奇妙に響く異界からの声は、開口一番賞賛してみせた。

【質で駄目なら量で押せとは、なんともアホな若者らしい発想で本官納得ッ!

 てきとーに8個並べたかと思いきや、ちゃんと人魚や吸血鬼並みの魔力を持つ種族の肉を厳選合挽きしていたのだなッ!

 すなわち貴官自身が生贄用の混成獣キメラとなり、自滅して血を捧げるという策だったかッ!】


「内臓機能は無理でも、血の性質までは模倣できるね。それより時間が惜しい」

【貴官、すでにボロボロであるぞッ! かくなる上はッ……】

「貴官にするね、異界の大将軍アネグトン様」

【潔しッ! ますます気に入ったッ!!】


 向こうで勝手に話が進んでいる。豚の悪魔アネグトンは再度暗黒物質化し、その状態でサイラスの心臓のあたりへ侵入した。サイラスの体に奇妙な震えが走り、白目を剥く。


 アネグトンはサイラスに憑依したのだ。


 彼自身の意識が喪失したためか、立方体の結界が解ける。だがこうなってしまっては、依然逃げ場はない。

 彼の味方のはずの蝶形仮面パピヨンマスクすら水路の奥へ退避した。つまりそういうことだ。


 グリン、と黒目が戻り、サイラスが声はそのままに、別物の口調で話し出す。

「本官、ハザーク氏に通達すッ! この体、まことにしっくりくるッ!」

「そーかよ、だがそいつはサイラス本人に言ってやれ」

「当官なら聞いておるッ!」

 つまりサイラス自身の意識は、体の奥に引っ込んでいるということらしい。


「本官、ハザーク氏に重ねて通達すッ! 本官の活動時間は残り2分と10秒ほどッ! これでもわりと長い方だが、時間稼ぎは考えるでないぞッ!

 その生贄を放り、ただちに投降せよッ! これは当官マッカーキの進言でもあるッ!」


 その言葉に呼応するように、水路から無数の影が立ち上がった。


「うわ……!」

 ヒメキアが小さく声を上げるが、なんのことはない、泥を固めて作られた戦闘木偶ゴーレムだ。駆動中枢があるわけではなく、アネグトンが直接魔力で操っているのだろう。


 次いで、満身創痍でほぼ再生限界状態だったサイラスの体が、急速に修復されていく。

 駆動に支障が出ないよう、乗っ取り中のアネグトンが自前の魔力で回復しているのだろう。


 なるほどそういうことがあるのかと感心し、デュロンは不敵な笑みを浮かべる。

「お優しいことで涙が出てくるが、『その生贄』ってのはヒメキアのことか? だったらテメーら、ちょっと舐めすぎだぜ」


 同程度に損傷していたはずのデュロンの方も、いつの間にか全快している。誰の仕事かは言うまでもない。

「悪魔がどうした、こっちには不死鳥の加護があるんだ。雑魚同士仲良くつるんでろ!」

「残り一〇八ひとまるはち秒、交渉決裂、開・戦ッ!」


 やむを得ない状況だった。デュロンはヒメキアを後ろへ置き去りにして、泥人形らを力尽くで薙ぎ払い、一気にアネグトン入りサイラスへの距離を詰める。

 泥人形らはヒメキアに殺到するが、アネグトンを祓えば即消える。

 ……そんなことができればの話だが。デュロンの後ろから、悲壮な声が追ってくる。


「デュロン!」

「ヒメキア、大丈夫か!? !」

「無茶を言う! 護衛という言葉の意味も知らんか、赤子がッ!」


 アネグトンがサイラスの顔に、暑苦しい笑みを浮かべる。奴の言う通りだ。

 不安定な足場での蹴りを数発、アネグトンに避けられる。


 しかし、デュロンは動じない。

「ああ、確かに俺は護衛失格だな……」


 泥人形らの挟撃を後方空中回転で躱し、デュロンは逆さになった一瞬で後方を確認した。

 まさに今、ヒメキアは大量の泥人形に取り囲まれ、なすすべなく縮こまっているところだ。


 無垢な童顔へ、穢れそのものを凝縮した魔手が容赦なく伸びる。


「……に、大事な役目を譲っちまうとはよ!」


 瞬間、ヒメキアの周囲に魔力の障壁が、6枚1組の立方体で現れた。

 泥人形どもの掌は結界の表面で弾けてこびりつき、幽霊屋敷の窓さながらだ。

 全周囲まれ真っ黒になるが、中からくぐもった声が響いてきた。


「うん! デュロン、あたし大丈夫だよ! でも怖いから、後でこっち来てね!」

「ごめんな、少しだけ我慢してくれ! あと、よく判断が間に合った! 無茶言ってすまん!」


 地上でベルエフに授けられた結界石に関して、ヒメキアが使う際の簡単な条件付けがなされており、イリャヒが例のイラつく物真似で繰り返し彼女に覚えさせていた。

『俺から離れるなよ』、だ。つまり最高品質の肉壁であるデュロンがヒメキアから離れざるを得ない状況に陥ったら、お守りの出番というわけである。

 不本意だが、合理性が優先だ。


「小癪ッ! そんなものがあるなら、最初から使うがいいッ!」

「そしたらお前ら、諦めて逃げちまうだろうがよ。切り札を出し惜しみしねーと、楽した分だけ後からしっぺ返しが来るってもんだ!」


 結界石の隔壁は、耐久性も持続性も、使い手の魔力に依存するとサイラスが言っていた。

 悪魔すら求める最高純度、無限の命を司る無尽の魔力を持つのがヒメキアなのだ。消耗戦で勝負になるわけがなく、精神面の方が心配なくらいだ。


 そして、それは肉弾戦の方にも言える。

 泥人形をどれだけガチガチに硬化錬成しようと巨大化させようと、デュロンが放つ突きや蹴りの数発で砕け散る。

「ハハッ! 俺に格闘で、ヒメキアに魔力で挑んだのが運の尽きだな!」


「……なるほど、言う通りだ。ならば少々やり方を変えよう」


「!?」

 急に底冷えするアネグトンの口調に、デュロンの肝も冷えた。


 場の雰囲気が一転する。デュロンの嗅覚はながすぐに異常を訴えた。

 吹き飛んだ泥人形らの欠片が再生するが、さっきまでと様子が……具体的には構成物質が微妙だが顕著に違う。

 元が不衛生極まる地下の汚泥だ、大幅に組成を弄る必要はなかったのだろう。


 アネグトンはサイラスの口から涎の糸を引いた。それは歓喜ではなく獰猛な殺意によるものだ。

「人狼の弱点の1つにトリカブトが挙げられるが、その理由を貴官はなんと心得る?」

「……それ……おま」


 教官の質問にデュロンが当惑するのはいつものことだが、今はその理由が喀血かっけつだ。

 体調不良の部下をいびるように、アネグトンはサイラスの顔で酷薄に笑む。


「答えは単純明快。かの猛毒が、人狼の生体活性にさえ通じる強度というだけの話だッ!」

 別にトリカブト毒そのものを錬成したわけではない。どれだけ夾雑物が混じろうが成分が小鬼の糞だろうが、とにかく強毒を錬成すればいいのだから。


 呼吸器と皮膚、両方から曝露したデュロンは一瞬でグロッキー、爛れた両手で鼻と口を覆う。眼もすでにほとんど見えず、全身を激痛が襲い、平衡感覚どころか意識も危うい。


「がは! ア、くそ、がっ……!」


 いくらなんでも毒の回りが早すぎると思ったら、異様な閉塞感には物理的な実体がある。サイラスはまだ結界石を手放しておらず、アネグトンが用いて即席のガス室を形成したのだろう。これが結界石の本当の使い方だったのだ。


「……ュロン! ……っ!」


 結界石の隔壁は魔力を完全に遮断するが、音は通る。ヒメキアの呼ぶ声が、デュロンの耳に辛うじて届いた。

 ヒメキアが彼女を守る結界を解けば、アネグトンは泥人形の仕様を元に戻して一斉攻撃、哀れなひよこは今度こそぺちゃんこだ。

 どうする、どうする?


「……ン! ……!」


 完全にやられた。結界石とかいう凡庸な道具も、卓越した使い手によってここまで化けるのだ。

 かくなる上は……そうだ。デュロンが死んでも、ヒメキアが結界を維持して彼女自身を守りさえすれば……時間切れ、狙い……救援、待ち……。


「……デュロン!!」


 諦めかけた彼を、はっきりと響いたヒメキアの声が揺り起こした。


 閉じていた視界が一気に開ける。体が軽い。

 目覚まし喇叭らっぱの真似をさせてしまったのはもう2度目だ、別の意味で母性がすごい。


 デュロンが振り返ると、ヒメキアは両手を突き出す姿勢で仁王立ちし、結界はなく、周囲では毒人形が朽ちていくところだった。


 デュロンが正面に向き直ると、なにが起きたかは悪魔の驚愕が教えてくれた。

「ば……馬鹿なッ!? いくらなんでもここまで強度に差があるものかッ……!?」


 猛毒と治癒の相克合戦という意味ではない、そちらは最初からヒメキアの圧勝だろう。

 結界石の隔壁は、耐久性も持続性も、使い手の魔力に依存する。最強の盾を前方に拡張して叩きつければ、毒人形は屑のように消し飛び、悪魔の結界も砕け散るだろう……理論上は。

 というか本来、それが結界石の正道な攻略法なのかもしれない。

 凡庸な道具も、卓越した使い手によってここまで化けるのだ!


「「ッ!!」」

 アネグトンが硬直から立ち直るのと、デュロンの体が完治するのがほぼ同時だった。

 再び強靭な泥人形が錬成され、剥き出しになったヒメキアを襲う。

 デュロンの治癒に専念していた彼女はとっさに切り替えられず、防御結界の構築に若干のタイムラグが出た。


「わああああああっ!」

「……助かったぜヒメキア! 俺から」


 そしてそのラグを、すでに疾走し、彼女の元へ到達していたデュロンが埋め合わせる。

 泥人形を蹴り回すが、アネグトンの対応は早い。すでにまたしても溶解を始め、毒人形への再度の移行を始めている。


 デュロンは笑みの一瞥で制した。

「離れんなよ!」


 デュロンは跳躍、ヒメキアが再構築したばかりの結界の側面を、次いで暗渠の壁を蹴り、足場から湧く毒の被害を最小限に押し留めた上で、アネグトンの頭上に到達、胴回し回転蹴りの予備動作に入る。


「小癪な……ッ!」

 近接戦闘ではデュロンに勝てないため、アネグトンは防御を選択。

 結界が蹴りを強硬に受け止める高音が間に合うが、デュロンは悠々と着水した。


 結界石の隔壁は魔力を完全に遮断する。アネグトンによる魔力の供給を絶たれた毒人形たちは即座に自壊したため、デュロンの曝露は微量で済んだ。


「なんの、まだまだッ!」

 アネグトンは即座に気づいて結界を解除、死の舞踊に再開の号令をかけるが……ようやくデュロンの勝ちだ。


 ついに制限時間が訪れる。泥は泥に、あるべき地層へと還ってゆく。

 サイラスの顔からも、泥のような暗黒物質が漏出してゆき、帰り際に豚の悔しげな顔を形成する。


 サイラスの胸倉を爛れた両手で掴み、デュロンは啖呵を忘れない。

「わりーな、訂正するぜ。俺とヒメキアに挑んだこと自体が間違いだ! 出ていけ悪魔、暇になったら遊んでやるよ!」

【オ……おのれ、本官を、愚弄……………………ッ!】


 なにやら脅し文句らしき捨て台詞を吐いていき、遺恨は残った。

 しかしひとまず異界存在が去り、現世の確執だけが顕在化する。


「……んん?」

 肉体の主導権を取り戻したサイラスは、同時に現状も把握する。人狼の白眉を相手に組み合うという、詰みからの再開である。

「おい、ちょっと待つね。これは……」

「悪かったよサイラス、喰屍鬼グール相手に対応を間違えた。全部吐き出せクソ野郎!」


 デュロンの膝がサイラスの顎に激突、歯を数本圧し折る感覚が生々しい。

 たたらを踏む暇すら与えず、続けて渾身の前蹴りを腹へ放つ。最低2つは内臓が破裂した。


「ぐぇぼあっ!?」

 暗渠の空中へ吹き飛んだサイラスは、頭から汚水へと突っ込んで痙攣けいれんした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る