第15話 その血を捧げよ
血に染まり境域がはっきりした不可視の障壁の外側に、もう1人の白装束と、
考えるより早く、デュロンは白装束の顔面に向かって蹴りを放つ。当然間を隔てる障壁を砕こうとしたのだが、とんでもなく硬く強靭な感触に押し返される。力尽くの突破は無理だと直観した。
「ククク……」
その結果に満足した様子で、白装束は結界の表面を指で撫でる。
「店主の触れ込みでは、結界石の障壁は魔力の完全遮断は保証するが、耐久性と持続性は使い手の魔力の量に依存するという話だったね。
しかし実際どうね? オイラ程度の魔力でもこの強度。いやーいい買い物をしたもんだね」
内側にいるデュロンからは、白装束の顔はよく見えない。だから、という配慮でもないのだろうが……。
「!!」
不意に障壁が消失、明瞭になった相手の顔面を、デュロンは反射で、今度こそブッ飛ばす。
白装束はもんどり打って倒れるが、後頭部を打ちつけたのは、再度効果範囲を設定し直された結界の内壁だった。
白装束、デュロン、そしてヒメキアだけが囚われている形に変化したのだ。
刹那の混乱から覚め、デュロンは地上を指差し叫んだ。
「お前ら、行け!」
〈結界石〉を持っているのが眼前のこいつなら、外の3人は手が出せない。
時間を無駄にするより増援を呼び、手数を増やした方が勝率が上がる。逆にデュロンの方が敵の足止めをすると考えてもいい。
即座に理解した様子で、各々の翼を広げて飛翔するリュージュ、ソネシエ、イリャヒ。
「レミレ、追え!」
白装束が呼んだのは、
「無理よ。彼ら、わたしより速いし強いもの」
「仕方ないね……さて、自己紹介からしておこうかね?」
立ち上がり、泥だらけの白いローブを脱ぎ捨てる相手を、デュロンは改めて観察した。
16歳のデュロンと22歳のイリャヒのちょうど間くらいの年格好で、中肉中背の男だ。
鼠色の髪が目元を覆い、口元も筒襟で隠れているので、表情はあまりわからない。鼻も利かないが、なんとなく笑っているような雰囲気はある。
それが証拠に、
「オイラの名はサイラス・マッカーキ。そこで全滅してるアネグトン派のリーダーをやってる者だね。どうかお見知り置きを」
「……クソが、〈
先日捕えた
「そういうお前は」と、勝手に特定してくるサイラス。「デュロン・ハザークね。そして後ろの女の子が最近うちらで話題の、
後ろでビクリとして袖を掴んでくるヒメキアの両手を、デュロンは一度だけしっかりと握り、やんわりと外して後退させた。
そして両拳を顔の前で構えて、無言で見返す。
「おっと、怖いね。では時間もないことだし、そろそろ始めるね?」
言いつつ、無造作に筒襟を開けて晒したサイラスの口腔には、乱杭歯が並んでいた。慣れた動作でポケットに手を入れ、肉の
……デュロンの見間違いだろうか? こいつが喰った肉塊は、それぞれのブロックで色味の異なる、2×2×2の立方体だったような……。
「ああ、気になるね? 基本は一度に一系統だが、例外ってーのがあるね。オイラの胃は特別欲張りで、喰い意地が張ってるっつーだけの話ね」
そういう図抜けた個体というのは、どの種族も一定数輩出するものだ。
ズズズ、と異音を錯覚するほど異様に、サイラスの体が極大の変化を遂げた。
男の上半身の服が弾け飛び、もはや体格という概念の意味がなくなる。
頭部の右半分は豹、左半分は
サイラスが通告を発するが、もはやきちんと発音できることに驚く。
「ひとまず訊いておくね。ヒメキアちゃんを渡す気はあるね?」
「あるわけ、ねーだろ」
「だろーね」
不動で見合っていた2人のうち、先に痺れを切らしたのはデュロンだった。
「オラァ!」
「活きがいいね!」
1発でも攻撃を後ろに通せば、ヒメキアを守るという勝利条件が崩れると思っていい。デュロンにできることは1つしかなかった。
相手になにもさせずに完封する、これに尽きる。
幸いにもサイラスは踊りかかるデュロンを、真っ向から迎え撃ってくれた。
最初の1発を入れたが、カウンターで左眼を潰されるデュロン。激痛が走るが気にしていられない。
防御などしていては手数の無駄だ、攻撃あるのみ!
「おおおおおああああああ!」
「ちょ、てめ、くそ……がぼっ!」
絶叫とともに、デュロンはサイラスが漏らす焦燥すら巻き込んで連打を畳み掛ける。
最後の1発を力一杯叩き込んだ直後、体が一気に痛みを思い出し、デュロンは膝をついた。
「どっへ!」
一方で結界の内壁に再度叩きつけられ、尻から落ちるサイラス。
潰されて変貌を解かれ、消滅する体組織は元ネタこそ喰った肉塊の8種族だが、大量に散らされる血液含め、あくまでサイラス自身を変質させたものだ。
デカくなっていたぶん、破壊のダメージも大きいはず。
しかし元の姿に戻ったサイラスは、まだ不敵に笑っていた。
「……あーあまったく、やってくれる。困ったもんだね。オイラたちは悪魔を召喚したい、そのためにヒメキアちゃんの血がほしい。
だが、お前の強固な守りを突破するには、それこそ悪魔の力でも借りないと無理ね。金庫に鍵を閉じ込めた格好で、にっちもさっちもいかなさそうね」
大幅にパワーを強化していた相手に対し、ノーガード戦法はさすがにまずかったかもしれない。左眼含めてすでに完治しているが、デュロンの方も再生力をほぼ使い果たしている。が、強気な口調を保つ。
「そのわりにずいぶんと余裕があるようだが、そいつはどこから湧いてくるんだ?」
「難しく考える必要はないね」サイラスは立ち上がったが、それがやっとという様子で、脚が震えている。「ガミブレウ派……ギャディーヤのオッサンたちの儀式場でも、台座に水盆が置かれていたはずね。あれは血を投入する水塊を区切る程度の意味合いで、容器の役割を果たさればなんでもいいね」
結界石で囲われる空間は立方体……デュロンはなぜかそれが気になった。血が足りないせいで、いつにも増して頭が回らない。
「他にもいくつか条件はあるんだが、考えなかったね? なぜお前たちをこんな場所へ誘い込んだのか。なぜお前を正面から迎え撃ったのか。もっともあの苛烈な連打には、自分で煽っておいて焦ったがね」
立方体ということはつまり、底もあるということだ。他の詳細な条件はわからないが、もしも水盆の中身が、暗渠の汚泥でも構わないというのなら。
「テメー、まさか……」
「遅いね」
大仰で詩的な呪文など必要ない。それは享楽を求め、虚飾に
「形象は豚、属性は泥! 第八の悪魔アネグトンよ、我が元に顕出せよ!!」
濁った水面が泡立つ。不定形の暗黒物質を吐き出して、やがて空中で明確な実像へと昇華する。
中途半端な甲冑を着込んだ、筋骨隆々、二足歩行の豚が現れた。
邪教徒は恍惚と笑い、血混じりの涎が後を引く。
「さてデュロン・ハザーク、ここからが本番ね?」
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