第14話 闇の入り口


 静寂の中でぴとん、ぴとんと天井から雫が落ちるが、真の天……地上に繋がる穴はかなり上にぽつんと見えるばかりだ。

 どうやらここは暗渠あんきょの底らしい。


 デュロンはヒメキアを抱えて受け身を取った。下が深い水だったのは幸いだが、衝撃を和らげるにも限度があり、方々の皮膚が切れているのを自覚した。

 とにかく安否確認だ。


「お前ら、無事か?」

「ええ」「問題ない」「である。それより、ヒメキアは?」


 言われたデュロンが腕の中を覗くと、気絶したようでうーうーうなされていた。目立った外傷はなく、ひとまず安堵する。


「……ここ、どこ?」

「お、起きたか。すまんな、俺らにもわからん」


 縦横の幅は5メートルくらい、前後の奥にまっすぐな水路が続いている。場所によって微妙に深さが違うようで、膝までが濡れる地点に全員で移動する。


「どこだろうと関係ありません」イリャヒは黒ずくめすぎて闇と一体化している。「こんな掃き溜めに長居は無用。皆、私に続きなさい! とうっ!」


 言うが早いか飛翔する影。

 しかしなにもない空間で跳ね返り、再度着水した。


「はぐあっぷ! えっぺ!」

「なにやってんだお前は」

「違います、なにやら不可視の障壁のようなものが……」


「その通り。簡単に逃げられては困るものね」


 聞き慣れた声とともに、水を掻き分ける複数の足音が響いた。すでに前後を挟まれている。数は30ほどだ。


 手勢を率いるのは小柄な女だ。さすがに動きやすさを重視したようで、今はドレスではなく、革のぴったりとした服を身につけている。目元の仮面も健在だ。

 薔薇色の髪は地下にあっても、衰えることのない彩りを放っていた。


「暗渠に蝶、って新しいことわざが必要だな」

「今朝ぶりね、オオカミさん。あれでわたしの匂いを覚えたかしら?」

 まんまと騙された苦渋を嚥下し、デュロンは余裕を装って軽口を返す。

「……ああ。だが今度はこの地下水路だ、汚泥の悪臭で鼻が利かねー」

「それは結構。いずれにせよ、二度と追跡の機会など与えないけれど」


 蝶形仮面パピヨンマスクの号令により、薄汚れた集団が蠢く。デュロンの傍らに立ってきたリュージュが、連中の種族を看破した。


「奴ら、蝶々以外は全員が喰屍鬼グールであるな……厄介だ」

 彼らは人間の絶滅でもっとも割を食った種族だと言われている。なにせ大事なを根こそぎ潰されてしまったのだから。


 ヒメキアが掘り当ててしまった骸骨や、先ほどからときおり足の裏に当たる硬い感触の正体もわかった。ここは人間時代の地下墓所カタコンベなのだ。

 彼らはすでに戦闘態勢で、揃いの白装束に身を包んで、口元を布で覆うという、異教の暗殺者のような風体をしていた。殺気で眼がギラつく。


「かかりなさい」

 甘ったるい声に唆され、悪食あくじきどもが発奮し、一斉攻撃を仕掛けてきた。


 喰屍鬼グールはそこそこの魔力を持つが、あまり魔術が得意なわけではない。代わりに筋骨が発達し、近接格闘の適性は獣人や竜人に肩を並べるとされる。

 ただし獣人族で最強種とされる、人狼には劣るが。


「ぐっ……!」

 とはいえデュロンはヒメキアを背中に庇っているし、相手はこの最悪の足場にも慣れている。

 一対多での捌きは難儀を極め、後ろを取られないので精一杯だ。


「……まったく、舐められたものです」


 瞬間、青がきらめく。

 イリャヒの指先にぽっと灯った鬼火が増幅し、闇の中を駆ける。空間を塗り潰すような範囲攻撃だが、不思議と味方には一筋の火の粉もかからない。

 なんらかの仕込みやトリックを用いているわけではなく、そういう性質の魔術というだけだ。


 多くの魔族は体内に特定の属性を帯びた魔力を生得している。主に脳が生産するため、思念の力であると言われている。

 さらにそれを練り上げ魔術として確立することができ、自分だけの技や能力にまで昇華できる。

 これを一般に固有魔術と呼称し、これらを調査し識別名を授ける部署が、ジュナス教の総本山である〈聖都〉ゾーラに存在する。


「さあ燃えなさい、不埒の輩よ!」

 イリャヒの固有魔術〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉は、味方以外の一切を有機・無機問わず、物理法則無視で祓うという選択焼夷能力だ。白装束だけを青い炎が飲み込んでいく。


 30ほどいた敵のうち、落ちたのは10以下。残りは上着を犠牲にするか、とっさに汚水に潜って回避している。

 なかなかの練度だが、そこは大した問題ではない。


 イリャヒがよく通る声で、この場での最優先事項を言い渡した。

を見つけるのです!」


 先ほどイリャヒが脱出を阻まれた、不可視の障壁のことだ。よく眼を凝らすと、デュロンたちと喰屍鬼グールたちを閉じ込める箱のような、巨大な半透明の立方体が見える。


 昼過ぎにベルエフが押収し、すでに買っている客がいると言っていた〈結界石〉だ。確か、発動したら術者を倒すか石を奪うまで解けない、と言っていた。

 だが、どいつが術者かは考えるまでもない。結界内の全員を倒せばいいだけだ!


「ぬあああああ!」

 リュージュが咆哮とともに生命息吹バイオブレスを放つ。形なき汚泥から、使命を与えられるのを待っていたように蔓草たちが伸び上がり、ただでさえ悪い足場で敵を停滞させる。光も差さないこんな環境でも種を残せるとは、植物の強靭さには驚くばかりだ。


「ヒメキアには、近づけさせない」

 ソネシエが固有魔術〈紅蓮冽華クリムゾンブルーム〉を発動、両手に双剣を精製し舞い踊る。喰屍鬼グールの肉が刻まれ、凍ったまま散った血が結界の内壁に当たって砕け、数秒遅れで溶け落ちる。


「…………」

 ただ、喰屍鬼グールたちも黙ってやられるばかりではない。主力級と思える何人かが懐から、油紙に包まれたなにかを取り出した。

 各々が口に放り込んだのは、肉の賽子さいころだ。

 内訳を想像すると吐き気が込み上げるが、そんなことを言っている場合ではない。


「オオオ!」

 雄叫びを上げた喰屍鬼グールの1人は上半身が爆発的に膨れ上がり、頭部と体毛が熊のそれに変貌する。組み合ったデュロンは押されかけたが、なんとか蹴り返した。


 他の2人も、今の今まで使えなかった雷や風の魔術をいきなり繰り出した。前者をソネシエが不導体である純氷の盾で、後者をリュージュが即席の生垣で防御する。


「くっ……」「なかなかであるな……!」


 喰屍鬼グールも竜人や人狼、吸血鬼などと同じく、「特別な臓器」を持つ魔族だとされる。

「喰う」ことに特化した彼らのそれは、胃袋だ。強力な消化酵素とそれに耐える粘膜を持ち、理論上なんでも喰えるとすら言われているが、その真偽はさておき、真髄は別にある。


 すなわち喰った相手種族の持つ能力を、一時的にだが盗用できるというものだ。状況次第で使い分ければほぼ無敵にも思えるが……実は欠陥も多い。


「邪魔だ!」

 力押しで行くと、思ったより通用する。デュロンは人熊ワーベアの肉で獣化した男を沈めた。


 喰屍鬼グールは誕生とともに鉄の胃袋を授かった。だがその他には特別な臓器を持っていない。つまり強さの根幹を成す、他族の真髄までは盗めないのだ。


「うおお休日に働くのだけは嫌なのであるうう!」

 たとえば竜人の、体表に硬い鱗を張り巡らせる竜化変貌は模倣できても、彼らの代名詞である息吹ブレスはその肺臓が固有する。


「うるせーぞリュージュ!」

 人狼の筋骨を質や量だけ真似ても、圧倒的な運動量を支える心臓がなければ、瞬発力も持久力も満足に発揮できない。


「わーっははは!」「大丈夫、兄さんはもっとうるさい」

 吸血鬼のように固有魔術を使えても、無尽蔵の魔力を吐き出すのは彼らの脳髄だ。


 喰屍鬼グールの模倣能力が弱いわけではない。ただ、他族の長所を上っ面だけなぞっても、本物の精鋭には勝てない。


「……あ、アネグトン様、我らをお救いください……!」


 なんとか全員を倒したが、最後の1人の遺言が尾を引いた。アネグトンとは誰か。というか、そもそもこいつらはなんだ?


「祈るのは……まだ早いんじゃないね?」

 返答は、結界の発せられた。

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