第12話 下手な尋問
不良兵士に絡まれたせいで、なにをしにどこへ向かっていたのかをうっかり忘れるところだった。
聖ドナティアロ教会は、ミレインのジュナス教関連、そして都市機能そのものの拠点を担う、白石造りの建物である。
中庭を中心に天井の高い回廊が入り組んで各種施設・機関を連絡し、最奥にはミレイン市の実質支配者であるミレイン司教が鎮座している。
そして、人間時代から引き継がれた教会法に基づく法廷があり、沙汰の下った異端者を苦しめる拷問部屋や、無明の暗黒に閉じ込める牢獄といった闇の部分も、地下空間を主として完備されている。
そういう血生臭い側面にできるだけ触れたくないというのは、人間でも魔族でも同じで、デュロンもぜひ御免こうむりたいところだ。
一行が正面入り口に到着すると、重厚な門扉の前に見知った姿があった。
「あっ、昨日の黒ねこ!」
ヒメキアが叫んだ通り、待ち構えるように座っているのは、催眠鱗粉に対する警鐘の役目を果たしてくれた、幸運の黒猫だ。ヒメキアをまっすぐ見つめて一声鳴く。
「なるほど、これが
イリャヒが手を伸ばすと、猫はすり抜けるようにして逃れた。
そうしてヒメキアのスカートに身を寄せ、一層愛らしく喉を鳴らす。ヒメキアはメロメロだ。
「ねー、このねこも中に連れてっていい?」
ヒメキアに甘いリャルリャドネ兄妹なら当然OKするだろうと思われたが、2人は視線を合わせ、にべもない反応を返した。
「駄目ですよ。ここに置いていきなさい」
「えー。ソネシエちゃん……」
「駄目。ヒメキア、ここは我慢して」
「はーい……」
ヒメキアは仕方なく、まとわりついてくる黒猫を門の脇に置く。
それでも黒猫はついて来ようとしたが、ソネシエにじっと見つめられ、諦めて座り直した。
「なんだよ、いいじゃねーか。使い魔とかで連れ込んでる奴もいるだろーがよ」
「そういう問題ではないのですよ。さあ、我らの目的を果たしましょう」
門を通り、宿屋のそれに似た正面ロビーを抜けるとすぐに中庭がある。
芝生に覆われ、中央に清泉が湧く円形の広場を、修道士や神父、祓魔官が入り混じり通行している。
ふと、デュロンの足が止まった。
「デュロン?」
不思議そうに顔を覗き込んでくるヒメキアの向こうで、吸血鬼兄妹はすでに中庭を後にしつつあった。
イリャヒはなにかを察したようで、口元に薄い笑みを浮かべて言った。
「先に行っていますよ。場所は第三礼拝堂の隣です。わかりますね?」
「ああ」
「では」
ひらりと裾を翻すイリャヒに、訝しげながらもソネシエがついていく。
彼女と手を振り合ったヒメキアはデュロンの隣に立ち、同じ方向を真剣な顔で見つめた。
「ヒメキア、ソネシエの方に行っていいんだぞ?」
「ううん。あたし、デュロンといっしょにいるよ」
理由がわからずに行動する直観派なのは、彼女も同じということか。
デュロンが改めて五感を研ぎ澄ませると、違和感の出所が掴めた。
正面入り口方向へ去ろうとしている、黒い修道服を着た小柄な姿が、自然と目に留まる。
幼い頃から頭は悪いが、勘は鋭いのだ。
デュロンは逸る内心を抑え、自信満々を装って話しかけた。
「おーい、そこの
「は、はいっ!?」
ビクリと肩を震わせ、おずおずと振り向いた彼女は、自分の胸を指差す。
「そう、アンタだ。いや、ほんと数分で済むから。あ、俺は私服だが祓魔官のデュロン・ハザークだ」
デュロンが名乗り、隣を一瞥すると、相方も自己紹介してくれる。
「こんにちは! あたしヒメキアです!」
「ど、どうも……ええと、わたしはフィエリといいます……」
「そうか。フィエリ、俺たち昨日会ってるよな?」
「えっ……? わ、わた……ええと、なんぱ?」
「ちげーよ。もっと言うとヒメキアを目当てに、俺たちを襲わなかったか?」
「お、襲……!? わわ、わたしは神に仕える者で、そういったふしだらなことは……」
「いや違うっつってんだろ、じゃあその思考回路の方がよっぽどふしだらだよ!」
「す、すみません……あの、これなんのお話なんでしょう……?」
人狼は視覚こそ暗視程度だが、聴覚と嗅覚が鋭い。特に嗅覚は対峙した相手の感情を捉え、嘘を吐いているかどうかくらいは簡単に把握できる精度にある。
ストレートに尋ねてみたが、デュロンの
フィエリと名乗る修道女は、ただの内気な少女にしか見えない。
丸い大きな眼鏡をかけた、比較的地味な顔立ち。身長はヒメキアとほぼ同じ、これは合致している。垂れ目で、特徴的な下睫毛。昨夕垣間見た泣き黒子は……ない。やはり別人か?
「いや待てよ……俺たちの知らない誰かに形態模写してるって可能性もあるな」
デュロンの呟きに、ヒメキアが反応した。
「けいたいもしゃ? あたしそれ知ってるよ! 自分の体を魔力の膜みたいなので覆って、姿をごまかすやつだよね? あたし、そういうのは見ただけでわかるよ!
でも違うよ! フィエリさんはフィエリさんで、それ以外のなにものでもないよ!」
「急に哲学的だな……つーかそんな能力もあんのか。俺の
考えてみればどんな傷病も癒すといっても、それを感知できなければ宝の持ち腐れだ。
自分を自分の範疇で組み替える変貌能力は別としても、およそ魔力による幻惑・迷彩・
ヒメキアの発言は揺さぶりとしても役立ったが、依然フィエリに顕著な反応はない。
彼女は
と言いつつ、彼女の匂いには覚えがある。甘ったるい鱗粉のせいで記憶できなかった、蝶形仮面のそれでないことは確かだが、誰だったか?
「悪かったな。俺の勘違いだったみたいだ」
「いえ、いいんです。えと……その節はお世話になりました」
「ん? やっぱアンタ、どこかで……」
「あっ、その、お気になさらず! 覚えておられなくて当然ですし……!
で、ではわたし、お使いがあるので! ま、また機会があったら、ゆっくりお話しさせてください!
あの、し、失礼しますっ!」
最後は早口で言い募り、逃げるように立ち去ってしまった。ヒメキアが後ろ姿に手を振る。
「あっ」
思わず漏れた呟きにヒメキアが振り向くが、デュロンは慌ててかぶりを振った。
「いや、違うんだ。あの子、俺らが一昨日の晩、悪魔召喚の儀式場から保護した女の子の1人だった。道理で見覚えがあるわけだ。
つまり、修道院に帰依したんだな。そうか、よかった……。
すまんヒメキア、妙なことに付き合わせた。的外れだったな」
「ううん、気にしないで。フィエリさん、いい人そうだったね。またお話ししたいって」
「そう、だな……」
慣れないことをした。仄甘い余韻に浸るデュロンの背後から、よく知った足音が近づく。
「おう、姉貴。この辺にいたんだな」
ずかずかと荒っぽい歩き方でやってくるオノリーヌは、挨拶代わりにヒメキアの頬をぷにっとつつき、デュロンにしなだれかかってくる。
「やめろ。暑い。重い。ヒメキアが見てる」
「あー、よくない。どうにも釈然としないのだよ」
「なんかあったのか? つーか、なにを調べてくれてたんだ?」
ようやくデュロンを解放した姉は、今度はヒメキアにもたれつつ話す。
「君らが一昨日の晩、悪魔召喚の儀式から保護した少女たちの行方を追っていたのだよ。手始めに足下である教会関係から当たることにした」
嫌な予感がしたデュロンだが、それを振り払うように問いを重ねる。
「
「たとえばヒメキアを拉致する目的で、そういうふうに市内へ潜入したのかなと」
黙りこくる2人を訝しみつつも、姉は経過報告を続ける。
「先ほどリストを照会したのだがね、新しく入った修道女を1人だけ捕まえ損ねた。なにやらお使いを仰せつかって出て行ったようでね。
いろいろ尋問したが、わたしの印象では他は全員シロだ。君らに面通しした方が早かったか」
「……姉貴……つかぬことを訊くが、その修道女の人相風体ってのは?」
「背丈はわたしより頭半分低い、つまりヒメキアくらいかね。髪は赤っぽく、大きな眼鏡をかけ、素朴でかわいらしい顔立ち、性格も見た目通り。
まあ化粧やら変装やら演技のいかんによっては、多少化ける可能性もある。……ん?」
なにかを感じたようで、姉の瞬きが増える。
「もしかして、今そこですれ違ったとか?」
「……ああ」
「それは惜しいことをしたね。だがおそらく思い過ごしだし、いちおうゆっくり追えば」
「……思い出したんだ。一昨日の晩、儀式場の床に座り込んでたあの子に似てると」
「うむ。だからそれは、
「じゃなくて、あいつだよ……あの女」
深夜の悪趣味な館の内装、夕暮れの街並み。
背景とともに2つの人物像がすり合わさり、やがて重なる。
デュロンは頭を抱え、ゆっくりと前屈しつつ声を搾り出した。
「ヤバい。やっちまった。やっぱり今のが、
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