第11話 祝祭と猫の王国


 ミレイン市を擁するラスタード王国は、歪んだ菱形に近い領土を、西は海岸線に、北はジャゴビラ公国、東はイノリアル共和国、南はプレヘレデ王国という隣国に接している。


 国家間の対立はというと、そもそも魔族社会完全成立からいまだ20年なため、そんな余力がないということもあって現状表面化せず、平和裡のままで済んでいる。


 しかし妙なところで……たとえば周辺から大勢の集まる祝祭の開催期間などで隙を見せると、それをきっかけに大事が起こりかねない。

 逆に街や共同体として器の小さい真似をしてしまっても、余計な火種が生じうる。


〈恩赦の宣告〉が厳密に言うとジュナス教の出来事とは確定していないという事情もあり、〈教会都市〉ミレインといえど、この日に限っては市壁での検問も緩めざるをえない。

 素性のわからない移民や異教徒もある程度までは無条件で受け入れることが求められる。


 しかし実際、本当にヤバい連中が群衆に混じることを考えると、種族や思想の違いは大した問題ではなくなる。


 といった感じのことを説明した後、ソネシエはヒメキアに後ろから抱きつく。

「よほどまずい連中や、実害のある場合を除いて、見て見ぬ振りをしなくてはならない。でも、安心して。ヒメキアには、わたしがいる」

「ソネシエちゃんかっこいい! お嫁さんにほしい!」

「なあイリャヒ、お前の妹が進む先をきちんと見ておけよ」

「デュロンこそ、2人がどんな爛れた関係になっても、眼を逸らしてはいけませんよ」


 しかしこうして改めて見ると、魔族社会はまさに混沌だ。


 火吹き男たちが技のバリエーションを競い、危うく小火ぼや騒ぎを起こしかけている。

 耳の長い客が小柄な職人にいちゃもんをつけ、商品ごと道の反対側まで吹っ飛ばされている。

 仮設舞台の上では奇術師が緊張しすぎ、予定の10倍の鳩を解き放っている。

 デュロンたちの脇をやたらゴツゴツした子供たちが通り過ぎ、ぶつかられた老婆が頭部だけ山羊に変貌して叱っている。


 皆が皆、市民権を認められた社会の成員なのだ。いくら互いの違いを理解しようと許容しようと、起こるべくして起こる構造的な問題もある。たとえば……。


しろがねの!」「「「ベナンダンテ!」」」「わあい!」「キャー!」「あはは!」


 不穏な言葉を聞き咎め、デュロンの肩がビックゥウ! と思いっきり跳ねた。


 振り返ると数人の子供たちがマントを羽織り、拳を天に突き上げて、どこかへ走っていくところだった。安堵の息を吐き、動悸を抑えるデュロン。


 その様子はきっちり吸血鬼兄妹に見られており、容赦なくいじられる。


「人狼の心臓というのも、でかいだけで案外繊細なのですね」

「びびりすぎ。子供の戯言、どうして聞き流せないの」

「うるせーな、条件反射だよ……」


「デュロン、どうしたの?」未知の言葉ゆえ耳に留まらなかったようで、ヒメキアは首をかしげている。「なにか怖いこと聞いちゃったの?」

「お気になさらず。この齢になってお化けが怖いようで、困ったものです」

「おばけ! あたしの力はおばけを散らせるって、パパが言ってた! デュロン、怖かったらあたしに言ってね! わーってやっつけるからね!」

「ヒメキア、魔族社会の成員に幽霊はいない。ウォルコが言ったのは仮定のはず」

「そっかー……でもソネシエちゃん、もしいたらあたしに任せてね」


 そう言って親友の手を握り返す姿を見て、デュロンは思わず褒めていた。

「ヒメキアは優しいな。いつも他者ひとの役に立つことを考えてるよな」

「へへ……デュロンも昨日すんごいもやもやが出たときに、あたしを守ってくれたよね。あのときのデュロンは……なんていうか、パパみたいだったよ!」


 ヒメキアは頬を染め、慈しみを含んだ柔らかい笑みを浮かべてくる。初めて向けられる表情に、デュロンはかなりドキリとした。


「そ、そうか? まあ祝祭中は俺をあの人だと思って、頼ってくれよ」

「そうする! あたし、デュロンの娘になるよ!」

「いやそういうことじゃねーんだが……俺がめちゃくちゃ性癖こじらせてるみたいになるし」

「デュロンがパパなら、えっと……ママはオノかな?」

「なんでだ!? おい、吸血鬼に餌を与えるな! 俺がいじり倒されるだろ!」


 果たしてイリャヒとソネシエが手ぐすね引いて口を開きかけた瞬間、デュロンは通行者の1人とぶつかってしまい、ちょうどよく話の流れが遮られた。


 互いに謝って済ませるが、時間帯のせいか、徐々に表通りの密度が高まっていることに気づく。


「さすがに混雑がスゲーな……なんとか掻き分けて進むか?」

「やめておきましょう。脇道が無難です」


 教会都市の街並みも通りを一歩裏へ入ると、隘路あいろと水路が交錯する猥雑な一面を見せる。


 かつて魔女と一緒に狩り出された仲として、魔族たちと猫たちは基本的に相性がいい。

 魔族たちの中にも猫好きが大勢おり、ミレインにも飼い猫や野良猫がたくさんいる。


 今日は〈恩赦祭〉当日なので、住民の多くが表通りのイベントに参加し、裏路地は猫たちの王国となる。

 案の定、そこかしこに猫がたむろしており、ヒメキア垂涎である。


「ねこだ! ねこいっぱい!」


 幸せそうなオーラを垂れ流し、走り出したヒメキアだが、なにかに衝突して転んだ。


「いた!」

「……あぁん? どこに眼ぇつけてやがんだ?」


 壁のように立ち塞がるのは、魚人マーマンの巨漢たちだった。

 水路の近くにたむろしていたチンピラ風の3人組が、尻もちをついたまま動けないヒメキアを見下ろす。

 背中にヒレ状の突起物があり、全身を鱗に覆われた異形である。


 縦長に収縮する瞳孔に射抜かれ、小鳥は細い声を漏らした。

「ご、ごめんなさい……あたし、ねこを見てて……」

「おんやぁ? よく見たらかわいい女の子じゃねぇか。あーやっべぇなこれ、肩イカレっちまったわ! 折れてるかも! ちょーっとあっち行こうか?」

「……や、やだ……」

「えーっ、聞こえねぇなぁ? 大丈夫大丈夫、お話しするだけだから!」


「おい」

 無造作に発したデュロンの声に、3人が漫然と振り返る。

「あぁん? なんか用かチビ?」


 ヒメキアに絡んでいた先頭の1人が前のめりになり、ただでさえ長い首を伸ばしてデュロンを威圧してきた。顔が近く息が臭い。

 普段のデュロンなら口か手が出ているところだが、ここはグッと堪える。


 一歩も引かない冷静な様子を訝しみ、魚人の開いた瞳孔に疑問の色が浮かんだ。

「……てめぇら、もしかして……」


 応えて懐に手を入れるデュロンだが、私服に着替えたせいで付け損ねたことを思い出す。

 その焦りが顔に浮かぶより早く、両脇から細腕が突き出て、円環のシンボルを掲げてくれた。


 デュロンがロザリオを寮に忘れてきたので、吸血鬼兄妹が代わりに身分証明してくれたのだ。

 探し物を諦めた右手を顔の横で遊ばせ、人狼は悪人面に虚勢の笑みを浮かべて言った。


「ま、そういうことだ。ようこそミレインへ。滞在目的はこの際訊かねー、俺らもコトを荒だてたくはねーんだ。お互い見なかったことにしようぜ」


 人狼の嗅覚感知が、尋常でない戦闘の実力を検出していた。

 こいつらはただのチンピラではない、隣国の兵士だ。

 毛色からおそらく、北のジャゴビラ公国あたりと推定できる。

 下手に手を出せば燻る火種を叩きおこす羽目になり、それ以前になんの準備もなく一方的に叩きのめせるレベルの相手ではない。

 ここは威嚇で済ませる、野生動物の力学を参照しておく。


「なあ」もう一声だ。「ここは俺らの顔を立ててくんねーかな?」

 イリャヒとソネシエも、強烈な魔力の気配を発した。ここが正念場だ。


「くっ……そ!」猛烈な勢いで地面に唾を吐き、魚人のリーダー格はぼやきだした。「一周回って逆に、普通に路地裏が穴場だって聞いてたのによぉ、私服警備とか不意打ちだろ!?

 あーあわかったよ、真面目に仕事するよ! いいんだな? 俺ら本気出していいんだな?」

「勘弁してくれ、穏便に頼むぜ」

「うっせ! 後悔すんなよ? あー溜まる! 具体的になにがとは言わんが、溜まるぅーっ!!」


 不良兵士たちは全力で下品な仕草をしつつ、喚き声とともに去っていった。


「はあ……物騒な連中だぜ、まったく」

 どっと疲れを感じるデュロン。今になって大量に発汗してきた。表情を崩さない吸血鬼兄妹も、いつにも増して青ざめている気がする。


「十中八九、偵察ですね。友好国を自称していても、やはり食い荒らす隙を伺っているのでしょう」

「現時点で敵国というわけではないため、出入りを規制するわけにもいかない。……ヒメキア、わたしに掴まって」

「あ、ありがとうソネシエちゃん……」


 ヒメキアは腰が抜けたようで、ソネシエに手を貸されながら立つものの、生まれたてのひよことしての実力を遺憾なく発揮し、ぷるぷる震えながらへにゃりと笑った。


「ごめんね、あたしが前を見てないから……」

「ほんとだぞ。出会い頭に拉致されたらどうするんだ。ひよことしての自覚が足りねーな」

「あ、あたし、ひよこじゃないよ! 全世界のねこを手に入れる帝王だよ!」

「どさくさに紛れて大きく出たな!? なんつーどうしようもない野心なんだ……」


 怪物たちの些細ないざこざも、ミレインの猫たちは興味深げに見てくれていた。

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