恩赦祭 1日目

第10話 ミレインの蝙蝠は朝に飛び立つ


 剥き出しの土に着地する濁った音が、無骨な石壁に響く。


 翌朝、寮内にある地下訓練場で、デュロンとリュージュが対峙していた。


 いちおう休日ということでデュロンは灰色のフードつき上着に七分丈のズボン、リュージュは緋色を基調としたベストにキュロットという、動きやすい私服姿だ。

 そして今は2人とも裸足で、両手を後ろ手に縛られているという妙な状態である。


 傍らでは縄を施したソネシエが、まだ眠そうなヒメキアとともに見守っている。


「「…………」」


 デュロンとリュージュはすでに何合か蹴りのしのぎを削り、互いの服に土が飛び散っている。

 だがどちらもまだ息一つ乱していない。本番はこれからだ。


 先に動いたのはリュージュだった。

 酔っ払ったような独特の足捌きでフェイントをかけてくるのだが、これが非常に見極めづらい。


 デュロンが痺れを切らし、攻撃に転じようとした絶妙のタイミングで、竜人の鋭い下段蹴りが襲ってくる。

 両手の利かないこの状態で、スッ転がれば一気に不利だ。


「っと」

 デュロンがよろめいたところへ、上段蹴りの追撃が来る。

 デュロンは上体を反り、そのまま後方回転して着地。間髪入れず前方へ跳躍する。


 右跳び回し蹴りから空中で左後ろ回し蹴り、着地と同時に右回り蹴り。

 攻撃のラインが単調すぎたか、リュージュはすべて紙一重でかわした。


 返しの上段蹴りをしゃがんで避けるデュロンだが、中段を頭に食らい、呆気なく地面に転がる。


「ぐおわ!」

「ふはは、貰った!」


 嬉々として追い打ちするリュージュの踏みつけを、デュロンは無様に転がって躱し続ける。

 背面が接地した瞬間、両手首の力だけで反動をつけ、あとは脚力と背筋で体を起こした。


「ぬぬっ!」

 リュージュの即時攻撃を、デュロンは中段前蹴りで牽制。

 腹筋で受けた竜人は、詰まった息を鋭く吐き出した。

 デュロンは足下に違和感、反射的に軽く跳躍。


 どうやら訓練場の土にも植物の種子が埋まっているようで(あるいは普段からマメに仕込んでいるのかもしれない)、生命息吹バイオブレスによって喚起され、蔓が伸びた。


 デュロンは空中で体を上下反転、踵落としのような下方への上段蹴りを放つ。

 受け止めたのはリュージュの脳天ではなく、躱した足下から生えた新たな蔓草だ。


「げっ!」

 接触と同時に絡め取られ、デュロンは右足を指まで複雑に緊縛された。

「かかったな!」


 デュロンは苦し紛れの後ろ蹴りを放ち、あとはもう足止めされたままとにかく連続蹴りを畳み掛けるが、その間もデュロンの周りでは新たな植物が繁茂し続け、静かなる包囲網が形成されつつあった。

 シュールな状況に対し、半笑いになってしまう。


「ヤバい! ガーデニングされてる!」

「お花を踏むなよ、優しいオオカミくん!」


 裸足でやろうと言い出したのはどちらだったか。最初の一株がデュロンの右足の指の間に食い込み、雁字搦めになっているので、力では抜けない。


 だがこんなときこそ人狼の獣化変貌がある。デュロンは囚われの右足ではなく、自由な左足を金毛で覆う。

 間諜の仕込み靴よろしく、伸ばした鉤爪で蔓を掻き切った。


「あーあ、踏むなと言ったのに!」

「踏んでませーん、たまたま当たっただけですー!」


 禁を解かれた人狼の機動力が炸裂する……かと思われたが、次々に生える植物が、デュロンの足捌きをことごとく邪魔してくる。


 ならば空中戦へ転進するまでだ。

 デュロンは右足で思い切り踏み切り、左上段跳び後ろ回し蹴りを放つが、リュージュは軽く躱した。

 続く右足の中段蹴りも、彼女の膝で阻まれる。


 だがデュロンは止められ右足を支点に、フォロースルー中だった左足を巻き戻し、返す刀で弧を描いて、リュージュの右こめかみに叩き込む。


「……ッ!」

 受け止めたのは、強引に縄を切ったリュージュの手の甲だった。


 攻撃に失敗し背中から地面に落ちるが、デュロンはしたり顔で宣告する。

「ルール違反、お前の負け」

「かーっ、くそ! つい手が出た!」


 頭を抱えて叫んだリュージュは、かわいい子供たちであるはずの蔓草たちを猛烈に毟り始めた。

 デュロンは立ち上がって服の汚れを払いつつ、軽く煽り返しておく。


「おいおい。お花を大切にしろよ、優しいドラゴンさん」

「……縄が簡単に解けるなら、あまり意味のない縛りなのではないのかね?」


 今しがた立ち寄ったのか、いつの間にか姿を現したオノリーヌが寸評を述べる。今日はセーターなのに微妙に露出度が高いという謎の服を着ていた。彼女はニット地になにか恨みでもあるのだろうかと思うが、デュロンはひとまず説明を加えた。


「いちおう、鎖で縛られてるって想定の訓練なんだよ。だから本当はもっと重い。で、なんでも良かったんだが、これの勝敗でちょっと賭けをしてた」

「デュロン!」


 ヒメキアが嬉しそうに駆け寄ってくるのを見て、やはり生まれたてのひよこを連想するデュロン。彼女の服装は昨日とほぼ同じだが、ブラウスだけが色違いだった。


「やったね! ……でも、なにをやったの?」

「自由な奴め……いや、大したことじゃねーんだ。昨日の一悶着をお前のパパに報告する伝令役をどっちがやるかを、両手使用禁止の『拘束状態想定訓練』で決めようってことになったわけ。

 まあどんな条件でも俺が勝ってたけどな! ……おいリュージュ、早く行って来いって。

 ウォルコの旦那は普通に出勤だから、家を出ちまうぞ。そしたら会えるまで街中走って探す羽目になるぜ」


 その言葉で、リュージュの八つ当たりが止まった。

「なんだとぉ……せっかくの休日にわずかでも働くなど許されんのに、なお余計な時間を食うわけにはいかん! すぐ戻ってくる!」


 リュージュは大急ぎでロングブーツを履き、ヒメキアに向かって手を挙げ、怒涛のごとく駆け去った。

 蔓草の残骸を掃除してくれていたソネシエが、戻ってくる。

 デュロンも彼女の私服姿は久々に見たが、普段の黒服に雰囲気の似た、漆黒のワンピースを着ている。


「とりあえず食事を摂るべき」

「そうだな。リュージュのぶんも残しといてやろうな」

 4月29日、晴れ。〈恩赦祭〉の1日目は、すでに始まっている。



 寮の食堂で朝餉あさげの時間を過ごすが、リュージュは一向に帰ってこない。これは捕まえ損ねたパターンだと察したオノが、彼女のための軽食を残して席を立つ。


「では、わたしは一足先に取りかかっているのだよ。せっかくの休みなのだから、君らはゆっくりしてから街へ出たまえ。屋台は逃げやしない」

「おう、頼んだ」


 適当に手を振って送るデュロンに、オノがいなくなった後でソネシエがぽつりと言った。

「……彼女も今日は貴重な休みのはず。悪いことをしたかもしれない」

「いいんだよ、あいつは好きなんだ。調べものとか、考えごとが」


 食堂はいつの間にか、デュロン、ソネシエ、ヒメキアの3人だけになっていた。

 通常出勤の同僚たちはとうに本日の持ち場に着いたか、定位置のない市内の警邏けいらに出かけたのだ。

 後者の1人であるウォルコを探すとすれば骨が折れるだろう。


 ソネシエは少し考えた後、自分のぶんのデザートを、確保してあるリュージュ用の皿に寄せた。ヒメキアも彼女の真似をしている。


 それをデュロンが見ているのに気づいたのか、ソネシエは照れ隠しのように口を開いた。


「それで、今日はなにをすればいいの」

「依頼を受けるときの、妙な条件が2つあったよな」

「ヒメキアをミレイン市内から出さないことと、ヒメキアをたくさんの猫に会わせること」

「ねこ!」


 単語だけで興奮したヒメキアを落ち着かせ、それならとデュロンは提案する。

「なんだったらもう、それ自体を目的にしちまえばいいんじゃねーか?」

「つまり……ミレイン猫探訪、ということ」


 ヒメキアの反応は上々だ。方針は決まったが、ソネシエが懸念を示す。

「昨夜の襲撃者が気がかり。万全の態勢をもってヒメキアを警護したい。やはりリュージュの帰りを待つべき」

「せめてもう1人、後衛をこなせる奴がいれば別なんだが」


 願望が呼び水となったようで、背後に不気味な影が出現する。


「おやおや、私に助けを求める声が聞こえたようですが?」


 3人揃ってビクリと肩を震わせ、やや警戒態勢で振り返ると、見知った顔だった。


 黒髪黒眼に黒服眼帯、美形に痩躯の優男。吸血鬼の典型を体現したような姿が、灯りの点いていない朝の食堂に浮かび上がる。

 デュロンは止めていた息を吐き出した。


「テメーかよ、イリャヒ。心臓に悪いから忍び寄るんじゃねーよ」

「兄さんも今日は休みなの」


 いつも通りの無表情のまま、ソネシエも声をかける。ただ椅子の下でブラブラと揺れる小さな足だけが、彼女の機嫌が悪くないことを示していた。


「ええ、前日に申し渡されましてね。どうやら上官が気を回してくださった様子。感激の極みで枕は生乾き、夜に10時間しか眠れない有様で。

 しかし実際これって、吸血鬼としては由々しき状態ですよね。我らの先祖が陽の光を克服したのは本日寿ぐ〈恩赦の宣告〉よりさらに100年を遡るとされています、日傘の美学も廃れ……おや、これは失礼!」


 調子が出ると止まらなくなる長広舌を引っ込め、彼は面識のない少女に不審者丸出しで顔を近づけた。実際、ヒメキアは今一度ビクッとしている。


「お初にお目にかかります」右眼の眼帯をぺろりと撫でる、独自の気持ち悪い仕草とともに名乗る吸血鬼。「イリャヒ・リャルリャドネと申します。妹のソネシエがお世話になっているようで恐縮です。あの子は少し気難しくてね。ミレインへは観光ですかお仕事ですか、好きな食べ物や飲み物は?」


 ヒメキアは眼をぐるぐるさせながらも答える。

「は、はじめまして、ヒメキアです! ソネシエちゃんはかわいいねこで、お兄さんが吸血鬼にいて、パパの仕事が友達だとは知りませんでした!」

「ほら、お前がいっぺんに喋るからこんがらがっちゃったじゃねーか」


 こいつはほぼ身内の上にアホなので、機密どうこうで巻き込むことにまったく抵抗はないため、デュロンはヒメキアの素性と昨日の出来事を話した。


「それは災難でしたね。祓魔官エクソシスト冥利に尽きるという言い方もできますが。で、こちらからはなにか動くつもりがあります?」

「それに関して、兄さんに相談と、併せて見せたいものがある」

「ほう。後者は今ここでも?」

「わたしが持っている。これ」


 ソネシエが懐から小さな結晶のようなものの入った小瓶を取り出し、兄の手に載せる。

「ふむ……なるほど」


 矯めつ眇めつして呟きを漏らす彼に向かって、ソネシエはゆっくりと首肯する。

 その後に、わくわく顔で見守るヒメキアを一瞥して、一言添えた。


「眠る黒猫が気がかりだった」

 なんの説明にもなっていないが、イリャヒは理解した様子だった。

「もっともな疑問だと思います。教会内の専門機関を紹介しましょうね。なんなら今からでも?」

「お願いする」

「委細承知しました」


 どうやらなんらかの話がまとまったらしい。傍目にはさっぱりわからない。


「お前ら以心伝心にも限度ってあるだろ……たまにもはやこえーんだよ、今とか」

「わはは、なんのことやら?」


 朝食を市販の血液一杯で済ませたイリャヒは、嬉々として他の面子を急き立てた。ちなみにソネシエも食後に同じものを飲んでいる。


「さてそうと決まれば善は急げ、思い立ったが吉日です。用事は先に済ませ、好物は後に残すのが正道というもの。時間は有限ですよ、さあ、行きましょう!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る