第9話 そのひよこ、不死身につき
「すると、目的は威力偵察だったのではないかね?」
ことの顛末を聞き終えた姉は、ひとまずそういうふうに話をまとめた。
オノリーヌ・ハザークはデュロンの2つ年上で、弟と同じく、くすんだ金髪に灰色の眼の人狼だ。
整った顔立ちと理知的な雰囲気ゆえに、あまり似ていないとよく言われる。
今日は襟ぐりの深いニットに、コットンパンツという服装をしていた。
背は弟より少し低い程度で、スタイルは抜群に良く、それがまた彼女を大人びて見せている。一方でポニーテールにした髪型は、小さい頃から変わっていない。
ここはミレイン市内にある祓魔官たちの寄宿寮、一階ロビーの談話室だ。
奥の暖炉には
古ぼけた
事故処理を終えて帰寮したデュロンたちを、親愛なる姉がソファの1つに腰掛け待っていた。
噂の足は速く、トラブルの概要はすでに彼女の耳にも入っていたのだ。
オノリーヌもまた、デュロンらと同じくジュナス教の
近接戦闘に限れば通常の魔族の中で最強とも言われる人狼の一個体ゆえ、護身程度ならわけもないが、彼女はいわゆる内勤組に属している。
今は戦闘員の直接指揮官を持つ
そんな彼女だから、話を聞いてもらうにはもってこいの相手なのだった。
「威力偵察……ていうと、なんだ? 威力を偵察すんのか?」
アホな質問を投げてよこした弟を、彼女はなんだか楽しそうに観察してくる。ついでに答えも返してくれた。
「そうとも言えるし、威力をもって偵察するとも言う。今回の場合で言えばその女が、自分の能力が市街戦でどこまで通用するか確かめたのではと思われるね。
鱗粉の効果範囲がこの街の区画で、具体的に何ブロック先まで届くかとか。騒ぎを起こして何分後に増援が来るかとか。
一般市民を即座に落とせても、鍛えられた祓魔官をまんじりともさせられなかったら、目も当てられないからね」
「まあ、実際にはわりとあっさり眠りこけてたけどな、俺ら」
「面目次第もない。精進する所存」
ソネシエが小さな両手をぺたりとミニテーブルにつき、率直な謝意を示す。だが表情と抑揚が乏しいため、ふてぶてしい態度に見えるから不思議だ。
デュロンには彼女の反省が明確に感じ取れるが、特に意味もなくからかっておく。
「別にお前を責めてるわけじゃねーよ、真っ先におねむだったソネシエちゃん」
「む……」
無表情のまま唸るソネシエを、ヒメキアが頭を撫でて慰めている。
そうして思い出した様子で、褒めてほしそうにデュロンに報告してきた。
「あたし、最後まで眠くならなかったよ!」
「そうだよな。ヒメキアは偉いな」
むむ、と唸るソネシエが怖いので、デュロンもからかうのはこれくらいにしておく。また癇癪を起こしてスライムソードを錬成されたらたまったものではない。
「しかし、なんでヒメキアは眠くならなかったんだ?」
軽く問うデュロンだが、ヒメキアの笑顔が固まり、まごまごと下を向いてしまったため、遅れて察した。
その理由は、彼女の種族や能力に直結している。
意図せず誘導尋問のような形になり、どうしようかと思案していると、代わりに姉が口を開いた。
「ヒメキア、だったね?」
「は、はい! ええと……オノリーヌさん? お姉さん?」
「オノでいいのだよ。おちびさん、こういうときの常套手段を教えてあげよう」
事情を察したようで、オノは妹に対するように優しく言い聞かせる。
ヒメキアの耳に口を寄せて、ごにょごにょとなにかを入れ知恵した。
かくしてヒメキアは背筋をぴんと伸ばし、顔を赤くして高らかに宣言した。
「えっと……あたし、今からひとりごとを言うね!」
「斬新な独り言だな」
「そこ、静かにしないと聞き取れないのだよ。なにせ独り言であるからして」
「はいはい、わかったよ」
「ひとりごとだよ! 誰も聞いてないと思うけど、聞かれたら仕方ないよ!」
おそらく『今から喋るのは俺の勝手な独り言だが……』的なことがやりたいようだ。
稚拙な前置きが終わったところで、帰寮するなりソファに寝そべり、さっきからずっと生気を消していたリュージュが、いきなりがばりと身を起こして止めに入った。
「待て待て。こんなところで話して本当に他の誰かに聞かれ、後で状況がこじれないとも限らん。
ここは我々の誰かの部屋で密談と洒落込もうではないか。なあ、オノリーヌよ?」
「おお、さすがリュージュ。仕事以外のことなら積極的に気を回せるのだね」
「ふふん、恐れ入ったか? なんならわたしを養ってくれてもよいのだぞ?」
「おいリュージュ、褒められてねーぞ。あと誰彼構わず養われようとするのやめろ」
というわけで、なぜかデュロンの部屋が選択された。壁際のランプに火を灯す。
私物がほとんどないとはいえ、一般的な安宿と似たような1人用の寝室に5人が入ると、さすがに少し狭い。
ヒメキアとソネシエが並んで腰掛け、仲良くベッドを占拠する。
使われている形跡こそないが掃除の行き届いた勉強・作業用机にオノリーヌが、付属の椅子にリュージュが座った。
デュロンは床のクッションを尻で潰す。
ソネシエに袖を引いて促され、ヒメキアが改めて名乗った。
「もう一度ちゃんと自己紹介するね。あたしはヒメキア、齢はたぶん16歳で、種族は
沈黙。誰からも反応が返ってこないことに焦ったヒメキアが、慌てて付け足す。
「っていうほんとのことを、うっかりぶつぶつ言ってたよ!」
「姉貴がやらせといて言うのもなんだが、お前死ぬほど小芝居下手だな。……じゃなくて」
開いた口が塞がらない3人に代わって、デュロンが確認する。
「つまりヒメキアは、不死鳥の性質を持つ魔族ってことでいいのか?」
「うん、そうだよ。あたし、空も飛べるよ。ほら」
一瞬で建前を忘れ、ヒメキアは肩甲骨に格納してある器官を見せてくれた。
獣人の獣化変貌や竜人の竜化変貌と同じく、鳥人にも鳥化変貌がある。
毛皮や鱗だけ、腕や脚だけという部分変貌が可能なように、翼だけの発現も可能である。
ヒメキアの服の背を破り広げられたそれは、髪と同じ赤紫色の羽毛に覆われている。
展開の途中で狭い部屋の壁に当たり、びっくりした彼女が反射的に引っ込めてしまったが、その短時間で優に神秘性と説得力を示してくれた。
普段は努めて冷静に振る舞っているオノリーヌが、目を丸くして言及する。
「それが本当なら、伝説級の希少種族ではないかね。それこそ我ら魔族の最上位種、たとえば王族や上級貴族に列席するクラスの権能の持ち主だ」
道理でウォルコが、というより、教会が隠したがるわけだ。
通説通りなら、通常の再生能力がなくひ弱ですぐ死ぬが何度死んでも灰から
尋常ならざる癒しの魔力はその血液に溶けて循環しており、他者に使うとあらゆる肉体の不調から復帰させることができる。
自前で再生能力のある種族がほとんどである魔族社会では無用の長物だと思われがちだが、意外と求められる場面もある。
再生能力を使いすぎた状態である「再生限界」や、なんらかの原因で再生能力が正常に作用しない「再生機能不全」に陥った者の致命傷も完璧に治せるし、石化に呪詛に麻痺、猛毒に壊疽に昏睡、なんでもござれでものともしない、というのがオノリーヌの説明だった。
ふと思い出し、デュロンは声をかける。
「そうだ、忘れてた。ヒメキア、助けてくれてありがとう」
「どういたしましてー。……あ、でも、あとでパパに怒られちゃうかも……」
「それはないだろ、あの人がお前の判断で使っていいって言ったんだから」
「そっか、そうだよね!」
「しかしまた、なんというか……ああ、だから鱗粉が効かなかったのだな?」
ようやく驚きから立ち直ったらしいリュージュが、遅まきながら指摘する。
「あらゆる状態異常を無効化できる血液は、ヒメキア本人の体にも自浄作用……先天的な免疫機能のような形で守りを授ける。体重あたりの有効量など無関係なわけだ」
魔族の中には強さの根拠として、「特別な臓器」を持つ種族があると言われることがある。
人狼や吸血鬼、竜人などが例に挙がる。
人狼なら、心臓だ。規格外の運動量を下支えし、全身に高速で血を巡らせる。
吸血鬼なら、脳髄。知能は普通だが、思念の力とされる魔力の生成量が桁違いだ。
竜人なら、個体ごとに固有の
なんとなくそういう話をしてみると、デュロンの言いたいことを姉が補足してくれた。
「それでいくと、不死鳥人は肝臓、あるいは骨髄かね? つまりヒメキアも能力の尖り方が違うだけで、我々とそう変わらないということなのだよ。
改めて、ようこそミレインへ。そしてようこそジュナス教会へ」
言いつつ頭を撫でられ、ヒメキアは嬉しそうに頷いた。
ひとしきりいい子いい子した後、姉は怜悧な眼差しを弟へ向ける。
「それはそうと、デュロン。その
「変態かどうかは知らんが、なんとなくな。直接匂いを嗅げればよかったんだが」
「おおう、さすがであるな……」「最低。変態はあなた」「ねこは干したて毛布の匂いだよ」
外野がうるさい。オノは「ふむ」と真剣に頷く。
「的外れかもしれないけれど、おおよその見当はつく。明日、わたしの方で調べてみよう。君らは祝祭を楽しんできたまえ」
デュロンにはよくわからないが、任せておくことにする。今度はソネシエが口を開いた。
「そういえばヒメキア、あの黒猫はどうしたの」
「あ、そうそう。あのねこはソネシエちゃんと同じくらいのときに起きて、あわてて逃げちゃったよ。あのねこ、雰囲気がソネシエちゃんに似てたよね」
「……そう」
ソネシエが思うところのある様子で押し黙る。雰囲気が猫に似ていると言われて反応に困っているわけではなさそうだ。デュロンが眼で促すと、方針を話してくれた。
「ミレインに
眉唾ものと思っていたけれど、少し懸念材料。
明日兄さんが捕まれば、彼に相談してみる」
「なんだよ、気になるじゃねーか。ここで言えよ」
「確認が取れたら話す。不確定状況下で、さらなる杞憂は不要」
彼女もなにか考えがあるらしい。こういうときはデュロンが口を挟んでも詮がない。
最後に、椅子の上でダラけて反っくり返った怠惰の王・リュージュが確認する。
「ときにデュロン。あの女の
「ああ、そう見えたな」
「そうか。で、あったよな……ふーむ」
皆が見つめる中、リュージュはついに椅子から転げ落ちて、無言のままジタバタする。代表してデュロンが沈黙を破った。
「……おい。それが、どうかしたのか?」
「ん? いや、べつに……2人が思わせぶりな格好よさを見せているので、わたしもそれっぽいことを、なにか言うべきかなと。使命感に衝き動かされて、適当吹いただけである!」
呆れて言葉も出ない一同の中で、ヒメキアだけが童顔をキリッと引き締めた。
「デュロン、あのねこ、金色の眼をしてたよね? あたし、心当たりがあるよ……」
「そらみろ、ヒメキアが真似しだしたじゃねーか。雰囲気出す遊びじゃねーんだよ」
「あのねデュロン、金色の眼のねこは幸運をもたらすって、パパがね……」
デュロンはそのまま懇々と猫の話を始めるヒメキアに付き合った。
傍らではソネシエがリュージュの両腕を極めて捕縛し、オノが不埒な竜人の両脚を掴んで、股間を足の裏で把持する。
「はいお仕置き、もといオペを始めるのだよ。患者が暴れるのでしっかり固定していたまえ」
「了解。串刺し刑の要領で、股間から脳まで衝撃で貫いてあげるべき」
「ぎゃあああ待て待て、こういうときだけ息ぴったりなのだからこの2人は!」
「それでね、えっと……デュロン、リュージュさんは大丈夫? あたしの出番はない?」
「やらせとけ。一番の患部は性格なんだ、お前の能力でも治せねーよ」
普段から行動を共にしているデュロンにとっては、この騒がしさも慣れたものだし心地も良いが……なにせ明日から始まるのは、年にいくつかある祝祭のうちの大きな1つだ。
なにも起こらなかったとしても、賑やかな2日間になることだろう。
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