Morning Glory

@xxSKIDxx

第1話 Morning Glory

 世界にはかつて『朝』があったという ──


 それは、先祖代々受け継がれてきた昔々の物語の冒頭の一節。

 かく言う私も例に漏れず、母から寝物語として何度も聞かされてきた。


「『朝』ってどんなものなの?」

「世界中が空から降り注ぐ光に包まれていて、照明なんて無くても隅々まで良く見えるのよ」

「え……?じゃあ……かくれんぼ出来ないね?」


 と言う私に、くすくす笑いながら「そうかもしれないね」と母は言った。

 闇はとても身近な存在で、空気と同じくらい普遍的なものだった私には『朝』というものがよく分からなかった。

 正直、大きくなった今でも良く分からないのだけれど。きっと母も同じだったのだろうと今では思う。


「おーい、起きてるかー?」


 コンコンという音に合わせてドアの外から声が聞こえる。


「起きてるよー。鍵空いてるから入りなよ」


 と、いつものように答えて、私は彼を迎え入れた。 


「おはよう。昨日、あれから面白い論文を見つけてさ。ちょっと聞いておくれよ」

「まぁた言ってるその挨拶」


 嬉々として語る彼を見て、どうして母のことを思い出したのか気付いた。彼のせいだ。

 小さな溜息を一つつき、彼にソファを進めてからコーヒーを淹れにキッチンへ向かう。

 彼はいつも「おはよう」から始まる。『朝』があった頃の挨拶なのだとか。

 挨拶なんて「お疲れ様」で良いと思うのだけどね。


「いやあ、これは大発見かもしれないよ」


 キッチンから横目で伺うと、彼は肩に掛けていた鞄をごそごそ漁りながら、いくつかの書類の束を机に広げていた。


「はいはい。今度の大発見は何だい?」


 マグカップに注いだコーヒーを二つ、自分と彼の前に置いてから、向かいのソファに腰を下ろした。

 彼のカップにはミルク替わりにたっぷりと皮肉を溶かして。 


「まぁまぁ、そう焦りなさんな」


 こちらは何一つ焦ってなどいないのだけれど。と思いつつ彼を見ると、いつも通りにそう言った彼はマグカップを口に運んで、ほぅと一息つく。

 マグカップを机に戻しながら、きりりとした顔を見せて彼は言った。


「ついに『朝』を取り戻せるかもしれない」

「ああ、はいはい。今度はどんな方法で?」


 まるで誰かに奪われたような言い草だな。と思いながら、私はお決まりとなった返事を返す。


「あ、信じてないだろう!」

「ああ……うん……そりゃまあねぇ」


 これまでも、鶏の卵はその昔は『朝』の象徴だったんだと言ってゆで卵を食べまくってお腹壊したり、めざまし時計は、その昔『朝』を呼び寄せる道具として使われていたんだと、数十個のめざましアラームを鳴らしまくって近所から文句を言われたり……。

 挙句には『朝』を称える歌と踊りを舞う儀式をすることで、神様らしき存在が夜を切り開いて『朝』を運んで来るのだと言って、ヘロヘロになるまで歌い踊り続けたりと、彼の奇抜な研究の数々は成果が出なかった研究の数と同じであることは、もはや万人の知るところだ。


「まぁ聞き給えよ」


 こちらの気分などお構いなしに、彼は一つの紙束を示しながらしゃべり始めた。


「ここを見てくれ。どうやら『朝』のあった時代には対極として『夜』という概念があったようだ」

「ふむ」

「この論文では、今のこの世界の状況こそが、その昔『夜』と言われている状況なのだと言っている」

「闇に包まれているこの世界は『夜』が続いている世界ってことなんだね」

「そう。そして『夜』から『朝』にはいきなり切替わるのではなく、時間とともに徐々に切替わっていたようなんだ。『夜』から『朝』に切り替わる途中を『夜明け』と呼び、『朝』から『夜』へ切替わる途中を『夕暮れ』と呼んていたらしい」

「なんで『夕暮れ』?『夜明け』の反対なら『朝暮れ』なんじゃないの?『夕』って何さ?そもそも『夜が明ける』の?『朝が明ける』でもいいんじゃないの?」

「シャラップ!呼び方なんてどうでもよろしい!」

「ええー……」


 彼は興味ないことは徹底的にどうでもいいらしい。理不尽だ。

 こほんと一つ咳をして彼は続ける。


「僕が言いたいのはさ、これまでの僕はいきなり『朝』にしようとしてたから失敗してたんだってことだよ」

「えっと……つまり?」

「徐々に切り替える必要があるなら、『夜明け』や『夕暮れ』どっちでもいいけど、つまり、まずは切替わる間の状態を再現することが必要だったんだよ!」


 ふむ。つまりはこれまでの彼は途中の経緯を考えることなく、いきなり『朝』に切り替える方法しか考えて来なかったから、まずは途中の『夜明け』『夕暮れ』の状況を再現し、段階を踏んで『朝』に切り替えよう、と。


「なんとなくは分かったよ。で、具体的にどうするの?」

「ん?これまでと変わらないさ。仮説と検証の繰り返し。思いついたら総当たりってね」

「はぁ……」


 きっと彼にとっては大きなきっかけなんだろうけど、自信満々の顔をした彼に私は隠すことなく大きなため息をついて見せた。結局これまでと何にも変わらないんじゃないか……。


「まぁ、見てなって。きっとすぐに成果を出してみせるさ!それじゃあね!」


 意気揚々と軽い足取りで出ていく彼を、私は肩をすくめながら見送った。



 ***



 それからも毎日のように「おはよう」を唱えながら彼は来た。

 昨日は何した、今日は何すると語る彼に、相槌を打つ私。

 代り映えはしないけど、楽しい毎日はこれからも続くんだと漠然と思っていた。


 でも、彼にとっては違ったらしい。

 ある頃から段々と苛立った姿を見せるようになっていた。

 成果らしい成果が何も見えないからだろう。



 ***



 ある日、唐突に彼が言った。


「今日はさ。検証に付き合って欲しいんだ」


 これまではどんなに手のかかる検証作業でも、助けを求めなかった彼の言葉に、私はなんだか嫌な予感を感じつつも了承した。

 彼はいつも検証に使っているのだという、ある建物の屋上へ向かう。

 私は黙ってその後ろを付いて行った。


 屋上に到着し、かちゃかちゃと何かの準備を行いながら、彼はぽつりぽつりとこぼすように言った。


「これまでさ」


「うん」


「色々とやってきたんだ。それこそ思いつくこと、可能性がありそうなことは全て」


「うん」


「全部、駄目だった」


「……」


「『朝』の気配なんて少しもしなかった……」


「……」


「今日の検証が僕が思いつく最後の可能性なんだ。だから君に見届けてほしいんだ」


「……、……うん、わかった」


「……ありがとう」


 黙々と準備を進めていく彼の背中を、私も黙って見つめる。

 しばらくそうしていると、彼の手が止まった。

 ふうと軽く吐息をつき、これまで見たことが無いほど真剣な顔を、こちらへ向けて彼は言った。


「……いくよ?」

「……うん」



***



 静寂だけがあった。まるで世界から音が全て消えたかのようだった。

 私は俯いている彼の横顔をじっと見ていた。

 手の痛みに気付けば、知らず固く固く拳を握りしめていたようだ。


 どれだけ経ったのだろう。

 私が何か言葉をかけようかと思ったその瞬間だった。

 俯いていた彼の口元がぐっと一度引き締められ、そして、弾けた。


「あああああああっ!もう嫌だっ!無理だ!きっと『朝』なんてないんだ!」


 彼はその場で座り込み叫んだ。

 ぐちゃぐちゃな顔でぐちゃぐちゃな気持ちを吐き出すように叫んでいた。


 ああ、きっと彼にとって『朝』は全てだったのだろう。彼には『朝』が必要だったのだろう。慟哭する彼を見て私はそう思った。

 しかし同時に、なぜか自然と「ここで終わらせてはいけない」と思っている自分に気付いてもいた。


 気付けば私は彼の隣に腰を下ろし、語り掛けていた。


「確かにさ『朝』なんて本当は無いのかもしれない。でもさ……誰一人として朝を探さなくなっちゃったら、ひょっとしたら見つけて欲しくてずっと待っているかもしれない『朝』を、見捨ててしまうことになるんじゃないかな」


 私は幼子をあやすかのように、背中を撫でさすりながら続けた。

 きっと彼はその想いだけで進んできたのだと分かっていながら、私はさも偉そうに続けた。


「だから……、これからも『朝』を探し続けてみないかい?」


 今日、この時までの苦労や葛藤を無常にも否定するように。

 お為ごかしな軽い慰めの言葉を連ねる。


「……」


 彼の口がへの字に歪む。

 そりゃあそうだよね。全てを注ぎ込んでいたからこそ苦しいのだから。

 知ってるよ。見てきたんだもの。だからこそ、あえて私は言う。

 だって……。


「『朝』を探すのは、世界でたった二人きりになるかも知れないけれどさ」


 これからは一人ではないんだと伝えたかったから。


「……っ!」


 ちょっとだけ目を見開いて、彼は私を無言で見つめていた。

 私も黙って彼を見つめながら言葉を待つ。


「……うん」


 薄っすらと微笑みを浮かべた彼に私も微笑み返す。

 私はなんだか気恥ずかしくなって空を見上げると、つられたように彼も空を見上げた。



***



「んあ…」


 意識がゆっくりと覚醒する。

 無言で空を見続けている内に、気付けば眠りに落ちていたようだ。

 ふと横を見ると、彼がこちらを見ていた。


「……おはよう」


 彼は恥ずかしそうにいつもの挨拶を口にした。


「うん……おはよう……」


 私は少しはにかみながら、生まれて初めての挨拶を呟いた。

 相も変わらず闇が支配する小さな屋上に、ほんの少しだけ夜明けが近づいていた ──

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