第2話 やっぱり、ね?

「......フレイア、今ならまだ間に合うぞ。もともとお前に痛いところがあっての婚約破棄ではない。私が陛下にお話すれば、今までどおり令嬢として生きていくことも」

「あなた。分かっているのでしょう。この子は聞きませんよ。昔から世界を見て回りたいと、そればかり言ってましたもの。最近は落ち着いたと思っていましたが......隠すのが上手くなっただけのようです」


 両親の諦めのこもった苦い顔を、フレイアは黙って見ていた。

 育ててもらった恩はある。悲しませたいわけではない。けれど、このチャンスを逃す理由もない。


 やがて、いつもの真面目な顔に一抹の不安をのせた表情の母が、そっと近づいてきてフレイアの手を取った。


「フレイア。令嬢ではなく、ひとりの冒険者として生きていくのであれば、自らの生死もすべて貴女の責任ですよ」

「——無論、分かっています。死ににいくつもりはありません。世界を全て回ったら、きっとここへ戻ってきます」

「そう。まぁ、貴女の今までの努力は、わたくしたちが知っています。みすみす遅れをとることも無いでしょう......ではフレイア、行ってきなさい。楽しく生きるのよ」


(お母様。お母様は分かっていらっしゃるのかしら。お母様がよく言う「楽しく生きろ」の言葉のせいで、私が夢を諦めきれなかったこと——)


 自分とよく似た青い瞳の母。いつも貴族のお手本のような微笑みを絶やすことのなかった彼女が、昨日のフレイアのように、ニコッと笑った。


「——ええ。わたくしは、全て分かっているわ。貴女の母ですもの」


 耳元で、微かに聞こえた言葉。

 それは、フレイアの逡巡を断ち切るには十分だった。


「——それではお父様、お母様、行って参ります」


 それ以上、何も言う必要はない。すぐに踵を返すと、重厚な門を歩いて出る。


 邸宅はどんどんと遠ざかっていく。そばにはお付きのものの一人もいない。

 でも、寂しくは無い。むしろ、湧き上がってくる感情が抑えきれず、まだ貴族街にいるのに叫び出したい気持ちにすらなる。


(いざ、この世界を巡る旅へ。楽しみで仕方ないわ!)


 フレイアは、ひたすら真っ直ぐに歩いて行った。



-・*・-




 冒険者ギルド。多くの荒くれ者たちが集い、昼間から酒を飲み、首が切れた魔物依頼の品なんかを持ってうろつく場所。


 女性がいないわけではない。けれど、やはり絶対数は少なく、いたとしても大の男を殴り倒せるくらいの度胸と実力の持ち主ばかり。


 当然、深窓の御令嬢なんかが訪れるようなところではない。


 しかしその日、そのボロボロになった木のドアをバコーン! と音を立てて入ってきた御令嬢がいた。いや、服装は小綺麗な冒険者のそれだが、オーラが明らかに貴族のものだったのだ。


「ヨーク! 私、やっぱり婚約破棄されたわ! 一杯ちょうだい!」


 そして高らかにそう言い放った。

 ギョッと目を剥いた者はごく少数。多くは親しみのこもった笑顔を彼女に向けた。


「おぉ嬢ちゃん! やっぱ破棄されたのかよ! ガハハ、そいつぁ見る目のねぇ男だな! おら、葡萄ジュースな」

「ちょっとヨーク、私、昨日が成人の式典だったんだけど? もうお酒も飲めるわ!」

「ん~? 初めての上に気が昂ってるガキンチョには酒はあげられねぇなぁ」


 木のジョッキを持ってそう言った大男に、フレイアは唇を尖らせてみせた。

 それを見てガハハっと大口を開けて笑い始めたのは、周りにいる他の冒険者たちだった。


「フレイア、凝りねぇなぁ。そもそも、ギルド長のことを『ヨーク』なんて呼び捨てにすんのはあんたぐらいだぜ!」

「全くだ、あの『赤鬼のヨーク』がなぁ、柔らかくなったもんだぜ。な、おめぇら......あ、いや、ギルド長もフレイアのことを想って言ってると思うぜ? な、だからフレイアも、そんなへそ曲げんなって!」


 調子に乗り始めた冒険者に悪鬼の視線を飛ばしたギルド長ことヨークのおかげで、彼らの言葉が尻すぼみになる。

 少し拗ねたような顔をしていたフレイアも、それを見てクスッと笑いをこぼした。


「仕方ないなぁ。それじゃあ、ステイルさんの奢りってことで」

「は⁉︎ 俺かよ!」


 真っ先に調子に乗った男を指名すると、その場がドッと笑いに包まれる。いつも通りの雰囲気が戻ったところで、フレイアも席についた。


「......で、嬢ちゃん。やっぱ旅に出るつもりか?」


 目の前に立ったヨークが尋ねた。


「うん。ずっと私がやりたかったことだもの」

「俺は、王妃様ってのもなかなか似合ってたと思うがなぁ」

「......肝心の王がそれを望まないなら意味はないわ」

「ま、そりゃそうか」

「そうよ」


 このギルドにフレイアが初めてきたのは、冒険者になる最低年齢である、10のときだ。初めこそどうせお貴族様と冷ややかな視線だったが、偉ぶるでもなく、ただひたすら地道に依頼をこなすフレイアを、男たちは少しずつ認めていった。

 そしていつしか、フレイアは自分の処遇について話すまでになり、昨日あたり婚約破棄されそうだということも事前に話してあったのだった。


 無論、フレイアの思い描く夢のことも。


「そりゃ、ここのギルド長としちゃあ残念だな」


 ヨークはいつしか、フレイアを自分の娘のように思っていた。彼女が本当にしたいことをできるようになればいいと願いつつも、そうなればここを離れていくという現実は、やっぱり少しだけ寂しかった。


 フレイアはヨークのそんな本音を見抜いた上で、あえて笑って自分の首にかかる金のプレートを揺らして見せた。


「ゴールドランクの冒険者がまたひとり減っちゃうからね」


 パチンとウインクまで決めてみせる。

 すると、少し呆気に取られた様子だったヨークが、ふっと笑みをこぼし、おどけた仕草ではぁぁとため息をついた。


「まったくだ。せめて、今話題になってる盗賊でも捕まえてから行ってくれりゃあいいんだけどな」

「盗賊......ああ、それなら表に縛り付けてあるわ」

「そうか表に......って、は⁉︎」


 ヨークは、今度はかなり本気で呆気にとられ、目を見開く。葡萄ジュースを飲みながら横目でそれを見たフレイアは、くいっとギルドの入り口の方を指差した。


「3人組で、全員黒色の髪、飛び道具を使う奴らよね? 通りを歩いてたら襲ってきたから、ヨークに引き渡そうと思って連れてきたんだった」

「......で、婚約破棄の報告をしたら盗賊のことは頭からすっ飛んだと」

「うーん。まぁ、そういうこともあるわ!」

「ねぇよ! 奴らの実力はブロンズランク以上だぞ⁉︎」


 フレイアは無言で、もう一度自分の金のプレートを揺らした。


「ああ、そうだったな......。ったく、どの世界に盗賊を引きずって歩く御令嬢がいんだよ」

「あら、私、もう御令嬢じゃないもの」

「......そうだったな。あー、もう分かった! おめぇら、今日は嬢ちゃんの婚約破棄と旅立ちの祝いだ! 俺が全部奢ってやるから好きなように飲みやがれ!」


 半ばやけくそになって叫んだヨークの声に、うぉおお! とテンションの高い男たちの声が重なる。


 その夜、結局フレイアは葡萄酒を何杯か胃に流し込み、夜も更けて男たちが全員潰れたあと、ギルドの二階の宿で眠りについたのだった。

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婚約破棄されたから世界を巡る!【急募】一緒に行く仲間 りん @ri_n_go

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