13・墜落
コックピットに緊急事態を知らせる警告音が満ちる。
中野は叫んだ。
「今度はなんなの⁉」
計器の異常をチェックし、機体の安定を保ち、対策を打つ作業がすでに10分以上続いている。トラブルをひとつ解決すると、すぐに次のトラブルに襲われた。燃料の減少は止まったが、残量はほとんどない。
オーバーヘッド・コンソールの発火は長谷川が撃った銃弾が原因のようで、やはり回線を傷つけたらしい。消火器を抱えて飛び込んできた灘が火は消したが、機内通信の回線が遮断された。機内通話のヘッドセットも機能しない。
それ以後は、ほんの数メートル背後で行われている作業やその進行状態も分からず、意思の疎通に支障をきたしている。
統幕とコックピット間の通信も遮断されたが、幸いAORの通信機能はまだ生きていた。そこで指示を受けた灘がコックピットに顔を出して大声で叫ぶという、原始的対応が続いている。
中野は高度計に目を留めた。
「クッソ! これか!」
急激に高度が低下している。3000メートルの巡行高度を保っていたはずが、いつの間にか2000メートルを切っていた。
前方には雲が広がり始めている。積乱雲のような禍々しい姿ではないことだけが救いだ。気流に乱れがないことは、ひたすら祈るしかない。傷だらけの機体が乱気流に巻き込まれれば、複合素材ですらバラバラに引き裂かれかねない。
いくつかのスイッチを調整し、なんとか降下速度を緩めようとする。だが、期待した効果は得られない。あとどれだけ飛び続けられるかも、分からない。
しかも、一つ残ったエンジンに過大な負荷がかかっていることが、体の痛みのように感じられる。中野が愛した『健さん』が苦痛に喘いでいる。このままではエンジン停止さえ杞憂とは言えない。
中野は振り返って叫んだ。
「灘さん! 『くにさき』はどのへん⁉」
しばらくして灘が、開けっ放しのドアから顔をだす。
「呼びましたか⁉」
「『くにさき』はまだ⁉」
「5分前は100キロ先です」
「雲が湧いてきた! 目視できない!」
「向こうからは見えてます。イージス艦が併走しているそうです。コースさえ維持できれば、こっちから見えなくても向こうが捕まえてくれます!」
その間にも、時々不自然な揺れを感じる。
「維持できないかも……で、キャビンの進行具合は⁉」
「できる限り目張りはしました。山下が持ち込んだ接着剤も使わせてもらってね。指示があれば、いつでもAORの減圧を開始できます!」
「高度が下がってきてる! 原因は不明で、対処できない。1000メートルを切ったら減圧を開始して!」
「今、何メートル⁉」
「1700! 『くにさき』にも知らせて! あと何分飛べるか予測不能!」
「AORじゃ高度は分かりません!」
「じゃあ、すぐ始めちゃって! この調子で落ちてたら何分も違わないから!」
灘が顔色を変えて去る。すぐに戻って状況を知らせた。
「AORのドア、密閉しました! 減圧開始! 他の乗員はAOR側です」
「なんでAORにいるの⁉ コックピットの方が少しは爆弾から遠いのに!」
「由香里さんが圭子さんから離れません! だから、森さんも」
「谷垣は⁉」
「気圧操作が必要だからって、出てきません! 自分が連絡役になります!」
「どうしてこうお人好しばっかりなの⁉」
とはいえ、コントロールを失って正面から海面に突っ込めば、最も危険なのはコックピットだ。ここに至っては、機体のどこにいようとリスクに大差はない。
機体が、雲に突っ込んでいく。わずかに霞がかかったような風景が、一瞬で真っ白に変わる。それが見る間に暗くなり、まるで漆喰の壁に塗り込められたかのように思える。
中野は重苦しいため息をもらした。
視覚によって自分の位置を確かめることができない。平衡感覚にも自信が持てない。それを補うはずの計器も、どこまで信じられるか分からない。
上下の区別さえあやふやな、宇宙空間に放り出されたような不安感が心臓にのしかかる。
それでも耐えるしかなかった。積み重ねた知識と感覚を総動員し、頭脳を極限まで働かせ、体力と精神力の全てを投じて『健さん』を抑え込むしかない。
なのに、機体の振動は激しく、不規則になっていくばかりだ。
そうして何分が過ぎたのか――。
ほんの数秒にも思えるし、何時間も過ぎたようにも感じられる。自分が持てる全てのリソースをオスプレイに集中していた中野にとって、時間の感覚は頭から消え去っていた。
と、わずかに周囲の明るさが戻る。そしてみるみる、白さを増していくていく。
雲を抜けている。高度はすでに500メートルを切った。
前方にレースカーテン越しのような空が見えたと思った次の瞬間、一気に視界がひらけた。
その先は快晴で、嘘のように凪いだ海面が広がっている。ただただ青く、開けた空間だ。空と海の境目すら、一つに溶け合っているようだ。
そして他には、何もない。
『くにさき』もいない。
オスプレイは、何もない空間にポツンと放り出されたのだ
皮肉なことに、雲を出ると同時に機体は安定性を取り戻した。安定はしたが、まだゆっくりと降下し続けている。高度を保つだけのパワーが出せないのだ。燃料も枯渇している。
中野がつぶやく。
「いよいよ限界……かな」
それは中野が初めて口にした、諦めのような感情だった。
すっかり身についていた強気な言動は、くじけそうになる気分を鼓舞するための習慣でもあった。パイロットを目指してからずっと、自分を追い込みながら立ちはだかる壁にぶつかってきたのだ。しかし壁が〝物理的〟な障害なら、どんなに気力を振り絞ったところで闘いようがない。
中野は、自分の無力さを噛み締めていた。
そのつぶやきを聞きつけたように、不意にエンジンが停止した。突然音が消えたように、機内が静かになる。
中野はほとんど反射的に、オートローテーションへの移行を開始した。ローターと機体の角度を微妙に調整しながら、少しでも降下速度を遅くしようと奮闘する。
中野の目に光が戻った。
「ごめん。こんなのダメだよね。わたしが諦めたら『健さん』も闘えないよね。頼れる相棒なんだから、信じなくちゃ。機体がバラバラになるような着水は絶対にさせないから」
ヘリコプターは、空中でエンジンが停止してもすぐに墜落するわけではない。ローターとエンジンの接続を切ると、下から上へ向かう気流でローターが回転して揚力を生む。その揚力によってゆっくりと安全に着地することができるのだ。一方の固定翼機――翼を持った飛行機では、エンジンが停止してもグライダーのように滑空することができる。
その中間的な存在であるオスプレイには、オートローテーション機能がないと非難されることもある。しかしそれは事実ではない。ヘリコプターのローターと飛行機の翼は原理が同じで、面積が大きければ大きな揚力を発生させられる。オートローテーションの揚力もまた、ローターのサイズに比例する。
オスプレイは一般のヘリコプターに比べてローターが小さいために、その作用が〝弱い〟に過ぎない。他方、ヘリコプターにはない翼が存在し、そこからも揚力を得られる。固定翼機に比べれば力は弱いが、滑空が可能だ。この二つの揚力発生源を組み合わせれば、エンジン停止後も安全な着陸ができる場合がある。
今も、やや斜めに向けたローターを気流で回転させ、同時に滑空しながらゆっくりと降下していた。
その下に大地はない。茫漠と広がる海があるだけだ。
それでも、海面は穏やかだ。降下速度を最小にできれば、着水時に機体が受ける衝撃も小さくなる。機体の損傷の程度にもよるが、着水後もしばらくは浮かんでいられるかもしれない。搭乗者を救出する時間も作れるだろう。
動力を完全に失った今、もはや墜落は避けられない。だが、生還の道が閉ざされたわけでもない。どれほど小さな可能性でも、ゼロではない。
ゼロではない、というだけに過ぎないのだが……。
キャビンには気圧感知の爆弾がある。エンジン停止によって減圧に使える電源はAORのバッテリーのみになった。それがどの程度の時間機能し続けられるか分からない。着水によって機体の損傷が起きれば、振動や気圧の上昇で瞬時に爆発するかもしれない。
着水寸前に爆弾を液体窒素で凍らせ、AORのドアを開けて脱出を図る――。
灘と話し合って決めた破れかぶれの作戦でさえ、望みうる最善の策だった。
高度計を見る。200メートルを切った。
中野にはもはや、細かく操縦桿を動かす以外にできることはなかった。滑空し、降下し、ほとんどなされるがままだ。
風切り音に包まれながら、祈る――。
それだけだ。
視線を上に向ける。真っ青な空が広がっている。人生最後に見る風景かもしれない。
それでも、仲間に撃墜されるようはるかにマシだ。少なくとも、抵抗はした。
わずかに力が及ばなかっただけだ……。
ここで死ぬとしても、ただ、それだけのことだ……。
中野はつぶやいた。
「これで、終わりかな……」
と、空の青さの中にポツンと黒い点があることに気づいた。
「飛行機……? 哨戒機⁉」
目をこらすと、その点の周囲には他にもいくつかの点があった。どうやら、自衛隊機だけではない。マスコミの報道機も飛び交っているらしい。それだけ本土には接近できたわけだ。
しかし、彼らに何ができるわけでもない。爆弾がある以上、迂闊には近づけない。ウイルス感染を防ぐためには近づいてはならない。
それでも、孤独ではない。誰にも知られずに、死んでいくわけでもない。傷ついた『健さん』が、必死に生き抜こうとしたことも見守ってもらえるかもしれない。
もはや、それ以上は望めない。
そう諦めかけた時に、機体が再び激しく振動した。どこかが爆発したのか、部品が欠落したのか……。
中野が愛した機体は、断末魔の叫びをあげていた。
エンジンを奪われ、燃料を奪われ、コントロールを奪われ、目的地を奪われ――悲鳴をあげながら、なお、必死に空中にしがみついている。
中野はつぶやいた。
「ありがとう。死ぬときは、最後まで見届けるからね。それとも、一緒に死ねるのかな……」
と、レーダーの辺縁に急速接近する機影が映る。2機……いや、3機だ。
不意に、途切れ途切れの通信が入った。振動が一時的に回線を接触させたようだ。
『中野! 米軍機が――そっちに――てる! ――撃墜する気だ!』
通信は明らかに、去ったはずの山崎からだ。
「あんた、どうしてそこに⁉」
『「くにさき」目指して――だろう⁉ 時間稼いで――よ!』
「米軍に喧嘩売る気⁉」
『合同訓練じゃ負けた――はない! 実戦――試すまでだ!』
「バカ! やめろっって! 殺人罪になるぞ!」
『俺はお前を殺すつもり――んだ。これぐらい――させてくれ』
レーダーの中で、3機が急速接近する。ドッグファイトだ。
光点が1つに重なる――。
「やめろって!」
と、再び光点が分かれる。2つ……そして3つに……。
2つは接近と同様に急速に去っていった。
ほんの一瞬のすれ違いだった。
再び無線が入る。今度はなぜか、言葉が途切れない。
『山崎だ』
「大丈夫⁉」
『ああ。アメちゃん、急に去って行った。なんでだ?』
「なんでだ、じゃない! まさか、発砲してないでしょうね⁉』
『ただの威嚇だよ。向こうも撃ってきたし』
「どこまでバカなの⁉」
『だけど、追い払えたぜ』
その通信に、別の声が割って入った。
『統幕だ。通信が回復したようだな。米軍とは最終的に折り合いがついた。日本がウイルスを解析してワクチンを製造したのちに、全てのデータを渡すことになった。これ以上の攻撃はない』
『なんだ、俺にビビったんじゃないんだ』
「バカ……本当にバカなんだから」
『山崎二佐。懲罰は覚悟しているんだろうな?』
『降格ぐらいなら、いつでも。減給は勘弁してください』
『本当に愚かな奴だ。だが、ここにいる全員、止める気はなかったようだ。ちなみに米軍からも一言あった』
『なんですって?』
『決着は次の合同訓練で、だと』
『ドッグファイト、させてもらえるんですか⁉』
『我々は自衛隊だ。常識で考えろ』
山崎の落胆は、声に出ていた。
『ですよね……』
『中野一尉、次の指示だ。オスプレイの車輪を――』
と、不意に通信が途切れた。通信が回復したのは、そのほんの一瞬だけだったのだ。
中野にはそれが、『健さん』からの感謝の気持ちのように思えた。
涙を流しながらも、苦笑するしかなかった。
「みんなバカなんだから……。でも、ギアをどうしろと?」
しばらくして、背後で灘が叫んだ。
「中野さん! 車輪を出して!」
中野には、灘の言葉が理解できなかった。意味は分かるが、海上でランディングギアを下ろしてなんのメリットがあるのだろうか。
この機は着水する。ギアを下ろすために格納庫を開ければ、海水が流れ込む。浮いていられる時間をわざわざ減らせば、避難行動が難しくなるだけだ。
『くにさき』の甲板でならともかく……。
「なぜ⁉」
「統幕の指示です! すぐに車輪を!」
「格納庫を開いて気圧は変わらないの⁉ 爆発しない⁉」
「目貼りも追加してます! たぶん、大丈夫!」
高度は2桁になっていた。指示の意味も理解できない。
それでも、命令なら従う。もはや、逆らう意味もない。
中野は車輪を出した。
途端に、足元から甲高い機械音が湧き上がる。ランディングギアを下ろす音だけではない。
ジェットエンジンのような轟音が、足元で爆発的に高まる。
「なに⁉」
理解を超えた状況だった。海面に激突する直前、下からドンと突き上げる衝撃に見舞われた。明らかに、固い〝何か〟にぶつかっている。機体が何度かバウンドする。
風防の下に、巨大なゴムボートのような物体がせり出してくる。それを見た瞬間、疑問が氷解した。
「LCAC!」
そしてオスプレイは、穏やかに動きを止めた。
中野は幼い頃に胸躍らせた再放送のテレビドラマを思い起こしていた。
「サンダーバードかよ……」
LCACは『くにさき』に配備されているホバークラフト――エアクッション型の揚陸艇だった。『くにさき』には2機のLCACが常備されている。周囲を分厚いチューブで囲った中に空気を吹き込んで船体を浮かせるために、水の抵抗を受けずに高速で航行することが可能だ。
ガスタービンエンジン4機を備え、後部に配置した2機のプロペラで推進力を得る。 最高速度はおよそ時速100キロで、200海里以上の航行が可能だ。波高2メートル以上で速度は低下するが、搭載容量は約70トンにも及ぶ。兵員輸送はもちろん、40トンを超える戦車でも輸送できる。15トン程度のオスプレイなら、問題なく載せられるのだ。海上で輸送艦から発進し、そのまま砂浜などに乗り上げて要員や機材を下ろせるので、揚陸艇に比べて格段に機動性が高い。
母艦である『くにさき』は大型である分、速度は遅い。最高でも時速40キロ程度が限界だ。中野はそのスピードから考えて、到底合流地点にはたどり着けないと諦めていた。しかし『くにさき』には、ハイスピードを誇る揚陸艇が備えられていたのだ。
おそらくオスプレイの飛行が困難になった段階で、いち早くLCACを発進させていたのだろう。穏やかな海面と相まって、空荷のLCACに最高速度を絞り出させたに違いない。
イージス艦と哨戒機から得られるデータによってオスプレイの位置と挙動を解析し、スピードを合わせて背後から侵入してきたのだ。そしてピンポイントでオスプレイの下に、即席の〝着陸甲板〟を作り上げた。
車輪を使って甲板に降りられるなら、機体に与えるショックも最小限に抑えられる。衝撃で機体が損傷し、気圧の変動を招く危険も格段に減る。
着水によって爆発を誘発すれば人命はもとより、テロ実行犯も失われて背後関係の解明も難しくなる。しかも100億円を超えるAOR型オスプレイも水面下に消え去る。マスコミはオスプレイの危険性を喧伝し、この先の配備計画が頓挫するか、大幅に遅延するだろう。
逆に機体を無事に着陸させられれば、それはオスプレイの安全性を裏打ちする事象になる。人命を第一に考えた上でパンデミックを回避できれば、自衛隊の評価は国際的に高まる。何よりも、日本は卑劣なバイオテロに屈せず、敢然と戦い抜いたという実績が世界に認められる。
争いを避け続けてきた日本が、そして憲法に縛られ続けてきた自衛隊が、国を守るという本来の使命を推し進めるという宣言にも等しいのだ。
自衛隊が抵抗しなければ、オスプレイは米軍の手で撃墜されていただろう。第二次大戦後、〝属国〟であり続けた日本の地位は改善されないまま、さらに数10年を過ごさなければならない。だからこそ、自衛隊は成否を度外視してまで危険な作戦を決行しなければならなかったのだ。
そしてその賭けは、成功した。
心のどこかで死を覚悟しながらも、中野が必死に飛行を安定させたことがこの成果を生んだのだ。オスプレイを守るために海自が発揮したアイデアと勇敢さ、そして職人的精密さがこの救出劇に結実したのだ。
自衛隊は諦めない――。
その事実が、日本の歴史に刻まれた瞬間だった。
中野は、ようやく安堵のため息をもらした。深く、長い、しかし満足感に満ちたため息だった。
背後に灘が現れる。
「『くにさき』からの指示です。機体のドアは絶対に開けないように。LCACから電力供給が得られるように作業を進めていますから、絶対に気圧を上げないように、ということです」
「分かったわ……。じゃあ、わたしは休んでていいの?」
「いや、外部電源を接続後、至急オスプレイから離れるように、と」
「機体を捨てろと⁉」
「まだ爆発の危険が去っていません。自分たちまで巻き込まれると、事態の詳細が不明確になります。証人でもある自分たちは、LCACの操舵室に避難しろとの命令です」
中野は命がけで守った機体を離れたくはなかった。しかし、命令の意図は明快だ。
彼ら以外の証人やテロリストはAORの側にいて、ドアを開けることができない。今AORのドアを開けば、気圧が急上昇してほぼ確実に機体は爆破される。そうでなくても、爆発の危険は消え去ってはいない。犯行組織を追求して今後のテロを防ぐためにも、経緯を証言できる人物を全て失うわけにはいかないのだ。
中野はヘルメットを外してシートから立った。
「了解……残念だけど」
通路に出ると、主キャビン扉が外から叩かれる音がした。くぐもった声が届く。
『AORは密閉されていますか⁉』
ドアに近い灘が答える。
「大丈夫です!」
『では、外に出てください!』
灘が主キャビン扉を開く。ドアの下半分がタラップ状に降りる。
2人は機外へと出た。4機のガスタービンエンジンが巻き起こす轟音に包まれる。
海面を見渡した灘が、傍の海上自衛官に言った。
「なんか、思ったより高い場所ですね!」
自衛官が2人にヘッドセットを渡した。
「LCACの両側はエンジンや操舵室で盛り上がっているんで、甲板は凹んだ形になってます。オスプレイの翼がぶつかるといけないんで、隔離用の居住コンテナを並べて高い位置に停まれるようにしました」
ヘッドセットを装着した中野が尋ねる。
「よくこんな狭い着地点を機体に真下に持ってこられましたね」
海自隊員が胸を張る。
『それが操舵手の腕ですから。海自の訓練だって、半端じゃないんですよ』
中野は笑顔で応えた。そして、足元の波板を軽く踏む。
「これがコンテナの屋根? 頑丈なんですね。これって、習志野に新設された化学防護隊の装備ですよね?」
『総数で50棟以上が、『くにさき』にピストン輸送されています。その他、各種の医療機器も続々と運び込まれています。母島を隔離して検疫を行い、同時にウイルスの解析とワクチン製作を目指すそうです』
「『くにさき』はどこに?」
『まだ50キロほど先です。合流し次第、母島へ向かいます』
海自隊員に先導されながらも、中野の目はオスプレイを取り巻く隊員たちを観察していた。
AORのバッテリーに外部電源のコードを接続し終えた隊員が、機体後部へ向かっていく。そこでは5人の隊員がすでに後部ランプの目張りを手際よく進めている。キャビンの気密性を可能な限り高めて爆発の危険を取り除こうとしているのだ。
だが万一機体が爆発すれば、決して無事ではいられない場所での任務だ。それでも作業の手が滞ることはない。
狭い操舵室に入った中野に、操舵手が声をかけた。
『お疲れ様でした! この先は海自にお任せください。狭いですが、空いたシートでお休みください』
中野たちは案内された無骨なシートに身を預けた。
中野が尋ねる。
「オスプレイを乗せたままじゃ『くにさき』に収容できないでしょう? どうやって積み込むんです?」
操舵手が説明した。
『大型輸送ヘリ――CH47チヌーク2機で吊り下げて上部甲板後部に下ろすそうです。そこで爆弾の解除を行えば、万が一爆発しても最小の被害に抑えられますから。統合幕僚長から通信が入っています。そのままお話しください』
と、ヘッドセットに統合幕僚長の声が入る。
『困難な任務を無事に成し遂げてくれて、ありがとう。君たちは、全ての隊員たちの誇りだ』
「我々は統幕から指示された計画を遂行したまでです。鬼嶋三佐のことはとても悔しいですが、作戦を完遂できて嬉しく思います」
『鬼嶋三佐については、我々も同感だ。テロリストの計画をもう少し早く察知できていれば、そもそもオスプレイに乗り込ませることは防げただろう。しかし、彼の犠牲は無駄ではない。得られたものも計り知れない。心から感謝する』
中野は訪ねた。
「今回の作戦、エコーという組織が立案していたんでしょうか?」
憲法に縛られた自衛隊の思考様式からはみ出した計画が、ずっと気になっていたのだ。
『ほとんど全て、な。驚嘆すべきことだが、ハイジャックが発覚して米軍からの撃墜宣告が来た途端に、対抗策を提示してきた。ウイルスを発見したのも母島に渡った2人だ。そこまで周到に準備しながらテロを見逃したのは、痛恨の極みだと言っていた』
「では、ネット中継を発案したのも?」
中野がとった行動は、全て極秘回線で統幕から指示されていたのだ。
『エコーだ。官邸が米軍の要求を跳ね除けるには、国民の強力な支持が必要だ。だから現場隊員の暴走に見せかけて公開した。事実が明らかになれば、米軍とて撃墜をごり押しすることはできない。日本国民全員を敵に回すとどうなるか、一世紀前に経験しているからな』
「とは言っても、それ自体が賭けだったのでは? 国民がパニックを起こすという心配は……?」
『天然痘ウイルスが母島に持ち込まれたことはもはや疑いようがない。島は当分の間、隔離しなければならない。しかし事実を隠したまま実行すれば、それこそ国民の疑心暗鬼を招く。だったら早い段階で真実を明らかにし、理解を得たほうが得策だ。テロ現場の実況中継というセンセーショナルなイベントに注目を集めながら、日本が置かれている危険な現実を国民に認知させる。ショック療法……とでも言うべきかな。世界は、激動の時代に突入している。無知に寄りかかった平和主義など、現実を突きつけられれば一瞬で崩れ去る。平和は、力のバランスする場所にしか生まれない。それはチベットやウイグル、香港、そしてウクライナで起こった悲劇で実証されている。国力に見合った防衛力整備は、東アジアの安定のためにも世界から切望されている。日本は責任を担う覚悟を持たなければならない。これもエコーが出した結論だ』
「それでもマスコミには叩かれるのでは?」
『官邸は政権批判を抑えるために、すでに硫黄島と母島にマスコミ関係者を招待した。今後、政府が行う対策の全てを包み隠さず報道してほしいという趣旨でね。ただし隔離期間内は絶対に封鎖区域から出られず、感染で死亡しても政府には過失を問わないことが条件だ。いち早く応えてきたのはアメリカの右派テレビの記者だけだそうだ。日本の記者たちは沈黙している。大手は命知らずのフリージャーナリスト探しに奔走しているらしいが、高額ギャラを提示しても手をあげる者はまだいないという。これで、硫黄島の細菌研究所の馬鹿話も立ち消えになるだろう』
「思い切った方向転換を決断されたんですね」
『メリットは他にも大きい。長谷川を尋問できれば自衛隊内に食い込んだ潜入工作員が暴き出せるかもしれない。山下船長や母島で捉えた漁船員たちから情報を得れば、民間に浸透している組織の実態も解明されていくだろう。今後テロ対策を強める際にも、実態が公になっていれば反対意見も抑えやすい。『くにさき』は天然痘ウイルス感染者の治療基地になるが、同時にワクチン開発の拠点ともなる。ワクチンが完成すれば、全世界が欲しがる貴重な戦略物資にもなる。軍事分野に限らず、アメリカとの経済交渉でも取引材料としての力を持つ』
「そこまで考え尽くしているんですか……」
『さらに大きな利点を、君たちが付け加えてくれた』
「わたしたちが……?」
『F2に銃撃させたこと、そしてミサイルを自爆させたことは米軍に見せるための芝居だった。そこまでしなければ、いかに日本国民の反対があろうと納得しないだろうからな。その点は君にも無線で説明した通りだ』
「あまりに大胆な計画で、驚きを隠すのに必死でした。芝居というより、サーカスですから」
『筋書きがあるとはいえ、実弾を放つ。しかも、現実味を高めるためにF2には事実を伏せていた。訓練もなしの一発勝負だ。事実オスプレイは手ひどい損傷を負い、事実上墜落した』
「いつ死んでもおかしくないと覚悟していました」
『そんな危機を乗り越えてくれたことで、米軍も黙らざるを得なくなった。自衛隊のフェイクだと騒ぐ者もいるだろうし、そもそもNSCは隊の秘匿通信さえ傍受しているかもしれない。それでも、現場を知る軍人ほど困難なミッションだったことを理解する。そして感嘆し、口をつぐむだろう。自衛隊が米軍の要求に抵抗して自国民を守ったことも、むしろ好意的に評価される。理不尽な要求に唯々諾々と従う者は、ペットとしか扱われない。策を弄しながらも自国の立場を貫いた自衛隊は、ようやく対等なパートナーとして認められる。アメリカの軍人というのは、そういう奴らだ。しかも攻撃後の救出作戦は、マスコミの取材機が高空から逐一実況していた。手に汗握る救出劇が、衆人環視のもとで行われたのだ。ちなみに、機内の通話はすべて記録されている。メディアが難癖をつけてくるたびに、リアルな記録がそれを粉砕していくはずだ』
「それ、恥ずかしいんですが……」
『職務だと諦めろ。もっとも大きな意義は、ここにある。国民は、テロと戦い抜いた君たちを賞賛する。世界は自衛隊の力量を畏怖する。海自の装備の有用性、そして機動力も証明された。そのこと自体が日本を脅かす企てへの抑止力だ。しかも、ここまで痛めつけられてなお、オスプレイは破滅的な事故を起こさなかった。オスプレイ自身が、自ら安全性を実証したのだ。これで今後の配備計画への反対運動は下火になるだろう。反対派がどれほど声高に危険性を叫ぼうが、ボロボロになっても飛び続けた機体の映像が一笑に付してしまう。そしてもう1つ――』
言葉を切った統合幕僚長に、中野がうながす。
「まだあるんですか……?」
『君という人材だよ』
「広告塔ですか……?」
『それは瑣末なことだ。重要なのは、ここまで巧みにオスプレイを操った君が、今後数多くのオスプレイのパイロットを育てていくという点だ』
「それって……」
『君は、オスプレイ操縦指導教官の最右翼だそうだ。非常に残念なことだが、欠員が生じてしまったのでね……。AOR型オスプレイを全国に配備したのは離島振興策でもあるが、パイロットを実践的に訓練する体制を作る目的もあった。今後100機以上の導入に際して、パイロットの不足は大きな問題になるからだ。海自でもすでにパイロット候補生の選抜を開始している。彼らの教育を君に委ねたい。今回君が得た経験を、1人でも多くの自衛官に伝えていってほしい。そうすることが、この国の守りを固める力になるのだからね』
「了解しました」
『ところで、君の母上が市ヶ谷に待機しているのだが?』
不意の一言に、中野が息を呑む。
中野は、父の葬式以来母親に連絡を取ったことがない。母親からも何も言ってこなかった。たぶん母親は、父親に瓜二つの中野を恐れていたのだ。
深呼吸をしてから、答えた。
「無事を伝えてください。連絡は、私からしますから」
母親は娘が騒動の渦中にあることを知って、いてもたってもいられなくなったのだろう。
もう、許すべき頃合いなのかもしれない……。
『分かった。深入りはすまい。ただ、離婚していても肉親は彼女だけなのだろう?』
「ご存知なんですか?」
『君の調査報告書には目を通したからな。母親は、大事にするものだ』
「ええ」そしてかすかに笑う。「わたしも、大人にならなくちゃですね」
統合幕僚長の声が和らぐ。
『空自からも通信が入っている。このまま話したまえ』
音声が切り替わる。
『さすが中野だ。しぶとさじゃ、かなわないな』
山崎だった。
中野の表情が和らぎ、目にうっすらと涙が浮かぶ。
「あんたの射撃も、確かだったわね」
『芝居だったんだってな。知らないから、本気出しちまった……』
「じゃなければ、米軍を納得させられないから」
『あれで良かったのか?』
「良かったに決まってるわよ。あんたの本心も聞けたし」
山崎が口ごもる。
『それ、な……』
「嘘だったの?」
『あんな状況で嘘が言えるか。飲みに行ったら、ゆっくり話そう』
「賭けはわたしの勝ち、でいいのかしら?」
『そんなことはない。やっぱり墜落させたんだからな。お前が奢れ』
「でも、生還したわよ。クラッシュもさせてない。勝ったのはわたしだって」
2人は笑い合った。
『またな』
「また」
『待ってる』
そして通信は切れた。
隣で、灘が眠そうに言った。
『今のは……聞かなかったことにしておきます。疲労に逆らえなくて……寝落ちしちゃいましたから……』
実際に灘は、すぐに本物の寝息を立て始めた。
中野は苦笑いを浮かべ、操縦席に向かって言った。
「わたしも『くにさき』に着くまで休んでていいでしょうか?」
操舵手が答える。
『どうぞ、くつろいでてください。ホテル並み、っていうわけにはいきませんがね』
「オスプレイのコックピットに比べれば、ファーストクラスですって」
そして中野は、首から下げた認識票に目をやった。
鬼嶋機長のものだ。
そっと、両手で包み込む。そして、かすかにつぶやいた。
「先輩……守ってくださってありがとうございます。みんな、助かりました。わたし、やり遂げましたよ……褒めてくださいね……」
そして一筋の涙を流した。
オスプレイ・ダウン〈
オスプレイ・ダウン 岡 辰郎 @cathands
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