第4話 聖女の矜恃


「戦争……ですか?」

「あぁ、うん。遂にやってくれたね、あのモーンド君は」


 私とテオ王子の婚約が正式に決まり、来月に結婚式を迎えることになった。

 ……今日はそんなおめでたい日だったのに。


 隣国であり、私とも因縁のあったズキア王国がピスタ新王国に宣戦布告した。



「布告書の名目は……『ズキアに災厄をもたらした魔女アイラを処刑し、その者を匿った愚かなピスタを滅するため』とある。まったく、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」


 ははは、とテオは笑うけど、私にとってはそれどころじゃなかった。



「笑い事じゃありません……!! 戦争なんですよ!? もし本当に開戦なんてしたら、多くの民が死ぬことになるんですよ!?」

「うん、そうだね。沢山の血が流れ、多くの人が息絶えるだろう。それが戦争というものだからね」


 なら、どうして……!!


「私、ズキアに行って参ります。あのバカ王子と刺し違えてでも、戦争なんかさせませんから!!」

「……そんなことをしたら、僕。本気で怒るよ?」

「でも私は……聖女として相応ふさわしい行いをしてきたはずなのに……!!」

「――アイラ!! 君はまだ聖女の名に縛られているのか!? それは君にとってそんなに大事な肩書きなのか!」


 聖女の名に……!?


「そ、そんなことを言っているんじゃ」

「いいや、この際だから言わせてもらうよ。今の君は聖女になんて向いてない!!」


 ――バシン。



「ご、ごめんなさい……!!」


 テオの言葉で反射的に手が出てしまった。テオは赤くなってしまった頬を撫でながら、「いてて」と涙目で笑っている。私は急いで彼に駆け寄り、謝罪の言葉を告げた。



「あはは、そんなに心配しなくても大丈夫だよ?」

「本当にごめんなさい。私、ついカッとなっちゃって……」


 彼は怒ることも無く、心配そうに顔を見上げていた私を優しく抱き寄せた。


 叩いた私の方が泣きそうになっているなんて、馬鹿みたい。でも彼は私をなだめるように頭を優しく撫でてくれた。……テオは本当に優しい人だ。



「……ねぇ、アイラ。君は良い医者の条件って何だと思う?」

「え? 医者の条件……?」


 私が落ち着くまでしばらくそのままの状態が続いていたら、テオが唐突にそんなことを呟いた。どうして今、医者の話が……?



「どんな傷も縫合する腕? 違う。万病に効く薬を開発すること? それも違う。……良い医者の条件はね、良い目を持っている事なのさ」

「良い目?」

「そう、目だ。患者がどんな病で苦しんでいるのか。何を癒せばいいのか。それを判断できる目が無ければ、優れた医者にはなれないんだよ」


 テオの言う通りだ。いくら腕が良くても病気の知識が無ければ、とてもじゃないけど医者なんて名乗れない。



「聖女だって一緒だ。君たち聖女は、穢れとそうでないものを判断するための目を養うんじゃないのかい? 少なくとも、僕が知っている聖女はそんな目を持っている素晴らしい人物だったよ」


 テオはあの澄んだ碧色の瞳で、私の両眼をのぞき込む。



「テオは私以外の聖女を知っているの?」

「うん。この国の歴史を、君も多少は知っているだろう?」

「ピスタの歴史……あっ」


 ……たしかに。言われてみればそうだった。


 ピスタ新王国は……“新”という文字が付いている通り、比較的新しい国だ。

 より正確に言うならば、一度滅び、ここ十数年で建て直されたばかりの国である。



「僕の母は12年前に起きた大災害で、瘴気に飲まれて亡くなったんだ。あの恐ろしい記憶は……たぶん一生消えないだろう」

「テオのお母様が……」

「そして命を賭けて大災害からこの国を救ってくれた、聖女様に対する感謝の気持ちも忘れられないんだ。僕だけじゃない。国民みんなが聖女様に感謝している」


 直接は見ていないにしろ、この国に起こった悲劇は私も聖女として学んでいた。

 数え切れぬほどの命を奪い去った瘴気の嵐は、伝聞だけでも寒気がしたことを覚えている。


 ふと王子の隣りを見れば、老執事のディズさんも目を伏せて悲痛な表情をしていた。きっと彼も大事な人を失ったのだろう。



「……だけど僕が一番凄いと思っているのは、聖女様がその力におごらなかったことだ」

「驕り……ですか」

「あぁ、驕りだ。彼女は瘴気を浄化し終わった後もこの国に留まり、己の知識でできることを実行し続けた。……彼女は僕の心の師であり、生涯の目標にしている人物だよ」


 そう語るテオの表情は誇らしげで……少し寂しそうだ。


 私がこの国に来た頃には、その人の影は無かった。

 つまり当時の聖女は恐らく……この世にはもう居ないのでしょう。もしかしたら、この国の為に命を削り尽くしてしまったのかもしれない。



「僕は君の誇り高いところが好きだ。知性の炎が灯った、その瞳が大好きだ。――だけど今の君はまるで、聖女という名を守る為だけに知識を振るっているように見える」

「聖女の名を守るために……?」

「アイラ。君はどうして聖女になったんだい?」


 どうして聖女になったかですって……?


 そもそも聖女という役目は、なろうと思ってなれるものじゃない。素質がある人間が厳しい修行を越えて初めて聖女となるのだ。


 もちろん、厳しい修行の途中で命を落とす仲間だって沢山いた。だからこそ、彼女らの悔しい想いを背負いながら、私は聖女としてここに居る。


 私はずっと、聖女として相応しい存在になろうと努力し続けてきた。聖女を馬鹿にしたモーンド王子が許せないのも、それが理由。



 でもいつからだろう……自分が聖女と名乗れなくなるのが、とても怖くなっていた。誰からも必要とされず、何もかも無駄になってしまうのが、どうしようもなく怖かった。


 なによりも私は……テオに嫌われるのが怖かった。



「良いんだよ、アイラはそのままで。僕が君に求めるのは、『僕が君を守る代わりに、君の力で僕を助けて欲しい』だけ。アイラが僕の傍に居てくれるなら、僕は全力をって君を守り抜く」

「テオ……」

「ほら、もう泣かないで。君の瞳がにじんで良く見えなくなってしまう」

「ううぅ……でもぉ……」


 涙でグズグズになってしまった私を、テオは優しく撫で続けてくれる。

 本当にもう、私は彼から離れられなくなってしまいそうだ。



「この国の民も、君の為なら喜んで戦うさ。……でも、もしかすると血を流さずに戦争を回避できるかもしれないよ?」

「え? そ、それはどうして……?」

「ふふふ……もう一度思い出してみて、僕らが出逢った時のことを」


 ……出逢った時のこと?

 あの辺境の村でのお茶会を?



「……小麦の」

「お、正解。そう、あの害虫どもさ」


 テオは手をパン、と叩いて「さすがアイラ」と喜んでいる。


 最初は瘴気の影響だと思われた辺境の村の不作問題。だけど実際に作物を襲っていたのは、病気を運ぶ習性のある虫だった。


 でもそれが戦争を回避するってどういうこと……?



「商人にお願いして、あの病害にあった小麦を格安でに売ったんだよ。いやぁ、今頃はその国のいたる場所で食べられているだろうね。……ところでその国、今期の小麦を上手く育てられると思う?」

「……悪魔ですか貴方は。不作で多くの死人が出ますよ?」


 まったく。なんて恐ろしいことをおっしゃるのかしら、この人は。

 でもテオはニコニコとした表情を崩さない。



「さぁ~。戦争で死ぬのとどっちが多いだろうねぇ。そもそも聖女を追い出さなければそうはならなかった話だよね? それにあの国のやらかしたことを聖王国や周辺の国が知ったら、はたして黙っていられるかなぁ?」

「……悪魔を越えた死神ですね、テオは。はぁ、分かりました。聖王国の聖女たちに手紙を送ります。これから流行るであろう小麦の不作についてのレポート。そして戦争を起こそうとしているズキアが、その問題を聖女に転嫁しようとしているという内容で」


「ぷっ……」



「「ふふふふっ!!」」



 こうして私たちが早々に行動したお陰で、実際に戦争が起こる前に諸々の問題は解決してしまった。


 モーンド王子は私をネタにしてピスタの領土が欲しかったみたいだけど、全てが裏目に出た。


 せっかく招き入れた聖女を粗雑に扱った挙句、追放。


 さらには魔女と罵り、他国に宣戦布告。

 病気を持った小麦に対する対処を間違い、民の生活をおびやかし……などなど。


 まぁ最後のは私たちにも原因はあるけれど、元々は国境で起こっていた話。

 どうしたって隣国のズキアにも起きる問題だった。



 とまぁ、やらかし放題だったモーンド王子は責を負われ、投獄されてしまったみたい。これで私も後顧のうれいがスッキリした。


 お陰で私たちは予定通り、結婚式を挙げることができた。今は素敵な旦那さんに恵まれてとっても幸せだ。



 私は相変わらず腹黒くて口も悪いけれど、テオはそんな私を愛してくれている。

 なにより、私なんかよりも彼の方が何枚も上手だしね。



「アイラ……」

「テオ。愛しているわ……」


 これからも私はこのピスタの地で、最愛の人と一緒に一人の女として生きていく。



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腹黒聖女ですが、追放先で出逢った王子に溺愛されて私が浄化されそうです。 ぽんぽこ@書籍発売中!! @tanuki_no_hara

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