二、国生みの神
そうだ。私は神義省にいた頃、領怪神犯の存在を知った。そして、祖父に導かれ、あの地下壕で国生みの神を見た。神に国が乗っ取られたなら、人間が抗う術はないと思い知った。
でも、同じ神ならどうだろう。国生みの神に対抗できる神がいるなら、まだ道はあるかもしれない。私は祖父たちに隠れて領怪神犯を調べ続けた。そこで、穐津に会った。
接触してきたのは彼女の方からだった。穐津は私に「彼とよく似ている」と言った。父を知っていたのだろう。
私が神を調べすぎたことは祖父の耳にも入っていた。穐津は私が消される前に、左遷という形で特別調査課に逃すことを提案した。いつか合流できるときまで、お互い戦い続けようと約束したのに、私はそれも忘れていた。
「穐津さん、ごめんね……」
思わず漏れた言葉に穐津は小さく微笑んだ。壁際の六原さんが呟く。
「道理で、故郷の領怪神犯と同じものを感じた訳だ」
「私は生贄を求めません」
穐津は少し不機嫌そうに返す。
礼拝堂に広がる静寂が徐々にざわめきに変わった。神義省の人々が囁き出す。
「あれが領怪神犯……」
「戻って国生みの神の指示を仰ぐべきです」
「そこに在わす神と共に破壊しなければ」
黒服のひとりが懐から銃を抜いた。錆びた銃口が私と穐津の間を彷徨う。烏有が怒声を上げた。
「マジで変わんねえな、てめえらは!」
祖父は銃を握る男性を制した。
「やめなさい。神に銃が効くものか」
まだ祖父は冷静だ。安堵しかけたとき、凍りつくような冷たい声が放たれた。
「神を殺すには神を使わなければ」
礼拝堂が振動した。ステンドグラスが砕け、ガラスの破片が月光を乱反射して散る。高い天井から塵が降り注ぎ、一瞬で白煙が満ちた。
「宮木!」
片岸さんの声が轟音に掻き消される。目の前にいるはずなのに姿が見えない。煙の中、穐津が壮絶な表情で何かを睨んでいることだけはわかった。
振動が止まり、靄が徐々に晴れていく。私たちはお互いを庇い合いながら壁際に張り付いていた。
「何が起こったんだ……」
片岸さんが息を呑む。礼拝堂の中央に何かがいた。
黒い靄を纏った骸骨のようなものが、砕け散ったステンドグラスを踏み締めて佇んでいる。眼窩の空洞に青い炎が灯っていた。強烈な腐臭と黴の匂いに漂っている。
死体を寄せ集めたような瘴気の塊がそこにいた。
神義省の人々は悍ましいものに相対しながら、熱に浮かされたように呟いた。
「国生みの神が我々の元に遣いをくださった……」
皆、暗闇を湛えた目で骸骨を仰いでいる。彼はとっくに正気を失っていたんだ。
髑髏が骨を鳴らして一歩踏み出す。眼窩の炎が青く燃えた。
骸骨に歩み寄ろうとした黒服たちが途中で足を止める。
「あれ……?」
彼らの鼻から黒い血が一筋流れ落ちた。肌に紫斑が浮かび上がり、火脹れを起こしたように膨らみ出す。
彼らは当惑気味に骸骨に手を伸ばした。その手が水風船の如く膨らみ、弾けた。血肉がベシャリと飛び散る。
最初に叫び声を上げたのは、梅村さんだった。
「何でだよ、消えたんじゃなかったのかよ……!」
「梅村、しっかりしろよ!」
烏有が彼の肩を揺さぶる。梅村さんは震える手で烏有に縋った。
「あれ、俺がそこに在わす神に消せって願った……親父が死んだ病気と同じ症状なんだよ……」
「何だって?」
穐津が苦々しく骸骨を睨めつける。
「病や怪我、ひとが怯える穢れをもたらす領怪神犯、まがつ神だ。自分たちの信者まで殺すなんて」
黒い風がどっと吹き渡る。神義省の皆が次々と倒れていく。災禍の中心で、祖父は神の奇跡を目撃したような恍惚の表情を浮かべていた。
片岸さんが私の腕を引く。
「宮木、逃げるぞ!」
声を掻き消すように銃声が響いた。床に倒れ伏した黒服の男が血に塗れながら銃を構えている。
「くそ、こいつら……」
震える銃口が片岸さんを指す。動かなければいけないのに身体が微動だにしない。男の指先が引鉄にかかった。
火花が黒い靄を裂く。闇に赤が舞い散った。
片岸さんの前に飛び出した六原さんの肩から、どす黒い血が流れ落ちていた。
「六原さん、あんた……!」
片岸さんが倒れる六原さんを抱き止める。
私は咄嗟に銃を握る男の腕を踏みつけた。ぐしゃりと骨と肉が同時に潰れる感触が響く。
黒服たちが私たちを取り囲む。私は転げた銃を拾い、彼らに向けた。銃の重みで腕が震える。私が何とかしなきゃ駄目だ。
「礼ちゃん!」
烏有の声が響いた。黒服たちの注意がそちらに向く。江里さんが隙をついて駆け出し、辺りに散らばる長椅子を持ち上げた。投擲された長椅子が黒服たちを押し潰す。
残骸を退けられた床の一部に四角い扉が覗いていた。
私は声を張り上げる。
「地下に隠し部屋があります、急いで!」
片岸さんが六原さんを抱えて駆け出した。
まがつ神の目が再び輝く。黒い靄が地を這うように広がり、霞の中で火花が閃いた。そこら中で銃声と悲鳴が響き合う。
私は脇目を振らずに走り、隠し扉に縋った。錆びた扉は重くて開かない。穐津が私に手を重ね、取手を引いた。黴の匂いが噴き出し、扉が開いた。
「ありがとうございます」
「これくらいしかできないから」
私は片岸さんと江里さんに先を促し、階段へと誘導する。まがつ神の暗い靄の先に、烏有と梅村さんが見えた。彼らを呼ぶべきか。
烏有と一瞬目が合い、すぐに逸らされた。梅村さんが急かすように彼の背を叩く。ふたりが出口へと進むのを確かめて、私は隠し扉を閉めた。
一段と濃い闇に当たりが包まれる。階段を踏み外したら底のない奈落まで落ちていきそうだ。浅い呼吸が篭った空気をさらに澱ませた。
一歩ずつ階段を下る私の後ろで穐津が呟いた。
「これじゃ本当に二十年前と同じだ……」
爪先が床を突いた。私は手探りでスイッチを押す。虫の羽音に似た響きと共に地下室が照らされた。無数の地図と写真が壁にひしめいている。全て領怪神犯の記録だ。呆気に取られる暇はない。
片岸さんが慎重に六原さんを下ろした。六原さんさんの白い顔は更に青ざめ、血の赤がより鮮明だった。傷が深い。
片岸さんはシャツの袖を千切って、六原さんの肩に空いた穴に押し込め、上から縛って止血した。
「早く病院に連れて行かねえと……何考えてんだよ、六原さん!」
六原さんは答えず、ぐったりと壁にもたれた。脂汗が顎を伝い、溶けた蝋のように流れ落ちた。
こんなところで隠れている暇はないのに、逃げ道がない。まがつ神と私の祖父たちを切り抜ける術が浮かばない。逃げられたとしても、その後どうする? 国生みの神に目をつけられた私たちが、この国で逃げる場所などあるのだろうか。
何度も噛み締めたはずの言葉が実態を持って蘇る。神々は人間の手には負えない。
「烏有の言ってたことと同じだな……」
江里さんがへたり込み、肩を上下させる。彼も重傷だ。
「もう喋らないでください。火傷が……」
私の制止を振り払い、彼は憔悴しきった目で私を見上げた。
「いや、今話さなきゃ駄目だ。俺がこのまま死んだら伝えられない。と言っても、俺も又聞きだが。詳しいことは穐津が補完するだろ……」
江里さんは大きく息を吐く。包帯から血が滲み、埋み火のように赤を帯びた。彼は口を開く。
「二十年前ここで対策本部が何をしていたか。お前の父親と烏有に何があったのか」
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