序、火合う神

 炎は古来から世界各地で信仰の対象とされてきた。


 火炎崇拝は拝火教と呼ばれるゾロアスター教に結びつけられがちだが、厳密にはアヴェスターには炎そのものを信仰対象としている訳ではない。

 それより昔、紀元前五百年頃、インドで編纂されたヴェーダでは、火神が神々と人間の仲介すると信じられ、この流れはヒンドゥー教から大乗仏教にも継承され、神道でも護摩の護りとして受容されている。


 日本の火炎崇拝として代表的なものは竈神だろう。

 不浄を嫌い、清浄を好む竈神は、炎の性質と密接に結びつき、民間でも囲炉で髪や爪を燃やす行為や、囲炉裏の近くでの性交渉を避けるなど暮らしに根づいていた。



 しかし、炎は一切の汚れを持たないものとして信仰されてきた訳ではない。

 例えば、神祭に携わる頭屋が禊の後、忌避すべき死、出産、肉食などの穢れには「合い火」の字が当てられる。

 また、火事も焼亡の触穢として忌避の対象であり、火事にあった者は物忌を経た後でなければ宮廷に入れず、出火元の屋敷は社会的制裁を受け、焼けた瓦や釘なども土に一定期間埋なければ用いることが許されなかった。

 延喜式にも「失火の穢れ」との記述があるなど、古くから火事を穢とした扱う意識が根付いていることが窺える。



 儀式用の篝火や竈と、火事の違いは、人間の支配下に置けるかどうかだ。

 人間が暮らしや神祭に用いる間は清浄なものである炎も、ひとたび手を離れれば人命を奪う疫病と同じ、穢れの対象になる。



 昨今、オカルトマニアの間で「炎男」「火炎怪人」などの呼び名で囁かれる都市伝説も、火の恐れがもたらす穢れの概念に極めて近いものだと筆者は愚考する。


 弊誌が昨年末の特別号で特集した際は、噂の蒐集に留まるものだったが、今回は一歩踏み込んで考察してみたい。


 注目したいのは、炎男の出没地だ。噂は墨田区、江東区などの東京下町が中心である。また、特徴として、本来神聖な場であるはずの明治神宮や浅草寺などの宗教施設でも散見されたことにも留意したい。


 これらの情報から想起されるのは、東京大空襲だ。

 墨田区、江東区は被害の中心地であり、上記の明治神宮なども被災したことは周知の事実である。



 炎男は、東京に根強く残る、焼亡の触穢としての炎への恐怖の具現化と考えられないだろうか。

 また戦後が遠くなった今、それが再び現れた理由として、昨今の冷戦の激化に伴う不安にも目を向けたい。

 オカルトマニアの端くれである筆者は、弊誌が怪奇現象を一種のファンタジーとして変わらず扱っていけるよう、平和を願うばかりである。



 月刊オカルト雑誌『テリブル日本』※現在廃刊

 昭和八十三年三月号「東京の都市伝説」特集、「続・怪奇!東京に潜む炎男」より

 筆者:冷泉れいぜいあおい

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