序、子連れの神
送り狼って言葉があるでしょう。この村では別の意味なんですよ。
世間で言われている悪い意味と違って、とっても優しいいいものなんです。
本当に狼かはわかりません。
何せ、見たことがある人は殆どいないし、見たとしても脚や毛のひと束だけらしいの。
遠目からは私みたいな白髪のお婆さんに見えたとか、いや、あれは冬に耐える強い狼の脚だったとか、皆好き好きに言います。
本当かどうかはわかりません。いつも現れるのは決まって、ひどい吹雪の夜ですから。
でも、ひとつ言えるのは、山から来た子どもの守り神様ってことですよ。
うちは四方を山に囲まれていますから、秋の終わりから雪が降り積もるのね。今じゃ考えられない話だけど、薪を拾いに山に入った子どもが急な吹雪で道に迷うことが度々あったんですよ。
日暮れまで子どもが帰ってこないとき、皆がやきもきしながら眠れずにいるでしょう。
すると、どこからともなく狼の遠吠えのような声が聞こえるんです。吹雪が重い木戸を叩く音に混じってね。
親が外に飛び出すと、家の前に我が子がいるんですよ。
慌てて子どもを家に引き入れて、凍えきった身体を囲炉裏の前で温めながら話を聞くと、皆同じことを言うんです。
雪の山で途方に暮れていたとき、だんだんと狼の声が聞こえてくるんですって。自分を食べに来たと思って逃げるうちに、いよいよ右も左もわからなくなって立ち往生してまうのね。
精魂尽き果てて倒れたとき、誰かが手を差し伸べてくれるの。
それが、赤切れで硬くなった人間の女の手だった気もするし、銀の毛皮の狼の手だった気もするって。
伸ばされた手をとって立ち上がると、自分をぐんぐん引っ張って進んで行くんです。一寸先も見えないほどの雪の中なのに、迷うことなく。
その間もずっと狼の吠え声が聞こえているんです。
そして、気づくと自分の家の前にいるんですって。迷い子の親が慌てて戸を開けると、狼の声は止むんです。送り届けたのを確かめるようにね。
ええ、私もありますよ。
まだ幼い頃、猟師だった父と冬山で逸れたときです。もう七十年も前の話かしら。
あまりしっかりとは覚えていませんよ。
でもね、冷たいようで温かい不思議な手と狼の遠吠えだけは覚えています。
母が戸を開けて自分を抱きしめたときの温かさと、朝方まで自分を探していた父が帰宅したとき、初めて涙を見せたのもね。
何の神様かなんてどうでもいいじゃありませんか。迷い子を家まで送り届けて、感謝の言葉も礼のひとつもねだらず帰ってゆく。
そういう神様です。
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