二、そこに在わす神

 車の窓には黒いスモークが貼られていて、外の景色どころか昼か夜かもわからない。

 随分長く走ってるようだ。


 運転席の若い男と、助手席の老女は初めて見る顔だ。金持ちの婦人と愛人に見えるが、両方対策本部の人間だろう。

 俺は後部座席の真ん中に押し込められ、右には切間が、そして、左には凌子が座っている。



「お手洗いは大丈夫? 近くにコンビニがあるけど」

 凌子は遠足の引率の先生のように気軽に言った。

「それより、冷泉はどうしたんだよ。まさか殺したのか」

「殺したら記録が残るでしょう。死体の処理も大変だし」

 出来の悪い生徒に言い聞かせるような、いつもの口調にぞっとする。


 運転席の男が後ろに身を乗り出した。

「やっぱり本部の人間にあれを使っても意味ないですよ。僕らみんな神と関わりすぎてるんですから」

「運転中は前を見なさい」

 助手席の老女が冷たく諌め、男は首を引っ込める。



 俺の握った拳の中が汗で満ちていた。

「何の話だよ。凌子さん」

「知られずの神」

 無言を貫いていた切間が口を開いた。


「神体を認知した人間を抹消する領怪神犯だ。人的措置というのは、知りすぎた人間を知られずの神に消させることじゃないか」

「切間くん、知ってたの?」

「対策本部の人員の登録数と在籍数が合わなかった。過去に何度も利用しているな。自分の旦那にも、そうだろう?」

 俺は息を呑む。否定してくれと思ったが、凌子はただ微笑するだけだった。


「私の夫に会ったこと、覚えてる?」

 切間は首を横に振った。

「知られずの神はね、他の神との関わりが強いひとには権能が弱くなるの」


 運転席の男がまた口を挟む。

「仏教徒にキリスト教の悪魔の話しても怖がらないのと同じですね」

「もう、梅村うめむらくん、運転に集中して……私の夫は神自体に懐疑的だった。冷泉ちゃんもそう。だから、楽だったけど、烏有くんも切間くんも出自に神が関わるから少しは違和感が残っちゃったのね」

「俺たちも消す気かよ」

「まさか。でも、規則違反は見過ごせないな。これから追加の雇用試験ってところだね」


 淡々と告げる凌子の眼鏡に暗黒の窓が反射する。横の切間がスーツのジャケットの内側に手をやったのがわかる。

 艶のない銃底が覗き、俺は唾を飲み込んだ。



 車が停まり、凌子が扉を開ける。

 外はもう真っ暗だった。広がる山道を木々が天蓋のように空を覆っている。


 森の中に砂色の三階建ての建造物が見えた。汚れたステンドグラスの窓が並ぶ様はホラー映画の洋館のようだ。

 更に、建物の背後には巨大な白い像がある。子どもが粘土で捏ねたのをデカくしたような、聖母像にも観音にも見える、雑な神像だった。



「ここは補陀落山。昔、ある新興宗教の拠点だったの。今は私たちが使ってる」

 凌子は先導するように前を歩き出した。俺と切間の背後には老女と梅村という若い男が張りついている。

 行くしかねえ。


 行手を阻むように錆びた鉄柵が構えていた。

 凌子は鍵を取り出して、柵に垂れる南京錠を開ける。悲鳴のような音がして扉が開いた。慣れた手つきだった。


 道の両端を見渡すと、闇の中で所々に泥まみれのリュックサックやハイヒールが見えた。

 認知した人間を消す神。俺は奥歯を噛み締める。



 梅村の声が聞こえた。

上田うえださん、聞きました? 東ドイツの都市伝説、消える乗客ってやつ」

「鉄道を使った西ベルリンへの亡命でしょう」

「それが亡命者の数と失踪者の数が合わないんですよ」

「失敗して殺されたのね」

「いや、僕は向こうにも領怪神犯みたいなのがいると思うんですよね。東西が分断されて手が回らないから日本と違って野放しなんですよ」

 上田と呼ばれた老女が溜息をつく。

「冷泉の受け売りね。三文記事のオカルト雑誌」

「バレましたか」


 俺は道の凹凸につまづきかけ、ポケットの中で冷泉からもらった煙草が跳ねた。

 昨日まで俺たちといた。それをこいつらが消した。


 俺は足を止めて奴らに向き直り、梅村を思い切り殴りつけた。

 硬い頬骨の感触が拳に当たり、吹っ飛んだ梅村が木の幹に衝突する。


「烏有!?」

 切間の声が聞こえた。構わず上田を突き飛ばす。老女の薄い身体はすぐひっくり返った。


「マジでチンピラだな!」

 呻いた梅村が起き上がるより早く、俺は奴の腹に馬乗りになる。

「ひと殺しよかマシだ!」

 振りかぶった拳を硬い手が抑えた。切間ががっちりと俺の腕を掴んで見下ろしていた。

「離せよ!」

 腕はびくともしない。逆光で切間の表情は見えなかった。


「ちょっとちょっと、喧嘩はやめて」

 凌子が平然と近寄る。能面のような笑顔だ。こいつらには何を言っても無駄だ。


 俺は梅村の上から降りる。凌子が奴を助け起こし、服についた泥を払った。

 上田は軽蔑と憎悪の表情で俺を見ていた。俺は足元に唾を吐く。

 切間は痛みに耐えるような表情で俯いていた。



 凌子は教師らしく手を叩いた。

「はい、もうみんな恨みっ子なし。大事な仕事があるでしょう」

 凌子の背後には古びた洋館が立っている。いつの間にか山頂に来ていたらしい。


 凌子は分厚い木戸を押す。

 埃と黴の匂いの空気が押し寄せた。

「入って?」

 上田と梅村は俺を凝視していた。めでたく危険人物になった訳だ。切間が先陣を切り、俺たちはそれに続いた。



 中は暗く、殆ど廃墟だった。

 ステンドグラスがささくれた木の床とタイルの剥がれた天井に反射する。

 礼拝堂じみた長椅子と机が並んでいた。元の施設をそのまま使っているらしい。



 凌子が壁のスイッチを押すと、異様な光景が広がった。

 壁一面に紙片が張り巡らされていた。日本地図、白黒とカラーの無数の写真、古文書のコピー、隙間なく膨大な資料で埋め尽くされている。


 そして、礼拝堂の奥に鎮座しているのは、古びた木製の木戸のようなものだった。



「切間くんならあれが何か知ってるでしょう?」

「そこに在わす神、か……」

 隠し部屋がある訳でもない。どこかの古民家から取り外してきたような扉だけが垂直に立ててある。本当にあれも神なのか。


「そう、平安時代から神祇に携わる宮木家が保有していたもの。起源はもっと古いみたいだけど詳しいことはわからないみたい。ある神の予言で存在が明らかになって切間くんのお義父さんの協力で収容したの」

「件の神だよな」

 俺の声に凌子は小さく目を開いた。


「それも知ってるのね」

「冷泉が教えてくれた。イカれた予言を繰り返すようになって使わなくなったんだろ」

「話が早くてよかった」

 隙を見せない女だ。



「そこに在わす神は見ての通り扉の形。出入りした者は外からだとただ擦り抜けたように見えるけど、本人は一日中御堂のやつな空間で過ごしたと思い込むの。ただそれだけ。でも、件の神はこれを最も危険な神だと予言した。世界を揺るがす存在だ、とね」

 凌子はそう言って俺と切間を見た。


「私は貴方たちを消したくない。資料を持ち出したのは冷泉ちゃんでしょう? 貴方たちの責任は少ない。でも、哀しいけどこのままじゃ信用できないの」

 切間は険しい顔で言った。

「調査に協力して忠誠を見せろと」

「ええ。切間くん、烏有くん、入ってくれる?」



 凌子は扉を指した。

 上田と梅村は沈黙したまま俺たちを監視している。


 切間は顎を引いて頷いた。

「俺が行く」

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