三、呼び潮の神
祭りの準備は例の割れた石と柱がある林で行うらしい。また村人たちと会うのかと思うと気が滅入った。
俺たち三人はどろりとした夕陽が照らす道を進んだ。
村人たちに囲まれて移動したときは見えなかった村の景色がよく見えた。古い家屋や電柱や道端の錆びた廃材まで、白い塩が粉を噴いている。
鬱蒼とした林道を上りきると、既に村人たちが屯していた。
「神輿も提灯もないんですね」
冷泉の言う通り、祭りらしきものは何もない。村人が地べたに座り込んで白い縄をなっていた。漁師が多いからか、慣れた手つきで大蛇のような太い縄をしごいている。
村人たちは俺たちに気づいて手を止めた。黒い顔の中で浮き出す白眼は淀んだ光でこちらを見据えていた。何者だと問いただす目つきだった。
俺が何か言う前に、切間が前に進み出た。村人がどよめく。
「切間の息子じゃねえか」
「訳のわかんねえの連れてきて」
切間は石像のように微動だにしない。ひとりの痩せた男が立ち上がった。
漁なんかできそうもない痩せぎすの陰気な男だが、肌だけは多分に漏れず黒かった。
「今更帰ったのか」
「江里……」
男の背後には呼ばれたのと同じ名字が彫られた柱があった。こいつも四大名家のひとりか。
「切間家は暫くおうずの役目が回って来ねえから安心して戻ってきた訳だな」
「違う、俺は仕事で……」
「刑事が? 誰を捕まえる気だよ。全員か?」
「ただの調査だ」
「犯人は俺たち、被害者は村人だぜ。うちらの先祖がやったこと忘れてないだろ。神を見つけちまった。その責任は取らなきゃな」
隅にいた冷泉が目を細めた。
江里がにじり寄り、切間は後退る。
「切間、腹括れや。知ってるか? 上戸の両親が海で死んだ。おうずはあいつの番だが、このままじゃお家断絶だ」
切間が青ざめた。俺はふたりの間に割って入る。江里の薄い腹を押すと簡単によろめいた。
「烏有、よせ!」
切間の静止を振り払う。江里は敵意を込めて俺を見た。
「部外者が割って入るなよ。話の内容もわからないくせに」
「わかんねえよ。でも、あんたの態度気に入らねえな」
「烏有!」
「やめて、お祭りの前に……」
静かな女の声が響いた。柱にもたれるように女が立っていた。藍染のブラウスとスカートから覗く肌は他の村人より少し白い。
切間が小さく呟いた。
「上戸……」
女は力なく微笑んだ。江里は諦めたように首を振って去る。
代わりに冷泉が寄ってきた。
「烏有さん、すごい。チンピラですね。でも、いい感じでしたよ」
冷泉は親指を立てる。ろくでもない女だ。
俺は声を潜めた。
「上戸って次のおうず様になるって奴だよな?」
「ですね。お家断絶がどうとか」
「あんた地獄耳だな」
切間と女は向かい合っていた。切間は気まずそうに俯き、上戸と呼ばれた女は無言でサンダルを弄んでいる。
「何か変な雰囲気だよな」
「昔の女ってやつでしょうか」
「マジかよ」
視線を感じて振り向くと、江里始め村の連中が穴が開きそうなほど俺を睨んでいた。
冷泉はさっさと柱の方へ移動して、無遠慮に石や縄を確かめている。
居心地なら切間のところが一番マシだ。俺は村人を無視してあっちへ向かった。
「蓮二郎、何年ぶり? もう戻らないかと思ってた」
上戸という女ははにかんだ。本当に昔の女かよ。
「ああ……ご両親の件、本当か?」
「ええ、船が転覆したの。魚の加工を下請けに任せることになって、自分たちの船で村を出て。悪天候でも慣れたものだと油断したのね。弟も一緒だった」
「何というか……暮らしは大丈夫か」
「みんなが助けてくれているわ。上戸家だから」
上戸の脚からサンダルが脱げ、切間の方へ飛んだ。切間はわざわざ屈んで靴を拾い上げて渡す。
「いいのに」
上戸は裸足の片足を地面につけ、握ったサンダルをじっと見下ろしていた。
「聞いたでしょう。次のおうず様は私。それはいいの。私たちがやらなきゃいけないことだもの。でも……」
女はサンダルを放り捨て、切間の腕に縋りついた。
「蓮二郎、また東京に行くの? ここに残らない?」
上戸は俺に背を向けていて顔は見えなかったが、上ずった声と切間の狼狽える表情で、えらいことになってるのはわかった。
「私がおうず様になったら家はなくなってしまう。でも、子どもがいれば待ってもらえるかもしれない」
「何言って……」
「お願い、蓮二郎。私たちは同じでしょう。東京に出ても一緒よ。私たちの家はみんな」
つみびと、と聞こえた。
俺は足元の何かにつまづいて、俺は盛大に転んだ。
くそったれ。足元にあったのは注連縄だ。村の連中がまた睨んでるだろう。
切間と上戸が驚いてこっちを見ている。俺は馬鹿みたいな笑顔を向けた。
「どうも……」
女は切間の手を離し、そっと身を引いた。
周囲が篝火を焚き始め、火の粉が風に流れて来た。
切間が呆れて溜息をつく。
「お前、一秒も大人しくしてられねえのか」
ワイシャツの袖は女の手の形に皺が寄っていた。
「しっかりしろよ、お父さん。礼ちゃんには伝えとくからな」
切間は俺の背中を強くどついた。
押し出された先に、まだ上戸がいて俺はぎょっとする。
「子どもがいるのね」
女は微笑んだ。篝火の逆光を受けて、幽鬼のようだった。
「訳がかわりませんね」
天井のしみを見上げて冷泉が言った。
俺たちは切間の家に戻って、客間で机を囲んでいる。敵陣の真っ只中で作戦会議をしているような気がしなくもない。
「頼むぜ、民俗学者」
「本当にわからないんですよ」
冷泉は我が物顔で俺の煙草を取った。
「普通、神に仕える役目はどんな建前であれ名誉なものとされます。でも、おうず様にはそれが見受けられない。何かの罰や使命として仕方なくやっているように見えます」
「罰ね……」
石に絡みついた縄は確かに罪人を繋ぐようだった。
「切間さん、貴方がたの家は何故村で権力を持ったのですか?」
切間は仏頂面で腕を組んでいた。
「俺たち含む四家は、昔この村に移住した余所者なんだ」
「余所者が名家に?」
「江戸だか明治の話だ。詳しくは知らない」
「明治の次って昭和だっけ」
俺が口を挟むと、切間が「阿呆か」と首を振った。
冷泉が被せるように言う。
「昭和の次は何でしたっけ」
「お前まで遊ぶなよ。未来の元号なんてわかるか」
切間にあしらわれ、冷泉はショックを受けたような顔をした。妙な女だ。
「とにかく、俺たちの先祖はここに流れ着き、村にはなかった技術や漁の方法を教えたらしい。村は栄え、四家の一族は持て囃された。だから、驕った」
切間はガラスの灰皿で煙草を擦り潰した。
「村人が決して立ち入らなかった禁足地、岩場の洞窟にまで足を踏み入れたんだ。そこに呼び潮の神がいた」
俺はいつの間にか口を開けていた。舌と唇が乾いていた。
「冷泉の言う通り、呼び潮の神は理解不能だ。その意思を探り、村に危害が及ばないか調べるために神託を得る存在が必要らしい」
「神を見つけた責任は四家で持ち回りという訳ですか」
「ひでえ話だよな。親が何しようとガキどもには責任ねえだろ」
切間は答えず、芋虫のように潰れた吸殻を見下ろした。
冷泉が足を組み替える。
「とにかく、真相に切り込むには祭りに参加するしかなさそうですね」
切間の顔が余計に暗くなったとき、客間の襖が開いた。切間の母親が立っている。
「蓮二郎、上戸の娘さんが駄目になったわ」
「何?」
「家で首吊ってたって。医者が来た頃には息がなかったらしいわ」
切間が蒼白な顔で唇を震わせた。
蛍光灯の光で照らされた切間の母親は能面のような無表情だった。
こいつらにまともな情動は期待してない。だが、上戸は次のおうず様じゃなかったか。何故平然としている?
冷泉が口火を切った。
「では、お祭りは?」
聞きにくいことを平気で聞くやつだ。
「それだけどね、」
切間の母親は無表情のまま首を動かした。
「あなたたちの中に『冷泉』って名前のひと、います?」
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